
発売年:1970年
ジャンル:クラウトロック/エクスペリメンタル・ロック/サイケデリック・ロック/アヴァン・ロック/ファンク・ロック
概要
Soundtracksは、西ドイツの実験的ロック・バンドCanが1970年に発表したアルバムである。タイトル通り、複数の映画のために制作された楽曲をまとめた作品であり、厳密には通常のコンセプトに基づいて録音されたスタジオ・アルバムとは性格が異なる。しかしCanのキャリアという観点では、1969年のMonster Movieと1971年のTago Magoをつなぐ極めて重要な転換作であり、初代ヴォーカリストMalcolm Mooney期と、Damo Suzuki加入後のCanが同じ一枚に収められている点でも特別な位置を占める。
CanはHolger Czukay、Irmin Schmidt、Michael Karoli、Jaki Liebezeitを中心として結成された。メンバーの一部はKarlheinz Stockhausen周辺の現代音楽から影響を受けながら、ロック、ジャズ、ファンク、ミニマル・ミュージック、民族音楽、テープ編集などを同列に扱い、既存のロック・バンドとは異なる方法で楽曲を組み立てた。
彼らの音楽を語るうえで特に重要なのが、Jaki Liebezeitのドラムである。
一般的なロック・ドラマーがフィルや強弱によって展開を作るのに対し、Liebezeitは極めて正確な反復を長時間維持し、その微細な変化によってグルーヴを作った。この機械のようでいて完全には機械ではないリズムが、後に“モーターリック”と総称されるドイツ・ロックの反復美学とは別系統ながら、Canの最大の特徴となった。
Holger Czukayのベースも同様に重要で、コード進行を説明するより、短いパターンを反復して音楽の中心を固定する。
その上でMichael Karoliのギター、Irmin Schmidtのキーボード、ヴォーカル、スタジオ編集が自由に動く。
つまりCanの音楽は、「曲を演奏する」というより、ひとつの反復する環境を作り、その中で音を発生させていくという感覚に近い。
Soundtracksでは、その方法論が映画音楽という条件によってさらに凝縮されている。
場面を支える短い曲。
不穏なテーマ。
長時間にわたる即興的展開。
ジャズ的な歌。
ファンク的反復。
それぞれの曲が異なる映画のために作られたため、表面的には統一感が弱い。しかし、Canというバンドがこの時期に持っていた可能性の広さを一度に確認できる作品でもある。
そして何より重要なのが「Mother Sky」である。
約14分に及ぶこの曲は、Canの反復、即興、編集、ギター・ノイズ、リズムの持続がほぼ完成された形で現れた初期代表曲であり、翌年のTago Magoにおける長尺実験へ直接つながっていく。
一方、「She Brings the Rain」ではジャズやラウンジ・ミュージックに近い繊細な表情を見せる。
つまりSoundtracksは、Canを「長尺の実験ロック・バンド」とだけ理解することを拒む作品でもある。
全曲レビュー
1. Deadlock
アルバムは「Deadlock」から始まる。
タイトルは「行き詰まり」「膠着状態」を意味し、その言葉通り、楽曲には前進しているようでどこにも到達しない独特の緊張感がある。
Canの反復美学は、ここですでに明確だ。
リズムは曲をドラマティックに変化させるためではなく、一定の心理状態を維持するために使われる。
映画音楽という文脈を考えると、この構造は非常に有効である。
通常のポップソングなら、サビや転調によって感情を動かす。
しかし映画では、場面の緊張を一定時間維持する必要がある。
Canはその条件を利用し、反復そのものを音楽の主役へ変えている。
ヴォーカルと楽器の距離も興味深い。
歌が中心に立つというより、ヴォーカルもひとつの音響要素として配置される。
この考え方は、後のDamo Suzuki期にさらに徹底されていく。
2. Tango Whiskyman
「Tango Whiskyman」は、本作の中でも比較的短く、ポップな輪郭を持つ楽曲である。
タイトルにはタンゴとウイスキーという、少し酩酊した国際的イメージが混在する。
しかし実際の音楽は典型的なタンゴではない。
Canはジャンル名をそのまま再現するより、そこからイメージだけを取り出し、自分たちのリズムへ変換する。
ヴォーカルにはDamo Suzuki特有の即興性があり、歌詞の意味より音節、アクセント、声の質感が重要になる。
Damo Suzukiの歌唱は、英語を明確な意味伝達の道具として使うだけではない。
発音。
響き。
呼吸。
反復。
それらを楽器のように扱う。
この方法によって、Canの音楽は特定の国や言語へ固定されない。
西ドイツのバンドでありながら、英米ロックの模倣にもならない。
その国際性が「Tango Whiskyman」によく表れている。
3. Deadlock(Titelmusik)
「Deadlock」のテーマを短く凝縮した楽曲。
“Titelmusik”はタイトル・ミュージック、すなわち映画のメイン・テーマとしての役割を示す。
先に登場した「Deadlock」の世界を、より機能的で短い形式に変換している。
この曲を聴くと、Canが長尺即興だけのバンドではなかったことが分かる。
彼らは非常に短い時間でも、数音の反復と音色の組み合わせだけで独特な空気を作ることができる。
映画音楽に必要なのは、必ずしも複雑なメロディーではない。
数秒で場所や感情を決定づける音。
Canはその機能を理解していた。
また、同じ素材を長い曲と短いテーマの両方に使うことで、「作曲」と「編集」の境界も曖昧になる。
これはHolger Czukayが後にさらに発展させるスタジオ編集思想の初期形でもある。
4. Don’t Turn the Light On, Leave Me Alone
タイトルは「明かりをつけないで、一人にしてくれ」という、非常に直接的な拒絶を表す。
この曲ではDamo Suzukiの存在感が特に強い。
ヴォーカルは完全に整ったメロディーを歌うのではなく、リズムの中を自由に動く。
歌詞には孤立、拒絶、外界から距離を取りたい感覚がある。
「明かりをつけないで」という言葉は象徴的だ。
光は普通、真実や希望を意味する。
しかしここでは逆になる。
見られたくない。
明るくされたくない。
一人でいたい。
この反転が曲に不穏な心理を与える。
サウンドにはファンク的な反復もあり、暗い歌詞に対して身体的なグルーヴが存在する。
この「心理的な不安」と「踊れるリズム」の共存は、後のポストパンクやニューウェイヴにも大きな影響を与えることになる。
Canが後世に重要だった理由の一つは、ロックの暗さをスローなバラードだけで表現しなかったことにある。
不安でも踊れる。
反復しながら壊れていく。
その構造がここにある。
5. Soul Desert
「Soul Desert」は、タイトル通り「魂の砂漠」という荒涼としたイメージを持つ。
ヴォーカルはMalcolm Mooney。
したがって本作では、Damo Suzuki加入後の楽曲とMooney在籍時の録音が同居している。
この違いは非常に興味深い。
MooneyのヴォーカルはDamo Suzukiよりもアメリカのロック、R&B、ブルースとの接点が分かりやすく、反復するフレーズを執拗に押し出すことでトランス状態を作る。
彼の歌唱には、時に説教や呪文のような感覚がある。
「Soul Desert」でも、旋律を美しく整えるより、一つの心理状態へ入り込むことが優先される。
“desert”という言葉もCanの音楽と相性が良い。
何もない。
広い。
変化が少ない。
だからこそ、小さな変化が大きく感じられる。
Canの反復音楽も同じである。
コード進行を大量に使わない。
その代わり、一つのパターンを長く維持する。
その中で一音の変化、ドラムのアクセント、ギターのノイズが劇的な意味を持つ。
6. Mother Sky
Soundtracksの中心であり、初期Canを代表する長尺曲。
約14分にわたって展開される「Mother Sky」は、Canというバンドの方法論を理解するうえで最重要曲の一つである。
冒頭からJaki Liebezeitのドラムはほとんど止まらない。
一定のビート。
一定の推進。
しかし、その上に乗る音は絶えず変化する。
Holger Czukayのベースは曲の土台を固定し、Michael Karoliのギターはそこから自由に逸脱する。
鋭いカッティング。
フィードバック。
ノイズ。
サイケデリックなソロ。
それらが次々と現れる。
一般的なロックの長尺曲では、複数のセクションを組み合わせ、プログレッシブな構成を作ることが多い。
しかしCanは違う。
基本的な反復を保ったまま、その内部で音の密度と質感を変える。
つまり楽曲は「AからBへ進む」のではなく、「Aという状態を深く掘る」。
この違いが重要である。
Damo Suzukiのヴォーカルも、物語を説明するためではなく、楽器の一部として機能する。
言葉は断片化され、時に叫び、時に囁き、グルーヴの中へ吸収される。
「Mother Sky」というタイトルには宇宙的、神話的な広がりがある。
しかし曲は壮大なオーケストレーションによって宇宙を描かない。
反復。
ノイズ。
持続。
その三つだけで空間を拡大する。
この方法は後のクラウトロック、ポストロック、ノイズ・ロック、ダンス・ロックに非常に大きな影響を与えた。
The Fall.
Sonic Youth.
Stereolab.
Radiohead.
そして多くのポストパンクや電子音楽系アーティスト。
それらがCanから受け取った最も重要なものの一つが、この「反復によってロックを解体する」方法である。
「Mother Sky」はその原型に近い。
7. She Brings the Rain
アルバムを締めくくる「She Brings the Rain」は、それまでの緊張感から一転し、非常に柔らかい楽曲である。
ヴォーカルはMalcolm Mooney。
ジャズ・バラードやラウンジ・ミュージックを思わせる落ち着いた響きを持ち、Canのディスコグラフィーの中でも異色の美しさを持つ。
ここで特に重要なのは、Canが「実験的であること」と「耳触りが悪いこと」を同一視していなかった点だ。
彼らはノイズも使う。
長尺即興も行う。
反復もする。
しかし必要であれば、非常に美しい短い歌も作る。
「She Brings the Rain」はその証拠である。
ベースラインは穏やかで、ギターも控えめ。
ヴォーカルにはジャズ・クラブのような親密さがある。
タイトルの雨も興味深い。
「Mother Sky」で宇宙的に拡大した空が、最後には雨として地上へ戻ってくるようにも聞こえる。
明確なコンセプトとして作られたアルバムではないにもかかわらず、結果として非常に美しい終着点になっている。
総評
Soundtracksは、Canの代表作として最初に名前が挙がることの多いTago MagoやEge Bamyasiとは異なる性格を持つ。
映画音楽の寄せ集めという出自から、アルバム全体を統一する明確なコンセプトはない。
しかし、そこが弱点であると同時に魅力でもある。
Canの複数の顔が一枚に並んでいる。
Malcolm Mooney。
Damo Suzuki。
短い映画テーマ。
ファンク。
ジャズ。
サイケデリック・ロック。
長尺即興。
アンビエント的な空間。
それらが同居する。
そのためSoundtracksは、Canの「完成形」というより、バンドが猛烈な速度で変化していた瞬間そのものを記録した作品である。
特にMalcolm MooneyからDamo Suzukiへの移行は、Canの歴史における決定的な転換だった。
Mooneyはアメリカ的なR&B、ロック、反復的シャウトの感覚を持っていた。
彼のヴォーカルは非常に肉体的で、同じ言葉を繰り返すことで音楽を催眠状態へ導く。
一方Damo Suzukiは、より意味を固定しない。
英語、音節、即興的なフレーズを使い、ヴォーカルを純粋な音へ近づける。
この変化によってCanの音楽は、より国籍不明で、ジャンル不明なものになっていく。
その完成形が次作Tago Magoである。
したがってSoundtracksは、二つのCanが交差する場所でもある。
音楽面で最も重要なのは、やはりリズムだ。
Canをクラウトロックという言葉だけで理解すると、シンセサイザーや電子音楽の先駆者という印象を持ちやすい。
しかしCanの核は、まずリズム・セクションにある。
Jaki Liebezeit。
Holger Czukay。
この二人が作る反復が、バンド全体を支える。
Liebezeitのドラムは驚くほど正確だ。
しかしドラムマシンではない。
ほんの少しの揺れ。
アクセント。
スネアの位置。
ハイハットの開閉。
それらによって、人間にしか作れないグルーヴが生まれる。
この感覚は、後の電子音楽に非常に大きな影響を与えた。
テクノやハウスはループを使う。
ヒップホップもループを使う。
Canはそれ以前に、生身のバンドでループ的な音楽を作っていた。
そのため彼らの音楽は、ロック・ファンだけでなくDJや電子音楽家からも評価される。
「Mother Sky」が今なお現代的に聞こえる理由もそこにある。
14分という長さにもかかわらず、ジャム・バンド的な冗長さが少ない。
誰かが長いソロを披露するための曲ではない。
すべてがグルーヴへ奉仕している。
この集団性はCanの最大の特徴である。
誰が主役なのか分からない。
ヴォーカルすら主役ではない。
ドラムが中心になる瞬間。
ベースが中心になる瞬間。
ギターがノイズになる瞬間。
キーボードが空間を変える瞬間。
それらが移動する。
この脱中心的な構造は、当時のロックの常識とは大きく異なっていた。
1960年代末から70年代初頭のロックでは、ギター・ヒーローが重要だった。
Jimmy Page。
Ritchie Blackmore。
ギター・ソロはスターの個性を示す。
Canはそのヒエラルキーを壊す。
Michael Karoliのギターは重要だが、支配しない。
必要なら消える。
ノイズになる。
リズムへ従う。
その集団性が後のポストパンクへ大きな影響を与えた。
Public Image Ltd.、Talking Heads、The Fallなどが、ギター・ロックをファンクや反復へ接続できた背景には、Canの存在がある。
また、スタジオ編集も重要である。
Canの演奏は即興的だったが、そのまま発表されたわけではない。
Holger Czukayらは長時間の演奏を録音し、それを編集することで楽曲へ変換した。
つまり「演奏」と「作曲」と「録音」が分離していない。
バンドが演奏する。
テープに記録する。
後から切る。
つなぐ。
再構成する。
その結果として曲が完成する。
これは後のサンプリング文化や電子音楽的制作にも通じる。
現代のDAWでは当たり前になった編集感覚を、Canはアナログ・テープの時代に極めて先鋭的に実践していた。
映画音楽集というSoundtracksの性格は、この方法と非常に相性が良かった。
映像に必要な長さへ切る。
テーマを短くする。
場面に合わせて音の密度を変える。
その過程で、Canの編集感覚が磨かれていく。
「Deadlock」と「Deadlock (Titelmusik)」が同居していることは、その意味で象徴的だ。
同じ素材でも、長さと編集が違えば別の曲になる。
これはロックの「曲は作曲時点で完成している」という考え方から大きく離れている。
歌詞についても、通常のシンガーソングライター的解釈とは異なる。
特にDamo Suzuki期のCanでは、言葉の意味を完全に追うことが必ずしも重要ではない。
声そのもの。
アクセント。
響き。
言葉が反復するタイミング。
それが音楽になる。
これは後のポストロックや実験的ヴォーカルにもつながる。
歌はメッセージを伝えるだけのものではない。
音響になれる。
その考え方がCanにはある。
一方、「She Brings the Rain」のような曲では、逆に非常に明確な歌の美しさがある。
ここがCanの幅の広さだ。
難解なだけではない。
ノイズだけではない。
即興だけではない。
ポップな感覚もある。
だからこそ彼らの影響は特定ジャンルに限定されなかった。
クラウトロック。
ポストパンク。
ニューウェイヴ。
インディー・ロック。
ノイズ・ロック。
エレクトロニカ。
テクノ。
ポストロック。
ダンス・パンク。
多くの領域にCanの痕跡を見ることができる。
Soundtracksはその影響の出発点を理解するために非常に有効な作品である。
Tago Magoほど巨大ではない。
Ege Bamyasiほど凝縮されてもいない。
Future Daysほど流麗でもない。
しかし、その三つへ向かう途中の可能性が一枚に詰まっている。
特に「Mother Sky」は、Canが何を発明したのかを理解するための最良の入口の一つだ。
長い。
反復する。
変化は少ない。
しかし飽きない。
その理由は、表面的なコード進行ではなく、音の質感が常に動いているからである。
Canは「同じことを繰り返す」ことと「何も変化しない」ことが同じではないと証明した。
反復の内部には無限の変化がある。
この思想は、ミニマル・ミュージックからテクノまで、20世紀後半以降の音楽における重要な原理の一つである。
そしてCanはそれを、ロック・バンドという編成で実践した。
Soundtracksは、その革命がほぼ完成しようとしている瞬間を捉えた作品である。
おすすめアルバム
1. Can – Tago Mago(1971)
Soundtracks直後に発表されたCanの代表作。Damo Suzuki期の本格的な始動作であり、長尺即興、ファンク的反復、テープ編集、ノイズ、サイケデリアを極端な地点まで押し進めている。「Mother Sky」で確立された方法論がさらに巨大化した作品である。
2. Can – Ege Bamyasi(1972)
長尺実験を維持しながら、より短く凝縮されたファンク/クラウトロックへ進んだ作品。「Vitamin C」「Spoon」などを収録し、Jaki LiebezeitとHolger Czukayのリズム・セクションの革新性が特に分かりやすい。
3. Neu! – Neu!(1972)
Canとは異なる方法でドイツ・ロックの反復美学を確立した作品。Klaus Dingerのモーターリック・ビートによって、持続するリズムそのものを音楽の中心に据えた。Canの有機的な反復との比較によって、クラウトロック内部の多様性が見えてくる。
4. Public Image Ltd. – Metal Box(1979)
ポストパンクにおいて、ロックをベース、反復、ダブ、ノイズへ解体した歴史的作品。Canの非ヒエラルキー的なバンド・アンサンブルや、ギターをリズム/ノイズとして扱う発想の後世への影響を理解するうえで重要である。
5. This Heat – Deceit(1981)
ポストパンク、テープ編集、即興、ノイズ、反復を高度に融合した実験的作品。Canの「スタジオを楽器として使う」思想を、より不穏で断片的な80年代の感覚へ発展させた一枚として関連性が高い。

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