
- イントロダクション:King Hannahという、曇天の中のロック・ミュージック
- アーティストの背景と歴史:港町リヴァプールから、アメリカの幻影へ
- 音楽スタイルと影響:ドリーム・ポップ、グランジ、ブルース、そして沈黙
- 代表曲の解説:King Hannahの楽曲解説
- アルバムごとの進化
- Tell Me Your Mind and I’ll Tell You Mine:霧の中から現れた原型
- I’m Not Sorry, I Was Just Being Me:日常の不穏を抱いたデビュー・アルバム
- Big Swimmer:旅、視界、そして飛び込む勇気
- 影響を受けたアーティストと音楽
- 影響を与えたアーティストと音楽シーン
- 他アーティストとの比較:King Hannahのユニークさ
- ライブ・パフォーマンスとファンの受け止め方
- 映画的な感覚と社会的な空気
- まとめ:King Hannahは、曇り空の下でまだ泳ぎ続ける
イントロダクション:King Hannahという、曇天の中のロック・ミュージック
King Hannahは、イギリス・リヴァプールを拠点に活動するHannah MerrickとCraig Whittleによるインディー・ロック・デュオである。2020年のEP Tell Me Your Mind and I’ll Tell You Mine、2022年のデビュー・アルバム I’m Not Sorry, I Was Just Being Me、そして2024年の2作目 Big Swimmer を通じて、彼らは「静けさ」と「轟音」のあいだに、独自の居場所を作ってきた。EPと2枚のアルバムはいずれもCity Slangからリリースされている。Apple Music – Web King Hannahの音楽を一言で表すなら、リヴァプールの薄曇りをアメリカ南西部の乾いた砂埃で包んだ、ドリーム・グランジである。Mazzy Starのような夢見心地、PJ HarveyやNick Caveを思わせる不穏なブルース、Portishead的な陰影、そしてYo La Tengoのような余白。そのすべてが、Hannah Merrickの低く淡々とした声と、Craig Whittleの湿ったフィードバック・ギターの中で、ゆっくりと発酵していく。
彼らの楽曲は、派手なサビで聴き手をつかむタイプではない。むしろ、夜中のキッチンで冷蔵庫の音だけが鳴っているような時間に似ている。何も起きていないようで、内側では確かに何かが崩れ、何かが生まれている。King Hannahの音楽は、その微細な変化を聴くためのロックである。
アーティストの背景と歴史:港町リヴァプールから、アメリカの幻影へ
King HannahはHannah MerrickとCraig Whittleを中心に結成された。2人はリヴァプールで出会い、2017年ごろからKing Hannahとして活動を始めたとされる。Hannahはウェールズ出身、Craigはリヴァプール出身であり、この微妙な距離感がバンドの音楽にも反映されている。完全にリヴァプールの伝統に染まっているわけではなく、かといってアメリカーナの単純な模倣でもない。海を挟んだ向こう側の音楽を、港町の湿気の中で鳴らしているような感覚がある。Pitchfork
2020年、彼らはEP Tell Me Your Mind and I’ll Tell You Mine をリリースする。収録曲には And Then Out of Nowhere, It Rained、Meal Deal、Bill Tench、Creme Brulee、The Sea Has Stretch Marks、Moving Day (Reprise) が並び、すでにこの時点で、彼らの音楽的輪郭はかなり明確だった。曇ったギター、低温の語り、ゆっくりと不穏さを増す構成。City Slangからのリリースという事実も、彼らがヨーロッパのインディー・シーンで早くから注目されていたことを示している。タワーレコード オンライン
2022年にはデビュー・アルバム I’m Not Sorry, I Was Just Being Me を発表。Pitchforkはこの作品を、PJ HarveyやNick Caveを思わせる不穏な道筋をたどりつつ、Portishead的なダブの感触も含むアルバムとして評している。ここで重要なのは、彼らが単に「暗いロック」を鳴らしているわけではない点だ。King Hannahの暗さには、日常の間抜けさや小さな笑いが混ざっている。深刻な顔をしているのに、ふとした瞬間に生活感が漏れ出る。その人間臭さこそ、彼らの大きな魅力である。
そして2024年、2作目 Big Swimmer が登場する。アルバムは2024年5月31日にリリースされ、プロデューサーにはAli Chantを迎え、Sharon Van Ettenが Big Swimmer と This Wasn’t Intentional に参加している。アメリカ・ツアーの経験が色濃く反映された作品であり、King Hannahの音楽はここでより広い風景を手に入れた。
音楽スタイルと影響:ドリーム・ポップ、グランジ、ブルース、そして沈黙
King Hannahの音楽スタイルは、簡単にジャンル名へ押し込めることが難しい。インディー・ロック、オルタナティヴ・ロック、ドリーム・ポップ、スローコア、ブルース・ロック、グランジ、ポスト・ロック的な要素が重なり合っている。しかし、それらはカタログ的に並んでいるのではなく、薄い霧のように混ざり合っている。
Hannah Merrickの歌声は、感情を爆発させるというより、感情が爆発する直前の温度を保ち続ける。声は低く、語るようで、時に無表情にも聞こえる。しかし、その平坦さの奥に、疲労、諦め、ユーモア、親密さが沈んでいる。まるで、深夜のファミリーレストランで向かい合った友人が、何気ない話の中に人生の核心をぽろっと落とすような歌である。
Craig Whittleのギターは、King Hannahの空模様そのものだ。最初は遠くの雷鳴のように鳴り、やがて砂嵐のように視界を奪う。彼のギターは技巧を見せつけるためではなく、場面の温度と湿度を変えるために存在している。クリーンなアルペジオ、ざらついた歪み、長く尾を引くフィードバック。それらがHannahの声の周囲に、映画のロングショットのような空間を作る。
影響源としてしばしば名前が挙がるのは、PJ Harvey、Nick Cave、Mazzy Star、Portishead、Yo La Tengo、Bill Callahan、Sharon Van Etten、Courtney Barnettなどである。特にPitchforkは Big Swimmer において、Bill Callahanの乾いたユーモア、Sharon Van Ettenの情感、Cassandra JenkinsやCourtney Barnettを思わせる観察眼を指摘している。Pitchfork
ただし、King Hannahは影響源を隠さない一方で、それに飲み込まれない。彼らの音楽には、アメリカの広大な道路や砂漠への憧れがある。しかし、その憧れはリヴァプールの曇天を通して見た幻影である。だからこそ、彼らのアメリカーナは妙に湿っている。乾いた風景を歌っていても、足元にはいつも雨上がりの舗道がある。
代表曲の解説:King Hannahの楽曲解説
Creme Brulee
Creme Brulee は、King Hannahの初期を象徴する楽曲である。タイトルの甘さとは裏腹に、曲全体には焦げた砂糖のような苦味がある。表面は滑らかで、内側にはじわじわとした不穏さが潜む。彼らの楽曲に特徴的な「何も起こらない時間を、少しずつ危険なものに変えていく」技術がよく表れている。
この曲におけるHannahの声は、感情を押し殺しているようでいて、完全には隠しきれていない。聴き手はその隙間に耳を澄ませることになる。King Hannahの音楽では、歌詞がすべてを説明しない。むしろ、説明されない部分にこそ物語が宿る。
A Well-Made Woman
デビュー・アルバム I’m Not Sorry, I Was Just Being Me の冒頭を飾る A Well-Made Woman は、King Hannahの美学を一気に提示する曲である。The Upcomingはこの曲について、Craig WhittleのゆったりとしたギターとHannah Merrickの暗い声が印象的な、煙たいスローバーナーとして評している。The Upcoming
この曲は、聴き手を急がせない。ギターはゆっくりと部屋の隅に影を広げ、ドラムは重く、ボーカルは淡々としている。だが、その淡々とした歩みの中に、不思議な緊張感がある。まるで、誰もいない道路を夜明け前に車で走っているような感覚だ。前方には何も見えない。けれど、何かが待っていることだけは分かる。
The Moods That I Get In
The Moods That I Get In は、King Hannahのギター・バンドとしての力を強く示す楽曲である。Pitchforkはこの曲について、Neil Youngの On the Beach から Cortez the Killer へ向かうような展開を引き合いに出し、Whittleのギターがフィードバックや鋭いトワングを積み重ねていく点を評価している。Pitchfork
この曲の魅力は、長さそのものにある。短く切り詰めれば失われてしまう、じわじわとした変化。King Hannahは、時間をぜいたくに使う。ギターの一音が空気に溶け、次の音がその残響の上に重なる。聴いているうちに、曲を聴いているというより、天気が変わっていくのを眺めているような気分になる。
It’s Me and You, Kid
It’s Me and You, Kid は、King Hannahの中では珍しく、少しだけ祝祭的な光を持つ曲である。2人の出会いや関係性を思わせる内容で、暗いアルバムの終盤に置かれることで、カーテンコールのような役割を果たしている。Pitchforkもこの曲を、King Hannahが自分たちの物語をミュージカルの終幕のように描く楽曲として捉えている。Pitchfork
ただし、その祝祭はきらびやかなものではない。紙吹雪は少し湿っていて、照明は古いバーの裸電球のようだ。それでも、ここには確かな肯定がある。「これを続けて生きていく」という切実な決意が、King Hannahらしいぶっきらぼうな言葉と音で鳴らされている。
Big Swimmer
2024年のアルバム表題曲 Big Swimmer は、King Hannahの新しいフェーズを象徴する楽曲である。Sharon Van Ettenがハーモニーで参加し、曲はより大きなスケールを手に入れている。Bandcampのクレジットでも、この曲にSharon Van Ettenのボーカル・ハーモニーが記載されている。King Hannah
この曲の核にあるのは、飛び込むことへの意志だ。水に入る前のためらい、しかし結局は頭から飛び込んでしまう衝動。King Hannahの音楽はしばしば低温に聞こえるが、Big Swimmer には静かな熱がある。大声で叫ぶのではなく、静かに「行く」と決める。その姿勢が、アルバム全体のテーマにもつながっている。
New York, Let’s Do Nothing
New York, Let’s Do Nothing は、タイトルだけでKing Hannahらしさが伝わる曲である。ニューヨークという巨大な都市を前にして、「何もしない」と言う。その脱力感、観光名所を駆け回るのではなく、ただそこにいることを選ぶ感覚。King Hannahは、非生産的な時間の価値をよく知っている。
この曲には、現代的な疲労感がある。何かをしなければならない、どこかへ行かなければならない、成果を出さなければならない。そうした圧力に対して、King Hannahは「何もしない」という美しい抵抗を差し出す。これは怠惰ではなく、世界の速度から一度降りるための音楽である。
Somewhere Near El Paso
Somewhere Near El Paso は、Big Swimmer の中でも特に映画的な楽曲である。Metacriticに掲載されたMojoの評では、アルバムの歌詞がアメリカ大陸への反応を日記のように描き、Somewhere Near El Paso には荒涼とした美しさがあると紹介されている。Metacritic
El Paso周辺という地名は、King Hannahの音楽に似合う。国境、砂漠、移動、孤独、夜の看板。曲はそうしたイメージを直接的に説明するのではなく、遠くに揺れる光として提示する。聴き手は、その光に向かって車を走らせているような気分になる。
アルバムごとの進化
Tell Me Your Mind and I’ll Tell You Mine:霧の中から現れた原型
2020年のEP Tell Me Your Mind and I’ll Tell You Mine は、King Hannahの設計図である。全6曲、約30分というサイズながら、彼らの核となる要素はほぼ出そろっている。遅いテンポ、陰影のあるギター、語りに近いボーカル、不穏な余白。そして何より、曲が始まった瞬間に空気の色が変わる感覚がある。
このEPの魅力は、完成されすぎていないところにもある。音はまだ荒く、輪郭もややぼやけている。しかし、そのぼやけ方がよい。King Hannahの音楽において、明瞭さは必ずしも正義ではない。曖昧なまま残る感情、言葉にしきれない違和感、部屋に残った煙のような残響。それらが、このEPを忘れがたいものにしている。
I’m Not Sorry, I Was Just Being Me:日常の不穏を抱いたデビュー・アルバム
2022年の I’m Not Sorry, I Was Just Being Me は、King Hannahが自分たちの世界を初めて長編映画のように提示した作品である。アルバムは2022年2月25日にCity Slangからリリースされた。ウィキペディア
この作品の面白さは、アメリカ南部的な荒野のイメージと、日常の小さな出来事が同じ画面に映り込むところにある。巨大な風景と、個人的で少し情けない記憶。荒野のブルースと、ベッドルームの独り言。King Hannahはその落差を恐れない。むしろ、そこにこそ自分たちのリアリティを見つけている。
Pitchforkは、このアルバムを「日常のありふれたもの」を、荒涼とした砂漠のような背景の上で語る作品として紹介している。まさにその通りで、このアルバムでは、壮大さとくだらなさが同居している。人生は映画のように美しい瞬間もあれば、どうしようもなく間抜けな瞬間もある。King Hannahはその両方を同じ声で歌う。Pitchfork
Big Swimmer:旅、視界、そして飛び込む勇気
2024年の Big Swimmer は、King Hannahの音楽が外へ開かれた作品である。前作が薄暗い部屋や荒れ地の内面劇だとすれば、本作は車窓から流れるアメリカの風景を見つめるロードムービーである。とはいえ、明るくなったわけではない。むしろ、暗さのスケールが広がったと言うべきだ。
アルバムはアメリカ・ツアーからの影響を受けており、PitchforkはHannah Merrickの断片的な語りが、アメリカを移動する中で生まれた小さな情景を拾い上げていると評している。Pitchfork
プロデューサーのAli Chantは、PJ Harvey、Aldous Harding、Perfume Geniusとの仕事でも知られる人物であり、Big Swimmer の音像にはその経験が反映されている。楽器の配置はより立体的になり、ギターの轟音も単なるノイズではなく、風景を押し広げるための装置として機能している。God Is In The TV
PopMattersは Big Swimmer について、King Hannahが新しい音の構造を作り、Merrickの声をより高く飛翔させていると評価している。PopMatters これは重要な指摘である。前作では声が地面に近かった。Big Swimmer では、その声が少しだけ空へ向かう。曇天は相変わらずだが、雲の切れ間が見える。
影響を受けたアーティストと音楽
King Hannahを語るうえで、PJ HarveyとNick Caveは避けて通れない。どちらもブルースを単なる様式ではなく、身体的な緊張として鳴らすアーティストである。King Hannahもまた、ブルースのコードや雰囲気を借りながら、それを現代的な倦怠感に変換している。
Mazzy Starからは、夢の中にいるような遅い時間感覚を受け継いでいる。Hope Sandovalの歌声が夜の部屋に浮かぶ煙だとすれば、Hannah Merrickの声はその煙が冷え、窓ガラスに結露したものに近い。甘さよりも、冷たさとざらつきが強い。
Portisheadからは、音の隙間に緊張を宿す方法を受け取っている。King Hannahの曲では、鳴っていない部分が非常に重要だ。ドラムが入るまでの沈黙、ギターが歪む直前の空白、声が少しだけ遅れて入る瞬間。そこに、聴き手の不安が差し込まれる。
Yo La TengoやBill Callahanからは、脱力した語り口と、日常の細部を音楽にする姿勢を感じる。特に Big Swimmer では、Bill Callahan的な乾いたユーモアや、旅の中で見つけた断片的な観察が強く表れている。Pitchfork
Sharon Van Ettenの存在も大きい。彼女は Big Swimmer に実際に参加しているだけでなく、King Hannahの音楽的親族とも言える。情感を過剰に飾らず、それでも深く響かせる歌のあり方。King Hannahはそこから多くを学びつつ、自分たちなりの低温のロックへ変えている。
影響を与えたアーティストと音楽シーン
King Hannahはまだキャリアの途上にあるため、後続シーンへの影響を大きく断言する段階ではない。しかし、2020年代のインディー・ロックにおいて、彼らが提示している方向性は非常に重要である。
まず、彼らは「ロック・バンドが大きな音を鳴らすこと」の意味を更新している。King Hannahの轟音は、単なるカタルシスではない。ギターが爆発しても、そこには爽快さよりも、感情の濁りが残る。これは90年代オルタナティヴやグランジの遺産を、現代のスローで内省的な感覚に接続する試みである。
また、彼らはドリーム・ポップやスローコアの静けさを、ブルース・ロックの肉体性と結びつけている。近年のインディー・シーンには、静かな語りや日記的なソングライティングを重視する流れがあるが、King Hannahはそこへギターの重さを持ち込む。小声で語りながら、背後では空が割れる。そのバランスが新鮮だ。
さらに、King Hannahの歌詞には、現代的な「何者にもなりきれなさ」がある。ヒロイックなロック・スター像ではなく、迷い、疲れ、笑い、何もしない時間を抱えた人間として歌う。この感覚は、Courtney Barnett以降のインディー・ロックに通じるものがあり、同時により暗く、より映画的である。
他アーティストとの比較:King Hannahのユニークさ
King HannahはよくMazzy StarやPJ Harvey、Portisheadと比較される。確かに、それらの名前は彼らの音を説明する手がかりになる。しかし、King Hannahのユニークさは、それらの要素を「リヴァプールの生活感」と結びつけているところにある。
Mazzy Starが夢の中の砂漠だとすれば、King Hannahは夢から覚めた後、曇った窓越しに見る駐車場である。PJ Harveyが神話的な女性像や荒々しい身体性をまとっていたとすれば、Hannah Merrickはもっと日常に近い。彼女の歌には、ヒロイン性よりも、生活者としての疲れと観察がある。
Portisheadが都市の暗がりとトリップホップの冷たさを鳴らしたのに対し、King Hannahはもっとギター・バンド的で、ロードムービー的である。ビートよりも、風景が前に出る。彼らの曲では、リズムが身体を踊らせるというより、視線を遠くへ運ぶ。
同時代のアーティストで言えば、Sharon Van EttenやCassandra Jenkins、Courtney Barnettとの親和性も高い。だが、King Hannahはそのどれよりも湿っていて、ざらついている。彼らの音楽には、洗練されすぎない魅力がある。美しいが、少し汚れている。そこがよい。
ライブ・パフォーマンスとファンの受け止め方
King Hannahの音楽は、録音作品で聴くと静的に感じられるかもしれない。しかし、ライブではその静けさがむしろ緊張感になる。Hannah Merrickの低い声が会場の空気を沈め、Craig Whittleのギターが少しずつ圧を増していく。観客は手拍子で盛り上がるというより、息をひそめてその変化を見守る。
彼らのライブが印象的なのは、曲の展開が「爆発」を前提にしながらも、簡単にはそこへ行かない点である。ためて、ためて、さらにためる。ギターの歪みが増しても、ボーカルは平熱のまま進む。その温度差が、King Hannahのステージに独特の緊迫感を与える。
ファンや批評家の評価も、彼らの「控えめだが強い中毒性」に集中している。DIYは I’m Not Sorry, I Was Just Being Me を、抑制が巧みでペース配分に優れた作品として評価した。DIY Magazine Under the Radarは Big Swimmer について、Craig WhittleのざらついたギターとHannah Merrickの詩的な歌詞が作品を大きなスケールへ押し広げていると評している。Under the Radar Magazine
King Hannahは、即効性のあるポップ・ソングで巨大な合唱を生むタイプではない。だが、聴き手の生活にじわじわ入り込み、気づけば夜道や電車の窓、雨の日の部屋と結びついている。そういう音楽である。
映画的な感覚と社会的な空気
King Hannahの音楽には、映画的な魅力がある。ただし、それは派手なシネマティック・サウンドではない。むしろ、何も起きない場面を長回しで撮る映画に近い。車の中、安いモーテル、夜の道路、曇った海辺、閉店間際の店。そうした場所に、彼らの音楽はよく似合う。
この映画的感覚は、現代社会の疲労とも深く結びついている。King Hannahの楽曲に登場する人物たちは、勝利を宣言しない。自分を鼓舞するアンセムも歌わない。むしろ、うまくいかなさや退屈や奇妙な記憶を抱えたまま、淡々と歩いている。
だからこそ、彼らの音楽は2020年代的である。世界は過剰に速く、過剰に明るく、過剰に自己表現を求めてくる。その中でKing Hannahは、低い声で、遅いテンポで、曇った音を鳴らす。これは現実逃避ではない。過剰な速度に対する静かな抵抗である。
まとめ:King Hannahは、曇り空の下でまだ泳ぎ続ける
King Hannahは、リヴァプールの港町的な湿度と、アメリカの荒野への憧れを併せ持つ稀有なインディー・ロック・デュオである。Hannah Merrickの低く淡々としたボーカル、Craig Whittleの空模様を変えるようなギター、そして日常の奇妙さをすくい上げるソングライティング。それらが合わさり、彼らの音楽は「暗い」だけでは終わらない奥行きを持っている。
Tell Me Your Mind and I’ll Tell You Mine では霧の中から姿を現し、I’m Not Sorry, I Was Just Being Me では自分たちの不穏な世界を確立し、Big Swimmer では旅と風景を取り込みながら、より広い場所へ泳ぎ出した。
King Hannahの音楽は、晴天のための音楽ではない。むしろ、薄曇りの日にこそよく響く。心が少し重く、何かを始めるには遅すぎるようで、それでも完全には諦めていない時間。そんな瞬間に、彼らの曲はそっと寄り添う。
ドリーム・ポップの柔らかさ、グランジのざらつき、ブルースの影、ロードムービーの孤独。King Hannahはそれらを抱えながら、静かに、しかし確かに前へ進んでいる。Big Swimmer というタイトルの通り、彼らはまだ泳いでいる。深い水の中へ、頭から飛び込むように。

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