
発売日:2018年8月31日
ジャンル:Dream Pop / Indie Pop / Synth-Pop
概要
Wild Nothingの4作目のスタジオ・アルバム『Indigo』は、ジャック・テイタムが初期から追求してきたドリーム・ポップを、より明るく精密なスタジオ・サウンドへ発展させた作品である。プロデューサーにはテイタムとともにホルヘ・エルブレヒトが名を連ね、ロサンゼルスを中心に制作された。ギターの残響で輪郭をぼかすだけでなく、シンセサイザー、電子的なドラム、滑らかなベース、サックスなどを細かく配置し、1980年代のニューウェイヴや洗練されたポップの質感を積極的に取り入れている。
デビュー作『Gemini』の宅録的な霞みや、『Nocturne』のギター中心のドリーム・ポップと比べると、各楽器の輪郭はかなり明瞭である。テイタムの声には従来通り感情を抑えた柔らかさがあるが、その周囲ではベースやシンセが活発に動き、曲によってはダンス・ポップに近い推進力も生まれる。歌詞では恋愛や距離感に加え、現代のコミュニケーション、記憶、時間の経過などが扱われる。ノスタルジックな音色を使いながら過去を再現すること自体を目的とせず、2010年代後半の生活感覚を80年代風のポップへ映し出している点が本作の特徴である。
全曲レビュー
1. 「Letting Go」
細かく刻むギターと明るいシンセ、滑らかに動くベースが重なり、アルバムの磨かれた音像を最初から提示する。タイトルは何かを手放すことを示すが、テイタムの歌唱は感情的な決別より、すでに距離が生まれてしまった状況を静かに受け入れるように聞こえる。サビでも轟音へ変わらず、複数の楽器が少しずつ広がることで高揚を作る。初期の霞んだギター・ポップから、より立体的なアンサンブルへ進んだことがよく分かる導入だ。
2. 「Oscillation」
題名の「振動」に合うように、シンセとギターが一定の周期で揺れ続け、曲全体に波のような動きを作る。ドラムは強く叩いて前進させるより、規則正しいビートで各楽器を支え、テイタムの声もその流れへ溶け込む。感情を大きな言葉で説明するのではなく、近づいたり離れたりする関係を思わせる曖昧さが残る。メロディより音色の変化をじっくり聞かせることで、本作のドリーム・ポップ的な側面を担っている。
3. 「Partners in Motion」
軽快なベースと硬質なドラムによって、Wild Nothingとしてはかなりファンク/ダンス寄りのグルーヴを持つ。サックスも加わり、80年代の洗練されたポップを思わせる華やかさがあるが、テイタムのボーカルはあくまで冷静だ。歌詞では二人の関係を動き続けるものとして捉え、完全な安定よりも、互いの距離が変化していく感覚を残す。豪華なアレンジと抑えた歌唱の対比によって、『Indigo』の都会的な側面が強く表れている。
4. 「Through Windows」
タイトル通り、窓越しに誰かや世界を眺めているような距離感を持つ曲である。シンセの柔らかな層とクリーンなギターを重ね、音を強く歪ませずに奥行きを作るため、景色がガラス越しに少しだけぼやけて見えるような感触がある。テイタムの歌も前面へ出すぎず、観察者としての位置を保っている。初期Wild Nothingの夢見るような質感を残しながら、録音だけを鮮明にしたような一曲だ。
5. 「The Closest Thing to Living」
弾むベースと明快なビートを軸にしながら、歌詞にはタイトルが示すような生の実感への疑問がある。明るい音を鳴らしていても、そこにいる人物が完全に満たされているわけではなく、何かの代用品を通して現実へ触れようとしているようにも読める。テイタムはその違和感を強く訴えず、滑らかなメロディの中へ埋め込む。表面の快適さと内側の空虚さという対比が、『Indigo』の美しいプロダクションを逆に意味深くしている。
6. 「Dollhouse」
きらびやかなシンセと整ったリズムによって、人工的に美しく作られた空間を思わせる。題名の「人形の家」は、外から見れば完璧でも、その内部には窮屈さがある場所として解釈でき、曲の磨かれた音ともよく重なる。メロディは軽快だが、ボーカルにはどこか醒めた感触があり、豪華なアレンジへ完全には同化しない。アルバム前半で築いた美しい表面に、小さな不安を忍ばせる役割を果たしている。
7. 「Canyon on Fire」
ギターを前面に戻し、タイトルが連想させる大きな風景に似合う広がりを作る。クリーンな音だけでなく、背景ではざらついたギターが層を作り、前半の滑らかなシンセ・ポップから少し荒れた場所へ移動する。ロサンゼルス的な風景を思わせる題材にも、単なる美しい景観ではなく、危うさや破壊の気配が含まれている。音の明るさと不穏なイメージが重なることで、アルバム中盤に強いコントラストを生んでいる。
8. 「Flawed Translation」
言葉や感情が相手へ完全には伝わらないことを示すタイトルで、コミュニケーションのずれを扱った曲である。音楽は滑らかに整えられている一方、ギターやシンセが互いに少し異なる動きをするため、表面の調和の中に微妙な落ち着かなさがある。テイタムの控えめな歌唱も、感情を伝えたいのに説明し切れない人物像によく合う。華やかな音よりソングライティングへ耳を向けさせる、後半への橋渡しとなる曲だ。
9. 「Bend」
ゆったりしたテンポと柔らかなシンセを中心に、アルバムの速度を落とす。タイトルの「曲がる」という言葉には、相手や状況に合わせて自分の形を変えることも連想され、歌唱にも強い抵抗より静かな受容が感じられる。大きなサビを作るのではなく、同じ温度を保ちながら進むことで、音の余白が目立つ。前半の「Partners in Motion」のような外向きの華やかさとは対照的に、Wild Nothing本来の内向的な美しさへ戻る曲である。
10. 「Through」
明るいシンセと一定のビートが曲を押し出し、終盤でもう一度ポップな推進力を取り戻す。短いフレーズを重ねながら進む構成は簡潔で、細部まで作り込まれたアルバムの中では比較的直接的な手触りがある。何かを通過してその先へ向かうというタイトルの感覚も、後半へ進むアルバムの位置と自然に重なる。ノスタルジックな音色を使いながら停滞せず、前へ進もうとする感覚が印象に残る。
11. 「Shallow Water」
水を連想させる滑らかなシンセと残響のあるギターを使い、曲全体を柔らかく包む。深い場所へ潜るのではなく「浅い水」と名づけることで、親密さを求めながら完全には踏み込まない距離感も感じさせる。リズムは控えめで、テイタムの声と背景の音がほぼ同じ強さで混ざるため、歌手と伴奏の境界も薄い。アルバム終盤にふさわしい静けさを持ちながら、最後の曲へ余韻を残してつなぐ。
12. 「Feels Like You」
最終曲では、これまでの精密なシンセ・ポップから少し力を抜き、メロディと歌を中心にまとめる。タイトルは特定の相手の存在を感覚として捉えるもので、直接的な断言より、記憶や印象の中に誰かが残っている状態を思わせる。華やかなクライマックスを作らず、穏やかな反復の中で音を閉じていくため、『Indigo』全体が一つの記憶として遠ざかるような感触がある。磨かれた作品を親密な余韻へ戻して終えるエンディングである。
総評
『Indigo』の大きな特徴は、Wild Nothingの音楽から「霞み」を完全に取り除くのではなく、その霞みを精密に作り直したところにある。初期作品では宅録的な録音やリヴァーブが自然に曖昧さを生んでいたが、本作ではシンセ、ギター、ベース、パーカッションを細かく配置することで意識的に奥行きを作っている。そのため音は非常にクリアなのに、聴感としては依然として夢の中にいるような距離が残る。プロダクションの洗練とドリーム・ポップの曖昧さを両立したことが本作の基本的な成果である。
特にベースとリズムの役割が大きい。「Partners in Motion」のような曲ではベースがメロディと同じくらい活発に動き、従来のギター中心のWild Nothingより身体的なグルーヴを作る。サックスや80年代的なシンセの音色も加わるため、ニューウェイヴやソフィスティ・ポップへ接近する瞬間がある。それでもテイタムが声を張り上げないことで、曲が派手なレトロ・ポップへ完全に変わることはない。ボーカルの温度を一定に保つことが、多彩なアレンジを一つの作品へまとめている。
一方、徹底して滑らかな音作りには弱点もある。曲間の質感が統一されているため、初期作品のざらつきや偶然性を好む場合には、整いすぎているように感じられる部分がある。ただし「Canyon on Fire」でギターの荒さを加えたり、「Bend」「Shallow Water」で音数を抑えたりすることで、単調になることは避けている。大きなドラマを作るより、似た色の中で微妙に明度を変えていくタイプのアルバムである。
キャリア上では、『Gemini』や『Nocturne』で確立したインディー/ドリーム・ポップを、宅録的な魅力に依存せず成立させた作品として意味がある。1980年代の音色は明らかに重要だが、それを懐古的な引用の集合にはせず、現代の孤独や人間関係を包むための言語として使っている。『Indigo』はWild Nothingの最も荒々しい作品でも、最も実験的な作品でもない。その代わり、テイタムのメロディ感覚とスタジオ制作へのこだわりが最も滑らかに結びつき、ドリーム・ポップを精巧なポップ・レコードへ変えた一枚である。
おすすめアルバム
Nocturne by Wild Nothing
2012年の2作目。ギターのきらめきと柔らかな歌を中心にしたWild Nothingの代表的なサウンドが聞ける。『Indigo』と比べると音は素朴で、テイタムが後にどれほどスタジオ・アレンジを精密化したかが分かる。
Life of Pause by Wild Nothing
2016年の前作で、ギター中心だったスタイルからシンセや多彩な楽器へ踏み出した作品。『Indigo』の洗練されたポップ・サウンドへ向かう途中にあり、二作を続けて聴くと変化が自然につながる。
Heaven or Las Vegas by Cocteau Twins
1990年作。声、ギター、ベースを明瞭な意味より音色として重ね、鮮やかなドリーム・ポップを作っている。Wild Nothingより抽象性は高いが、美しい音響の中へ感情を溶かす方法の重要な比較対象になる。
Cupid Deluxe by Blood Orange
2013年作。80年代のR&B、ニューウェイヴ、シンセ・ポップを現代的なインディー音楽へ組み替えている。『Indigo』よりR&B色は濃いが、懐かしい音色を単なる再現ではなく現在の感覚へ変換する点が共通する。
Kaputt by Destroyer
2011年作。柔らかなシンセ、サックス、滑らかなリズムを使い、80年代的な洗練をインディー・ポップとして再構築している。『Indigo』の都会的な曲をさらに霞ませ、ジャズやソフィスティ・ポップへ広げたような感触を味わえる。

コメント