1. 歌詞の概要
「Ellen West（エレン・ウエスト）」は、Throwing Musesが1995年にリリースしたアルバム『University』に収録された楽曲であり、バンドの中でも特に異質で深淵なテーマを扱った一曲である。タイトルの「Ellen West」とは、実在した人物に由来しており、彼女は20世紀初頭にスイスの精神科医ルートヴィヒ・ビンスワンガーによって記録された摂食障害と自殺の症例として知られる女性である。
この曲において、語り手はその“エレン・ウエスト”という存在を通じて、自身の内面にある破壊衝動、身体に対する違和感、生きることと死ぬことのあいだにある痛みと静けさを映し出す鏡として機能させている。Kristin Hershの歌詞は、決して直接的な叙述ではない。だが断片的で象徴的な言葉の選び方によって、「食べること」「吐くこと」「見ること」「消えること」といった生と死の身体的メタファーを描き出していく。
この曲は、単なるトラウマの記録や告白ではない。むしろ“美”と“痛み”が不可分であることを前提に、その矛盾の中に息づく存在の儚さを詩に昇華させている。Throwing Musesの中でも、最も静かで、最も暴力的な一曲といえる。
2. 歌詞のバックグラウンド
“Ellen West”という名前を冠したこの曲が何を指しているかについて、Kristin Hersh自身が直接言及した記録は少ないが、同名の詩を手がけた詩人アン・セクストンやフランク・ビダートによっても知られるように、Ellen Westは実在の人物であり、激しい摂食障害と実存的苦悩により33歳で自殺した女性である。
このテーマは、Hersh自身が精神疾患や自己否定と戦ってきた経歴とも重なっており、「Ellen West」は彼女の心の奥深くにある“美しさへの欲望”と“生きることの嫌悪”がぶつかり合う焦点として位置づけられる。
『University』というアルバムは、オルタナティブ・ロックの文脈にあっても異質なほどパーソナルで精神的な旅のような作品であり、「Ellen West」はその中でも最もセンシティブで沈潜した瞬間である。
3. 歌詞の抜粋と和訳
I don’t feed myself
I don’t feed myself
私は自分を養わない
自分に食べさせないI feed someone else
I feed someone else
私は誰か他の人に食べさせる
私は自分ではない誰かを養うのI’m a girl
I’m a ghost
私は女の子
私は幽霊I’m a ghost in a girl
女の子の中にいる幽霊
※ 歌詞引用元：Genius – Throwing Muses “Ellen West”
ここで語られる「食べない私」と「誰かに食べさせる私」、そして「幽霊である私」という三重構造は、まさに摂食障害に伴う“自己と身体の分離”そのものである。語り手は、自分自身に触れることも受け入れることもできず、むしろ他者に自己像を投影することでしか生きられない。
「私は幽霊」という表現は、自分が既にこの世界に属していないという実感であり、それでもなお「女の子」であるというアイデンティティを手放せずにいる、二重の苦しみを暗示している。
4. 歌詞の考察
「Ellen West」は、Throwing Musesの楽曲の中でも最も沈痛な光を放っている。Kristin Hershはこの曲で、摂食障害、自己否定、そして“美しくあろうとする苦しみ”を、センセーショナルにではなく、淡々と、しかし極限まで研ぎ澄まされた言葉で描いている。
この曲のすごさは、その冷静さにある。叫びではなく囁きとして語られるそれらの言葉は、むしろ強く、深く心に沈んでくる。摂食障害というテーマに対する感情的な反応や、社会的な評価とはまったく別の次元で、身体と存在のあいだに生まれる“違和感”そのものを切り出しているのだ。
また、「Ellen West」は自己破壊と他者への奉仕が奇妙に同居する歌でもある。自分を削ることで他人を満たす。その構造は、女性にしばしば求められてきた“献身”や“母性”ともリンクし、この曲は単に個人の苦悩というより、社会的な“女性性の構造”そのものに切り込む深さを持っている。
5. この曲が好きな人におすすめの曲
- Me and a Gun by Tori Amos
暴力的な記憶と、声を奪われた者の沈黙を破る衝撃的な独白。 - Cactus Tree by Joni Mitchell
与えることでしか自分の存在を証明できない女性の心の構造を描いた名曲。 - When Under Ether by PJ Harvey
意識と無意識、生と死の境界を静かに横切る、幽玄的なバラード。 - Your Ghost by Kristin Hersh
誰かの不在と共に生きることの静かな狂気を描く、彼女自身のソロ代表作。 - Nobody’s Wife by Anouk
“誰のものでもない”と歌う自己宣言と、そこに潜む不安定さの同居。
6. “見えない存在”のための歌：Ellen Westとして生きるということ
「Ellen West」は、Kristin Hershが音楽によって描いた“内なる他者”の肖像であり、それは彼女自身の投影でもあり、リスナー一人ひとりの“誰にも言えない感情”の象徴でもある。
摂食障害や自己否定の歌ではあるが、それを特定の病理に限定することなく、むしろ“存在が不安定なすべての人”にとっての鏡となっている。
「私は幽霊でありながら、まだ女の子だ」と歌うその声は、痛みの中に残る希望ではなく、“痛みとともに生きることを選ぶ静かな決意”のように聴こえる。
この曲は、“私が私であることをやめたいと思った日々”の記録であり、同時に“それでもここにいる”という音楽による証明でもある。
それは“Ellen West”の物語であり、同時に私たち自身の物語でもあるのだ。
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