発売日: 1993年1月25日
ジャンル: ドリームポップ、オルタナティヴ・ロック、フォークロック
概要
『Star』は、Throwing MusesやThe Breedersを経たターニャ・ドネリーが自身のバンドBellyを率いて1993年に発表したデビュー・アルバムであり、ドリームポップとフォークロック、グランジ期のオルタナティヴ感性が融合した奇跡のような作品である。
アメリカ東海岸のオルタナティヴ・シーンで育ったドネリーの作詞作曲は、寓話的でありながら痛みや欲望を内包した神秘性を帯びており、同時代のバンドがノイズや怒りに傾倒する中、Bellyはきらめきと影を併せ持った“物語のある音”を提示した。
デビュー作ながら全英アルバムチャート初登場2位、グラミー賞ノミネートも果たすなど、当時の批評家やリスナーから高い評価を得ており、90年代前半のインディー〜オルタナティヴ・ロックの最も繊細で耽美的な一枚として、今なお根強い支持を集めている。
全曲レビュー
1. Someone to Die For
幻想的なギターリフと、ターニャの揺らめくようなボーカルで幕を開ける1曲。
愛と依存、死への願望がないまぜになったリリックが、耽美的な音像に包まれる。
2. Angel
アルバムの代表曲であり、彼女たちの名前を一躍広めたシングル。
“エンジェル”という甘美なモチーフに潜む痛みと欲望。
その曖昧さこそがBellyの音楽の核である。
3. Dusted
タイトなリズムとグランジ寄りのギターで畳み掛けるアップテンポナンバー。
リリックは曖昧だが、拒絶と再生をめぐる情動が溢れる。
4. Every Word
やや内省的な構成の1曲で、音数を抑えた中にメロディの力が宿る。
「すべての言葉があなたを傷つけるかもしれない」という、無意識の加害性がテーマにも感じられる。
5. Gepetto
木製の人形“ピノキオ”の創造主から着想を得たユニークなトラック。
子供らしさと恐怖、創造と破壊という寓話的対比が印象的。
6. Witch
スローで重たく、不穏な空気が支配するナンバー。
“魔女”というタイトル通り、女性性と社会の視線が交錯する詩的世界。
7. Slow Dog
ポップでありながら狂気がにじむシングル曲。
キャッチーなメロディの裏に潜むのは、解体されかけたアイデンティティの片鱗。
8. Low Red Moon
本作中もっともドリーミーでスピリチュアルな1曲。
「赤い月」のイメージに託された喪失感と儀式的な反復が印象的。
9. Feed the Tree
最大のヒット曲にして、オルタナティヴ・クラシック。
自然との一体感、老いと再生をテーマにした象徴的なリリックは、宗教的でもあり個人的でもある。
耳に残るギターとサビのメロディは、今も90年代の象徴として機能する。
10. Full Moon, Empty Heart
月の満ち欠けと心の空虚を重ねる詩的なタイトル。
コード進行はシンプルながら、深い感情の揺れを描き出している。
11. White Belly
バンド名を冠したかのようなトラック。
自己の中心にある“白い胎”とは、無垢なのか、空虚なのか。
解釈を拒むような謎めいた構成が特徴的。
12. Untogether
アルバムを静かに締めくくる、優しくも切ない別れの歌。
“Untogether”という造語的なタイトルに込められた、決して交わらない関係性が胸を打つ。
総評
『Star』は、90年代初頭のオルタナティヴ・ロック・シーンにおいて、他に類を見ない“夢と死、欲望と純粋性”の交差点を提示した作品である。
ギターはきらめき、ヴォーカルはささやき、歌詞は寓話のように抽象的でありながら、どこか生々しい。
ターニャ・ドネリーの声は、まるで心の中でしか聞こえないような距離感で、リスナーに寄り添ってくる。
このアルバムには、轟音や激しさはない。
代わりにあるのは、言葉にならない痛みを受け入れる静かな強さ、そして日常の中に散らばった神秘へのまなざしである。
“スター”とは何か。それは誰かの死かもしれないし、空にある導きかもしれない。
その答えは、今もこのアルバムの中で、静かに瞬き続けている。
おすすめアルバム
- Throwing Muses / The Real Ramona
ターニャ・ドネリーが在籍していたバンドの傑作。音楽的・感情的な接続点が多い。 - The Breeders / Pod
姉キム・ディールと共に活動したバンド。Belly以前の野生的で親密なエネルギーを感じる。 - Mazzy Star / So Tonight That I Might See
ドリーミーな空気感と女性ヴォーカルの儚さが共鳴する。 - Juliana Hatfield Three / Become What You Are
同時期の女性ソングライターによる、内面性とポップネスの融合。 -
Cocteau Twins / Heaven or Las Vegas
音の抽象性と感情の豊かさが、異なる手法でBellyと通じ合う。
ビジュアルとアートワーク
ジャケットに描かれた星と夢幻的なイラストは、ターニャの詩世界そのもの。
子供の絵本のようでありながら、どこか不気味で、死と再生を思わせるシンボルに満ちている。
このビジュアルがなければ、『Star』の世界は成立しなかったとすら言える。
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