
1. 歌詞の概要
「Silk Chiffon」は、アメリカのインディポップ・バンドMUNAが2021年にリリースしたシングルであり、彼女たちのセルフタイトルの3rdアルバム『MUNA』の冒頭を飾る一曲である。Phoebe Bridgers(フィービー・ブリジャーズ)をゲストに迎えた本作は、軽やかでありながら芯のある、クィアな恋愛を祝福するポップソングとなっている。
冒頭から「Life’s so fun, life’s so fun(人生って楽しい、ほんと楽しい)」というラインで始まるこの曲は、彼女たちがこれまでの作品で描いてきたトラウマや葛藤から一転、無邪気な喜びと恋愛のときめきに満ちた世界を全身で肯定する。
タイトルの「Silk Chiffon(シルク・シフォン)」は、その名の通り軽やかで柔らかく、触れた瞬間に幸福感が広がるような肌触りを象徴しており、それはこの曲のトーンそのものでもある。
これはただのラブソングではない。クィアな視点から描かれた“愛のある日常”というテーマが、可愛らしさと誠実さを兼ね備えた筆致で綴られた一曲であり、これまで「痛み」や「サバイバル」について語ってきたMUNAにとっての“解放”の物語でもある。
2. 歌詞のバックグラウンド
MUNAは、Katie Gavin(Vo)、Josette Maskin(Gt)、Naomi McPherson(Gt/Syn)からなる3人組で、全員がクィアであることを公言している。彼女たちはデビュー以降、「クィアであること」と「感情を歌うこと」を切り離さずに活動を続けており、特に2ndアルバム『Saves the World』では自己否定や精神的なサバイバルが中心テーマとして描かれていた。
その流れを踏まえると、「Silk Chiffon」は明らかにトーンの異なる作品である。トラウマの後に訪れる軽やかな幸福、言い換えれば「安全な愛の空間」を描いているのだ。
この楽曲は、MUNAがPhoebe Bridgersの主宰するレーベル「Saddest Factory Records」に移籍してから初のシングルであり、その第一声として選ばれた意味は大きい。過去の痛みを引きずりながらも、それでも前を向くことのできる“今”を祝うような、喜びと優しさに満ちた一曲なのだ。
Phoebe Bridgersのヴァースは、MUNAの世界観に寄り添いつつ、彼女らしい乾いたユーモアとクィアな感性を注入し、曲にさらなる奥行きを与えている。
3. 歌詞の抜粋と和訳
Life’s so fun, life’s so fun
Got my mini skirt and my rollerblades on
人生って最高、ほんとに最高
ミニスカートを履いて、ローラーブレードで走ってる
Don’t be a bummer, babe
Remember you can’t cry ‘cause it’s a Friday
しょげないでよ、ねえ
金曜日なんだから、泣いてる暇なんてないでしょ
Silky chiffon, that’s how it feels
Oh, when she’s on me
シルクのシフォンみたい——
彼女が私に触れると、そんな風に感じるんだ
I’m high and I’m feeling anxious
Inside of your apartment
ハイになって、不安になって
あなたのアパートの中でぐるぐるしてる
歌詞引用元:Genius – MUNA “Silk Chiffon”
4. 歌詞の考察
「Silk Chiffon」がとらえているのは、恋愛のなかにある“ふとした瞬間の幸福”であり、それがクィアな関係のなかで描かれている点が特に重要である。この曲は、クィアな恋愛をセンチメンタルに描くのではなく、明るく、陽気に、そして当たり前の日常として描く。それ自体が、ポップミュージックにおける文化的アクションでもある。
たとえば「彼女が私に触れると、まるでシルクシフォンみたいに感じる」というラインには、身体的で官能的な表現があるにもかかわらず、それは決して誇張されることなく、むしろ繊細で詩的に提示される。これはMUNAらしい表現であり、“体に触れる”という行為が、恋愛の安心と解放を象徴するものとして描かれているのだ。
また、Phoebe Bridgersのパートでは、恋愛の高揚感に加えて「不安」や「ぐらつき」といった現代的な情緒が挿入される。これによって曲全体が単なるハッピーソングに終わることなく、“光のなかにも影がある”という深みを獲得している。
このように、曲は一貫して明るいが、その明るさは決して“軽薄”ではない。過去の痛みを知る者が語る明るさだからこそ、その喜びが真に尊いのだ。
5. この曲が好きな人におすすめの曲
- Want Want by Maggie Rogers
快楽と自意識のせめぎ合いを、身体的なポップサウンドに落とし込んだ快作。 - Soft Spot by Claud
繊細で少し不安定な恋心を、軽やかなリズムで描いたクィア・ベッドルーム・ポップ。 - Bitch by Allie X
フェミニンな力強さと自己主張をアイロニカルに描いたシンセポップ。 -
She’s in the Rain by The Rose
誰かをそっと見守るような視点が、やさしくて痛い感情に寄り添う楽曲。 -
Your Best American Girl by Mitski
愛と文化の違い、自己否定とアイデンティティの確立を激しさと優しさで描いた名曲。
6. “愛の軽やかさ”を称える現代のクィア・アンセム
「Silk Chiffon」は、これまで“闘い”や“サバイバル”を歌ってきたMUNAが、ようやくたどり着いた「愛に安らげる場所」を肯定的に描いた一曲である。トラウマを乗り越えてきたからこそ、軽やかな恋がどれだけ貴重で、どれだけ力になるかを知っている——この曲にはそんな背景が静かに込められている。
この曲は、単にラブソングとして心地よく響くだけでなく、聴き手にとっては「私たちの愛もこんなに美しいんだ」と実感できる、自分たちの物語への祝福でもある。クィアであることを隠さず、恥じず、誇りとして歌う。しかも、それを重く語るのではなく、笑いながら、踊りながら、無邪気に祝う——それが「Silk Chiffon」なのである。
「Silk Chiffon」は、触れた瞬間に微笑んでしまうような音楽であり、恋愛と存在そのものの軽やかさを全身で肯定する、新しい時代のアンセムだ。苦しみの先にある“ふつうの幸福”をこんなにも美しく描いたポップソングは、今こそ必要とされている。MUNAとPhoebe Bridgersの声が重なったその瞬間、私たちは確かに“誰かを愛していい”という自由を手にするのだ。
コメント