発売日: 2020年9月18日
ジャンル: インディーフォーク、ドリームポップ、オルタナティブロック
概要
『BREACH』は、Fenne Lilyが2020年にリリースしたセカンド・アルバムであり、彼女の音楽的・精神的成長を鮮やかに刻んだ作品である。
前作『On Hold』では、恋愛や孤独を静かに見つめる繊細なフォークサウンドが中心だったが、本作『BREACH』では、よりオープンに、より力強く自己と向き合う姿勢が表れている。
そのサウンドはフォークだけでなく、ドリームポップ、オルタナティブロック、ベッドルームポップなど幅広いスタイルを取り込み、音のスケールもより豊かになった。
タイトル『BREACH』には、「内側から外へと突き破る」というイメージが込められており、アルバム全体を通じて自己防衛の殻を破り、他者とのつながりを求めるテーマが貫かれている。
パンデミック直前、孤独なニューヨーク滞在中に多くの曲が書かれた背景もあり、自己認識と孤立感への鋭い洞察が、アルバムの随所に息づいている。
全曲レビュー
1. To Be a Woman Pt. 1
静かなギターと囁くようなボーカルが印象的なオープニング。
女性として生きることの複雑さと自己認識の目覚めを、静謐なトーンで描き出す。
2. Alapathy
軽快なビートに乗せて、「感情の麻痺」=”アラパシー”について歌ったナンバー。
開放感のあるサウンドと、内省的なリリックのギャップが鮮やかだ。
3. Berlin
別れと自己再生をテーマにした、ミディアムテンポの叙情的な楽曲。
ベルリンという都市が象徴する、過去と未来の狭間を漂う感覚が美しく表現されている。
4. Elliott
Elliott Smithへのオマージュを込めたナンバー。
アコースティックギターと柔らかなボーカルだけで紡がれる、親密な空気感が胸に迫る。
5. I, Nietzsche
ニーチェ哲学を引用しながら、自己意識と不安の間を揺れる心情を描く。
知的なユーモアと鋭い感情表現が同居する、アルバム中でも異彩を放つ一曲。
6. Birthday
感情の暴発と痛みを鋭く描き出したエモーショナルなトラック。
エレクトロニックなサウンドが淡く重なり、内面の混乱を効果的に表現している。
7. Blood Moon
夜にひとりきりで考え込む瞬間を描いた、静かなドリームポップ。
柔らかく揺れるメロディと、リリックの孤独感が響き合う。
8. Solipsism
「孤独な自己中心世界」=ソリプシズムをテーマに据えた哲学的なナンバー。
ギターのリフレインとぼんやりと滲むサウンドスケープが印象的である。
9. Someone Else’s Trees
他人の影響下で生きることのもどかしさを描いた曲。
フォーキーなアレンジが、リリックの無力感をそっと支えている。
10. Laundry and Jetlag
日常の些細な瞬間と、感情の揺らぎを織り交ぜた短いインタールード。
アルバムの流れにさりげない余白を与えている。
11. Breach
タイトル曲にしてアルバムの核心。
内面の葛藤を乗り越え、外の世界へと踏み出す覚悟を、柔らかくも力強く歌い上げる。
12. To Be a Woman Pt. 2
冒頭曲の対となるクロージングトラック。
より開かれた視点で女性性と自己を見つめ直す、静かな決意を感じさせる締めくくりである。
総評
『BREACH』は、Fenne Lilyが単なる内省的なフォークシンガーから、より広いスケールで自己と世界を見つめるアーティストへと進化したことを示すアルバムである。
彼女の音楽は、もはや「小さなベッドルームの中」だけのものではない。
自己の脆さも強さも認めながら、他者との関係性を、そして外の世界を、恐れずに描き出している。
音楽的にも、シンプルな弾き語りスタイルに加え、ドリームポップやエレクトロニカ的要素が取り入れられ、サウンドの厚みと広がりが増している。
一方で、Fenne Lilyらしい静かな叙情性は失われておらず、アルバム全体に漂う「静かな闘志」と「繊細な希望」が、彼女独自の存在感をより際立たせている。
『BREACH』は、孤独を知るすべての人にとって、優しく、しかし確かな光を灯す作品なのである。
おすすめアルバム(5枚)
- Phoebe Bridgers『Punisher』
孤独と痛みをドリーミーなサウンドに昇華した傑作。 - Lucy Dacus『Home Video』
自己認識と成長をテーマにした叙情的なロック作品。 - Angel Olsen『All Mirrors』
内省と外界への目覚めを壮大なサウンドスケープで描く。 - Adrianne Lenker『songs』
極限まで削ぎ落とされたフォークの中に広がる深い感情。 - Big Thief『Two Hands』
自然体のロックサウンドと魂の叫びが響き合う。
制作の裏側(Behind the Scenes)
『BREACH』の楽曲の多くは、Fenne Lilyがニューヨークでの孤独な滞在中に書き上げられた。
制作はイギリス・ブリストルとロンドンの複数のスタジオで行われ、プロデューサーにはBrian Deck(Modest Mouse、Iron & Wine)が参加している。
Fenne自身は、本作について「自分自身とだけ向き合った時間の産物」と語っており、レコーディングにおいても「オーバープロデュースを避け、できるだけ楽曲の核となる感情をそのまま残すこと」を心がけたという。
この丁寧な制作姿勢が、『BREACH』に漂う生々しさと、静かに震えるような強さを支えているのである。
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