
発売日:2023年10月20日
ジャンル:エレクトロニック、ハウス、ジャズ・ハウス、ブレイクビーツ、ダンス・ミュージック、ニュー・ジャズ、アンビエント・ポップ
概要
Barry Can’t Swimの『When Will We Land?』は、2023年に発表されたデビュー・アルバムであり、UKクラブ・ミュージックの伝統、ジャズの即興的な質感、ソウルフルなサンプル処理、そしてベッドルーム以後の親密な電子音楽感覚を一枚の作品としてまとめ上げた重要作である。Barry Can’t Swimは、スコットランド出身のプロデューサー/マルチ・インストゥルメンタリスト、Joshua Mainnieによるプロジェクトであり、2020年代のUKエレクトロニック・シーンにおいて、クラブで機能する身体性と、家で聴くアルバムとしての情緒を両立させる存在として注目された。
『When Will We Land?』というタイトルは、「いつ着陸するのか」と訳せる。これは非常に象徴的な言葉である。アルバム全体には、浮遊、移動、旅、着地しきれない感情、クラブの高揚、日常から少し離れた時間が漂っている。ダンス・ミュージックはしばしば、身体を床へ結びつける音楽である。ビートは足を動かし、ベースは空間を揺らす。しかし本作では、そのビートが同時に浮遊感も生み出している。踊っているのに、どこか宙に浮いている。人混みの中にいるのに、個人的な記憶の中へ沈んでいる。その二重性が、本作の大きな魅力である。
Barry Can’t Swimの音楽は、Four Tet、Bonobo、Caribou、Floating Points、Fred again..、The Avalanches、Moodymann、Theo Parrish、初期Disclosure、そしてUKジャズ・シーン以後の感覚とも響き合う。だが、彼のサウンドは単なる参照の集合ではない。ハウスやブレイクビーツのリズム、ジャズ風のコード、温かいピアノ、切り取られたボーカル・サンプル、アフロ・ディアスポラ的なリズム感覚、ソウルやゴスペルに通じる声の断片が、非常に自然に混ざっている。クラブ・ミュージックでありながら、機械的な冷たさよりも人間の温度が前面にある。
本作の特徴は、トラック単位の機能性とアルバムとしての流れが両立している点である。各曲はDJセットの中でも機能しうるビートやグルーヴを持つが、アルバム全体として聴くと、単なるダンス・トラック集ではなく、旅のような構成を持っている。曲ごとにテンションは変化し、明るい祝祭感、内省、メランコリー、陶酔、静かな余韻が順に現れる。タイトルの「着陸」は、単に曲の終わりを意味するのではなく、音楽を通じて感情がどこへ落ち着くのかを問うものとして響く。
2020年代の電子音楽において、本作は非常に時代的な作品でもある。クラブ・カルチャーはパンデミック以降、踊ることの意味、人と同じ空間にいることの意味、孤独と共同性の関係を改めて問い直すことになった。『When Will We Land?』には、クラブに戻ってきた喜びのような明るさがある一方で、完全には無邪気になれない感覚もある。サンプルされた声は人の存在を感じさせるが、その声は断片化され、遠くから響く。そこに、現代のダンス・ミュージックが持つ親密さと距離感が表れている。
日本のリスナーにとって本作は、ダンス・ミュージックをクラブ専用の音楽としてではなく、日常の中で聴ける情緒的な電子音楽として楽しめるアルバムである。ハウスやブレイクビーツの基礎知識がなくても、ピアノの温かさ、声の切なさ、ビートの心地よさによって入りやすい。一方で、クラブ・ミュージックに詳しいリスナーにとっては、UKガラージ、ハウス、ジャズ、ソウル、ブロークンビート以後の流れを現代的に再構成した作品として聴き応えがある。
『When Will We Land?』は、デビュー・アルバムでありながら、Barry Can’t Swimの美学をはっきりと示している。強烈な革新性を前面に押し出す作品というより、既存のダンス・ミュージックの語彙を非常に丁寧に組み合わせ、個人的で温かい世界へ変換したアルバムである。踊れるが、ただ踊るだけではない。明るいが、軽薄ではない。ポップだが、単純ではない。本作は、2020年代のエレクトロニック・アルバムの中でも、感情とグルーヴの均衡が美しく保たれた一枚である。
全曲レビュー
1. When Will We Land?
アルバムの冒頭を飾るタイトル曲「When Will We Land?」は、本作全体のテーマを提示する導入曲である。タイトルの問いは、空中にいる状態、まだ目的地に着いていない状態、そして感情が落ち着く場所を探している状態を表している。ダンス・ミュージックのアルバムでありながら、最初に提示されるのが「どこへ向かうのか」という問いである点が重要である。
音楽的には、浮遊感のあるシンセ、柔らかなリズム、空間的な広がりが印象的である。ビートは存在するが、いきなりフロアを強く揺らすというより、聴き手をゆっくりとアルバムの空気へ導く。Barry Can’t Swimの音楽では、グルーヴは力任せに押し出されるものではなく、音の層の中から自然に立ち上がる。この曲でも、その特徴がよく表れている。
声の断片や音の揺れは、旅の始まりを思わせる。飛行機の中、夜の移動、知らない街へ向かう途中、あるいはクラブへ入る直前の高揚と不安。そうした感覚が、抽象的なサウンドの中に込められている。歌詞を物語として追うタイプの曲ではないが、タイトルと音の質感だけで、アルバムの情景は十分に立ち上がる。
「When Will We Land?」は、アルバム全体への扉として非常に効果的である。ここで聴き手は、単なるダンス・トラックの連続ではなく、浮遊から着地へ向かう感情の旅に入っていく。
2. Deadbeat Gospel
「Deadbeat Gospel」は、タイトルからして非常に興味深い楽曲である。「Deadbeat」は怠け者、落伍者、責任を果たさない人物を意味し、「Gospel」は福音、宗教的な歌、救済を連想させる。この二つの言葉が結びつくことで、救いを求めながらもどこかだらしなく、完全には清らかになれない人間の祝祭が浮かび上がる。
音楽的には、ゴスペル的な声の高揚感と、ハウス/ブレイクビーツ的なリズムが組み合わされている。声は宗教的な熱を帯びているように聞こえるが、トラック全体はクラブ・ミュージックとして機能する。これはダンス・ミュージックがしばしば持つ「世俗的な礼拝」の性格をよく表している。クラブは教会ではないが、反復するビートと集団の身体は、ある種の共同体的な高揚を作る。
この曲の魅力は、聖と俗の境界が曖昧なところにある。ゴスペル的な声は救済を連想させるが、タイトルの「Deadbeat」がその神聖さを少し崩す。Barry Can’t Swimは、感動を過剰に神聖化しない。むしろ、少し不完全で、日常的で、くだけたものとして扱う。そのため曲には温かさとユーモアがある。
「Deadbeat Gospel」は、本作における重要なアンセム的楽曲である。踊れるだけでなく、声の力によって聴き手を上昇させる。だが、その上昇は完璧な救済ではなく、少し汚れたままの祝福である。
3. Sonder
「Sonder」は、他者にも自分と同じように複雑な人生があることに気づく感覚を指す言葉として知られる。タイトルの時点で、この曲は単なる個人的な内省ではなく、他者の存在への意識を含んでいる。ダンス・ミュージックにおいて、これは非常に重要なテーマである。クラブでは、見知らぬ他人たちが同じビートを共有する。しかし、それぞれの内面は見えない。「Sonder」は、その見えない内面への想像力を音にしたような曲である。
音楽的には、柔らかなコードとリズムが中心で、過度に攻撃的ではない。グルーヴは穏やかに進み、聴き手を包むような質感がある。ピアノやシンセの響きには、少しの切なさと温かさがある。踊れる曲でありながら、視線は内側と外側の両方へ向いている。
声の断片やメロディの配置は、人混みの中でふと他人の人生を想像するような感覚を生む。Barry Can’t Swimの音楽は、声を完全な歌詞として扱うだけでなく、感情の痕跡として使うことが多い。この曲でも、声は物語の全体を説明せず、他者の存在を気配として残す。
「Sonder」は、本作の中で共同性と孤独の関係を示す曲である。ダンス・ミュージックは人を集めるが、同時に個々の孤独を消し去るわけではない。むしろ、その孤独が同じ空間で並ぶことに意味がある。この曲はその感覚を美しく表現している。
4. How It Feels
「How It Feels」は、タイトル通り「それがどのように感じられるか」をテーマにした楽曲である。エレクトロニック・ミュージックにおいて、言葉による説明よりも、音そのものが感情を伝えることは非常に重要である。この曲は、その名前の通り、理屈ではなく感覚で聴くべきトラックである。
音楽的には、軽快なビートと温かいコードが印象的で、Barry Can’t Swimらしいポジティヴな浮遊感がある。リズムはしっかりと身体を動かすが、音の質感は柔らかい。ハウス的な反復の中に、ジャズやソウルに由来するコード感が入り、単調さを避けている。
声のサンプルは、感情の直接的な説明というより、曲全体のムードを補強する役割を持つ。何かを感じているが、それを完全には言葉にしない。その曖昧さが、この曲のタイトルと合っている。人は感情を説明しようとするが、多くの場合、本当に重要なのは説明ではなく、その感情の肌触りである。
「How It Feels」は、アルバムの中でも特に親しみやすいグルーヴを持つ曲である。派手な展開ではなく、心地よい反復によって聴き手を引き込む。Barry Can’t Swimの音楽が、クラブでの身体性と日常的な感情の両方に接続していることを示す楽曲である。
5. Sunsleeper
「Sunsleeper」は、タイトルから太陽、眠り、白昼夢、時間感覚の揺らぎを連想させる楽曲である。太陽の下で眠る者、あるいは太陽そのものを眠らせるような幻想的なイメージがあり、アルバムの中でも夢見心地な側面を担っている。
音楽的には、穏やかなシンセや鍵盤の響きが中心となり、ビートは強すぎず、漂うような感覚がある。ダンス・ミュージックとしての骨格を持ちながら、アンビエントやチルアウトにも近い空気があり、アルバム全体のテンションを一度柔らかくする役割を果たしている。
「Sunsleeper」というタイトルは、昼と夜、覚醒と睡眠、活動と休息の境界を曖昧にする。クラブ・ミュージックはしばしば夜の音楽だが、この曲には昼の光の中で夢を見るような質感がある。夜の終わり、朝方の帰り道、あるいはフェスティバルの午後のような開かれた空間が浮かぶ。
この曲は、アルバムに呼吸の余白を与えている。Barry Can’t Swimは、常に高揚だけを求めるのではなく、曲ごとの光の強さを調整する。だから本作は長く聴いても疲れにくい。「Sunsleeper」は、そのバランス感覚を象徴する楽曲である。
6. Woman
「Woman」は、本作の中でもソウルフルな人間味が強く表れた楽曲である。タイトルは非常にシンプルだが、その分、声、身体、親密さ、憧れ、尊敬といった複数の感情を受け止める余地がある。Barry Can’t Swimの音楽において、声はしばしば人間の温度を伝える中心的な素材であり、この曲でもその役割が大きい。
音楽的には、柔らかなグルーヴと温かいコード進行が印象的で、ハウスのリズムにソウルやR&Bの質感が重なる。ビートは踊れるが、曲の中心には歌心がある。電子音楽でありながら、冷たさよりも肌触りの良さが前面に出ている。
声の処理は、曲の感情を決定づける。ボーカルは完全な物語を語るというより、親密な感情の断片として現れる。そこには恋愛的なニュアンスもあるが、単純なラブソングというより、女性的な声や存在への敬意、あるいは記憶の中の人物への思いとして響く。
「Woman」は、アルバムの中で感情の温度を高める曲である。強いビートで圧倒するのではなく、声とリズムを通じて聴き手をゆっくり引き込む。Barry Can’t Swimの音楽が、ダンス・ミュージックの形式を用いながらも、ソウル・ミュージックの情緒を大切にしていることがよくわかる。
7. I Won’t Let You Down
「I Won’t Let You Down」は、タイトルからして約束、信頼、支え合いをテーマにした楽曲である。「君を失望させない」という言葉は、非常に直接的であり、ポップ・ソングやソウル・ミュージックにおいて普遍的な表現である。Barry Can’t Swimはこの言葉を、エレクトロニックなグルーヴの中で温かく響かせている。
音楽的には、明るく前向きなビートと、伸びやかなコードが印象的である。曲にはアンセム的な性格があり、フロアで共有される高揚を想像させる。しかし、ただ派手に盛り上がるだけではなく、タイトルにある誠実さが曲の中心にある。ビートの力は、相手に向けた約束の強さとして響く。
歌詞や声の断片は、関係性の中での信頼を感じさせる。クラブ・ミュージックでは、歌詞が抽象化されることも多いが、この曲では短い言葉が十分に感情を伝える。複雑な物語を語らなくても、「失望させない」という一言には、関係の重みが含まれる。
「I Won’t Let You Down」は、本作の中でも特に開かれた楽曲である。個人的な内省だけではなく、誰かへ向かう意志がある。アルバム全体の浮遊感の中で、この曲は一つの支え、あるいは着地の予感を与える。
8. Always Get Through to You
「Always Get Through to You」は、伝達、接続、誰かに届くことをテーマにした楽曲である。タイトルは「いつも君に届く」「必ず君へ通じる」という意味を持ち、距離や障害を越えて関係を保とうとする感覚がある。『When Will We Land?』全体にある移動や浮遊のテーマと深く関係する曲である。
音楽的には、温かいメロディと軽快なビートが組み合わされている。リズムは身体を動かすが、曲の感情はやや切ない。明るさと不安が同時に存在するところが、Barry Can’t Swimの魅力である。音は前へ進んでいるが、心は誰かの方へ戻ろうとしているように聞こえる。
声のサンプルやメロディの反復は、何度も相手に届こうとする試みのように響く。電話、メッセージ、記憶、音楽。現代の人間関係では、さまざまな手段で人はつながろうとするが、それでも本当に届くかどうかは不確かである。この曲は、その不確かさを明るいグルーヴの中に含んでいる。
「Always Get Through to You」は、クラブ・ミュージックにおけるコミュニケーションの曲として聴ける。言葉ではなく、ビートと声の断片が誰かに届く。Barry Can’t Swimは、電子音楽を単なる音の構築ではなく、人と人をつなぐ感情の媒体として扱っている。
9. Tell Me What You Need
「Tell Me What You Need」は、相手の欲求を尋ねるタイトルを持つ楽曲である。「何が必要なのか教えて」という言葉には、親密さ、ケア、相手を理解したいという姿勢が込められている。ダンス・ミュージックの文脈では、これはフロアとDJ、聴き手と音楽、個人と共同体の関係にも広げて読むことができる。
音楽的には、リズムの推進力がありながら、音色は丸く、温かい。Barry Can’t Swimのプロダクションは、硬質なクラブ・トラックに比べて、音の角が柔らかい。この曲でも、ビートは明確だが、全体には包み込むような質感がある。
タイトルの問いかけは、非常にシンプルである。しかし、そのシンプルさが重要である。人間関係では、相手が何を必要としているのかを尋ねることは基本でありながら、意外に難しい。曲の中でその言葉が反復されることで、ケアや応答の感覚が生まれる。
「Tell Me What You Need」は、アルバムの中で対話的な役割を持つ曲である。一方的に感情を放出するのではなく、相手の欲求に耳を澄ます。その姿勢は、Barry Can’t Swimの音楽全体にある温かさともつながっている。
10. Dance of the Crab
「Dance of the Crab」は、タイトルからしてユーモラスで、少し奇妙な楽曲である。蟹のダンスというイメージは、横歩き、不器用さ、独特のリズム、海辺の生き物の動きを連想させる。ダンス・ミュージックにおいて、こうした少しずれた身体性をタイトルにすることは興味深い。まっすぐ踊るのではなく、横にずれながら踊る。その感覚が曲の個性になっている。
音楽的には、リズムの遊びが重要である。ビートは規則的でありながら、どこか跳ね方に癖があり、身体を少し違う方向へ動かすような感覚がある。Barry Can’t Swimの音楽は、整ったハウスの四つ打ちだけでなく、ブレイクビーツやジャズ的な揺れを取り込む。この曲では、そのリズム感覚が楽しく表れている。
タイトルのユーモアにより、曲は過度に深刻にならない。アルバム全体には感情的な深みがあるが、同時に遊び心も重要である。クラブ・ミュージックは、身体を自由にする音楽であり、時には少し滑稽に踊ることも含まれる。「Dance of the Crab」は、その自由さを象徴している。
この曲は、本作に軽やかな変化をもたらす。感情的な曲が続く中で、リズムの楽しさとユーモアによって、アルバムの風通しをよくしている。
11. Define Dancing
「Define Dancing」は、タイトルが非常に示唆的である。「ダンスを定義する」という言葉は、そもそも定義しにくい身体的行為を言葉で説明しようとする矛盾を含む。踊ることは、理論や説明以前に身体で起こるものだが、それでも人は踊ることの意味を考えようとする。この曲は、本作全体のダンス・ミュージック観を象徴している。
音楽的には、ビートとメロディのバランスがよく、踊れるが同時に聴き込める構成になっている。Barry Can’t Swimは、ダンスを単なるリズム運動としてではなく、感情の表現として扱う。曲の中には高揚感があるが、それは機械的な盛り上げではなく、自然に身体が動いていくようなものだ。
タイトルに込められた問いは、アルバム全体にも関わる。ダンスとは何か。逃避か、共同体か、自己表現か、記憶か、祈りか。本作におけるダンスは、そのすべてを少しずつ含んでいる。踊ることで人は一時的に日常から離れ、他者と同じ空間を共有し、自分の感情を身体で処理する。
「Define Dancing」は、アルバムの後半に置かれることで、ここまでの流れを振り返るような役割を持つ。Barry Can’t Swimは、ダンスを定義しきるのではなく、曲そのものによってその可能性を示している。
総評
『When Will We Land?』は、Barry Can’t Swimのデビュー・アルバムとして、非常に完成度の高い作品である。ハウス、ブレイクビーツ、ジャズ、ソウル、ゴスペル、アンビエント、ポップの要素を滑らかに結びつけ、クラブで踊れる音楽でありながら、アルバムとしてじっくり聴ける情緒を持っている。2020年代のUKエレクトロニック・ミュージックの中でも、親密さと開放感のバランスが非常に優れた一枚である。
本作の魅力は、ビートの機能性だけでなく、音の温度にある。Barry Can’t Swimのトラックは、冷たく無機質な電子音楽ではない。ピアノやサンプルされた声、柔らかなコード、揺れるリズムが、常に人間の気配を残している。声はしばしば断片化されているが、その断片こそが感情の痕跡として強く響く。完全な歌詞ではなくても、声の質感だけで喜びや切なさが伝わる。
アルバム全体を貫くテーマは、浮遊と着地である。タイトル曲「When Will We Land?」が示すように、本作はどこか空中にいるような感覚から始まる。そこから「Deadbeat Gospel」や「I Won’t Let You Down」のような高揚へ向かい、「Sonder」や「Always Get Through to You」では他者とのつながりが意識され、「Define Dancing」では踊ることそのものの意味が問い直される。最終的に明確な答えが出るわけではないが、音楽を通じて一時的な着地が得られる。
ダンス・ミュージックの文脈で見ると、本作は非常に現代的である。ハウスの反復、ブレイクビーツの揺れ、ジャズ的なコード、ソウルの声、チルアウト的な空間処理が、ジャンルの境界を強く主張せずに混ざっている。これはストリーミング時代のリスニング感覚とも合っている。クラブで鳴る曲、イヤホンで聴く曲、フェスで共有される曲、自宅で朝に聴く曲。そのすべての中間に本作は存在している。
また、本作はダンス・ミュージックにおける感情の扱いが非常に巧みである。近年の電子音楽では、Fred again..のように個人的な声や記録を使い、クラブ・トラックに親密さを持ち込む手法が大きな注目を集めた。Barry Can’t Swimもまた、人の声や感情の断片を使うが、彼の場合はよりジャズやソウルに根ざした温かさがある。過剰に日記的になりすぎず、抽象性と普遍性を保っている点が特徴である。
『When Will We Land?』は、初めてエレクトロニック・ミュージックをアルバム単位で聴くリスナーにも入りやすい作品である。強烈なノイズや実験性よりも、メロディ、グルーヴ、声の温かさが前面にある。一方で、ダンス・ミュージックに詳しいリスナーにとっては、Four TetやFloating Points、Bonobo、Caribou以降のリスニング・エレクトロニックとクラブ・サウンドの融合を、2020年代的に更新した作品として楽しめる。
日本のリスナーにとっては、日常生活と相性のよいダンス・アルバムとして機能するだろう。通勤中、夜の散歩、朝の作業、友人との集まり、フェスの予習、あるいは一人で気分を上げたい時間。本作はさまざまな場面に自然に入り込む。踊るための音楽でありながら、無理に気分を高めるのではなく、少しずつ身体と心をほぐしていくような作品である。
『When Will We Land?』は、派手な自己主張よりも、音楽そのものの質感で聴き手を引き込むアルバムである。水平方向に広がるビート、宙に浮かぶメロディ、遠くから届く声、そしてどこかへ向かう途中の感覚。Barry Can’t Swimはこのデビュー作で、現代のダンス・ミュージックが持つ共同性、親密さ、浮遊感を美しく提示した。着地を待ちながら踊る。その矛盾した感覚こそが、本作の核心である。
おすすめアルバム
1. Four Tet『There Is Love in You』(2010年)
クラブ・ミュージックとリスニング・エレクトロニックを美しく接続した名盤。細かく刻まれた声のサンプル、柔らかなビート、反復の中にある情緒は、Barry Can’t Swimの音楽を理解するうえで重要な参照点である。『When Will We Land?』の温かい電子音響を好むリスナーに適している。
2. Bonobo『Migration』(2017年)
旅、移動、孤独、都市感覚をテーマにしたエレクトロニック・アルバム。生楽器的な温かさと電子音の精密さが共存しており、『When Will We Land?』の浮遊感や移動感覚とよく響き合う。クラブよりもリスニング寄りの電子音楽として比較しやすい作品である。
3. Caribou『Our Love』(2014年)
ハウス、サイケデリック・ポップ、ソウルフルなボーカル処理が融合した作品。クラブ・ミュージックの高揚と個人的な感情を両立している点で、Barry Can’t Swimと親和性が高い。ビートの中に切なさを感じたいリスナーに向いている。
4. Floating Points『Crush』(2019年)
ジャズ、クラブ・ミュージック、実験的な電子音響を高度に結びつけた作品。Barry Can’t Swimよりも緻密で抽象的な側面が強いが、電子音楽に生演奏的な感覚や知的な構成を持ち込む点で関連性が高い。より深くUK電子音楽を聴きたい場合に重要な一枚である。
5. Fred again..『Actual Life 3 (January 1 – September 9 2022)』(2022年)
個人的な声の記録や会話の断片をクラブ・トラックへ組み込んだ現代的な作品。Barry Can’t Swimとは質感が異なるが、人の声を感情の中心に置き、ダンス・ミュージックを親密な体験へ変える点で比較できる。2020年代のエモーショナルな電子音楽の流れを理解するために有効である。

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