
発売日:1986年9月1日
ジャンル:ポスト・パンク、オルタナティヴ・ロック、ネオ・サイケデリア、ゴシック・ロック、ニューウェイヴ
概要
The Chameleonsの3作目のスタジオ・アルバム『Strange Times』は、1986年に発表された作品であり、バンドのキャリアにおける到達点のひとつとして評価される重要作である。1983年のデビュー作『Script of the Bridge』で、彼らはマンチェスター発のポスト・パンク・バンドとして、暗い叙情性と壮大なギター・サウンドを結びつけた独自の美学を確立した。続く『What Does Anything Mean? Basically』では、より内省的で抽象的な響きを深めた。そして『Strange Times』では、これまでの要素がさらに成熟し、個人の不安、社会的な違和感、時代への不信、精神的な逃避と覚醒が、より重く、広いスケールで描かれている。
The Chameleonsは、Joy DivisionやThe Cure、Echo & the Bunnymen、初期U2などと同時代の文脈で語られることが多い。しかし、彼らの音楽は単なるポスト・パンクやゴシック・ロックの暗さに収まらない。最大の特徴は、レグ・スミシーズとデイヴ・フィールディングによるツイン・ギターの空間性である。彼らのギターは、リフを前面に押し出すよりも、アルペジオ、ディレイ、残響、絡み合う旋律線によって、楽曲の中に広大な精神風景を作る。そこにマーク・バージェスの切実なヴォーカルと、力強く推進するリズム隊が加わることで、The Chameleonsの音楽は、暗く沈むだけでなく、遠くへ向かって開かれていくような独特の感覚を生む。
『Strange Times』というタイトルは、1980年代半ばの社会的・心理的な空気を鋭く捉えている。冷戦末期の不安、英国社会の分断、都市生活の孤独、メディアへの不信、個人の内面に蓄積する疲労。これらはアルバム全体に通底するテーマである。ただし、The Chameleonsは政治的なスローガンを直接掲げるバンドではない。彼らは、時代の奇妙さを個人の感覚として描く。世界がおかしくなっているという感覚は、街の風景、眠れない夜、壊れかけた関係、夢や記憶、突然の孤独として表れる。
本作は、彼らのディスコグラフィの中でも特にサウンドの重厚さが際立つ。『Script of the Bridge』の若々しい切迫感に比べると、『Strange Times』にはより深い疲労と成熟がある。曲の構成はより大きく、音像は厚く、歌詞の視点も広くなっている。明確なシングル的即効性より、アルバム全体としての空気が重視されており、聴き進めるほどにひとつの暗い長編映画のような印象を残す。
歌詞面では、現実への違和感、自己の分裂、愛情の不確かさ、記憶の呪縛、社会的な疎外、精神的な危機が繰り返し扱われる。マーク・バージェスの言葉は、直接的な説明よりも、象徴的なイメージや感情の断片を通して進む。そこには、日常が突然異様に見える瞬間、目の前の世界が信じられなくなる感覚がある。その意味で、『Strange Times』は単なる暗いロック・アルバムではなく、現代的な不安を音楽化した作品である。
後の音楽シーンへの影響も大きい。The Chameleonsは商業的には同時代の大規模な成功を収めたバンドではないが、そのギター・サウンドと内省的な歌詞は、1990年代以降のオルタナティヴ・ロック、シューゲイザー、ポスト・ロック、エモ、2000年代のポスト・パンク・リバイバルに強い影を落としている。Interpol、Editors、The Twilight Sad、Mogwai、DIIV、The Horrorsなどの音楽に通じる、暗さとスケール感の共存は、The Chameleonsが早くから作り上げていたものだ。
『Strange Times』は、The Chameleonsの解散前最後のスタジオ・アルバムとしても重要である。この後、バンドは長い中断へ向かうため、本作には集大成的な響きがある。若さの衝動から始まった彼らのポスト・パンクは、ここでより重く、広く、深い場所へ到達した。アルバムのタイトル通り、奇妙な時代を生きる人間の不安と、それでも遠くを見ようとする意志が刻まれた作品である。
全曲レビュー
1. Mad Jack
オープニング曲「Mad Jack」は、アルバムの幕開けにふさわしい緊張感を持つ楽曲である。力強いリズムと広がりのあるギターが一体となり、The Chameleons特有の暗い高揚感を作り出す。冒頭から、バンドは単に沈鬱な空気を描くのではなく、内側に溜まった不安を外へ押し出すような推進力を示している。
タイトルの「Mad Jack」は、狂気を帯びた人物像を思わせる。ここでの狂気は、単なる異常性ではなく、社会の中で正常とされるものへの反応として読める。The Chameleonsの世界では、外部の世界がすでに歪んでいるため、そこに適応できない人物だけが狂っているとは限らない。むしろ、狂気は時代そのものの反映であり、「Mad Jack」はその時代に取り残された、あるいは過剰に反応してしまった人物として浮かび上がる。
音楽的には、ギターの層が非常に重要である。硬いリズムの上で、複数のギターが絡み合い、曲に広がりと焦燥を与える。マーク・バージェスのヴォーカルは、語りかけるようでありながら、どこか切迫している。曲全体は、人物描写であると同時に、精神状態そのものを音にしたようでもある。
アルバム冒頭にこの曲が置かれることで、『Strange Times』は、奇妙な時代の中で壊れかける人間たちの物語として始まる。The Chameleonsの持つポスト・パンク的な鋭さと、オルタナティヴ・ロックへ接続する壮大な音像が同時に表れた一曲である。
2. Caution
「Caution」は、タイトル通り警告や注意を意味する楽曲であり、本作の不穏な空気をさらに強める。The Chameleonsの音楽には、常に危機の感覚がある。何かが崩れかけている、何かが近づいている、今いる場所が安全ではない。この曲は、その感覚を明確に表現している。
音楽的には、リズムの持続とギターの広がりが曲を支える。ギターは鋭く鳴りながらも、単純な攻撃性には向かわない。むしろ、空間全体を揺らすように響き、聴き手を不安定な場所へ置く。ドラムとベースは曲に強い骨格を与え、警告の言葉が単なる抽象的な不安ではなく、身体的な緊張として伝わる。
歌詞のテーマは、危険への直感、社会や人間関係に対する不信、そして自分自身の判断への疑いにある。注意せよという言葉は、外部の脅威に対してだけでなく、内面の混乱に対しても向けられているように響く。The Chameleonsの歌詞では、外の世界と内側の世界はしばしば分けられない。社会が不安定であるほど、個人の精神も揺らぎ、逆に個人の不安が世界全体を不穏に見せる。
「Caution」は、アルバムのタイトル『Strange Times』が持つ時代への警戒感を具体化する楽曲である。ここでの警告は、大きな事件を予告するものではなく、日々の生活の中でじわじわと感じられる危険の感覚である。
3. Tears
「Tears」は、アルバムの中でも感情的な開放感が強い楽曲であり、The Chameleonsの叙情性がよく表れている。タイトルは「涙」を意味し、直接的な悲しみや喪失を示す。しかし、この曲の涙は、単なる弱さの表現ではない。むしろ、抑え込まれていた感情がこぼれ出る瞬間として描かれている。
音楽的には、ギターの響きが美しく、曲全体に大きな広がりを与えている。The Chameleonsのバラード的な曲は、静かに沈むのではなく、広い空間の中で感情が反響するように作られている。「Tears」もその例であり、悲しみを閉じた部屋の中に閉じ込めるのではなく、外へ放っていくような感覚がある。
歌詞では、失われたもの、傷ついた関係、感情の解放が描かれる。涙は、言葉にならないものが身体から出てくる現象である。The Chameleonsの音楽は、しばしば言葉と音の間にある感情を扱う。この曲では、歌詞で完全に説明しきれない痛みが、ギターの余韻やヴォーカルの震えによって表現されている。
「Tears」は、The Chameleonsが暗さだけでなく、美しさを持つバンドであることを示す重要曲である。ただし、その美しさは甘美な慰めではなく、痛みを通過した後に残る透明な感情である。アルバムの中で、精神的な重みとメロディアスな魅力を結びつける役割を果たしている。
4. Soul in Isolation
「Soul in Isolation」は、『Strange Times』の中心的な楽曲のひとつであり、The Chameleonsの世界観を象徴するタイトルを持つ。孤立した魂、他者から切り離された内面、社会の中で居場所を失った自己。この言葉は、1980年代のポスト・パンクが扱ってきた疎外感を、非常に明確に表している。
音楽的には、曲のスケールが大きく、ギターの層が深い。リズムは力強く進みながらも、曲全体には閉塞感がある。まるで広い空間の中にいるのに、精神的には完全に孤立しているような感覚である。この矛盾した音響こそ、The Chameleonsの大きな特徴である。音は広がるが、歌われる主体は孤独である。
歌詞では、自己の内面に閉じ込められた感覚が描かれる。孤立は物理的な孤独だけではない。人々に囲まれていても、自分の感情や恐怖が誰にも届かないと感じることがある。「Soul in Isolation」は、そのような精神状態を強く表現している。The Chameleonsの歌詞において、孤独はロマンティックな美学ではなく、生存の問題である。
この曲は、後のオルタナティヴ・ロックやエモ的な表現にも通じる。個人の孤立を大きな音像へ変換する手法は、1990年代以降の多くのバンドに受け継がれていく。『Strange Times』の中でも、特にバンドの本質が凝縮された一曲といえる。
5. Swamp Thing
「Swamp Thing」は、The Chameleonsの代表曲のひとつであり、本作の中でも最も強い存在感を持つ楽曲である。タイトルは「沼の怪物」を意味し、ホラーやコミック的なイメージを想起させる。しかし、ここでの怪物は単なる外部の存在ではない。むしろ、人間の内面や社会の底に潜む不安、抑圧されたもの、見ないようにしてきた感情の象徴として読める。
音楽的には、冒頭から印象的なギター・リフと強いリズムが曲を牽引する。The Chameleonsらしい広がりのあるギターに加え、この曲にはより明確なロック的推進力がある。暗く湿ったタイトルとは対照的に、演奏には大きな高揚感があり、ライブでも強い効果を持つタイプの楽曲である。
歌詞では、世界の混乱、社会の不条理、内面の恐怖が入り混じる。沼は、見えないものが沈殿する場所であり、そこから何かが浮かび上がってくる。The Chameleonsの歌詞において、こうしたイメージは非常に重要である。表面上は整っている社会の下に、不安や暴力や狂気が沈んでいる。その底から現れるものが「Swamp Thing」である。
この曲の魅力は、暗いテーマを持ちながらも、圧倒的な解放感を伴う点にある。リスナーは不安に引きずり込まれるだけでなく、その不安を音楽的な高揚として体験する。The Chameleonsの持つ「暗さと飛翔感の共存」が最も分かりやすく表れた名曲である。
6. Time / The End of Time
「Time / The End of Time」は、タイトルからも分かるように、時間そのものを主題にした楽曲である。時間の流れ、終わり、記憶、未来への不安、そして人間が時間の中でどのように変化していくかが、この曲の背後にある大きなテーマである。『Strange Times』というアルバム・タイトルとも直接的に結びつく楽曲であり、時代と個人の時間が交差する。
音楽的には、曲は重厚で、スケールの大きな展開を持つ。ギターの響きは広く、リズムは粘り強く進み、曲全体に終末的な雰囲気がある。The Chameleonsの音楽では、時間は単なる時計の進行ではなく、精神の圧力として感じられる。この曲でも、時間が過ぎていくこと自体が不安や重みに変わっている。
歌詞では、時間に追われる感覚、過去に縛られる感覚、そして終わりを意識する感覚が描かれる。若さの終わり、関係の終わり、時代の終わり、世界の終わり。それらは明確に分けられず、ひとつの大きな不安として重なる。The Chameleonsは、この不安を哲学的な言葉ではなく、感情的な音楽として表現する。
「Time / The End of Time」は、アルバム中盤において作品全体のスケールを拡大する楽曲である。個人の孤独や関係の痛みだけでなく、時間そのものへの恐れがここで前景化される。The Chameleonsの音楽が持つ叙事的な側面を示す重要曲である。
7. Seriocity
「Seriocity」は、タイトル自体が造語的であり、「serious」と「city」を組み合わせたようにも、「seriosity」という過剰な真剣さをもじった言葉にも読める。The Chameleonsはしばしば、言葉の響きや曖昧さを使って、明確な意味に収まりきらない感情を表現する。この曲も、そのような言葉の不安定さを持っている。
音楽的には、やや内省的でありながら、リズムにはしっかりとした推進力がある。ギターは広がりを持ちつつ、曲全体に緊張を与える。The Chameleonsの曲は、派手な転調や大きなサビで劇的に展開するより、反復と音の重なりによって徐々に感情を積み上げることが多い。「Seriocity」もその系譜にある。
歌詞のテーマは、都市生活の重さ、真剣さに押しつぶされる感覚、または社会の中で感情を過剰に意識してしまう状態に関わっていると考えられる。もしタイトルを「serious city」と読むなら、それは人間を軽やかにさせない都市の圧力を示す。もし「seriosity」と読むなら、自己や世界を深刻に受け止めすぎることへの不安も含まれる。
この曲は、アルバムの中で目立つシングル的な役割を担うというより、『Strange Times』全体の心理的な濃度を高める楽曲である。曖昧なタイトルと重層的なギターが、奇妙な時代における精神の曇りを表現している。
8. In Answer
「In Answer」は、問いへの返答、あるいは応答としての言葉を示すタイトルを持つ。The Chameleonsの音楽には、しばしば問いかけの感覚がある。世界はなぜこうなのか、自分はどこにいるのか、他者とつながることは可能なのか。この曲では、その問いに対する何らかの答えを探す姿勢が感じられる。
音楽的には、比較的メロディアスで、The Chameleonsの叙情性が前面に出ている。ギターは柔らかく広がりながらも、曲の内側には緊張がある。マーク・バージェスのヴォーカルは、断定するというより、何かを確認しようとするように響く。その歌唱が、タイトルの「答え」という言葉に曖昧さを与えている。
歌詞では、関係性、自己認識、過去の出来事への応答が描かれているように聴こえる。人はしばしば、何かが起きた後でようやく言葉を探す。傷ついた後、失った後、世界の奇妙さに気づいた後で、何を返すことができるのか。「In Answer」は、そのような遅れてやってくる言葉の歌である。
この曲は、アルバムの中で比較的静かな思索の場を作る。大きな不安や社会的な圧力に対して、個人がどのように応答するのか。The Chameleonsは明確な解決を示すのではなく、答えを探す姿勢そのものを音楽にしている。
9. Childhood
「Childhood」は、タイトル通り幼少期や子ども時代を扱った楽曲である。The Chameleonsの音楽において、過去は単なる懐かしい場所ではない。むしろ、失われたもの、戻れないもの、現在の不安の源になっているものとして描かれることが多い。この曲も、子ども時代を甘美な回想としてだけではなく、複雑な記憶として扱っている。
音楽的には、どこかノスタルジックな響きを持ちながらも、完全に穏やかではない。ギターの残響は美しいが、その奥には切なさと不安がある。The Chameleonsは、記憶の美しさと痛みを同時に表現することに長けている。この曲でも、過去を思い出すことは救いであると同時に、現在との距離を痛感させる行為として響く。
歌詞では、子ども時代の感覚、失われた無垢、時間の経過による変化が描かれる。子どもの頃には見えていたものが、大人になるにつれて失われる。あるいは、子どもの頃に受けた傷が、時間を経ても残り続ける。The Chameleonsの視点は、過去を理想化しすぎず、その中にある影も見つめている。
「Childhood」は、『Strange Times』の中で時間と記憶のテーマを深める楽曲である。アルバムが扱う奇妙な時代は、外部の社会だけでなく、個人の時間の中にも存在する。過去と現在が重なることで、自己の不安はより深くなる。
10. I’ll Remember
「I’ll Remember」は、記憶をめぐる楽曲であり、タイトルには強い意志が含まれている。「私は覚えているだろう」「忘れない」という言葉は、失われるものに対する抵抗でもある。The Chameleonsの音楽では、記憶はしばしば痛みを伴うが、それでも忘れないことが自己を保つ手段として描かれる。
音楽的には、アルバム終盤にふさわしい余韻を持つ。ギターは大きく広がり、ヴォーカルは過去へ向かって声を伸ばすように響く。曲全体には、決着というより、記憶を抱えたまま進むような感覚がある。The Chameleonsは、楽曲の最後に簡単な解放を与えない。むしろ、未解決の感情を残すことで、聴き手に深い余韻を与える。
歌詞では、忘れられない人物、出来事、感情が扱われる。記憶することは、愛情の証でもあり、傷の継続でもある。人は忘れることで楽になる場合もあるが、忘れないことで自分を保つ場合もある。この曲は、その両義性を持っている。
「I’ll Remember」は、『Strange Times』が単なる時代批評ではなく、個人の記憶のアルバムでもあることを示す。奇妙な時代を生きる人間は、何を忘れ、何を覚えておくのか。その問いが、この曲に込められている。
11. Tears(Acoustic Version)
一部の版に収録されている「Tears」のアコースティック・ヴァージョンは、同曲の感情的な核をより直接的に浮かび上がらせる。バンド・サウンド版では、ギターの広がりとリズムの推進力が悲しみを大きな風景へ変えていたが、アコースティック版では、より近い距離で感情が響く。
音数が減ることで、メロディの線と歌詞の切実さが明確になる。The Chameleonsの楽曲は、巨大なギター・サウンドによって特徴づけられることが多いが、このヴァージョンは、彼らの曲が音響的な装飾だけで成立しているわけではないことを示している。根底には強いメロディと感情の構造がある。
このアコースティック版は、アルバム全体の重厚な空気の中で、別の角度から「Tears」を照らす役割を持つ。悲しみは大きな音の中で解放されることもあれば、小さな音の中でより深く沈むこともある。その両方を示す点で、重要な別ヴァージョンである。
12. Paradiso
「Paradiso」は、タイトルに「楽園」や「天国」を思わせる響きを持つ楽曲である。しかし、The Chameleonsが描く楽園は、単純な幸福の場所ではない。むしろ、失われた理想、到達できない場所、あるいは苦しい現実から逃れたいという欲望の象徴として機能する。
音楽的には、幻想的で広がりのある響きが特徴である。ギターの残響は夢のように広がるが、その中にはどこか不安もある。The Chameleonsの音楽における美しさは、常に影を伴う。「Paradiso」でも、楽園という言葉は完全な救済ではなく、現実との距離を意識させるものとして響く。
歌詞では、理想の場所への憧れ、現実からの離脱、精神的な逃避が描かれる。だが、その逃避は完全には達成されない。楽園は見えるが、そこへ行けるとは限らない。The Chameleonsの楽曲において、希望は常に不確かであり、その不確かさが音楽に深みを与えている。
13. Inside Out
「Inside Out」は、内側と外側が反転する感覚を扱った楽曲である。内面が外へ露出し、外部の世界が内面に入り込む。The Chameleonsの音楽では、この境界の曖昧さが重要である。社会の不安は個人の精神を侵食し、個人の不安は世界の見え方を変える。
音楽的には、ポスト・パンク的な鋭さと、バンド後期の重厚な音像が結びついている。ギターは層を作りながらも、曲には切迫感がある。タイトルが示すように、曲全体が内側から外へ裏返されるような緊張を持っている。
歌詞のテーマは、自己の露出、精神的な混乱、外部との境界の崩壊に関わっている。人は自分の内面を隠して社会に適応するが、強い不安や危機の中では、その内面が外へ漏れ出してしまう。「Inside Out」は、その状態を音楽的に描いた曲といえる。
14. John, I’m Only Dancing
「John, I’m Only Dancing」は、David Bowieの楽曲のカバーであり、The Chameleonsの音楽的背景を示す重要な選曲である。Bowieは、ポスト・パンク以降の多くのバンドにとって、演劇性、アイデンティティの流動性、都市的な孤独、音楽的変化の象徴であった。The Chameleonsがこの曲を取り上げることで、自分たちの暗いギター・ロックの背後にあるグラム/アート・ロック的な影響が浮かび上がる。
原曲は軽やかで、性的な曖昧さとダンスの感覚を持つ楽曲だが、The Chameleons版ではより影が濃くなる。彼らの演奏によって、曲は単なる軽快なカバーではなく、80年代ポスト・パンク的な緊張を帯びる。Bowie的な遊戯性が、The Chameleonsの暗い叙情性を通して再解釈されている。
このカバーは、アルバム本編の重厚さから少し外れた位置にありながら、バンドの美学を理解するうえで興味深い。The Chameleonsは、Bowieのようにアイデンティティを演じ替えるアーティストではないが、自己と社会、視線と欲望の不安定さを扱う点で共通するものを持っている。
15. Tomorrow Never Knows
「Tomorrow Never Knows」は、The Beatlesのサイケデリック期を代表する楽曲のカバーであり、The Chameleonsのネオ・サイケデリックな側面を際立たせる。原曲は、テープ・ループ、ドローン的な反復、東洋思想的な歌詞を用いて、ロックの形式を大きく拡張した作品である。The Chameleonsがこの曲を演奏することは、彼らの音楽が単なるポスト・パンクではなく、サイケデリックな精神性ともつながっていることを示す。
The Chameleons版では、原曲の実験性をそのまま再現するのではなく、自分たちのギター・サウンドへと変換している。反復するリズムと広がるギターが、意識の拡張や現実感の揺らぎを表現する。『Strange Times』全体に漂う、現実が奇妙に見える感覚とも強く結びつくカバーである。
歌詞の「明日は決して知らない」という感覚は、本作のテーマにも合っている。未来は不確かであり、時代は奇妙であり、自分がどこへ向かっているのか分からない。その不確かさを恐怖としてだけでなく、意識の変化として捉える点で、このカバーはThe Chameleonsの世界観に自然に収まっている。
総評
『Strange Times』は、The Chameleonsのキャリアにおいて最も重厚で、成熟した作品のひとつである。デビュー作『Script of the Bridge』が持っていた若々しい切迫感、セカンド・アルバム『What Does Anything Mean? Basically』の内省的な深みを引き継ぎながら、本作ではそれらがより大きな時代感覚へと拡張されている。個人の孤独や関係の痛みだけでなく、社会全体が奇妙に歪んでいく感覚が、アルバム全体を覆っている。
音楽的には、The Chameleonsのツイン・ギターの美学が極めて高い水準で展開されている。レグ・スミシーズとデイヴ・フィールディングのギターは、単なるリフや伴奏ではなく、楽曲の心理的空間を形作る。ディレイ、アルペジオ、反復するフレーズ、重なり合う音の層が、聴き手に広大で不安定な風景を見せる。そこにマーク・バージェスのヴォーカルが乗ることで、音楽は単なる雰囲気ではなく、切実な人間の声を持つ。
本作のリズム隊も重要である。The Chameleonsの音楽は、しばしばギターの空間性で語られるが、その下には強いリズムの推進力がある。ベースとドラムは、曲を沈ませるのではなく、前へ進ませる。これにより、アルバムは暗いにもかかわらず停滞しない。悲しみや不安が、音楽的な運動へ変換されている。
歌詞面では、狂気、警告、涙、孤立、怪物、時間、記憶、幼少期、応答、楽園、内面の反転といったテーマが展開される。これらはばらばらの主題ではなく、すべて『Strange Times』という大きな感覚に結びついている。世界が奇妙になっているという感覚は、ニュースや政治だけでなく、心の中、過去の記憶、身体の反応、人間関係の微細なずれにまで及ぶ。The Chameleonsは、その不安を大げさな演劇としてではなく、日常に入り込んだ違和感として描く。
キャリア上の位置づけとして、本作はThe Chameleonsの最初の活動期の終幕を告げる作品でもある。商業的には、彼らは同時代のThe CureやU2のような大規模な成功へは到達しなかった。しかし、音楽的な完成度と後年の影響力という点では、『Strange Times』は非常に重要なアルバムである。特に「Swamp Thing」「Soul in Isolation」「Tears」などは、ポスト・パンクの内省とオルタナティヴ・ロックのスケール感を結びつけた名曲として、長く聴き継がれている。
本作は、ゴシック・ロック的な暗さを持ちながらも、耽美的な閉塞には向かわない。むしろ、暗さの中から視界を広げようとする音楽である。孤立を歌いながら、音は広がる。涙を歌いながら、ギターは空へ伸びる。奇妙な時代を歌いながら、曲は前へ進む。この矛盾こそがThe Chameleonsの魅力であり、『Strange Times』の核心である。
後の音楽シーンに与えた影響も見逃せない。2000年代以降のポスト・パンク・リバイバルでは、暗い低音、鋭いギター、内省的なヴォーカルが再び注目されたが、The Chameleonsのように広がりと切実さを同時に持つバンドは、単なるリバイバル以上の深い参照点となった。また、シューゲイザーやポスト・ロックにおける音の空間性、エモにおける内面の切実さにも、本作の影響を読み取ることができる。
日本のリスナーにとって、『Strange Times』は80年代ポスト・パンクの中でも、特にギター・サウンドの広がりと感情の深さを味わえる作品である。Joy Divisionの冷たさ、The Cureの暗いロマンティシズム、Echo & the Bunnymenの神秘性、初期U2の空間的なギターを好むリスナーには、自然に接続するだろう。同時に、Interpol、Editors、The Twilight Sad、DIIVなどを通じてポスト・パンク的な音に触れてきたリスナーにとっても、その源流として重要な一枚である。
『Strange Times』は、暗い時代の記録であると同時に、暗い時代を生きるための音楽でもある。そこには狂気への不安、孤立した魂、沼から浮かび上がる怪物、終わりへ向かう時間、忘れられない記憶がある。しかし、そのすべては巨大なギターの響きと切実な声によって、ただの絶望ではなく、精神の風景として鳴っている。The Chameleonsが残した最も深く、最も力強いアルバムのひとつである。
おすすめアルバム
1. The Chameleons『Script of the Bridge』
1983年発表のデビュー・アルバム。The Chameleonsの広がりあるツイン・ギター、切実なヴォーカル、ポスト・パンク的な緊張感が最初に大きく結実した作品である。『Strange Times』の成熟した重みを理解するためには、まずこのデビュー作の若々しい焦燥と壮大な音像を聴くことが重要である。
2. The Chameleons『What Does Anything Mean? Basically』
1985年発表のセカンド・アルバム。『Script of the Bridge』よりも内省的で抽象的な方向へ進み、ギターの空間性と心理的な深みをさらに洗練させた作品である。『Strange Times』へ至る過程を知るうえで欠かせない一枚であり、バンドの中期的な美学がよく表れている。
3. Echo & the Bunnymen『Ocean Rain』
1984年発表のポスト・パンク/ネオ・サイケデリアの名盤。ストリングスを含む壮大なアレンジ、陰影のあるメロディ、神秘的なヴォーカルが特徴である。The Chameleonsよりもロマンティックで劇的な側面が強いが、80年代英国ロックにおける暗さとスケール感の融合という点で関連性が高い。
4. The Sound『From the Lions Mouth』
1981年発表のポスト・パンク重要作。エイドリアン・ボーランドの切実な歌声、鋭いギター、精神的な緊張が際立つ作品であり、The Chameleonsと同様に後年の評価が非常に高い。商業的成功以上に深い影響力を持った英国ポスト・パンクの名盤として、『Strange Times』と並べて聴く価値がある。
5. The Cure『Disintegration』
1989年発表のゴシック・ロック/オルタナティヴ・ロックの代表作。長い楽曲、深い残響、喪失感、壮大なサウンドが特徴である。『Strange Times』よりも耽美的でメランコリックな方向に進んだ作品だが、暗い感情を広大な音響空間へ拡張するという点で強く共鳴する。

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