発売日: 1984年6月**(UK) / 1984年10月**(US)
ジャンル: ニューウェイブ、ドリームポップ、ポストパンク、アートポップ
概要
『Ricochet Days』は、Modern Englishによる3作目のスタジオ・アルバムであり、
『Mesh & Lace』の尖鋭的ポストパンク、そして『After the Snow』の詩的ドリームポップを経た、“洗練されたモダンポップ”への到達点である。
前作の大ヒットシングル「I Melt with You」によって国際的な成功を収めた彼らは、
このアルバムにおいてより大規模なサウンドスケープ、シンセやエフェクトを駆使した空間設計、そして叙情性と抽象性を高次で融合させた楽曲構築に踏み込んでいる。
“Ricochet(跳ね返り)”というタイトルが示すように、
本作の中心には反射と残響、移ろい続ける記憶と感情の連なりがある。
それはバンド自身の変化、音楽的方向性の跳躍を意味すると同時に、
時代という“加速度的な瞬間”に生きる若者たちの不確かさと切実さの象徴でもある。
当時のUKポップシーンで隆盛だったJapan、Talk Talk、Simple Mindsといったバンドと共振しつつ、
Modern Englishは自らの詩情と美学を貫いた、1980年代中盤の静かな傑作をここに残した。
全曲レビュー
1. Rainbows End
広がるシンセとギターのディレイが織りなす、透明感と疾走感が共存するイントロダクション的ナンバー。
“虹の終わり”というタイトルは、手が届きそうで届かない幸福や幻想を暗示しており、
それが歌詞と音の構成に強く反映されている。
ポップでありながらメランコリック、まさに80年代らしい感傷の美。
2. Spinning Me Round
淡く夢幻的なシンセリフと、柔らかなリズムギターが交錯するドリーミー・ポップ。
歌詞は極めて抽象的で、回転する時間、揺らぐ現実感覚といったイメージのコラージュが連なる。
後のCocteau TwinsやThe Dream Academyを先取りするような、**“夢のなかで語るような音楽的語法”**が顕著に表れたトラック。
3. Ricochet Days
タイトル曲にして、アルバム全体の世界観をもっとも端的に伝えるキートラック。
跳ね返る残響、折り返される記憶、めまぐるしいエコーの中に漂う自己──
音そのものが「跳ね返り」の運動を体現しているような構造になっている。
この曲の持つ知的なサウンド構築とポエティックな抽象性は、Japanの『Gentlemen Take Polaroids』と並び称されても不思議ではない。
4. Hands Across the Sea
本作の中でもっともメロディアスでキャッチーな一曲。
アメリカ市場を意識したプロダクションと、希望に満ちたメッセージ性が特徴的である。
“海を越えて手をつなぐ”という表現には、戦争、分断、異文化間の距離といった社会的モチーフが薄くにじんでおり、
単なるラブソングにとどまらない広がりを持つ。
チャートでも一定の成功を収め、バンドにとっては「I Melt with You」以降のセカンド・シグネチャーともいえる曲。
5. Breaking Away
ニューウェイブのリズムセクションに乗せた、抑制された怒りと自由への希求が込められたアップテンポ・ナンバー。
サビで一気に開かれるメロディの高揚感が強く、
“何かから逃れたい/突き破りたい”という衝動がそのまま音像化されている。
ギターとキーボードの絡みも洗練されており、ライヴでの映えも抜群。
6. Heart
本作の中ではやや内省的なバラード。
タイトルの“Heart”は比喩的な意味に満ち、愛・傷・信仰・自己喪失など、複数の意味が重層的に絡む。
メロディは一貫して切なく、ヴォーカルには一種の“諦観”すら滲む。
バンドの知的側面と感傷的側面の結節点にあるような楽曲である。
7. Chapter 12
ミニマルで実験的なサウンドスケープを持つ、異色のナンバー。
“第12章”というタイトルには、物語の中途、回想、不完全な物語構造といった象徴性があり、
その断片的でシュールな詞と音は、まさに途中で終わる夢のような感触を残す。
リズムも変則的で、構成自体がポストモダン的とすらいえる。
8. Black Houses(Live, US Bonus Track)
※US盤ボーナストラック
本来『Mesh & Lace』収録のノイジーな名曲のライヴ版であり、
本作の洗練された世界観において初期の緊張感を再び想起させる位置づけとなっている。
演奏はよりタイトで、荒削りだった原曲が鋭く整えられている点に、バンドの成長を感じさせる。
総評
『Ricochet Days』は、Modern Englishというバンドがポストパンクからニューウェイブへと変貌するなかで、自らの詩的美学を失うことなく、より洗練された形で結晶化させた作品である。
本作の価値は、ヒットシングルの有無やチャート成績では測れない。
それはむしろ、80年代中盤の空気、夢と現実の狭間、個人の希薄な感情と希望の残響を、
**静かに、しかし確かに封じ込めた“透明な記録”**として、今日なお深い余韻を残している。
このアルバムを聴くということは、
跳ね返りのように繰り返す思念と、断片化された時間のなかに身を委ねることでもある。
おすすめアルバム(5枚)
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Talk Talk – It’s My Life (1984)
洗練されたニューウェイブとアートポップの橋渡し。音響構築の巧みさは共通。 -
Japan – Tin Drum (1981)
オリエンタルなリズムと抽象的詩世界の融合。美的方向性で近接。 -
The Dream Academy – The Dream Academy (1985)
ドリーミーで叙情的なサウンドと文学的歌詞がModern Englishと共鳴。 -
The Psychedelic Furs – Mirror Moves (1984)
アートロックとポップの均衡、アメリカ志向と詩的感覚のバランスが近い。 -
Simple Minds – Sparkle in the Rain (1984)
アリーナ感と抒情の融合。リズムと空間設計の方向性が類似。
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