アルバムレビュー:Can by Can(1979)

※本記事は生成AIを活用して作成されています。

発売日:1979年

ジャンル:クラウトロック、アート・ロック、エクスペリメンタル・ロック、ニュー・ウェイヴ、アヴァン・ポップ

概要

Canのセルフタイトル作『Can』は、1979年に発表されたバンド後期のスタジオ・アルバムであり、一般的にはオリジナル活動期における最後のアルバムとして位置づけられる作品である。1960年代末から1970年代にかけて、Canは西ドイツの実験的ロック、いわゆるクラウトロックを代表する存在として、ロック、現代音楽、ジャズ、ファンク、民族音楽、電子音響を横断する独自の音楽を築き上げた。『Monster Movie』『Tago Mago』『Ege Bamyasi』『Future Days』といった初期から中期の作品群は、後のポスト・パンク、ニュー・ウェイヴ、インダストリアル、エレクトロニック・ミュージック、オルタナティヴ・ロックに大きな影響を与えた。

本作『Can』は、そうした革新的な時代を経た後の作品である。ダモ鈴木が在籍していた時期のような呪術的なヴォーカルや、ヤキ・リーベツァイトの反復的で機械的なドラム、ホルガー・シューカイの編集感覚、イルミン・シュミットの鍵盤と電子音響、ミヒャエル・カローリのギターが生み出す有機的なグルーヴは、Canの音楽の核を成していた。しかし1970年代後半に入ると、バンドはより整理されたポップ性、ディスコやファンクのリズム、ワールド・ミュージック的な要素、ニュー・ウェイヴに接近する音像を取り込みながら変化していく。

『Can』は、その後期的変化がはっきりと刻まれたアルバムである。初期のCanにあった長尺の即興、混沌としたサイケデリア、スタジオ編集による異様な緊張感は控えめになり、代わりに短めで輪郭のはっきりした楽曲、軽快なリズム、ファンク/ディスコ的な反復、ややポップなフレーズが目立つ。ただし、それはCanが単純に時代に迎合したという意味ではない。むしろ、1970年代末のニュー・ウェイヴやポスト・パンクがCanから多くを学びつつあった時期に、Can自身もまた、より簡潔な形で自分たちの反復美学を再配置していたと見ることができる。

アルバム制作時のCanは、すでに初期のような集団的緊張関係を保つことが難しくなっていた。ホルガー・シューカイはベース奏者としての役割から後退し、テープ編集やサウンド・コラージュ的な関与へ移っていた時期でもある。バンドは外部ベーシストのロスコ・ジー、パーカッションのリーバップ・クワク・バーを迎え、リズム面にファンクやラテン、アフロ的な感触を強めていた。これによってCanの音楽は、初期のミニマルで硬質な反復から、よりしなやかでダンサブルなものへと変化している。

この変化は、1970年代末という時代背景とも深く関係している。ロックの大作主義は勢いを失い、パンク、ニュー・ウェイヴ、ディスコ、レゲエ、電子音楽が新しい感覚をもたらしていた。Canは、パンク以降のバンドに多大な影響を与えた存在でありながら、その時点ではすでにベテランに近い立場にあった。本作は、彼らが自らの実験性を維持しながら、時代の簡潔さやリズム志向にどう応答したかを示す作品である。

『Can』は、バンドの最高傑作として語られることは少ない。『Tago Mago』の狂気、『Ege Bamyasi』の鋭いポップ性、『Future Days』の浮遊感と比較すると、本作はより軽く、まとまりがあり、時に穏やかである。しかし、その軽さの中には、Canがポスト・パンクやニュー・ウェイヴに与えた影響が逆流してくるような興味深さがある。鋭い反復、歌とリズムのずれ、奇妙なユーモア、ジャンルの境界を曖昧にする感覚は、後期作品であってもなおCanらしい。

本作は、Canの歴史を締めくくる一枚として、過去の革新性をそのまま再現するのではなく、変化した時代の中でバンドがどのように自分たちの音楽を小型化し、ポップ化し、リズム化したかを記録している。日本のリスナーにとっては、初期Canの難解さや長尺即興に入る前に、後期の比較的聴きやすい側面として接することもできる一方、すでに『Tago Mago』や『Future Days』に親しんでいる場合には、Canが1970年代末の音楽状況にどう適応したかを知るための重要な作品となる。

全曲レビュー

1. All Gates Open

アルバム冒頭の「All Gates Open」は、後期Canの特徴であるリズムのしなやかさと、ニュー・ウェイヴ的な簡潔さがよく表れた楽曲である。タイトルは「すべての門が開く」という意味を持ち、アルバムの入口として象徴的に機能している。初期Canのように、聴き手を一気に混沌の中へ引きずり込むのではなく、比較的整ったグルーヴによって徐々に空間を開いていく。

楽曲の中心にあるのは、反復するリズムである。Canの音楽において反復は、単なる伴奏ではなく、意識を変容させる装置として機能してきた。ヤキ・リーベツァイトのドラムは、ジャズ的な柔軟性を持ちながらも、機械のような正確さでグルーヴを刻む。本曲でも、その特徴は保たれているが、初期の冷たく硬質な反復よりも、ファンクやディスコを通過した軽やかさがある。

ヴォーカルは、明確な物語を語るというより、リズムの一部として配置されている。Canにとって声は、歌詞を伝える媒体であると同時に、音響素材でもある。「All Gates Open」では、言葉の意味よりも、声の入り方、フレーズの反復、音節の質感が重要である。これは、ロック・ソングの伝統的な歌中心の構造から距離を取るCanらしい姿勢である。

音楽的には、ギター、キーボード、ベース、パーカッションが過度に主張せず、全体の流れを作っている。各パートは複雑なソロを展開するのではなく、小さなフレーズを反復しながら、少しずつ音の層を変化させる。この「少しずつ変わる」感覚がCanの本質であり、本曲でも派手ではないが確かに機能している。

アルバムの始まりとして、「All Gates Open」は本作の性格をよく示している。実験性はあるが、極端ではない。リズムは強いが、重すぎない。ポップに接近しているが、普通のポップ・ソングにはならない。Can後期のバランス感覚が凝縮された一曲である。

2. Safe

「Safe」は、本作の中でも比較的落ち着いたトーンを持つ楽曲であり、タイトルが示す通り、安全、保護、安定への意識が感じられる。しかしCanの音楽において「安全」は、単純な安心感だけを意味しない。むしろ、安全であることへの疑念、管理された空間への違和感、あるいは危険を避けることで失われる自由が暗示されているように響く。

サウンドは、滑らかなリズムと淡い音色によって構成されている。初期Canの鋭利な反復に比べると、ここでのグルーヴは柔らかく、1970年代後半のスタジオ・サウンドらしい整理された質感がある。ベースとドラムは曲を支える中心であり、細かい装飾よりも、全体の流れを安定させる役割を果たしている。

歌詞は断片的で、具体的な物語を説明するものではない。Canの歌詞は、しばしば意味よりも響きや反復を重視するため、言葉の解釈は固定されない。「Safe」という言葉が繰り返されることで、むしろその安全性が不安定なものに感じられる。安心を求めるほど、そこに閉塞感が生まれる。この逆説が、楽曲の静かな緊張を作っている。

音楽的には、ニュー・ウェイヴ期の簡潔なアート・ロックに近い感触がある。Talking HeadsやPublic Image Ltd、あるいは後のポスト・パンク勢がCanから受け継いだ反復と空間の使い方を、Can自身がよりコンパクトに提示しているようにも聞こえる。音数を詰め込みすぎず、リズムと空白の関係を重視する点が印象的である。

「Safe」は、派手な展開を持つ曲ではないが、後期Canの内省的な側面を示している。初期の狂気やサイケデリックな熱ではなく、日常化した不安、管理された空間の中の違和感、そしてリズムによって保たれる奇妙な安定が描かれている。

3. Sunday Jam

「Sunday Jam」は、タイトル通り、ジャム・セッション的な緩やかさを持つ楽曲である。Canはもともと即興演奏を録音し、それを編集して楽曲化する手法を得意としていたバンドである。そのため「Jam」という言葉は、彼らの音楽制作の根本に関わるものでもある。ただし本曲は、初期の荒々しく長尺な即興というより、より軽快で親しみやすい後期的なジャムとして響く。

「Sunday」という言葉には、休日、余暇、日常から少し離れた時間というニュアンスがある。そのためこの曲には、Canの音楽としては比較的リラックスした空気が漂っている。リズムは硬すぎず、パーカッションやベースの動きには軽やかな揺れがある。ファンクやラテン的な感覚も感じられ、後期Canがリズムの多様化へ向かっていたことが分かる。

インストゥルメンタル的な性格が強く、各楽器はソロを目立たせるより、全体のグルーヴに溶け込む。ミヒャエル・カローリのギターは、鋭いリフというよりも、音色やフレーズの反復によって曲の表情を作る。イルミン・シュミットのキーボードは、空間的な色彩を加え、曲に浮遊感を与える。リズム隊は終始安定しており、曲を自然に前へ運ぶ。

この曲で重要なのは、Canの即興が単なる自由演奏ではなく、反復と集中によって成立している点である。自由に演奏しているようでありながら、全体には明確なグルーヴの軸がある。各メンバーはその軸を外れすぎず、少しずつ変化を加える。こうした音楽の作り方は、後のジャム・バンド、ポスト・ロック、エレクトロニック・ミュージックにも通じる。

「Sunday Jam」は、アルバムの中で緊張を緩める役割を持つ。とはいえ、完全な息抜きではない。ゆるやかな表情の中にも、Can特有のミニマルな集中力と、リズムに身を委ねる実験性が保たれている。後期Canの柔らかなグルーヴを理解するうえで重要な楽曲である。

4. Sodom

「Sodom」は、タイトルからして不穏な響きを持つ楽曲である。聖書に登場する都市ソドムを連想させるこの題名は、退廃、堕落、欲望、破壊といったイメージを伴う。Canはしばしば具体的な物語を説明せず、言葉の持つ象徴性や音響的な響きを利用して楽曲の雰囲気を作るが、本曲でもタイトルが強い暗示を与えている。

音楽的には、アルバムの中でもやや暗く、緊張感のある部類に入る。リズムは淡々と進みながらも、どこか不安定な空気を生む。Canの反復は、明るいダンス・グルーヴになることもあれば、閉じ込められたような圧迫感を作ることもある。「Sodom」では後者の性格が強く、同じパターンが続くことで、都市的な閉塞や精神的な重さが浮かび上がる。

ヴォーカルや言葉の扱いも、明快なメッセージというより、断片的なイメージとして機能している。タイトルが持つ宗教的・終末的な響きに対して、音楽は過剰なドラマを作らず、むしろ冷静に進行する。この距離感がCanらしい。破滅や退廃を大げさに演じるのではなく、リズムの反復の中に静かに沈めていく。

サウンド面では、ギターやキーボードの音色が曲の陰影を作っている。鋭いリフや劇的な展開に頼らず、音の配置、余白、反復の変化によって不穏さを生み出している点が重要である。ロックの伝統的な盛り上げ方から距離を取り、音響的な感覚で雰囲気を構築する姿勢は、Canの実験性が後期にも残っていたことを示している。

「Sodom」は、本作の中で比較的シリアスな深みを与える曲である。軽快な楽曲が多い後期Canのアルバムにおいて、この曲は初期の暗さや異様さを思い出させる。ただし、それは『Tago Mago』期の混沌ではなく、より抑制され、乾いた形で表れている。

5. A Spectacle

「A Spectacle」は、Can後期のポップ性とアイロニーが交差する楽曲である。タイトルの「Spectacle」は、見世物、壮観な光景、あるいは視覚的なイベントを意味する。1970年代末という時代を考えると、ロックが巨大なコンサート産業やメディア的な見世物へ変化していた状況とも重ねて読むことができる。

楽曲は比較的コンパクトで、リズムの輪郭も明確である。Canの初期作品における長大な即興や意識の深みに沈むような展開とは異なり、ここではニュー・ウェイヴ的な簡潔さが前面に出ている。反復するフレーズ、軽いグルーヴ、整理されたアンサンブルは、同時代のポスト・パンクやアート・ポップとも接点を持つ。

歌詞は、見られること、演じること、消費されることへの意識を感じさせる。Canはロック・スター的な自己演出から距離を置いたバンドだったが、1970年代後半の音楽シーンでは、音楽が映像やイメージとますます結びついていった。「A Spectacle」というタイトルは、そのような時代の変化に対する冷静な観察として響く。

サウンドの面では、リズムと声の関係が重要である。ヴォーカルは感情を大きく表現するのではなく、どこか距離を置いた調子で置かれている。これによって、曲は熱狂的なロックではなく、観察されたロック、あるいは自己を少し外側から見ている音楽として成立している。

この曲には、Canが後のニュー・ウェイヴに与えた影響が逆照射されているような面がある。Talking Heads、The Fall、Wireといったバンドが示した、冷めた視線、反復するリズム、ロックの解体と再構築。そのような要素はすでにCanの音楽に含まれていたが、「A Spectacle」では、それがより時代に近い形で表れている。

6. E.F.S. Nr. 99 “Can Can”

「E.F.S. Nr. 99 “Can Can”」は、Canの作品群にたびたび登場する「Ethnological Forgery Series」の流れに属する楽曲である。このシリーズは、架空の民族音楽、あるいは実在する民俗音楽をCan流に偽造・再構成する試みとして知られる。タイトルに含まれる「Can Can」は、フランスの舞踊カンカンとバンド名Canを重ねた言葉遊びでもあり、後期Canらしいユーモアが表れている。

音楽的には、民俗音楽的な旋律やリズムの感覚を取り込みながら、それを真正な再現としてではなく、人工的なポップ/ロックの中で再構成している。Canの「民族音楽」への関心は、単なるエキゾティシズムではなく、ロックの外側にあるリズムや音階を使って、西洋ロックの構造を揺さぶるためのものだった。本曲でも、その姿勢が短いながらも明確に表れている。

タイトルの「E.F.S. Nr. 99」という番号は、シリーズの架空性を強調している。実際の民俗資料のような形式を装いながら、それをCan自身の音楽的遊びとして提示する。この態度は、真面目な研究と冗談、実験とポップの境界を曖昧にするCanの特徴そのものである。

サウンドは軽妙で、アルバムの中でもユーモラスなアクセントになっている。長尺の深い瞑想ではなく、短い音楽的スケッチとして機能しており、聴き手に不意の場面転換を与える。こうした小品を挟むことで、アルバム全体の質感はより多面的になる。

「E.F.S. Nr. 99 “Can Can”」は、Canの実験性が必ずしも重苦しいものではなかったことを示している。彼らの音楽には、知的な構造と同時に、奇妙な笑い、フェイク、パロディ、文化の混成が存在する。この曲はその側面を凝縮した一曲である。

7. Ping Pong

「Ping Pong」は、タイトル通り、卓球のような軽快な往復運動を連想させる楽曲である。Canの音楽では、反復と応答が重要な役割を持つが、この曲ではその原理が非常に分かりやすく、遊び心のある形で提示されている。音のフレーズが左右に跳ね返るように感じられ、短いながらも印象に残る小品である。

音楽的には、リズムの軽さと音響的な配置が中心となる。Canはスタジオを単なる録音場所ではなく、音を加工し、配置し、編集するための創作空間として用いてきた。「Ping Pong」でも、楽器の演奏そのもの以上に、音の跳ね方、間の取り方、反復のコミカルな動きが重要である。

タイトルの卓球は、単なるスポーツの比喩にとどまらない。音楽的なフレーズが行き来すること、メンバー同士の反応、聴覚空間の中で音が跳ね返ることを示しているようにも読める。Canの即興は、各メンバーが互いに反応し合うことで成立していたが、その関係性を極端に小さく、軽く抽出したのがこの曲だといえる。

アルバム全体の中では、実験的な間奏としての役割が強い。重厚な曲やグルーヴ主体の曲の間に、こうした短い遊びがあることで、Canの音楽における自由度が保たれている。初期Canの過激な実験と比べると小ぶりではあるが、音を素材として扱う発想は一貫している。

「Ping Pong」は、後期Canの軽快な側面を示すと同時に、彼らが持っていた音響的ユーモアを伝える楽曲である。ロック・バンドが演奏する曲というより、音の動きそのものを楽しむミニチュア作品として聴くことができる。

8. Can Be

「Can Be」は、タイトルにバンド名を含みながら、「可能である」「なりうる」という意味を持つ言葉遊びにもなっている。Canというバンド名自体が、肯定、可能性、容器、動詞的な力を含む多義的な言葉であり、本曲はその曖昧さを生かした楽曲といえる。

音楽的には、アルバム後半において比較的開かれた雰囲気を持つ。リズムはしなやかで、各楽器は無理に前へ出ることなく、全体のグルーヴを形成している。Can後期の特徴である、ファンクやワールド・ミュージックを通過した軽い反復がここにも表れている。

歌詞や声の扱いは、明確なメッセージよりも、タイトルの言葉が持つ可能性を反復するような印象を与える。「Can be」という言葉は、断定ではなく可能性を示す。何かであること、何かになりうること、まだ決定されていない状態。その曖昧さは、Canの音楽そのものに通じる。彼らはロック・バンドでありながら、ジャズでもあり、現代音楽でもあり、電子音楽でもあり、民族音楽の偽造でもあった。

この曲は、バンドの自己言及的な楽曲としても読むことができる。Canは、固定されたジャンル名ではなく、変化し続ける方法論だった。「Can Be」というタイトルは、Canが何であるかを定義するのではなく、Canが何になりうるかを示している。これは、彼らのキャリア全体を象徴する考え方でもある。

サウンドは過度に実験的ではないが、曲の構造にはCanらしい開放性がある。明確なサビで感情を爆発させるのではなく、反復と微細な変化によって曲が進む。ポップに接近しながらも、普通のポップ・ソングにはならない。その中間的な性格が、本曲の魅力である。

9. Aspectacle

「Aspectacle」は、タイトルからして「A Spectacle」と呼応する楽曲である。言葉としては「a spectacle」と「aspect」を重ねたようにも見え、視覚、見世物、側面、観察の問題を再び扱っているように感じられる。アルバム内で似た語感のタイトルが反復されることで、本作に緩やかなテーマ的つながりが生まれている。

音楽的には、リズムと音響の配置が中心であり、Can後期のコンパクトな実験性を示している。初期作品のような長尺のトランス状態ではなく、短い構造の中で音の組み合わせを変化させる。これは、1970年代末のニュー・ウェイヴ的な編集感覚とも近い。音楽を大作として積み上げるのではなく、断片を鋭く提示する感覚である。

タイトルに含まれる「spectacle」の概念は、現代社会における視覚的消費とも関係する。音楽が聴覚だけでなく、イメージ、ステージ、メディア、商品として見られる時代に、Canはそこに対して直接的な批判を語るのではなく、奇妙なタイトルと冷めた音響で距離を取っている。これはCanらしい批評性である。

楽曲の中では、声や楽器が一定の役割に固定されず、断片的に配置される。リズムは曲の骨格を作るが、その上に乗る音はどこか不安定で、普通のロック・ソングのような起承転結を拒む。この不安定さが、タイトルの示す見世物性と結びつき、聴き手に観察者としての距離を意識させる。

「Aspectacle」は、派手な名曲というより、アルバム全体の概念的な側面を補強する楽曲である。Canが最後期においても、音楽を単なる演奏や歌ではなく、視点、構造、音響の配置として考えていたことが分かる。

10. Ethnological Forgery Series No. 99

アルバムの最後に置かれた「Ethnological Forgery Series No. 99」は、先に登場した「E.F.S. Nr. 99 “Can Can”」と関連する楽曲であり、Canの重要なコンセプトである「民族学的偽造」を改めて提示する作品である。Canはこのシリーズを通じて、世界各地の民俗音楽をそのまま再現するのではなく、架空の民族音楽として作り替える試みを行ってきた。

この発想は、非常にCanらしい。彼らは西洋ロックの形式に閉じこもらず、アフリカ、中東、アジア、ヨーロッパ各地のリズムや旋律感覚を取り込みながら、それを正統な民族音楽としてではなく、スタジオ内で再構成された「偽物」として提示した。ここで重要なのは、偽物であることを隠さない点である。むしろ「Forgery」と名乗ることで、音楽における真正性の問題をユーモラスに揺さぶっている。

音楽的には、リズムや旋律に異国的な感覚がありながら、完全に特定の地域へ回収されるわけではない。どこかで聞いたことがあるようで、実際にはどこにも属さない。この曖昧さが、CanのE.F.S.シリーズの本質である。民族音楽風でありながら、あくまでCanのスタジオ音楽である。

アルバム終曲としてこの曲が置かれることで、『Can』はバンドの歴史を総括するような意味を帯びる。初期からCanは、ロックを解体し、他ジャンルの要素を取り込み、即興と編集によって独自の音楽を作ってきた。その方法論は、最後期においても形を変えて残っている。派手な終幕ではなく、奇妙なフェイク民族音楽で締めくくる点に、Canらしい斜めの美学がある。

この曲は、本作の中でCanの知的で遊戯的な側面を最もはっきり示している。ロック・バンドとしての情熱よりも、音楽文化そのものを素材として扱う視点が前面に出ている。終曲としては異例の軽さを持つが、その軽さこそがCanの反権威的な態度を表している。

総評

『Can』は、Canのディスコグラフィの中で最も評価が定まった代表作ではない。『Tago Mago』のような圧倒的な実験性、『Ege Bamyasi』のような鋭いポップ感覚、『Future Days』のような浮遊する美しさを期待すると、本作は小ぶりで軽く感じられる可能性がある。しかし、このアルバムはCanの最後期を理解するうえで重要な作品であり、1970年代末の音楽状況の中で、Canが自らの方法論をどのように再配置したかを示している。

本作の中心にあるのは、反復の簡潔化である。初期Canの反復は、長時間続くことでトランス状態や不穏な緊張を生み出していた。『Can』では、その反復が短い曲の中に収められ、よりポップで、時にダンサブルな形へ変化している。これは妥協ではなく、時代に応じた方法論の変形と見ることができる。パンク以降、音楽は長大な構築よりも、鋭い断片、リズムの即効性、簡潔なアイデアを重視する方向へ向かっていた。本作は、その流れとCanの本来のミニマリズムが接触した作品である。

また、本作ではファンク、ディスコ、ワールド・ミュージック的な要素が自然に入り込んでいる。ロスコ・ジーやリーバップ・クワク・バーの参加によって、リズムは以前よりも柔らかく、多層的になった。ヤキ・リーベツァイトの正確なドラムと、より身体的なパーカッション/ベースの感覚が結びつくことで、後期Can特有の軽いグルーヴが生まれている。これは初期Canの硬質な反復とは異なるが、反復を音楽の中心に置くという原理は変わっていない。

歌詞やヴォーカルの面では、依然として意味の断片性が保たれている。Canにおいて言葉は、物語を説明するためだけのものではない。声はリズムであり、音色であり、反復の一部である。本作でも、明確なメッセージを伝える楽曲よりも、タイトルや断片的な言葉がアルバムの空気を作る楽曲が多い。「Safe」「Sodom」「A Spectacle」「Can Be」といったタイトルは、それぞれ安全、退廃、見世物、可能性といった概念を示しながら、固定的な解釈を拒む。

この曖昧さこそ、Canの音楽の重要な特徴である。ロック、ジャズ、現代音楽、民族音楽、電子音響の境界が溶け合い、意味もジャンルも一つに定まらない。『Can』はその特徴を、より軽量でポップな形にした作品といえる。

後世への影響という観点から見ると、本作はCanが直接的に未来を切り開いた作品というより、すでにCanから影響を受けた時代の音楽と共鳴している作品である。ポスト・パンクやニュー・ウェイヴのバンドは、Canの反復、脱ロック的なグルーヴ、冷めたヴォーカル、編集感覚から多くを学んだ。『Can』には、そうした次世代の音楽と同時代的に響く要素がある。つまり、本作はCanの影響が広がった後に、Can自身がその変化した音楽環境の中で鳴らした後期的応答なのである。

日本のリスナーにとって、本作は初期Canの代表作ほど強烈ではないが、後期クラウトロック、ニュー・ウェイヴ、アート・ポップへの接続点として聴く価値が高い。難解な長尺即興よりも、リズムの反復や音響の奇妙さをコンパクトに味わいたい場合、本作は比較的入りやすい。一方で、初期Canを深く聴いてきたリスナーにとっては、バンドの緊張感が薄れた作品として受け取られることもあるだろう。その両面を含めて、本作はCanの終章として興味深い。

『Can』は、偉大なバンドが最後に残した決定的な声明というより、変化し続けた集団が最後まで固定された形式に収まらなかったことを示すアルバムである。大胆な破壊ではなく、軽い逸脱。巨大な構築ではなく、断片的なグルーヴ。深刻な芸術宣言ではなく、フェイク民族音楽や言葉遊びを含む実験的な遊戯。そこに、Canというバンドの本質が後期的な形で残されている。

総じて『Can』は、バンドの黄金期作品と同列に語るよりも、クラウトロックからニュー・ウェイヴへと時代が移る地点に置かれた、興味深い移行期の作品として評価すべきアルバムである。Canの音楽が持っていた反復、編集、異文化混合、音響的ユーモアは、本作でも形を変えて息づいている。派手な傑作ではないが、Canという存在が最後まで単純なロック・バンドではなかったことを確認できる一枚である。

おすすめアルバム

1. Can『Ege Bamyasi』(1972年)

Canのポップ性と実験性が最も鋭く結びついた代表作。短めの楽曲の中に、反復するリズム、奇妙なヴォーカル、ミニマルな構成が凝縮されている。『Can』のコンパクトな後期サウンドを聴いた後に、より緊張感のある中期Canを知るために重要な作品である。

2. Can『Future Days』(1973年)

ダモ鈴木在籍期の最後のアルバムであり、Canの浮遊感とアンビエント的な側面が最も美しく表れた作品。『Can』の軽いグルーヴとは異なり、長く漂うような音響空間が特徴である。後のアンビエント、ポスト・ロック、エレクトロニカにもつながる重要作である。

3. Can『Saw Delight』(1977年)

ロスコ・ジーとリーバップ・クワク・バーが参加した後期Canの重要作。ファンク、アフリカン・リズム、ワールド・ミュージック的な要素が強まり、『Can』へとつながる後期サウンドの基盤を確認できる。初期とは異なるリズム志向のCanを理解するうえで欠かせない。

4. Holger Czukay『Movies』(1979年)

Canのホルガー・シューカイによるソロ作品。ラジオ音源、テープ編集、サンプリング的手法、異文化音響のコラージュが用いられており、Canの編集感覚をさらに個人的に発展させた内容である。『Can』に含まれる音響的遊びやフェイク民族音楽的発想と深く関連している。

5. Talking Heads『Remain in Light』(1980年)

Canからの影響を受けたポスト・パンク/ニュー・ウェイヴの代表作。反復するグルーヴ、アフロ・ファンク的なリズム、断片的なヴォーカル、スタジオ編集による構築が特徴である。『Can』が示した後期的なリズム志向と、Canの影響が1980年代にどう展開されたかを比較するうえで重要な作品である。

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