Senses Working Overtime by XTC(1982)楽曲解説

 

1. 歌詞の概要

「Senses Working Overtime(センシズ・ワーキング・オーバータイム)」は、XTC(エックス・ティー・シー)が1982年にリリースしたシングルで、同年のアルバム『English Settlement』に収録された代表的楽曲のひとつである。タイトルを直訳すれば「五感が残業している」となり、感覚が過剰に働いてしまうほどに世界の複雑さと美しさを実感してしまう――そんな繊細な“人間の感受性”をテーマにしたユニークなポップソングである。

この曲は一見明るく、リズミカルなメロディに乗せて「1・2・3・4・5」という数え歌のような歌詞が繰り返されるが、その内実は実に多層的であり、**世界の理不尽さ、暴力、そしてそれを乗り越える喜びや美しさを、感覚を通して全身で受け取ろうとする“存在のまなざし”**に満ちている。

「この世界にはひどいことも、素晴らしいこともある。でも、生きて感じることは止められない」――そんな切実で普遍的な感情が、XTCならではのポップな知性と英国的なアイロニーに包まれて表現されている。

2. 歌詞のバックグラウンド

「Senses Working Overtime」は、XTCがライブ活動を停止する直前の1982年に発表され、イギリスのシングルチャートで3位という彼らにとって最大級のヒットを記録した作品である。アルバム『English Settlement』は、よりアコースティックで広がりのある音作りを志向した作品であり、この曲はその方向性を象徴するような、民族音楽的リズムとバロック的メロディを融合した知的なポップ・チューンとなっている。

作詞・作曲はアンディ・パートリッジによるもので、当時彼は社会的な混乱(フォークランド紛争、経済不況、サッチャー政権下の不穏な空気)に違和感を覚えつつも、**純粋に「この世界を、ありのまま五感で受け取るしかない」という“感覚の倫理”**をテーマとして提示したいと考えていたという。

また、この楽曲にはギター・ポップでありながら、古代の詩やチャントのような“数の反復”を用いた構造があり、そうしたアナクロニズムがXTCのサウンドに不思議な時間感覚を与えている。それは、単なる80年代のポップとは一線を画す、音楽史の異なる層を組み合わせた文化的実験でもあった。

3. 歌詞の抜粋と和訳

Hey hey, the clouds are whey
おおお、雲が崩れてく

There’s straw for the donkeys and the innocents
ロバたちと無垢な者たちのために、干し草が用意されてる

Can’t you see
見えないか?

The sky is just a shade of grey
空はただのグレーに過ぎないって

One, two, three, four, five
いち、に、さん、し、ご

Senses working overtime
五感がフル稼働してるんだ

Trying to taste the difference
違いを“味わおう”としてる

‘Tween a lemon and a lime
レモンとライムの違いのような、繊細な差異を

Pain and the pleasure
痛みと快楽を

And the church bells softly chime
教会の鐘が、静かに鳴ってる

(参照元:Lyrics.com – Senses Working Overtime)

ここに描かれているのは、世界のあらゆる矛盾を、逃げずに“感じてしまう”感受性の豊かさと痛みである。

4. 歌詞の考察

「Senses Working Overtime」は、XTCの中でも最も多義的な楽曲のひとつであり、聴くたびにその意味は揺れ動く。歌詞の中には、宗教、日常、戦争、恋愛、自然、暴力といったキーワードが巧妙に散りばめられており、それらが**“五感”という視点から再統合される**構造を持っている。

つまりこの曲は、単なる体験の記録ではなく、「人間とは“感じる生き物”である」という根源的な真実を祝福し、同時にその繊細さゆえの苦悩も描いているのである。

特に「Trying to taste the difference ‘tween a lemon and a lime」という一節には、世界の理不尽を乗り越えるために、細やかな違いに敏感であることの重要性が込められている。大きな暴力や不正義に直接抗うことは難しくとも、日常の中で“微細な差異”に気づき、それを受け止めることが、人間としての品位を保つ唯一の方法なのかもしれない。

さらに「Pain and the pleasure」「War and peace」のように、相反する概念が並べられることで、この世界の複雑さが浮かび上がる。そうした**“矛盾を矛盾のまま受け入れる態度”こそが、この曲の核心**なのだろう。

5. この曲が好きな人におすすめの曲

  • The Whole of the Moon by The Waterboys
     壮大な比喩で“見ること・感じること”の価値を描いた詩的ロック。
  • Once in a Lifetime by Talking Heads
     都市生活と自己の感覚のズレをユーモラスに、哲学的に描いたニューウェイヴの名曲。
  • Pale Shelter by Tears for Fears
     感情と知覚の不均衡を美しいメロディに託した80年代ポップの隠れた深層。
  • Kite by Kate Bush
     世界とのつながりを感覚レベルで捉える、幻想と現実が交錯する楽曲。
  • Ashes to Ashes by David Bowie
     過去と現在、夢と現実を感覚で編み直した、ポップにして叙情的な遺言。

6. “感じることの祝福と代償”

「Senses Working Overtime」は、XTCが1980年代ポップの枠を超えた**“感覚の詩人”であったことを証明する作品**である。

私たちは日々、怒り、喜び、悲しみ、そして無数の曖昧な感情にさらされている。それは時に疲れることであり、できることならシャットアウトしたくなることもある。
しかしこの曲は、「それでも感じることを止めるな」と静かに語りかける

五感が“残業”してでも、生きる世界を感じようとする姿勢。
それは、世界を変えるほどの力ではないかもしれない。
でも、世界を“見失わない”ための力にはなる。

「Senses Working Overtime」は、そのすべてを肯定するために生まれた。
それは、小さくて大きな、感覚の賛歌なのである。

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