
1. 歌詞の概要
「Sleep No More」は、イギリスのポストパンク・バンドThe Comsat Angels(コムサット・エンジェルズ)が1981年にリリースしたセカンドアルバム『Sleep No More』のタイトル曲であり、彼らのディスコグラフィの中でも特に暗く深い精神の深淵を映し出した、静かながらも圧倒的な存在感を放つ一曲である。
この曲に漂うのは、眠りの喪失=安らぎの喪失であり、物理的な不眠というよりも、もっと象徴的に、「目を閉じていられない」「忘れることができない」「世界から逃れられない」ような精神状態が描かれている。
“Sleep no more(もはや眠るな)”という言葉は、人間の無防備な状態を奪う呪いのように響き、そこから逃れられずに疲弊し続ける者の独白として響いてくる。
この楽曲では、夢を見る余裕すら奪われた現代の個人の姿が、冷たく張りつめたサウンドとともに描かれており、まさに80年代初頭のイギリス社会におけるポストパンクの精神的緊張を象徴する名曲である。
2. 歌詞のバックグラウンド
The Comsat Angelsのセカンドアルバム『Sleep No More』は、彼らの音楽性がより濃密で不穏な方向へ深化していった重要作である。前作『Waiting for a Miracle』では都市的孤独と感情の静止が主題であったが、本作ではそれがさらに洗練され、「無意識にすら逃げられない」ような精神的閉塞が全面的に表現されるようになる。
「Sleep No More」というフレーズは、シェイクスピア『マクベス』の有名なセリフに由来しており、劇中でマクベスが殺人を犯した直後に発する「マクベスは眠れぬぞ(Macbeth shall sleep no more)」がその出典である。
つまりこのタイトルは、罪悪感や良心の呵責、取り返しのつかない行為による永続的な苦悩を暗示している。
そのためこの曲は、内面的な“断罪”をテーマにした精神のモノローグとして捉えることもでき、バンドが当時の社会不安や都市の空虚さと個人の崩壊をどれほど鋭敏に捉えていたかを物語っている。
3. 歌詞の抜粋と和訳
“Sleep no more / No more peace of mind”
もう眠ることはできない 心の安らぎもない“We stand in the dark / And watch it unwind”
僕たちは暗闇の中に立ち尽くし 物事がほどけていくのをただ見つめている“Sleep no more / These dreams are not kind”
もう眠るな この夢は 優しくなんてない“Everything breaks / Given enough time”
すべては壊れる 十分な時間さえあれば
引用元:Genius
4. 歌詞の考察
この曲で繰り返される「Sleep no more」というフレーズは、まるで呪文のように響き、現代に生きる個人が「安心して目を閉じることすらできない」世界に置かれていることを強烈に突きつけてくる。
「No more peace of mind(心の平安はもうない)」という一節には、単なる精神的な疲弊以上の、恒久的な緊張状態が日常になってしまった感覚が込められている。
それは外部の政治的・社会的危機だけでなく、自分自身の内側からも逃げられないという、**ポストパンク的な“絶望の内面化”**に他ならない。
さらに、「Everything breaks / Given enough time(すべては壊れる、時間さえ与えられれば)」というラインは、**物理的・心理的・人間関係的あらゆるものの“劣化”と“終焉”**を冷たく見つめるような視点を持ち、人生そのものへの静かな諦観を感じさせる。
このように「Sleep No More」は、極めて暗く、極めて冷静でありながらも、不思議なほどの詩的叙情を内包した作品であり、語られなかった感情や沈黙の重みこそが、リスナーに最も強く訴えかけてくる。
5. この曲が好きな人におすすめの曲
- Decades by Joy Division
人生の終末を冷ややかに見つめながらも、深い哀しみが底に流れる名曲。 - In a Manner of Speaking by Tuxedomoon
コミュニケーションの不可能性と、静かな感情の揺れを描いた実験的ポストパンク。 - From the Flagstones by Cocteau Twins
言語が意味を失っても、感情はまだ揺れる——そんな音楽的瞬間を描くドリーム・サウンド。 - Winter by Clan of Xymox
内省と退廃の間で凍りついたような美学が際立つ、ニューウェイヴの暗黒バラード。 - The Fire by The Sound
見えない不安と戦い続ける心を、爆発寸前の緊張で描いた名演。
6. 眠れぬ時代の音楽——存在の静かな断裂を描く
「Sleep No More」は、単なる“不眠”の歌ではない。それは、安心も安堵も失われた社会の中で、なお生きようとする者のための祈りにも似た音楽である。
ポストパンクというジャンルが内包していた冷たさ、抽象性、そして極限まで削ぎ落とされた感情は、この曲において頂点を迎えている。
眠ることを拒絶された個人は、まなざしを外に向けることもできず、自らの内側へと深く沈んでいくしかない。
しかしその沈黙の奥底には、未だ語られぬ痛み、見つけられていない再生の兆しが潜んでいるのかもしれない。
「Sleep No More」は、壊れゆく時代の中で、眠ることすら赦されない魂のために鳴り続ける、“沈黙の音楽”である。
そして私たちがこの音に耳を傾けるとき、そこに宿る哀しみと美しさは、確かに“今”を生きる私たちの影と重なっていく。
コメント