
1. 歌詞の概要
「Movin’ Out (Anthony’s Song)(ムーヴィン・アウト〈アンソニーズ・ソング〉)」は、1977年にリリースされたビリー・ジョエル(Billy Joel)の名作アルバム『The Stranger』に収録された一曲であり、アメリカン・ドリームに対する痛烈なアイロニーと現実批判を込めたロックナンバーである。
歌詞の主人公“Anthony”は、肉体労働に精を出しながら「良い暮らし」を夢見て人生を切り拓こうとする若者だ。しかし彼が追いかけるその“良い暮らし”の実態は、高級車や郊外の一軒家、地位やモノといった見せかけの成功にすぎない。
ビリー・ジョエルはこの楽曲を通して、「そんなもののために人生を犠牲にして、本当に幸せになれるのか?」と問いかける。
語り口は決して説教じみてはいない。むしろユーモアと皮肉に包まれたストリート・トーク風の語りでありながら、そこには確かなメッセージが込められている。
「Movin’ Out(引っ越すこと)」は、単なる物理的な移動ではなく、価値観や人生観そのものを見直す決断として描かれている。
2. 歌詞のバックグラウンド
この曲は、ビリー・ジョエルが1970年代後半のニューヨーク郊外で実際に見聞きした**中産階級の労働者階級が夢見る“郊外生活”**にインスパイアされている。ジョエル自身もロングアイランド出身であり、同じような環境で育ってきた若者たちが、家や車やステータスのためにひたすら働き続ける姿を目の当たりにしていた。
その経験から、「何のためにそこまで頑張っているのか?」「もっと別の生き方があるんじゃないか?」という疑問が生まれ、それが「Movin’ Out」という形で楽曲化された。
この曲はまた、“自分の道を選ぶこと”の勇気をテーマにしている。
家族の期待や社会の常識に従って生きることが必ずしも正解ではない、という普遍的なメッセージを、ジョエルは登場人物たちの物語を通じて軽妙かつ鮮烈に描いてみせる。
3. 歌詞の抜粋と和訳
引用元:Genius Lyrics
Anthony works in the grocery store
「アンソニーは食料品店で働いている」
Savin’ his pennies for someday
「いつかのために、毎日小銭をためてる」
Mama Leone left a note on the door
「ママ・レオーネがドアに置き手紙を残した」
She said, ‘Sonny, move out to the country’
「“息子よ、郊外に引っ越しなさい”ってね」You can pay Uncle Sam with the overtime
「残業代で税金を払えるさ」
Is that all you get for your money?
「でも、それが人生の対価なのか?」
この問いかけが、曲全体の中心にある。努力と労働の先に待っているのが、ただの税金支払いと過労死寸前の生活ならば、それは本当に価値ある人生と言えるのか?
“Is that all you get for your money?”(金のために得られるものがそれだけなのか?)
この痛烈なラインは、聴く者に思わず自分の暮らしぶりを振り返らせる。
And it seems such a waste of time
「そんなの時間のムダに思える」
If that’s what it’s all about
「もしそれが人生のすべてなら」
Mama, if that’s movin’ up, then I’m movin’ out
「ママ、それが“出世”っていうなら、俺は“引っ越す”よ」
ここでの“movin’ up”は“出世”、対する“movin’ out”は“距離を置くこと”のダブルミーニング。
ビリー・ジョエルは、世間で言われる“正しい生き方”からの脱却をユーモラスかつ力強く宣言している。
4. 歌詞の考察
「Movin’ Out」は、アメリカの中流階級が持っていた“成功モデル”に対する痛烈な批評であると同時に、一人の若者のアイデンティティ確立の物語でもある。
曲に登場するAnthonyは、仕事に励み、親の言いつけを守り、いつか郊外に家を建てようと努力している。だが、そんな“良い生活”に向けた一本道が、実は思考停止であることに気づき始める。
そこにあるのは自己実現ではなく、誰かのための人生、社会にとって都合の良い消費者としての自分なのだ。
ジョエルはその生き方を否定するわけではない。だが、それ以外の道もあることを提示しようとしている。
この曲の真のメッセージは、「やめちまえ」という乱暴な否定ではなく、「それが“幸せ”かどうか、ちゃんと自分で考えて選べ」という静かな促しなのだ。
また、曲の最後にはエンジン音のようなフェードアウトが加えられており、まさに「引っ越し」「旅立ち」「新しい生き方」への転換を音で表現している。
音楽がメッセージの一部になっている、ジョエルらしい演出である。
5. この曲が好きな人におすすめの曲
- Subterranean Homesick Blues by Bob Dylan
社会や制度に対する警句を、リズミカルな言葉で畳みかける反逆の賛歌。 - The Logical Song by Supertramp
「大人になる」ことの意味と、教育や社会に対する疑問を詩的に描いた一曲。 - Working Class Hero by John Lennon
労働者階級の現実と階級構造への怒りを赤裸々に綴った静かな告発の歌。 - Take the Money and Run by Steve Miller Band
自由への逃避と反体制的なスピリットを、軽快なロックに乗せて歌った名作。
6. “人生のレール”から降りる勇気
「Movin’ Out」は、何を“成功”とするかを問うた極めて現代的なロックソングである。
家を買い、車を持ち、出世して、家族を養う——そうした“成功の型”は、1970年代のアメリカだけでなく、今の私たちの社会にも色濃く残っている。
だが、そのレールを走ることが本当に自分にとって意味があるのか?
ビリー・ジョエルは、この曲を通して私たちに静かに問いかけてくる。
「それが“ムーヴィン・アップ”なら、俺は“ムーヴィン・アウト”するよ」
この言葉には、恐れを超えて自分の人生を生きることを選んだ人間の、強くて優しい決意がこもっている。
人生は、引っ越すことから始まる。
それは場所だけでなく、価値観や視点さえも変える“旅立ち”なのだ。
ビリー・ジョエルのこの楽曲は、今もなお、そうした“目覚め”の瞬間に寄り添ってくれる。
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