1. 歌詞の概要

「Nothing Even Matters」は、ローリン・ヒルが1998年に発表したソロ・アルバム『The Miseducation of Lauryn Hill』に収録された楽曲である。

D’Angelo（ディアンジェロ）とのデュエットによるこの曲は、アルバムの中でも最も親密で穏やかな愛の表現として知られ、ジャズやソウル、R&Bの要素を滑らかに融合させたスローナンバーである。

タイトルの通り、この曲のテーマは「他のすべてがどうでもよくなるほどの愛」である。

二人の歌声は、恋愛の陶酔感や静けさを余すことなく描き出し、まるで世界が止まったような瞬間を閉じ込めている。

ローリンは、社会的なプレッシャーや名声、地位といった外的要素をすべて超えて、ただ愛の存在だけが意味を持つ世界を歌い上げる。

それは激情ではなく、深い安心感と信頼によって築かれた愛の形であり、聴く者に“静かな熱”を感じさせる。

この曲はアルバム全体に流れる“愛の教育（miseducation）”というテーマの中で、純粋な愛の完成形を提示する位置づけにある。

激動の中で見つけた一瞬の静寂――ローリン・ヒルの精神的成熟と、D’Angeloの官能的な存在感が融合した、極めて特別なデュエットなのである。

2. 歌詞のバックグラウンド

ローリン・ヒルが『The Miseducation of Lauryn Hill』を制作したのは、フージーズ解散後、自らのアイデンティティと信念を再定義しようとしていた時期だった。

ラップ、R&B、ソウルを自由に横断するこのアルバムは、単なる音楽作品ではなく、彼女自身の精神的自立と母性の目覚めを記録した一種の“魂の自叙伝”でもある。

「Nothing Even Matters」は、アルバム後半に置かれており、感情の最も穏やかな頂点にあたる。

それまでのトラックでは、恋愛の葛藤、裏切り、信仰、母性などが複雑に描かれていたが、この曲ではすべてが静かに融解していく。

彼女が探し求めていた“真実の愛”がようやく形になった瞬間が、このデュエットなのだ。

共演者のD’Angeloは、当時すでに“ネオ・ソウルの貴公子”として注目を集めていた。彼の深く柔らかな声は、ローリンの強くも繊細なボーカルを完璧に包み込む。

この二人が放つケミストリーは、恋人同士というより“魂の対話”のようであり、男女間のエゴや支配を超越した関係性を感じさせる。

制作はローリン自身のプロデュースによるもので、アナログ感のあるリズム、ジャズコードを用いたコードワーク、そして控えめなベースラインが心拍のように楽曲を支えている。

スタジオ録音でありながら、まるで部屋の片隅で生演奏を聴いているような親密さを感じさせるのは、ローリンが意図的に“人間的な距離”を保ったミキシングを行っているためである。

この曲はまた、彼女が名声よりも“心の真実”を選んだ象徴でもある。

1990年代末の音楽シーンが商業主義へと傾く中で、ローリンは「愛さえあれば、他のすべては重要ではない」と歌い、リスナーに“心の優先順位”を問いかけたのだ。

3. 歌詞の抜粋と和訳

（引用元：Genius）

Now the skies could fall

空が落ちてこようと

Even if my boss should call

たとえ上司から電話が来ても

The world, it seems so very small

この世界なんてとても小さく感じる

‘Cause nothing even matters at all

だって何もかも、どうでもいいの

You won me over again

君はまた僕を虜にした

Like the sun up in the sky

まるで空の太陽のように

Even when the clouds come out

たとえ雲が覆っても

You’ll always be the light

君はいつだって僕を照らす光

これらのラインは、愛がいかにすべてを相対化させるかを静かに語っている。

仕事も社会も、天変地異さえも、この愛の中では取るに足らない。

二人の声が絡み合いながら、まるで祈りのように「Nothing even matters」と繰り返される部分には、現代人が忘れかけた“無条件の安らぎ”が息づいている。

4. 歌詞の考察

「Nothing Even Matters」は、愛の陶酔を描くだけでなく、“精神の静けさ”をテーマにしている。

ローリン・ヒルがこの曲で描いたのは、所有や支配ではなく、互いを尊重し、存在を委ね合うような愛の形である。

たとえば“Now the skies could fall”というラインは、古典的なゴスペルの文脈を踏まえている。

“空が落ちても構わない”とは、神の御業や運命に逆らわず、ただ信じる愛に身を委ねるという意味でもある。

ローリンにとってこの“信仰的な愛”は、神への信仰と同義であり、世俗的な恋愛を超えた“霊的つながり”として描かれているのだ。

D’Angeloのパートも重要である。

彼の低く温かな声は、ローリンの内なる女性性と対話するように響き、男女のデュエットというより“陰と陽”“魂の共鳴”のような構図を作っている。

二人の声が互いに寄り添いながらも決して干渉しないバランスは、この曲の“成熟した愛”を象徴している。

また、“Even when my hustle’s hard, I still can’t feel no pain（どんなに忙しくても、もう痛みなんて感じない）”というラインは、現代社会における心の麻痺を逆転的に描いている。

彼女にとって愛は“逃避”ではなく、“現実を超えてなお生きるための力”なのだ。

この曲がアルバムの中で放つ意味は大きい。

『The Miseducation of Lauryn Hill』は、“誤った愛の教育”から抜け出し、“本当の愛”を学ぶ過程を描いた作品であり、「Nothing Even Matters」はその最終地点に立つ。

裏切りも孤独も乗り越え、ようやく辿り着いた“穏やかな救い”。

それは叫びではなく、ただ静かに息をするような幸福のかたちであり、ローリンの内なる成長を象徴している。

（歌詞引用元および英語原文: Genius Lyrics – Lauryn Hill “Nothing Even Matters”）

5. この曲が好きな人におすすめの曲

• Untitled (How Does It Feel) by D’Angelo

  同時代のソウル感覚を共有する一曲。愛の肉体性と精神性を融合させた名作。

• Brown Skin by India.Arie

  愛の中にある誇りと自己肯定を歌ったナチュラル・ソウル。温かさと優しさが共鳴する。

• Sweet Love by Anita Baker

  ジャズとソウルを融合させた1980年代の名曲で、「Nothing Even Matters」の先駆的存在。

• Love of My Life (An Ode to Hip Hop) by Erykah Badu feat. Common

  愛と音楽を重ね合わせたネオ・ソウルの代表作。ローリンの思想とも通じるスピリチュアルな美学を持つ。

• Butterflies by Michael Jackson

  心の静けさと優しさに包まれたバラードで、ローリン的な“愛の内省”を感じさせる。

6. 魂が溶け合う“沈黙の愛”

「Nothing Even Matters」は、ローリン・ヒルのキャリアの中でも最も親密で、個人的な瞬間を捉えた作品である。

彼女が『The Miseducation of Lauryn Hill』で描いた多面的な愛――痛み、赦し、信仰、母性――そのすべての到達点がこの曲にある。

ここではもはや言葉さえも意味を失う。

愛とは語るものではなく、ただ“感じるもの”。

音楽は、恋人たちのささやきと心拍のリズムのように、ゆっくりと世界を包み込む。

ローリンとD’Angeloの声が交わるたび、聴く者の時間も止まる。

その瞬間、世界のすべてがどうでもよくなり、ただ一つ――“愛がある”という事実だけが残るのだ。

「Nothing Even Matters」は、愛の静けさを知る者たちへの祈りであり、ソウル・ミュージックが到達した“究極の内省”である。

この一曲が放つぬくもりは、25年を経た今も変わらず、聴く者の心に静かに灯をともしている。