Cloudbusting by Kate Bush(1985)楽曲解説

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1. 歌詞の概要

「Cloudbusting(クラウドバスティング)」は、Kate Bushケイト・ブッシュ)の1985年の名盤アルバム『Hounds of Love』に収録された楽曲であり、そのユニークなテーマ性と映画的構成、感情の深さによって、彼女の芸術的評価をさらに高めた一曲です。
タイトルの「クラウドバスティング」とは直訳すると「雲破り」。これは、実在の精神分析学者・科学者ウィルヘルム・ライヒが行っていた“雲にエネルギーを照射し、雨を降らせる装置”に由来しています。歌詞の内容は、ライヒの息子ピーター・ライヒが書いた回想録『A Book of Dreams』に基づいており、息子の視点から父との思い出と突然の別れを回想するという構成です。

曲はノスタルジックでありながら、どこか神秘的で不穏さを孕みながら進行し、主人公である少年の目線で“父を連れ去られた日”の記憶が描かれます。科学と夢想、父子の愛、権力による抑圧という複数のレイヤーが重なり、リリックは非常に情感に満ちた詩として響きます。「Cloudbusting」は、ひとつの家族の記憶を通して、個人の想像力や信念が社会や権力に踏みにじられる痛みを描いた、物語的かつ人間的な傑作です。

2. 歌詞のバックグラウンド

ケイト・ブッシュが「Cloudbusting」を書いたきっかけは、ピーター・ライヒの著書『A Book of Dreams』(1973年)でした。彼はその中で、若き日の自分と父ウィルヘルム・ライヒとの絆、そして突然のFBIによる家宅捜索、父の逮捕と死までの出来事を、詩的で愛情深く綴っています。ライヒは精神分析の第一人者ジークムント・フロイトの弟子でもありましたが、後年は“オルゴン・エネルギー”という架空の生命エネルギーを提唱し、その研究と装置(オルゴン・アキュムレーター、クラウドバスターなど)が当局から“疑似科学”とされ、排除されました。

ブッシュはこの本に深く感銘を受け、ピーターの視点から物語を紡ぎました。彼女はこの曲を通じて、父と子の関係性、信じていた世界が突如崩れる瞬間の喪失、そしてそれでもなお残る“夢見る力”を表現しようとしました。

ミュージックビデオでは、俳優ドナルド・サザーランドがウィルヘルム・ライヒ役を演じ、少年(ケイト・ブッシュ自身が演じている)の目から父の活動と別れが描かれます。このビデオはまるで短編映画のような構成となっており、曲の物語性をより強く印象づける要素となりました。

3. 歌詞の抜粋と和訳

以下に「Cloudbusting」の印象的な歌詞を抜粋し、日本語訳を添えて紹介します。

I still dream of Orgonon
I wake up crying

私は今でもオルゴノンの夢を見る
目が覚めると泣いているの

You’re like my yo-yo
That glowed in the dark

あなたは、暗闇で光る私のヨーヨーみたいだった

What made it special
Made it dangerous

特別だったその力が
危険とみなされた

And now I know what it feels like
For a girl

そして今になって分かった
女の子として生きることの感覚を

Every time it rains, you’re here in my head
雨が降るたびに、あなたは私の頭の中に現れる

I just know that something good is gonna happen
And I don’t know when
But just saying it could even make it happen

きっと何か素敵なことが起こる気がするの
いつかは分からない
でも、そう口にすることでそれが現実になるかもしれない

歌詞引用元: Genius – Cloudbusting

4. 歌詞の考察

「Cloudbusting」は、父との思い出と別れを描く詩であると同時に、“信じること”と“奪われること”の本質を描いた寓話でもあります。語り手である少年は、父の科学的夢想(雲を破り、雨を操るという行為)を信じ、日々一緒に空を見上げていました。しかし、その幻想は政府の力によって強制的に断ち切られ、父は連れ去られ、残されたのは喪失と夢の名残のみです。

「What made it special / Made it dangerous(特別だったその力が危険とみなされた)」というラインは、個人の想像力や愛情が、体制からは“異端”や“脅威”と受け取られる矛盾を鋭く表現しています。それは、ケイト・ブッシュ自身の芸術家としての視点——常識を超えた感性を持つことの危うさと尊さ——にも重なります。

また、「I just know that something good is gonna happen」というリフレインには、子供のような希望と自己暗示が込められています。悲劇のあとにも、きっと未来には光があると信じるその言葉は、リスナーにとっての“祈り”のように響きます。そして、“言葉にすること”が未来を引き寄せるという魔術的な発想も、ブッシュの詩人としての鋭さを象徴しています。

「Cloudbusting」は、父親との別れという個人的な物語を出発点にしながら、社会の権力構造、夢の消失、人間の信じる力とその喪失という、より普遍的なテーマへと昇華されています。

歌詞引用元: Genius – Cloudbusting

5. この曲が好きな人におすすめの曲

  • Army Dreamers by Kate Bush
    母親の視点から若き兵士の死を見つめる作品。喪失と非力さを描いた静かな反戦歌。

  • Family Tree by Björk
    家族や血のつながりを抽象的に描いた、エクスペリメンタルな美しさを持つ楽曲。語りと音の融合が共通。

  • The Big Sky by Kate Bush
    Hounds of Love」収録のもう一つの天体モチーフ作品。広大な空と人間の想像力を結びつける。

  • Red Rain by Peter Gabriel
    夢と現実、精神的苦悩と自然の力を交差させたドラマティックなロックソング。

6. 科学と夢、そして愛——父を想う子の“空にかかる記憶”

「Cloudbusting」は、Kate Bushの音楽がいかにストーリーテリングに優れ、かつ感情と知性のバランスを巧みに操っているかを如実に示した名曲です。それは一人の少年が体験した“夢と現実の断絶”の記録であると同時に、誰しもが感じたことのある「愛する人を突然失う」経験に深く寄り添っています。

空に向かって装置を構え、雲を破ろうとする父。彼の信念が否定された瞬間、それでも少年の心には“空”が残った。その空が今も彼の心に“雨”として降り続けるという美しい構図は、芸術的比喩としても極めて秀逸です。

そして何より、「きっと何かいいことが起こる気がする」と繰り返すそのフレーズは、絶望の中にも希望を持ち続ける人間の姿を描いた小さな祈りです。「Cloudbusting」は、科学でも宗教でもなく、“愛と記憶”によって世界を照らすような、詩的で力強い人間賛歌なのです。

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