
発売日: 1995年4月11日
ジャンル: オルタナティブロック、スペースロック、ポストグランジ、シューゲイザー
概要
『You’d Prefer an Astronaut』は、イリノイ州シャンペーンを拠点とするオルタナティブ・ロックバンドHUMが1995年に発表したメジャーデビュー作にして、轟音と静寂、現実と宇宙を交錯させた“スペースロック以後”の金字塔的アルバムである。
タイトルは、「君は宇宙飛行士のほうが好きなんだろう?」という皮肉まじりの告白から取られており、淡い恋愛感情と深宇宙のような孤独感が重なり合う、90年代中盤ならではの内省的なロックの結晶となっている。
本作は、シングル「Stars」がMTVとラジオでスマッシュヒットを記録したことで注目を集めたが、その一発屋的評価を超えて、ラウドで繊細、感情的で知的、ヘヴィで儚いという矛盾を孕んだサウンドで、多くのリスナーと後進のバンドに深い影響を与えた。
全曲レビュー
1. Little Dipper
ベース主導のゆったりした出だしから、一気に轟音へと加速する構成が衝撃的なオープナー。
“小さな星座”=Little Dipperは、宇宙とささやかな希望の象徴。
2. The Pod
スラッジ的で重厚なグルーヴが印象的。
カプセル(Pod)という閉ざされた空間の中で、感情が凝縮されていくような緊張感と反復の美しさが際立つ。
3. Stars
本作最大のヒット曲。
「She thinks she missed the train to Mars / She’s out back counting stars」というフレーズが、10代のセンチメントと宇宙的孤独を完璧に言い表した名フック。
ヘヴィなギターとメロウな旋律の対比がHUMの美学を凝縮している。
4. Suicide Machine
ヘヴィロックとしてのエッジが際立つトラック。
“自壊装置”という強烈なイメージが、内向した怒りや感情の抑圧と暴発を象徴する。
5. The Very Old Man
アルバムの中でも異色の、メロウで穏やかなテンポの楽曲。
タイトルはサルマン・ラシュディやガブリエル・ガルシア=マルケスの短編文学を想起させる。詩的な余白を残すナンバー。
6. Why I Like the Robins
屈指の名曲。轟音の中に叙情性が滲み、リリックは抽象的ながらも春の訪れ、生命のリズム、人間の感情のうつろいを描いている。
HUMのサウンド美学と詩的思想の融合点。
7. I’d Like Your Hair Long
ミドルテンポのグランジ感と内省的な歌詞が融合した一曲。
外見の好みを語りながら、その裏に潜む深層的な欲望や憧れがにじむ。
8. I Hate It Too
タイトルに反して、共感と孤独を分かち合うような優しいトーンのロックバラード。
“僕も嫌いだよ”という言葉が、痛みの共有として響く。
9. Songs of Farewell and Departure
ラストを飾る荘厳なバラードであり、まさに“別れと出発”の歌。
長尺の展開が、アルバム全体を宇宙から現実へと着地させるような着地感と、余韻の美しさをもたらす。
総評
『You’d Prefer an Astronaut』は、90年代オルタナティブ・ロックの中でも特異な位置にあり、“感情と宇宙を接続する”という音楽的試みを、これほど誠実かつ強度を持って実現した作品は稀有である。
轟音ギターは単なるノイズではなく、感情のうねりそのものであり、そこにメロディが浮かぶことで、聴く者は“音の銀河”を航行する体験を得る。
本作をきっかけに多くのバンドがHUMのフォロワーとなり、後のDeftones、Caspian、Nothing、Citizenといったバンドにもその影響は色濃く見られる。
それだけでなく、孤独、夢、日常、そして宇宙への憧れを音で描いたこの作品は、いつの時代にも再発見されるべき“音楽的SF小説”なのである。
おすすめアルバム
- Failure / Fantastic Planet
宇宙と内面世界を重ねた音響美学の双璧。 - Deftones / White Pony
ヘヴィネスと夢想が混在する知的ラウドロック。 - Smashing Pumpkins / Siamese Dream
轟音と感情の爆発力を併せ持つ90年代名盤。 - Catherine Wheel / Chrome
シューゲイザーとグランジの中間点にある力強いサウンド。 - Swervedriver / Mezcal Head
浮遊する轟音と疾走感の共存するスペース・グランジ。
歌詞の深読みと文化的背景
『You’d Prefer an Astronaut』の歌詞群は、日常と非日常、現実逃避と観察、自己否定と共感といった要素が、常に宇宙的スケールのメタファーで描かれている。
タイトル曲は存在しないが、全体が一つのテーマに貫かれており、“理解されない存在が、それでも誰かに語りかける”というHUMのロック哲学が最も明瞭に表れたアルバムである。
“君は宇宙飛行士のほうが好きなんだろう?”
その言葉は、恋愛の拒絶であると同時に、孤独と憧れの詩でもある。
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