XS by Rina Sawayama(2020)楽曲解説

※本記事は生成AIを活用して作成されています。

1. 歌詞の概要

Rina Sawayamaの「XS」は、きらびやかなポップ・ソングの顔をしながら、過剰消費と資本主義を痛烈に皮肉る曲である。

タイトルの「XS」は、サイズ表記の「extra small」を連想させる。

しかしこの曲では、むしろ「excess」、つまり「過剰」と響き合っている。

もっと欲しい。

もっと大きく。

もっと高く。

もっと輝くものを。

もっと、もっと、もっと。

この「もっと」の欲望が、曲全体を突き動かしている。

歌詞の主人公は、満たされることを知らない。

欲しいものを手に入れても、まだ足りない。

贅沢を重ねても、さらに上を求める。

物質的な豊かさに包まれながら、その内側では空っぽさが増していく。

この曲の面白さは、その批判を暗く真面目に語らないところにある。

サウンドは極めて派手だ。

2000年代初頭のR&Bやポップ、ニューメタル的なギター、豪華なストリングス、艶やかなボーカル・プロダクションが、まるで高級ブランドのショーウィンドウのように並ぶ。

聴き始めた瞬間は、ただゴージャスで気持ちいい。

しかし、よく聴くと、そのゴージャスさ自体が批判の対象になっていることに気づく。

「XS」は、過剰消費を批判するために、あえて過剰に美しい音を使う曲である。

贅沢なものを欲しがる声を、贅沢なポップ・サウンドで包む。

その結果、曲そのものが消費社会の甘い罠のように響く。

Rinaはこの曲について、気候危機が進む世界の中で資本主義を嘲笑する曲だと説明している。新しい商品が次々に発売され、豪邸ツアーや消費の見せびらかしが続く一方で、同じ人々が環境問題への悲しみも表明する。その矛盾への皮肉が「XS」の中心にある。(The FADER)

つまりこの曲は、ただ「お金持ちは悪い」と言っているわけではない。

むしろ、私たち全員がその仕組みの中にいることを歌っている。

欲しいと思ってしまう。

買ってしまう。

消費することで自分を満たそうとしてしまう。

そして、その欲望が世界を壊していることも、どこかでわかっている。

「XS」は、その矛盾をポップの快楽に変えた曲なのだ。

美しくて、毒がある。

楽しくて、怖い。

踊れるのに、足元では世界が沈んでいる。

その二重性こそが、この曲の鋭さである。

2. 歌詞のバックグラウンド

「XS」は、Rina Sawayamaのデビュー・アルバム『SAWAYAMA』に収録された楽曲である。

シングルとしては2020年3月2日にリリースされ、アルバム『SAWAYAMA』は2020年4月17日にDirty Hitから発表された。Pitchforkも、同曲がアルバム『SAWAYAMA』からの新曲として公開されたこと、アルバムが2020年4月17日にリリース予定だったことを報じている。(Pitchfork)

作曲にはRina Sawayama、Kyle Shearer、Chris Lyon、Nate Campanyが関わり、プロダクションにはKyle Shearer、Chris Lyon、Valley Girlが関わっている。(Wikipedia)

『SAWAYAMA』は、Rina Sawayamaが自分自身のルーツ、家族、移民経験、アイデンティティ、ポップ・カルチャーの記憶を大胆に混ぜ合わせた作品である。

Pitchforkは同作について、1990年代末から2000年代初頭のポップを蘇らせながら、ニューメタルを新鮮な形へ変換しているアルバムとして評している。(Pitchfork)

「XS」は、その中でも特にRinaの方法論がわかりやすく表れた曲だ。

表面上は、2000年代初頭のメインストリーム・ポップへの愛がある。

Britney Spears、The Pussycat Dolls、N.E.R.D、Timbaland以降のR&Bポップ、そしてニューメタル的なギターの衝突。

それらを、2020年代的な批評性で再構築している。

Rina自身も、YouTubeのインタビューで「XS」のような曲について、資本主義や消費主義へのメッセージを入れながら、Pussycat DollsやBritney Spearsを思わせる楽曲にできたことを誇りに思っていると語っている。(YouTube Official Blog)

この発言は重要である。

「XS」は、過去のポップをただ懐かしむ曲ではない。

むしろ、あの時代の過剰な光沢を使って、現代の欲望を批判している。

2000年代のポップは、豪華さ、セクシーさ、ブランド感、消費の快楽と深く結びついていた。

Rinaはその音像を借りながら、そこに毒を混ぜる。

キラキラしたポップの表面。

その裏で進む環境破壊。

欲望を煽る広告。

「自分らしさ」さえ商品化される時代。

「XS」は、その全部を一曲の中に詰め込んでいる。

ミュージック・ビデオも、このテーマを視覚的に強く補強している。

ビデオでは、Rinaがテレビショッピング風の番組で「RINA Water」という商品を売る販売員のように登場する。その商品は24金や血漿を思わせる成分を含む液体として描かれ、背後には搾取のイメージが隠されている。(Wikipedia)

つまり、「XS」は音、歌詞、ビジュアルのすべてで消費社会を皮肉っている。

しかし、皮肉だけで終わらないのがRina Sawayamaのポップ・センスである。

曲は本当にキャッチーだ。

批判の内容を知らなくても、まず身体が反応する。

サビは耳に残り、ギターは派手に切り込み、ストリングスは豪華に舞う。

だからこそ、この曲は危険なのだ。

批判しているはずのものが、同時に魅力的でもある。

欲望を笑っているのに、欲望の音があまりにも気持ちいい。

その矛盾が、「XS」を単なる風刺ソングではなく、2020年代ポップの名曲にしている。

3. 歌詞の抜粋と和訳

歌詞の全文は、正規の音楽配信サービスや歌詞掲載サービスで確認できる。

ここでは著作権に配慮し、ごく短い一節のみを引用する。

引用元:Spotify「XS」掲載ページ

Gimme just a little bit more

和訳:

ほんの少しだけ、もっとちょうだい

この一節は、「XS」の欲望を最もシンプルに表している。

「ほんの少しだけ」と言っている。

でも、その「少し」は終わらない。

少しだけ。

もう少しだけ。

あと少しだけ。

そして、気づけば過剰になっている。

消費社会の欲望は、この形をしている。

大きな悪意ではなく、小さな追加の積み重ね。

必要ではないけれど、欲しい。

足りているはずなのに、もうひとつ欲しい。

それが、やがて巨大な過剰へ変わる。

この短いフレーズには、その仕組みが凝縮されている。

欲望は、いつも大声で始まるわけではない。

むしろ、甘い声で「少しだけ」とささやく。

「XS」は、そのささやきを極上のポップ・フックにしている。

引用した歌詞の著作権は各権利者に帰属する。歌詞の確認はSpotify「XS」掲載ページなどの正規サービスを参照。

4. 歌詞の考察

「XS」の歌詞は、欲望の言葉でできている。

もっと欲しい。

もっと大きなものが欲しい。

もっと高級なものが欲しい。

もっと輝くものが欲しい。

もっと、もっと、もっと。

この反復が、曲の中毒性を作っている。

しかし、この曲が面白いのは、主人公がただの強欲な人物として描かれていないところである。

「XS」の語り手は、消費社会そのものの声のようにも聞こえる。

広告の声。

インフルエンサーの声。

ブランドの声。

そして、それに影響される私たち自身の内側の声。

つまり、この曲の主人公は特定の誰かではない。

現代の欲望が、人間の姿を借りて歌っているのだ。

ここで重要なのは、曲の音があまりにも魅力的であることだ。

もし「XS」が重く、暗く、説教じみた曲だったら、メッセージはもっとわかりやすかったかもしれない。

だがRinaはそうしない。

彼女は、欲望を欲望らしく鳴らす。

高級感のあるストリングス。

滑らかなR&Bのビート。

セクシーで低く近いボーカル。

突然切り込んでくるメタリックなギター。

サビの中毒性。

曲そのものが、贅沢品のように作られている。

聴き手は、その豪華な音に惹かれる。

そして気づく。

自分も「もっと」を欲しがっている。

ここに「XS」の批評性がある。

この曲は、消費社会を外側から批判するだけではない。

聴き手をその欲望の中へ巻き込む。

気持ちいいポップ・ソングとして楽しませながら、その楽しさ自体が何に支えられているのかを問い返す。

これは、とても高度なポップの作り方である。

「XS」は、メッセージと快楽が対立していない。

むしろ、快楽がメッセージを運んでいる。

過剰消費を批判する曲が、過剰に魅力的である。

この矛盾こそが、曲の核心なのだ。

Rina Sawayamaは、この曲について、気候変動や人類の危機が現実味を帯びる中でも、新しい化粧品パレットが毎月出て、豪邸ツアーが消費される状況を皮肉っていると語っている。(The Line of Best Fit)

この視点は、単なる反ブランドや反消費ではない。

もっと複雑である。

私たちは問題を知っている。

環境危機も、格差も、過剰消費も知っている。

それでも買う。

それでも欲しがる。

それでも美しいもの、便利なもの、ステータスを感じさせるものに惹かれる。

Rinaは、その自己矛盾を笑っている。

そして、その笑いはかなり苦い。

歌詞の中では、物質的なイメージが次々に出てくる。

宝石、車、贅沢な空間、過剰な装飾。

それらは、豊かさの象徴であると同時に、空虚さの象徴でもある。

欲しいものを並べれば並べるほど、主人公の内側は満たされていないように聞こえる。

これは消費社会の基本的な仕組みでもある。

商品は、欠乏感を作る。

「これがあれば、あなたはもっと美しくなる」

「これがあれば、あなたはもっと成功して見える」

「これがあれば、あなたはもっと価値ある人間になれる」

そうやって欲望が作られる。

でも、ひとつ手に入れても、また次の欠乏が生まれる。

だから「もっと」が止まらない。

「XS」は、その終わりのない連鎖を、ポップのフックにしている。

また、サウンドのジャンル・ミックスも歌詞のテーマとよく結びついている。

この曲には、2000年代R&Bのなめらかさ、ポップの甘さ、ニューメタルの攻撃性が混ざっている。

Pitchforkも『SAWAYAMA』について、90年代末から2000年代初頭のポップとニューメタルを現代的に変換した作品として評している。(Pitchfork)

「XS」では、その変換が特に効果的だ。

R&Bの滑らかさは、ラグジュアリーな表面を作る。

ポップのフックは、消費されやすい甘さを作る。

メタルギターは、欲望の暴力性を切り裂くように現れる。

このギターが重要である。

曲がセクシーで洗練されたポップとして進んでいるところに、突然荒いギターが入る。

それは、広告のきれいな表面にひびが入る瞬間のようだ。

美しいショーウィンドウの裏側で、何かが壊れている。

豪華な商品棚の奥で、世界が軋んでいる。

その音が、あのギターに宿っている。

つまり「XS」は、音そのものが二重構造になっている。

表面はきらびやか。

内側は暴力的。

耳には甘い。

でも、その甘さの奥に危機がある。

この構造は、ミュージック・ビデオにも通じる。

テレビショッピング風の映像では、商品が魅力的に売られる。

しかし、その背後には搾取や不気味な製造工程がある。

これは、現代の消費に対する非常にわかりやすい比喩だ。

私たちは商品を見る。

でも、それがどう作られたかは見ない。

パッケージを見る。

広告を見る。

レビューを見る。

セール価格を見る。

しかし、労働、資源、環境負荷、搾取は見えにくい場所へ隠される。

「XS」は、その見えない部分をポップの奥に忍ばせている。

そして何より、この曲はRina Sawayamaというアーティストの立ち位置を強く示している。

Rinaは、メインストリーム・ポップへの愛を持っている。

同時に、そのポップが生まれる社会の構造を批評する視点も持っている。

愛しているからこそ、解体する。

憧れているからこそ、皮肉る。

その両方がある。

「XS」は、ポップ・ミュージックへのラブレターであり、同時に告発状でもある。

この曲を聴くと、Rinaがただ過去の音を再現しているわけではないことがわかる。

2000年代のポップ・サウンドを借りながら、そこに2020年代の不安を注入している。

懐かしいのに新しい。

楽しいのに不気味。

高級感があるのに、どこか下品。

そのバランスが見事である。

「XS」は、消費社会のテーマを扱いながら、リスナーに罪悪感だけを与える曲ではない。

むしろ、まず快楽を与える。

それから、その快楽の正体を考えさせる。

この順番が重要である。

人は、説教だけでは動かない。

でも、気持ちいい音に乗って入ってきたメッセージは、身体の中に残る。

「XS」は、その意味で非常にポップで、非常に政治的な曲である。

5. この曲が好きな人におすすめの曲 5曲

『SAWAYAMA』の冒頭を飾る、ニューメタルとポップを激しく衝突させた楽曲である。「XS」が過剰消費をラグジュアリーに皮肉る曲だとすれば、「STFU!」は人種差別やマイクロアグレッションへの怒りをより直接的に爆発させる曲である。重いギターとRinaの鋭いボーカルが、ポップの枠を破るように鳴る。Rinaの攻撃的な側面を知るうえで欠かせない。

「XS」と同じく、『SAWAYAMA』期のRinaの批評性とポップ感覚がよく出た曲である。こちらは自己演出、ジェンダー、権力的な振る舞いを、クラブ寄りのビートとファッション的な言葉で描いている。「XS」のラグジュアリーな皮肉が好きなら、この曲のクールでアイロニカルな質感にも惹かれるはずだ。

消費社会的な強さ、自己演出、派手なポップ・サウンドを楽しみたい人におすすめしたい曲である。「XS」ほど明確な反資本主義的批評ではないが、光沢のあるプロダクションとキャラクターの強さ、言葉のフックの鋭さに共通する快楽がある。ポップが持つ見せびらかしの力を、攻撃的に楽しめる。

「XS」の2000年代ポップへの参照をたどるなら、必ず聴きたい名曲である。ストリングスの鋭いフック、セクシーで冷たいボーカル、危険なほど中毒性のあるサウンドは、「XS」のラグジュアリーで毒のある質感とよく響き合う。Rinaが愛した時代のポップの完成度を感じられる一曲だ。

N.E.R.D/The Neptunes的なギター・リフとR&Bポップの融合を知るうえで重要な曲である。「XS」にあるアコースティックなギターの切れ味や、2000年代初頭のセクシーで硬質なR&B感覚に近いものがある。Rinaが「XS」で再構築した時代のサウンドを、源流のひとつとして味わえる。

6. 欲望を最も美しい形で暴くポップ・アンセム

「XS」は、Rina Sawayamaの代表曲であると同時に、2020年代ポップの重要な到達点のひとつである。

その理由は、単に曲がキャッチーだからではない。

もちろん、曲は抜群にキャッチーだ。

サビは一度聴けば残る。

ボーカルのニュアンスは官能的で、プロダクションは豪華。

ギターが入る瞬間の衝撃も強い。

だが、この曲の本当のすごさは、ポップの快楽を使ってポップの欲望を批判しているところにある。

「XS」は、消費社会の外側から指を差す曲ではない。

むしろ、内側から歌う。

欲しい。

もっと欲しい。

もっと高級なものが欲しい。

もっと自分を満たしてくれる何かが欲しい。

その声は、私たちにとって他人事ではない。

どれだけ批判的な意識を持っていても、人は欲望から完全には自由になれない。

新しい服を欲しいと思う。

新しいガジェットが気になる。

SNSで見た生活に憧れる。

自分の価値を、持ち物や見た目や消費で測ってしまう。

「XS」は、その弱さを責めるだけではなく、音楽として体験させる。

そこが恐ろしいほど上手い。

曲を聴いている間、私たちは「もっと」を楽しんでしまう。

豪華な音を気持ちいいと思ってしまう。

サビを口ずさんでしまう。

その時点で、曲の中の欲望はすでに自分のものになっている。

これは、非常に巧妙な風刺である。

風刺は、対象を笑うだけでは弱い。

本当に鋭い風刺は、笑っている自分もその対象の一部だと気づかせる。

「XS」はまさにそれだ。

Rinaは、資本主義を外から眺めているのではない。

自分も、リスナーも、その中にいることを知っている。

だからこの曲は、単純な道徳ではなく、もっと複雑な快楽と罪悪感の曲になる。

また、この曲の「過剰さ」は、Rina Sawayama自身の音楽的アイデンティティとも関係している。

『SAWAYAMA』というアルバムは、ジャンルをきれいに整理しない。

ポップ、R&B、ニューメタル、ロック、クラブ・ミュージック、バラード。

それらが大胆に切り替わり、衝突する。

「XS」は、その過剰なミックスを最も洗練された形で示している。

通常なら、ニューメタルのギターと2000年代R&Bの艶やかさは衝突しすぎるかもしれない。

しかしRinaは、その衝突を曲のテーマにしてしまう。

欲望は滑らかである。

でも、暴力的でもある。

消費は楽しい。

でも、破壊的でもある。

だから音も、滑らかで暴力的でなければならない。

「XS」のサウンドは、その思想を正確に鳴らしている。

ストリングスが高級感を演出する。

ビートが身体を揺らす。

ボーカルが甘く誘う。

そこへギターが刃物のように割って入る。

その瞬間、曲の表面が裂ける。

美しいものの裏にある暴力が見える。

この構造は、消費社会そのものに似ている。

私たちは美しいパッケージを見る。

清潔な広告を見る。

魅力的な商品写真を見る。

でも、その裏側には、資源の採掘、労働の搾取、廃棄物、環境負荷がある。

「XS」は、その裏側を説教ではなく音で感じさせる。

そして、だからこそ曲は何度も聴ける。

メッセージ性が強い曲は、時に一度理解すると終わってしまうことがある。

だが「XS」は違う。

意味を知っても、なお快楽が残る。

むしろ、意味を知るほど、その快楽が複雑になる。

気持ちいい。

でも怖い。

楽しい。

でも刺さる。

踊れる。

でも笑えない。

この多層性が、曲の寿命を長くしている。

「XS」は、2020年という時代にもよく合っていた。

気候危機、格差、SNSで増幅される消費欲、ブランド化される自己表現。

そして、世界が不安定であるほど、私たちは何かを買うことで一時的に安心しようとする。

Rinaは、その現代的な矛盾を、2000年代風ポップのフォーマットに閉じ込めた。

この選択が素晴らしい。

なぜなら、2000年代のポップは、消費の夢を最も美しく見せていた時代のひとつだからだ。

豪華なミュージック・ビデオ。

ブランド志向。

セレブ文化。

メイク、ファッション、車、クラブ、テレビ。

その全部が、ポップのきらめきとして流通していた。

Rinaはその美学を愛しながら、同時に解剖している。

だから「XS」は、懐かしさだけでは終わらない。

ノスタルジーを使って、現代の病を映し出す。

ここにRina Sawayamaの知性がある。

ポップを下に見ていない。

ポップが持つ力を信じている。

だからこそ、重いテーマをポップに託す。

「XS」は、消費主義批判の論文ではない。

しかし、論文よりも広く、速く、深く届く。

なぜなら、サビがあるからだ。

ビートがあるからだ。

身体が反応するからだ。

この曲を聴くと、ポップ・ミュージックは軽いものではないと感じる。

むしろ、軽く見えるからこそ重いテーマを運べる。

甘いメロディに毒を混ぜる。

豪華な音で空虚を描く。

踊れる曲で、沈みゆく世界を笑う。

それが「XS」の美学である。

最後に残るのは、「もっと」という言葉の怖さだ。

もっと欲しい。

もっと持ちたい。

もっと見せたい。

もっと認められたい。

この欲望は、現代の生活に深く入り込んでいる。

Rina Sawayamaは、それを否定するだけではない。

まず、その魅力を完璧に再現する。

そして、その魅力の中にある空洞を見せる。

だから「XS」は、美しい。

そして、危険だ。

この曲は、消費社会を批判しながら、その消費社会が作り出した最も中毒性のあるポップの形をしている。

まるで、金色に輝く毒のグラスである。

見た目は豪華で、手に取りたくなる。

でも、その中身は甘いだけではない。

「XS」は、過剰の時代に鳴る、完璧すぎるポップ・アンセムである。

欲望の音は、こんなにも気持ちいい。

だからこそ、こんなにも恐ろしい。

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