
1. 歌詞の概要
Olivia Newton-JohnのXanaduは、現実の外側にある理想郷へ向かう、光に満ちたディスコ・ポップである。
タイトルのXanaduは、幻想的で豪華な楽園、理想郷を意味する言葉として使われる。
もともとはクビライ・カンの夏の都、上都に由来し、Samuel Taylor Coleridgeの詩Kubla Khanによって西洋文学の中で夢の宮殿のようなイメージを持つようになった。Merriam-WebsterもXanaduを、理想的で異国的、豪華な場所という意味で説明している。(Merriam-Webster)
この曲で歌われるXanaduは、単なる場所ではない。
誰もあえて行かなかった場所。
ふたりが知ることになった愛。
光が踊る世界。
夢が現実になる場所。
そして、音楽とダンスによって作られる永遠の楽園。
歌詞の中では、目を開けば自分たちが作ったものが現実になっている、と歌われる。歌詞掲載ページにも、誰も踏み込まなかった場所、そこで知った愛、それがXanaduと呼ばれる、という冒頭部分が掲載されている。(ReadDork)
この曲の感情は、とてもまっすぐだ。
暗闇から抜け出す。
夢を見る。
愛と音楽によって、新しい世界を作る。
そして、その世界にいることを高らかに宣言する。
Xanaduは、現実逃避の歌のようにも聞こえる。
しかし、それだけではない。
ここで大切なのは、夢がただ与えられるものではなく、自分たちで作ったものとして歌われている点である。
Xanaduは、どこか遠くに最初から存在する天国ではない。
愛と想像力とダンスと音楽によって、目の前に作り出される場所なのだ。
だからこの曲は、幻想的でありながら、どこか能動的である。
夢を見ろ。
その夢を現実にしろ。
光の中へ入れ。
そこがXanaduだ。
Oliviaの声は、そのメッセージを透明に響かせる。
彼女の歌声には、強引な押しつけがない。
やわらかく、明るく、少し天上から降ってくるような質感がある。
そこにElectric Light Orchestra、つまりELOの分厚いコーラスときらびやかなサウンドが加わることで、曲は地上のポップソングでありながら、まるでミラーボールの中の神話のように輝く。
Xanaduは、80年代の入口で鳴った、ネオン色の楽園賛歌である。
2. 歌詞のバックグラウンド
Xanaduは、1980年公開のミュージカル映画Xanaduの主題歌である。楽曲はElectric Light OrchestraのJeff Lynneが作詞作曲し、Olivia Newton-Johnがリード・ヴォーカルを担当、ELOが演奏とバッキング・ヴォーカルを担った。シングルは1980年6月にリリースされ、映画のサウンドトラックにも収録された。(Wikipedia)
サウンドトラック・アルバムXanaduは、Olivia Newton-JohnとElectric Light Orchestraによる作品として1980年にリリースされた。オリジナルLPでは片面にOliviaの楽曲、もう片面にELOの楽曲が収められ、映画は批評的・興行的に苦戦した一方で、サウンドトラックは大きな成功を収めた。(Wikipedia)
この映画Xanaduは、かなり不思議な作品である。
ギリシャ神話のミューズ、ローラースケート、1940年代ミュージカルへのオマージュ、ディスコ、ロック、アニメーション、Gene Kelly、Olivia Newton-John。
そのすべてが混ざり合っている。
映画としては当時酷評されたことで知られる。
しかし、音楽は別だった。
Magic、Suddenly、All Over the World、I’m Alive、そしてXanadu。
サウンドトラックは、映画本編の混沌を超えて、80年代ポップの輝きとして長く残った。
特にXanaduは、OliviaとELOの魅力が美しく噛み合った曲である。
Oliviaは1978年のGreaseで世界的な映画・音楽スターとしての地位を決定づけていた。
Greaseでは、純真なSandyから黒いレザーのSandyへ変身するイメージが強烈だった。
その後、1981年にはPhysicalでさらに大胆なポップ・アイコンへ進んでいく。
Xanaduは、その中間にある。
Greaseのレトロな50年代感から、Physicalの80年代的な身体性へ移る途中で、彼女は一度、幻想的なネオンの楽園へ入った。
それがXanaduである。
一方、ELOにとってもこの曲は重要だ。
XanaduはELOにとって唯一の全英1位シングルとなった曲として知られている。曲は複数のヨーロッパ諸国で1位を獲得し、UKでは1980年7月に2週連続で1位を記録した。(Wikipedia)
Jeff Lynneのソングライティングは、ここで非常にポップに開かれている。
ELOの持ち味であるストリングス感、ビートルズ以後のメロディ感覚、分厚いコーラス、SF的なきらめき。
それらが、Oliviaの透明な歌声と合わさる。
その結果、Xanaduは、映画の主題歌でありながら、映画を離れても成立する強いポップソングになった。
3. 歌詞の抜粋と和訳
以下は、権利を侵害しない範囲での短い抜粋である。歌詞全文は公式配信サービスや歌詞掲載サイトで確認できる。(ReadDork)
A place where nobody dared to go
The love that we came to know
和訳すると、次のような意味になる。
誰もあえて行こうとしなかった場所
私たちが知ることになった愛
この冒頭は、Xanaduという曲の入り口として完璧である。
誰も行かなかった場所。
それは危険な場所かもしれない。
未開の場所かもしれない。
あるいは、ただ誰も信じなかった夢の場所かもしれない。
そこに、愛がある。
この愛は、個人的な恋愛であると同時に、創造のエネルギーでもある。
ふたりが何かを作り、そこへ到達する。
誰も信じなかった世界を、愛によって現実にする。
Xanaduの歌詞は、恋愛、芸術、夢、場所のイメージをひとつに重ねている。
だからこの曲は、単なるラブソングではない。
理想郷を作る歌なのだ。
歌詞引用元: ReadDork掲載歌詞情報
権利表記: 歌詞はJeff Lynneおよび各権利者に帰属する。引用は短い抜粋にとどめている。(ReadDork)
4. 歌詞の考察
Xanaduの歌詞は、とてもシンプルに聞こえる。
しかし、そのシンプルさの中には、いくつかの層がある。
まず、これは理想郷の歌である。
Xanaduという言葉自体が、すでに幻想の地名として機能している。
Samuel Taylor ColeridgeのKubla Khan以降、Xanaduは現実の都市名から離れ、豪華で夢のような場所を指す言葉になった。(Merriam-Webster)
その言葉を、1980年のディスコ・ポップ映画の主題歌に持ってくるところが面白い。
古い詩の幻想。
中国・モンゴル史に由来する地名。
ハリウッドのミュージカル。
ローラースケート。
ネオン。
ELOの未来的なポップ・サウンド。
それらが全部、Xanaduという一語に集まっている。
つまりこの曲のXanaduは、過去と未来が混ざった場所である。
古代的で、神話的。
同時に、80年代的で、ネオンに照らされている。
宮殿のようでもあり、ディスコのようでもある。
夢のようでもあり、商業的なポップ・ファンタジーでもある。
この混ざり方が、曲の魅力だ。
歌詞では、目を開ければ自分たちが作ったものが現実だと歌われる。
これはとても重要である。
夢は、眠って見るものではない。
目を開けて見るものになる。
つまり、Xanaduは夢と現実の境界を溶かす曲なのだ。
普通なら、夢は目を閉じたときに見るものだ。
現実は目を開けたときに戻ってくるものだ。
しかしXanaduでは逆である。
目を開ける。
すると、夢が現実になっている。
この反転が美しい。
映画の文脈で言えば、Xanaduとは芸術の殿堂、音楽とダンスの場所である。
夢のクラブを作ること。
古い時代と新しい時代を結びつけること。
ミューズの力によって、創造を実現すること。
そのテーマが、曲の歌詞にも流れている。
ただ愛するだけではない。
ただ夢見るだけではない。
愛によって、音楽によって、場所を作る。
だからXanaduは、クリエイションの歌としても読める。
アーティストが曲を作る。
ダンサーがステージを作る。
映画が幻想を作る。
リスナーがその世界に入る。
このすべてが、Xanaduという言葉に包まれている。
サウンドも、その幻想を強く支えている。
ELOの演奏は、きらびやかで、推進力がある。
ディスコ的なビートが身体を前に押し、ストリングス感のあるアレンジが曲に大きな広がりを与える。
コーラスは分厚く、空へ上がっていくようだ。
そこにOlivia Newton-Johnの声が乗る。
彼女の声は、強烈に主張するというより、光を反射する水面のように響く。
透明で、なめらかで、親しみやすい。
だからこそ、Xanaduという大げさな理想郷の歌が、押しつけがましくならない。
彼女は楽園を命令しない。
招待する。
ここにOliviaの魅力がある。
彼女の歌声は、リスナーに対して優しい。
大きな夢を歌っても、その夢が威圧的にならない。
聴き手が自然に光の中へ歩いていける。
Xanaduのサビは、その招待が最も強くなる場所である。
曲名が繰り返されるたびに、Xanaduはただの場所から呪文になる。
言葉の意味より、響きそのものが光を放つ。
ザナドゥ。
その音には、少し異国的で、少し未来的で、少し甘い響きがある。
曲はその響きを何度も繰り返し、リスナーを現実の外側へ連れていく。
5. この曲が好きな人におすすめの曲 5曲
- Magic by Olivia Newton-John
Xanaduのサウンドトラックから生まれたもうひとつの代表曲である。Magicはアメリカで大ヒットし、サウンドトラックの成功を支えた楽曲として知られている。(Wikipedia)
Xanaduが理想郷の完成を祝う曲なら、Magicはその場所へ向かう前に必要な信じる力を歌う曲である。
よりミステリアスで、少し夜の空気があり、Oliviaの柔らかな歌声がよく映える。
- I’m Alive by Electric Light Orchestra
映画Xanaduのサウンドトラックに収録されたELOの楽曲である。
Xanaduと同じくJeff Lynneのポップセンスが光る曲で、明るく跳ねるリズムとコーラスが魅力だ。
Oliviaの声がないぶん、ELOらしい宇宙的なポップ感が前面に出る。
Xanaduのきらめきのもう片方、つまりELO側のサウンドを深く味わえる。
- All Over the World by Electric Light Orchestra
こちらもXanaduサウンドトラックのELO曲であり、世界中へ広がっていく祝祭感がある。
Xanaduの理想郷感が好きなら、All Over the Worldのグローバルなダンス感もよく合う。
映画の混沌とした楽しさを、最も軽快に鳴らしている曲のひとつである。
- Hopelessly Devoted to You by Olivia Newton-John
Greaseからの名バラードで、Oliviaの声の透明感と切なさを味わうには欠かせない曲である。
Xanaduが光の理想郷なら、Hopelessly Devoted to Youはひとりの恋心を静かに見つめる曲だ。
どちらも映画音楽として生まれ、Oliviaのキャリアに欠かせない存在になっている。
- Don’t Bring Me Down by Electric Light Orchestra
ELOのポップ・ロック的な力強さを聴きたいなら、この曲がよく合う。
Xanaduのような幻想性は薄いが、Jeff Lynneらしいフックの強さと、分厚いサウンドの快感がある。
XanaduでELOのサウンドに惹かれた人が、バンド本体へ入る入口として聴きやすい。
6. ネオンの理想郷としてのXanadu
Xanaduは、完璧な曲ではないかもしれない。
むしろ、少し過剰で、少し甘く、少し時代の匂いが強い。
しかし、その過剰さこそが魅力である。
この曲は、現実の厳しさを静かに見つめる曲ではない。
心の痛みを小さく歌う曲でもない。
もっと堂々と、夢を現実に変えると歌う曲である。
その姿勢は、今聴くと少し照れくさい。
でも、その照れくささを越えたところに、Xanaduの輝きがある。
1980年という時代を考えると、この曲は70年代ディスコの余韻と、80年代ポップの入り口に立っている。
ディスコのビート。
ロックのアレンジ。
ミュージカルの高揚。
映画音楽のスケール。
そして、ネオンとローラースケートのファンタジー。
それらが一曲の中で回転している。
Xanaduは、まるでミラーボールの光を浴びた神話である。
古代のミューズが、ディスコの床へ降りてくる。
詩の中の理想郷が、ローラースケート場の照明に変わる。
Jeff Lynneのポップ職人技が、Olivia Newton-Johnの声を通して、夢の入口を開く。
この組み合わせは、普通に考えるとかなり奇妙だ。
しかし、その奇妙さがXanaduの個性である。
映画Xanaduは、当時は酷評された。
だが、時代が経つにつれて、そのカルト的な魅力や音楽の強さは再評価されてきた。2007年にはブロードウェイ・ミュージカル版も上演され、映画とは異なる形で作品が舞台へ広がっていった。(Wikipedia)
この流れを見ると、Xanaduという作品は、失敗作としてだけでは片づけられない。
たしかに映画は混乱していた。
でも、そこには夢への執着があった。
ジャンルを混ぜ、時代を混ぜ、神話とポップを混ぜ、何か新しい楽園を作ろうとしていた。
曲Xanaduは、その夢の部分だけを最も美しく抽出したものだ。
歌詞の中で、誰も行かなかった場所へ行くという言葉がある。
これは映画そのものにも重なる。
誰も成功すると確信できなかった混合物。
クラシック・ミュージカルとディスコ。
Gene KellyとELO。
ギリシャ神話とローラースケート。
その無謀さが、結果的に忘れがたいものになった。
Xanaduという曲は、その無謀な夢を信じている。
現実には不格好でもいい。
批評家に笑われてもいい。
それでも、音楽が鳴り、光が踊り、誰かがその場所を夢見るなら、そこはXanaduになりうる。
この考え方は、とてもポップだ。
ポップ・ミュージックは、時に現実を正確に描くよりも、現実にない場所を作る。
3分半の間だけ、聴き手を別の世界へ連れていく。
その世界が少し人工的でも、少し安っぽくても、そこで本当に心が動けば、それは本物になる。
Xanaduは、まさにそのタイプの曲である。
人工的な光。
作られた楽園。
映画の中の幻想。
でも、歌われた瞬間には本当に輝く。
Olivia Newton-Johnの声は、その人工の夢に人間的な温度を与える。
彼女が歌うことで、Xanaduは冷たいセットではなく、招かれる場所になる。
ELOのサウンドがどれほど華やかでも、彼女の声があるから曲は親しみやすい。
この親しみやすさが、Oliviaの特別な才能だった。
彼女は、カントリー、ソフトロック、ミュージカル、ディスコ、ポップを横断しながら、いつも声の中心に柔らかさを残した。
Xanaduでも、その柔らかさが曲の大きな幻想を支えている。
もしこの曲をもっと強いディーヴァ型の歌手が歌っていたら、別の迫力が出たかもしれない。
しかし、Oliviaの声だからこそ、Xanaduは夢の扉のように開く。
高らかだが、優しい。
華やかだが、透明。
幻想的だが、耳に近い。
そのバランスが素晴らしい。
Xanaduは、80年代ポップのきらびやかな入口に立つ曲である。
同時に、映画音楽としてのロマン、ELOのポップ職人技、Olivia Newton-Johnの歌声の魅力が一つになった曲でもある。
そして何より、これは夢を現実にすると歌う曲である。
夢は嘘ではない。
作られたものでも、本当に感じられるなら現実になる。
目を開けて、それを見ればいい。
Xanaduは、そのように歌う。
今聴くと、少し眩しすぎるかもしれない。
少しネオンが強すぎるかもしれない。
でも、その眩しさの中に、ポップ・ミュージックの根本的な力がある。
現実にはない場所を作る。
その場所に名前をつける。
そして、みんなでそこへ行く。
その場所の名前が、Xanaduなのだ。

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