発売日: 1989年6月6日
ジャンル: シンガーソングライター、ポリティカルロック、フォークロック
概要
『World in Motion』は、ジャクソン・ブラウンが1989年に発表した9作目のスタジオアルバムであり、
社会的、政治的メッセージをより強く押し出した第二期ブラウンの流れを決定づけた作品である。
前作『Lives in the Balance』でアメリカ政府批判を明確に打ち出したブラウンは、
本作ではさらに一歩踏み込み、核問題、人権問題、社会的不正義、戦争責任といったテーマを、
直接的かつ重いトーンで描写している。
音楽的には、フォーク/ロックをベースにしながら、
R&B、ゴスペル、カリビアン風味の要素も織り交ぜ、
より多様なサウンドスケープを形成。
しかし、政治性の強さゆえか、商業的成功は限定的にとどまり、
批評家からも賛否が分かれる結果となった。
冷戦末期という歴史的転換点を迎えた1989年、
『World in Motion』は、
世界の変動とそこに生きる個人の葛藤を、
あくまでも誠実にすくい取ろうとした、勇敢な試みなのである。
全曲レビュー
1. World in Motion
アルバムのタイトル曲にしてオープニング。
世界の不公正と変動を憂う、静かだが力強いプロテストソング。
ミッドテンポのリズムと重層的なコーラスが印象的。
2. Enough of the Night
個人的な愛と政治的な世界の狭間で揺れる感情を歌ったバラード。
静かな夜に響く孤独と希望が、繊細に描かれている。
3. Chasing You Into the Light
比較的ポップで親しみやすいラブソング。
個人レベルでの救済と愛を求める心情が温かく表現されている。
4. How Long
南アフリカのアパルトヘイトを背景に、人種差別への怒りを込めたレゲエ調の曲。
政治的メッセージをリズミカルに昇華している。
5. Anything Can Happen
人生の予測不能性と希望を歌ったアップテンポなナンバー。
重いテーマの中に差し込まれる軽やかな空気が心地よい。
6. When the Stone Begins to Turn
ワールドミュージックの影響を感じさせる、リズミカルな社会派ナンバー。
変革への希望を歌いながらも、現実の厳しさを忘れない。
7. The Word Justice
正義という概念の空洞化をテーマにした、鋭いリリックが光るナンバー。
メロディは軽やかだが、歌詞は重く深い。
8. My Personal Revenge
歌詞はチリの詩人兼シンガーソングライター、ルイス・エンリケス・メホイによるもの。
個人の復讐心と正義感を、静かな怒りを込めて歌う。
9. I Am a Patriot
リトル・スティーヴィー・ヴァン・ザント作のカバー。
愛国心とは盲目的服従ではなく、自由と正義への忠誠であることを高らかに謳い上げる。
10. Lights and Virtues
アルバムを締めくくる静かな祈りのバラード。
光と徳――失われかけたものへの切実な憧れを静かに歌い上げる。
総評
『World in Motion』は、ジャクソン・ブラウンが
“社会と個人の関係性”をこれまでになく真剣に、
そして妥協なく見つめたアルバムである。
確かに、あまりにメッセージ色が強いために、
純粋なポップアルバムとしての聴きやすさは薄れている。
だが、それを補って余りあるほどの誠実さと覚悟が、
この作品には宿っている。
愛、正義、平和――
それらを抽象的な理想ではなく、
生々しい現実の中で、どう手繰り寄せるのか。
ブラウンは、安易な答えを提示するのではなく、
“問いを問いのまま差し出す”ことで、
リスナー自身に考えることを促している。
『World in Motion』は、
「音楽は世界を変えられるか?」という問いに対する、
ひとつの静かな、しかし決してあきらめない答えなのである。
おすすめアルバム
- Jackson Browne / Lives in the Balance
本作に先駆けて社会的テーマを強く押し出した、前作。 - Peter Gabriel / So
社会問題を内包しながら、洗練されたポップに昇華した傑作。 - U2 / The Joshua Tree
アメリカの光と影を壮大なスケールで描いた、社会派ロックの金字塔。 - Bruce Cockburn / Stealing Fire
グローバルな社会問題に鋭く切り込んだカナダ出身のシンガーソングライター作。 - Tracy Chapman / Crossroads
個人的な視点と社会的視点を織り交ぜた、静かで強いメッセージアルバム。
歌詞の深読みと文化的背景
『World in Motion』は、
冷戦末期――ベルリンの壁崩壊直前、
南アフリカのアパルトヘイト体制崩壊への胎動、
中南米における独裁政権への批判高まり――
そんな世界の転換点を背景に生まれた。
「World in Motion」で描かれるのは、
国際政治の混沌と、それに振り回される名もなき個人たち。
「How Long」では、
人種差別の構造的な根深さに対する怒りが、
「I Am a Patriot」では、
“本当の愛国心”とは何かという問いが投げかけられる。
ブラウンは、アメリカ的理想を盲信するのではなく、
その理想が裏切られる現実を見つめながら、
それでもなお希望を捨てない。
『World in Motion』は、
“変化を信じる者たちのためのアルバム”なのである。
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