発売日: 2013年1月2日
ジャンル: ローファイ、インディーロック、ベッドルーム・ポップ、エモ
概要
『Wild Heart』は、アメリカ・ネバダ州出身のアーティスト**ニック・ラスプーリ（Nick Rattigan）**によるソロ・プロジェクト、
Current Joysが2013年にBandcampで発表した実質的なデビュー・アルバムであり、
壊れそうな感情とローファイな宅録音像が一体となった、Z世代的“孤独の叙情詩”として高く評価された作品である。
当初は“TELEVISION”という別名義で一部楽曲が出回っていたが、後にCurrent Joys名義に統一されることで、
**「自己の痛みと美しさを、あくまで非演技的な語りで共有する」**というスタイルが確立していく。
本作は、録音環境・演奏・ボーカルすべてにおいて極度にDIY的かつローファイであるが、
その不完全さこそが、感情の輪郭をむしろはっきりと浮かび上がらせている。
歪んだギター、音割れしたドラム、囁くようなボーカル――それらは心の混乱と同じノイズを持って鳴る。
アルバム全体に漂うのは、若者らしい過剰な感情と、それを語ることすらどこか照れ臭そうな距離感。
Current Joysはこの作品で、孤独、不安、衝動、そして希望の予感を、
すべて“ベッドルームから漏れる音”のように鳴らし始めたのだった。
全曲レビュー
1. My Blueberry Life
イントロのギターから既に、壊れかけのカセットテープのような懐かしさと傷が滲む。
“ブルーベリーのような人生”というタイトルは、どこか無邪気で哀しい比喩。
脆いボーカルが、遠くの誰かへ向けた手紙のように響く。
2. Home
このアルバムの最も人気のある楽曲のひとつ。
たった一本のギターと声だけで、“家”という概念に潜む孤独と安心が交錯する。
ティーンエイジャーが感じる帰属欲求と断絶がストレートに表現されている。
3. My Spotless Mind
映画『エターナル・サンシャイン』への言及が想起されるタイトル。
過去を“消す”ことへの願望と、その不可能性への苦しみを、ローファイな音像の揺れで描く。
4. The Unbearable Lightness of Being
ミラン・クンデラの小説からの引用。
“存在の耐えられない軽さ”を音楽的に体現するかのような、淡く、けれど深い痛みの漂う一曲。
5. New Flesh
激しいフィードバックとリズムの歪みが、感情の爆発と身体性への回帰を示す。
タイトルの“新しい肉体”は、過去を捨て、新たな自分に変わることの苦しさと期待を含んでいる。
6. Let Me Be
繰り返されるフレーズと簡素な構成。
“そっとしておいて”という言葉の裏にある、本当は触れてほしいという逆説的な欲求が滲む。
7. Wild Heart
表題曲にして、本作の核心をなす存在。
乾いたギターと簡素なメロディの中に、“制御できない心”＝野生的な衝動が宿っている。
まるで日記をそのまま歌にしたような、赤裸々さと儚さを持った名曲。
8. Life is Beautiful
皮肉か、本心か――。
タイトルの裏にあるのは、“それでも人生は美しい”と言いたいが言い切れない矛盾した気持ち。
ノイズ交じりの音とブレるリズムが、それを物語っている。
9. Kids
アルバムの中でも最も“外へ向けた”視線を感じさせる。
仲間、友情、失われていく時間への郷愁。どこかWavvesやSmith Westerns的な若者感覚が垣間見える。
10. Little Lies
Fleetwood Macの同名曲とは異なり、自分自身の中にある小さな嘘との対峙がテーマ。
静かな語りのようなボーカルと、夜明け前のようなメロディが印象的。
総評
『Wild Heart』は、極限までパーソナルで、むき出しの感情を記録したローファイ日記のようなアルバムである。
商業的完成度や演奏の技術よりも、
“本物の痛み”と“言葉にできない感情の輪郭”をどう音で残すかという一点に集中して作られている。
Current Joys＝ニック・ラスプーリの音楽は、この時点で既に明確な美学＝傷と音の同居を持っていた。
そしてそれがリスナーの心に刺さるのは、彼の音楽が決して“誰かに見せるためのもの”ではなく、
ただただ“ある夜、自分のために録音された音”だからなのだ。
『Wild Heart』は、自室の薄明かり、鳴り止まない頭の中、深夜のノートのような作品である。
その不完全な美しさに、多くのリスナーが“自分の心”を重ねたのだろう。
おすすめアルバム（5枚）
- Elliott Smith – Either/Or (1997)
内省と静かな衝動、ローファイとメロディの絶妙な融合。Current Joysの原点的存在。 - Alex G – DSU (2014)
自宅録音と文学的感性の合流点。“孤独な若者の音楽”として近い空気を共有。 - Car Seat Headrest – Twin Fantasy (2011)
DIYの極北で書かれたエモとローファイの名作。感情の奔流が共鳴する。 - Youth Lagoon – The Year of Hibernation (2011)
夢と記憶、成長と痛みをローファイで包んだ逸品。ノスタルジアの美しさが通底。 -
Grouper – Dragging a Dead Deer Up a Hill (2008)
よりアンビエント／内的だが、個の深部と向き合う姿勢に共通点。
歌詞の深読みと文化的背景
『Wild Heart』に収められた歌詞は、ほとんどが日記的で直接的な表現ながら、
その中に孤独、自己否定、変容、そして微かな希望が見え隠れする。
“Home”や“Let Me Be”のような曲では、誰かに近づきたいのに遠ざかってしまう感覚が描かれ、
“Wild Heart”や“New Flesh”では、抑えきれない衝動や変身願望＝心の野生性が綴られている。
特に注目すべきは、その感情の“ブレ”を美学として許容している点であり、
それはまさにZ世代以降の自己呈示の曖昧さと誠実さの同居を象徴している。
このアルバムは、整っていないことこそが真実であり、
痛みや不安を“完成された形”にせずとも、音にすることが意味を持つ時代の、ひとつの答えなのかもしれない。
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