1. 歌詞の概要
「Touch and Go(タッチ・アンド・ゴー)」は、The Carsが1980年に発表した3作目のアルバム『Panorama』に収録された楽曲であり、同年に先行シングルとしてもリリースされた。
タイトルの「Touch and Go」は、“接触しては離れる”という意味を持ち、恋愛や人間関係の曖昧で不安定なダイナミズムを象徴している。
この曲では、語り手がある女性との距離を測りながら、彼女の不可解さや魅力、そして2人の間にある決して埋まらない隔たりを描いている。
感情が爆発することもなく、むしろその“すれ違い”そのものを冷静に観察しているような歌詞は、The Carsの持つ“都会的距離感”と“感情の薄膜”の美学を凝縮したような内容となっている。
“彼女はそこにいる。でもつかめない。”
その揺らぎが、この曲全体に不思議な緊張感と美しさを与えている。
2. 歌詞のバックグラウンド
『Panorama』は、The Carsにとってより実験的なアプローチが顕著になった作品であり、それまでのシンプルなニューウェイヴ・パワーポップから一歩踏み出し、冷たく構築的なサウンドが前面に押し出されたアルバムである。
「Touch and Go」はこのアルバムからのリード・シングルとしてリリースされたが、その不規則なリズムや拍子の変化、緻密に設計された構成は、当時の主流ポップソングとは一線を画していた。
とくにこの楽曲では、ヴァース部分が5/4拍子、コーラスが4/4拍子という珍しい構造を持ち、聴く者に自然な違和感と不安定な感触を与える。
リック・オケイセックの無機質で飄々としたボーカルも、この“不完全で宙づりの関係”を語るにはぴったりであり、まるで“答えの出ない会話”を延々と繰り返しているような印象すら与える。
3. 歌詞の抜粋と和訳
引用元:Genius Lyrics – The Cars “Touch and Go”
All I need is what you’ve got / All I’ll tell is what you’re not
僕が必要なのは君の持ってるもの
でも僕が言うのは 君にないもののことばかり
All you know is what you hear / I get this way when you come near
君の知ってることは 誰かの言葉ばかり
君が近づくと 僕はこんなふうになってしまうんだ
I know it’s gone / I know it’s gone
もう終わってるってことはわかってる
でもそれでも
Touch and go / Touch and go
触れては離れて
触れては離れていく
4. 歌詞の考察
この曲の歌詞には、語り手の“見えているのに手に入らない”感覚が繰り返し現れる。
愛のようでいて、愛ではない。
関係があるようでいて、どこまでも他人のまま。
その奇妙な距離感が、“Touch and Go”というタイトルに集約されている。
「All I need is what you’ve got(君の持ってるものが欲しい)」という素直な告白がある一方で、「All I’ll tell is what you’re not(でも口にするのは君にないものばかり)」という矛盾に満ちた視線も提示される。
この構造が、関係の曖昧さと語り手自身の混乱を見事に表している。
そして、何よりこの曲の特徴は“断定しない”ところにある。
「I know it’s gone(もう終わった)」と言いつつも、なぜかまだ手を伸ばしているような未練と葛藤。
それは言葉にしきれない感情のもつれであり、リック・オケイセックが生涯をかけて描き続けた、“愛することの不確かさ”そのものだ。
加えて、この曲の拍子構成がもたらす“落ち着かなさ”が、まさに歌詞の内容と同調している。
通常のポップソングのようにスムーズに進まないリズムは、恋愛における“リズムのずれ”そのもののようであり、言葉と音が見事に一致した楽曲と言える。
5. この曲が好きな人におすすめの曲
- Heroes by David Bowie
一瞬だけ重なり合う存在の切なさを描いたバラード。「触れては離れる」感覚が共鳴する。 - This Woman’s Work by Kate Bush
手が届かない後悔と愛。音楽でしか描けない“間”の美しさがTouch and Goに通じる。 - In Between Days by The Cure
過ぎ去った関係の感傷を、軽やかなサウンドで包み込むニューウェイヴ・ポップの傑作。 - More Than This by Roxy Music
感情と抑制、幻想と現実が交錯する、都会的な距離感に満ちたラブソング。
6. “不完全な関係”の美学としてのポップソング
「Touch and Go」は、The Carsが描いた“曖昧な感情の輪郭”をそのまま音楽に落とし込んだような楽曲である。
はっきりと愛しているわけでもなく、憎んでいるわけでもない。
ただ、そこにいる誰かと“接触しては離れる”ことの繰り返し。
それはまるで、都会の雑踏で目が合って、次の瞬間にはもう見失ってしまうような出会いと別れの連続だ。
そしてその“不完全さ”こそが、The Carsというバンドのコアにある美学なのだ。
「Touch and Go」は、永遠の約束などない時代の中で、“関係の温度”をクールに、そして正確に捉えた稀有なポップソングである。
その音と言葉は、今なお、感情の揺れを抱えるすべての人の心に静かに寄り添ってくれる。
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