
1. 歌詞の概要
「The Smoke」は、The Smile(ザ・スマイル)が2022年に発表したデビュー・アルバム『A Light for Attracting Attention』に収録された2作目のシングルであり、Radioheadのフロントマンであるトム・ヨークとギタリストのジョニー・グリーンウッド、そしてジャズ・ドラマーのトム・スキナーによる新たなアートロック・ユニットとしての存在感を確固たるものにした楽曲である。
この曲の歌詞は、非常にミニマルでありながらも、象徴的で重層的な意味を内包する抽象的詩構造で構成されている。繰り返されるフレーズ、断片的な言葉、暗示的な映像描写が交差し、「The Smoke(煙)」という言葉は、欲望、腐敗、権力、そしてその不確かな輪郭を象徴する存在として機能している。
明確なストーリーラインは存在せず、むしろ都市の空気を漂う“煙”のように、語り手の感覚や内面世界が揺らぎの中で描かれる。現代の資本主義社会における自己喪失、同調圧力、選択肢の消失といったテーマが暗示されており、“静かなる抗議”としての美学が貫かれている。
2. 歌詞のバックグラウンド
「The Smoke」は、「You Will Never Work in Television Again」の鋭利な怒りの直後に発表されたこともあり、その静かで内向的なトーンとの対比が非常に印象的であった。
本作は、ベースラインを主軸に据えたファンク/ダブ的なアプローチが際立ち、リズムのうねりと空間性を活かしたアレンジによって、リスナーを“音の霧”に包み込むような感覚を演出している。
制作はRadiohead作品でもおなじみのナイジェル・ゴッドリッチが担当しており、シンプルな構成でありながらも、細部にわたって緻密にコントロールされたサウンドデザインが施されている。また、リリース時にはFour Tetによるリミックス版も公開され、よりダンサブルでクラブ・ミュージック的な側面が強調された形でも再解釈されている。
歌詞はトム・ヨークが一貫して描いてきた、都市生活への倦怠感、構造化された世界への違和感、情報過多の中でのアイデンティティの崩壊といったテーマを踏襲しつつ、ここではより静的で、抽象度の高い言葉によってそれを伝えている。
3. 歌詞の抜粋と和訳
The smoke
煙が漂う
このタイトルフレーズは曲中で繰り返される中心モチーフであり、“煙”という具体的なものが、実体を持たない構造、あるいは目に見えない支配の象徴として使われている。
Don’t mess with me
俺にちょっかい出すな
この言葉には、自己防衛的なトーンと、世界に対する閉塞的な態度が込められている。語り手は対抗するのではなく、静かに距離を取る。
For a second, I was not there
一瞬、そこに自分はいなかった
この一節は、自己喪失の瞬間、あるいは現実逃避の感覚を表しており、同時に都市生活における“自分の不在”を感じる瞬間としても読める。
We set ourselves on fire
僕らは自分たちで自分を燃やした
このラインは特に象徴的で、自滅的な社会、あるいは欲望によって崩壊する自己像を暗示している。「煙」と「火」はここでつながり、破壊と漂流のイメージが強まる。
※引用元:Genius – The Smoke
4. 歌詞の考察
「The Smoke」は、物語を語るのではなく、“都市という構造の中で溶けていく意識”を詩的に描いた作品である。
“煙”というモチーフは、その可視性と不定形性により、資本、権力、欲望、同調圧力、情報ノイズなど、形のない支配構造の象徴となっており、語り手はその中で迷い、時に自らも加担しながら、静かに焼かれていく。
“Don’t mess with me”という一見強気なセリフも、反抗というよりは自己の脆さを守るためのバリアに過ぎず、その裏にあるのは社会からの逃避と内省である。
また、“We set ourselves on fire”という告白的な一節には、世界が自ら崩壊へと向かっているという予感があり、同時に、それを止められない自己への痛みも感じられる。
全体としては、抵抗ではなく観察と諦念、そして沈黙の中に秘められた怒りが支配しており、それはトム・ヨークのソロ作やRadiohead後期にも共通する“崩壊する時代への抒情詩”という側面を色濃く受け継いでいる。
5. この曲が好きな人におすすめの曲
- Dawn Chorus by Thom Yorke
自己の消失と孤独を静かに語るポストモダンなエレクトロニック・バラード。 - Everything in Its Right Place by Radiohead
理性と狂気の境界線を揺らす、現代音楽的な電子ミニマル。 - Atoms for Peace by Thom Yorke
ポリリズムと不穏なメロディが交錯する中で、世界への疎外を描く。 - Motion Picture Soundtrack by Radiohead
退廃と美の間を揺れる、崩壊後のエレジー。 - No Gold by King Krule
沈んだ声とジャズ・コードが現代の都市生活の倦怠を音にする名曲。
6. 静かなる崩壊の音像――“煙”が語る都市のゆらぎ
「The Smoke」は、The Smileの持つロックの衝動とアートフォームのバランスを極限まで洗練させた楽曲であり、その静けさの中に燃え上がる“火”と“煙”は、現代を生きる者すべてにとっての象徴である。
この楽曲は怒鳴らない。叫ばない。だが、そこには静かに心を蝕む不安と、社会に対する皮肉が染みついている。逃げ場のない構造、燃え尽きていく感情、そして漂い続ける意識――それらが14行にも満たない歌詞の中に緻密に封じ込められている。
“煙”は見えない支配の比喩であると同時に、消えゆく自我のかたちでもある。
そしてこの曲は、その“形を持たない不安”を、美と抑制によって描いた、現代音楽の新たな到達点のひとつである。
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