The Morning Son by Beady Eye(2011)楽曲解説

1. 歌詞の概要

「The Morning Son(ザ・モーニング・サン)」は、Beady Eyeのデビュー・アルバム『Different Gear, Still Speeding』(2011年)のラストを飾る楽曲であり、その構成と雰囲気は、アルバム全体のエネルギーと対照的な“静けさ”と“終わりの余韻”に包まれている。

タイトルの「Morning Son」は、“朝の太陽”と“朝の息子”の二重の意味を内包しており、再生・回帰・希望・償いといった複雑なテーマを暗示している。
全体としては、非常にパーソナルで内省的なトーンを持ち、語り手が“何かを失ったあと”に残された静かな時間を過ごしているような印象を受ける。

歌詞は簡潔だが、その反復には祈りにも似た力が宿っており、Beady Eyeという新たなバンドとして歩き出したリアム・ギャラガーの“過去との決別と再生”が静かに刻まれているようにも感じられる。

2. 歌詞のバックグラウンド

『Different Gear, Still Speeding』は、Oasis解散後にリアム・ギャラガーを中心に結成されたBeady Eyeの初作として注目されたが、内容的にはOasisの延長線上というより、“リアム自身の再出発”という色合いが強い。

その中でも「The Morning Son」は、リアムの新しい声、静かな表現力を見せつけた重要な曲であり、彼の“ロックンロール的な強さ”とは異なる、“人間的な弱さ”と“再生の希望”が丁寧に描かれている。

また、この曲はOasis時代の「Champagne Supernova」や「Stop Crying Your Heart Out」といった壮大なスローナンバーとは異なり、音数の少ないミニマルなアレンジで、声と言葉の響きそのものに焦点が当てられている。

3. 歌詞の抜粋と和訳

引用元:Genius Lyrics – Beady Eye “The Morning Son”

My body is achin’ from laying in this bed
ベッドに寝転んだまま
体が痛み始めてる

I went searching for something / I should have left instead
俺は探しに行った
本当は置いていくべきものを

The morning sun / Is the only light
朝の太陽だけが
唯一の光だ

Can you tell me, is it right / To feel the way I do inside?
教えてくれよ
この心の痛みは 正しいことなのか?

4. 歌詞の考察

「The Morning Son」は、“目覚め”の歌であると同時に、“別れ”の歌でもある。
歌詞の冒頭にある「身体の痛み」や「探しに行ったもの」という描写には、後悔、疲弊、執着といった感情が垣間見え、語り手は明らかに“過去に傷を負った人物”として描かれている。

「朝の太陽だけが唯一の光」とは、すべてを失ったあとの“自然の回帰”を示唆しており、そこには人為や愛ではなく、ただ時が過ぎていくことによる癒ししか残っていない。
この描写は、Oasisという巨大な存在を失ったリアム・ギャラガー自身の心象風景とも重なる。

また、「Can you tell me, is it right / To feel the way I do inside?」という問いかけは、他者への救いの要求というよりも、自分の中で感情を確かめるような独白である。
この“外に開かれていない語り”が、曲全体に静けさと重みをもたらしており、それは“声高なロックンロール”とは真逆の、極めて個人的な表現となっている。

音楽的には、6分近い長尺の中で、構成の大半を静かなアルペジオと低く抑えたボーカルが支配し、終盤にかけてわずかに高まりを見せる。
その抑制の効いた展開は、“希望”というよりも、“静かな覚悟”を感じさせる。

5. この曲が好きな人におすすめの曲

  • Sailing On the Sea of Love by The Verve
    幻想的で内省的、感情の余白を残すバラード。Morning Sonの空気感に通じる。

  • I Am the Resurrection by The Stone Roses
    再生というテーマをスピリチュアルに描いた名曲。終盤の高まりが類似する。

  • Let There Be Love by Oasis
    兄ノエルとの最終期に生まれた、愛と再生の讃歌。Morning Sonの精神的継承ともいえる。

6. 静けさの中の“再生”と“問いかけ”

「The Morning Son」は、Beady Eyeという新しい船出の最後に置かれた、沈黙のような祈りである。
そこにあるのは叫びではなく、静かな問いかけと受容
何もかもを失ったあとに、朝の光の中で一人きりになる——それでも時間は進み、空は明けていく。
そんな時間の流れとともに、語り手は“生きるということ”を静かに受け入れ始める。

この曲でリアム・ギャラガーは、ロックスターではなく、ひとりの人間として語っている。
その声が低く、控えめであるほどに、彼が守ろうとしているものの“尊さ”が浮かび上がるのだ。

そして、太陽がまた昇るように、彼自身もまた、朝の息子(Morning Son)として、歩き出していく準備をしている
それはBeady Eyeというプロジェクトの予告編であると同時に、リアム・ギャラガーという人間の“変化”と“進化”の、最も誠実な証明なのである。

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