発売日: 2000年4月3日
ジャンル: ポストパンク、エレクトロクラッシュ、インディーロック、エクスペリメンタル
概要
『The Menace』は、Elasticaが2000年にリリースした2作目のスタジオ・アルバムであり、
前作『Elastica』から5年の沈黙を経て放たれた、“混沌と再生のサウンド・ダイアリー”である。
ブリットポップの興隆と崩壊を経験し、中心人物ジャスティン・フリッシュマンは精神的・身体的な不調を抱えながらも、
このアルバムでよりローファイかつ実験的、混沌としたポストパンクの原点回帰的サウンドを提示した。
制作は困難を極めた。メンバーチェンジやレコーディングの中断、過剰なプレッシャーなどに見舞われ、
一時は解散も噂されたが、結果として完成した本作は、“ポップの破片とノイズのコラージュ”のような異質な輝きを放っている。
ブリットポップ全盛期の洗練とカラフルなフックは影を潜め、
代わりに登場するのは、不安、破壊衝動、衝動的なユーモアとノイズに満ちた“生き残りの音”である。
全曲レビュー
1. Mad Dog God Dam
サンプリング的手法とエレクトロノイズが入り交じるオープニング。
“狂犬”というタイトル通り、制御不能な破壊性と脱構築的サウンドが衝撃的。
2. Generator
鋭く刻まれるギターとミニマルなドラムマシン。
“発電機”という言葉が、自己再生、または不安定なエネルギーのメタファーとして機能している。
3. How He Wrote Elastica Man
The Fallのカバーにして、Mark E. Smith本人も参加。
ポストパンクの祖との直接的交差点として、本作の美学を象徴する一曲。
4. Image Change
ポップなギターリフと不穏なリリックの対比。
“イメージチェンジ”とは、バンドの脱皮と女性像の再定義の暗示か。
5. Your Arse My Place
露悪的ユーモアと性の駆け引き。
アンダーグラウンド・クラブの香りが漂う、倒錯と挑発のパンク・エレクトロ。
6. Human
唯一、明確な“歌もの”として機能する内省的ナンバー。
人間性の回復、またはその不在を問うような、アルバム中の静かな異物。
7. Nothing Stays the Same
メランコリックなメロディとざらついた質感が共存する。
“すべては移ろう”というテーマは、ブリットポップ後の空虚と再出発の予感を示す。
8. Miami Nice
実験的なリズムと脱力系のヴォーカルが印象的な中編的楽曲。
皮肉と遊びの精神が込められた、アルバムの息抜きのような存在。
9. My Sex
官能と機械性の融合。
The Flying Lizardsのカバーであり、ジャスティンの声が無機質なエロスを演出する。
10. KB
シンプルなギターと反復するリズムに乗せて、感情が抜け落ちたような語り口が不気味に響く短編的ナンバー。
11. Da Da Da
ドイツのTrioによるミニマルポップのカバー。
意味のない反復が、意味過多な時代への逆説的抵抗のようにも聞こえる。
12. Operate
終盤に置かれた冷徹なインダストリアル・ロック。
“操作する”という言葉が、人間関係や社会への暴力的支配を暗示する。
13. The Way I Like It
アルバムを締めるシンプルなロックナンバー。
飾らない“私らしさ”を宣言するような、自己回帰のフィナーレ。
総評
『The Menace』は、Elasticaにとって“迷いと再構築”の記録であり、
ブリットポップの中心にいたバンドが、その終焉と自己の境界線を見つめ直した結果として生まれたアルバムである。
音楽的には、ノイジーでローファイ、ポストパンクの衝動に再接近した、より“生々しい”エラシカが描かれている。
そしてその選択は、商業的には大きな成功を収めなかったが、アートとしての誠実さと実験性を最大限に発揮したものであった。
『Elastica』がシャープで都会的な“ナイフ”だとすれば、
『The Menace』はもっと粗くて錆びた、けれども血の通った“工具”のようだ。
壊すためではなく、作り直すためのツールとしてのロックがここにはある。
おすすめアルバム
- The Fall / Hex Enduction Hour
ポストパンクの先駆者と美学を共有するルーツ的存在。 - Le Tigre / Feminist Sweepstakes
フェミニズム×ローファイ・エレクトロの現在形。 - Yeah Yeah Yeahs / Fever to Tell
暴力性と知性を併せ持った女性フロントのガレージパンク。 - Sleater-Kinney / The Woods
女性の怒りと創造が炸裂するポストパンク・アートロック。 -
LiLiPUT / LiLiPUT
実験精神と女性性のカルト的融合作。
歌詞の深読みと文化的背景
『The Menace』の歌詞は、自己崩壊と再構築、快楽と嫌悪、ジェンダーと身体性といったテーマが曖昧かつ衝動的に交錯する。
「Your Arse My Place」や「My Sex」では、性を消費や支配の言語ではなく“戯れ”として再定義しようとする姿勢が見られ、
「Nothing Stays the Same」では、過去への別れと未来への恐れが重なり合っている。
ブリットポップの“華やかさ”を背負ったElasticaが、
ここでは“脆さ”と“怒り”を露わにしながら、自分たち自身にしかできない形で“女性とノイズ”を記録した重要作なのである。
コメント