1. 歌詞の概要
「The Low Spark of High Heeled Boys(ザ・ロウ・スパーク・オブ・ハイ・ヒールド・ボーイズ)」は、Traffic(トラフィック)が1971年に発表した同名アルバムのタイトル曲であり、彼らのディスコグラフィの中でも最も象徴的かつ深遠な一曲である。全長12分以上に及ぶこの楽曲は、ジャズ、ロック、プログレッシブ、ファンク、ソウルが混然一体となったサウンドの旅路であり、また、カウンターカルチャーの終焉と商業主義の台頭に対するアイロニカルな黙示録でもある。
タイトルにある「Low Spark」とは、“目立たないが、内に秘めた爆発力のある火花”を意味し、「High Heeled Boys」は、華やかな外見と野心を持ちながらも、現実には抑圧されたり、社会に飲み込まれてしまう若者たちを指しているように読める。この楽曲は、理想と現実の間で葛藤し、失われていく純粋性へのレクイエムであり、同時に反骨と内省の詩でもある。
語り口は詩的かつ抽象的でありながら、各フレーズが示唆に富み、リスナーの想像力を刺激する。「君がルールを破ると、誰かが怒る/ルールを守っても、別の誰かが怒る」というリリックに代表されるように、この曲は社会における自己の在り方に対する懐疑と模索を描き出している。
2. 歌詞のバックグラウンド
この楽曲の作詞は、ボーカルとキーボードを担当するスティーヴ・ウィンウッドと、俳優であり詩人のマイケル・J・ポーリンによって共作された。アルバム制作中にポーリンがスタジオを訪れ、ウィンウッドとインスピレーションを共有しながらこの不思議なタイトルを生み出したとされている。「Low Spark」という言葉自体はポーリンの造語だが、既存の言語では捉えきれない精神的な“火花”や“葛藤”を象徴するキーワードとして、作品全体に強い印象を残す。
この楽曲が収録された『The Low Spark of High Heeled Boys』は、トラフィックの中でも最も実験的かつ完成度の高いアルバムとして知られ、当時アメリカのカレッジ・ラジオやFM局で大きな支持を得た。そのため、シングルヒットにはならなかったにもかかわらず、アルバムは全米で100万枚以上を売り上げ、プラチナディスクを獲得している。
演奏面でもこの曲は異彩を放っており、リズムセクションの遅効性あるファンク的なグルーヴ、ジム・キャパルディの控えめなドラム、ウィンウッドの憂いを帯びたピアノとボーカル、クリス・ウッドのフリージャズ風のサックスが、緊張と浮遊感を同時に生み出す構造となっている。
3. 歌詞の抜粋と和訳
The percentage you’re paying is too high a price
君が支払ってる“代償”は、あまりにも大きすぎるWhile you’re living beyond all your means
身の丈以上の人生を送っているように見えてもAnd the man in the suit has just bought a new car
スーツを着た男は、また新しい車を買ったばかりFrom the profit he’s made on your dreams
それは、君の夢を搾り取って得た金でねBut today you just read that the man was shot dead
でも今日、そいつが撃たれたってニュースを読んだBy a gun that didn’t make any noise
音も出ない銃で撃たれたってさBut it wasn’t the bullet that laid him to rest
だけど彼を倒したのは“弾丸”じゃなかったWas the low spark of high-heeled boys
それは、“ハイヒールを履いた少年たち”の秘めた火花だったんだ
(参照元:Lyrics.com – The Low Spark of High Heeled Boys)
この詩は、資本主義と個人の夢との衝突、暴力なき抵抗、あるいは無力感に隠れた破壊性などを、多重に象徴している。
4. 歌詞の考察
「The Low Spark of High Heeled Boys」は、当時のカウンターカルチャーが直面していた矛盾を静かに、だが深くえぐるように描いた作品である。1960年代のユートピア的理想は次第に風化し、商業主義や資本の力に吸収されていく。そんな時代において、この曲は**“目立たない火花”として燻る抵抗と諦念の情景を描写している**。
「High Heeled Boys」とは、自己表現に飢えた若者たちでありながら、派手な装いの内側には社会の抑圧や規範に適応しきれない不安を抱えている存在だ。そして“Low Spark”とは、そうした彼らが放つ小さくも根源的なエネルギーの象徴であり、体制を打ち崩すほどの力ではないが、世界の歪みを確かに照らす一閃なのだ。
また、繰り返される「And the sound that you’re hearing is only the sound of the low spark…」というフレーズは、実体のない音、耳に聞こえるはずのない“精神的なノイズ”が確かに存在していることを告げている。それは、感じることができる者にしか聞こえない、時代の裂け目の音だとも言える。
この曲の長さと構成、サウンドの揺らぎも、まるで心の奥底でくすぶり続ける思考や感情の流れそのものであり、ロックが思索と芸術表現の手段となった瞬間を記録する貴重な作品でもある。
5. この曲が好きな人におすすめの曲
- A Remark You Made by Weather Report
言葉にできない感情を、音の揺らぎと流れだけで語りきるフュージョン・ジャズの美。 - Dogs by Pink Floyd
資本主義社会における人間の条件を容赦なく剖検する、長尺ロックの金字塔。 - Glad/Freedom Rider by Traffic
本作以前のTrafficのジャズ・ロック的到達点。無言の抵抗と希望が交錯する。 - Your Gold Teeth by Steely Dan
都会的知性と冷笑、そしてビートの鋭さが交差するジャズ・ロックの名作。 -
Ballerina by Van Morrison
内的世界を旋律に託し、観念と情感の境界を彷徨う、詩的ソウル・バラード。
6. “聞こえない火花の鳴る場所”
「The Low Spark of High Heeled Boys」は、単なるプログレッシブ・ロックやジャズ・ロックの名曲にとどまらない。そこには、表面的な煌びやかさではなく、静かに燃え続ける火のような感情が封じ込められている。
商業化されていくカルチャーの中で、自分の声は消えてしまったように思えるかもしれない。でも、誰の心にも小さな火花はある。そしてそれは、誰にも聞こえないようでいて、確かに世界を変えうる震えを生んでいる。
この楽曲は、そんな“聞こえない音”の美しさと意味を教えてくれる。何かを主張せずとも、存在そのものが火花となりうるという希望――それが、「The Low Spark of High Heeled Boys」に込められた、時代と人間への深いまなざしなのだ。
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