発売日: 2019年11月22日
ジャンル: フォーク、ポエトリー・リーディング、チェンバー・ポップ、スピリチュアル
“ありがとう”の向こうにある沈黙——Leonard Cohen、死の後に語られた最終章
『Thanks for the Dance』は、Leonard Cohenの死後にリリースされた遺作アルバムであり、2016年の『You Want It Darker』に収録されなかった未完成の録音をもとに、息子アダム・コーエンが中心となって完成させた“もうひとつの最後の言葉”である。
死の影が差し込むようなタイトルに反して、この作品には悲壮ではなく、穏やかな別れ、静かな感謝、そしてなお続く対話のような温度がある。
父の残した声に、アダムと世界中の信頼ある音楽家たちが静かに伴奏を添え、あくまで“Leonard Cohenのまま”であることを尊重して編まれた、美しいレクイエムである。
全曲レビュー
1. Happens to the Heart
自身の詩人としての来歴と失敗、そして魂の彷徨を描く深い告白。
「心にはそういうことが起きるのだ」という一節に、Cohenの詩人としての諦念と受容が滲む。
2. Moving On
亡き恋人マリ・アンヌへの追悼とも取れるバラッド。
“先に行くよ”と語りながら、なお残る愛の余韻が切ない。
3. The Night of Santiago
フェデリコ・ガルシア・ロルカの詩にインスパイアされた官能的な語り。
“夜”と“欲望”が絡み合う幻影のような1曲。
4. Thanks for the Dance
本作の核とも言えるタイトル曲。「踊ってくれてありがとう」——その一言がすべてを包み込むように響く。
別れの歌ではあるが、どこか幸福な余韻が残る。
5. It’s Torn
“すべてが裂けている”という詩句が、混沌とした内面と社会の断裂を静かに物語る。
6. The Goal
きわめて短く、簡素なスポークン・ワード。
「小さなことが目標だった」——老詩人の口から語られる、その謙虚な言葉が胸に迫る。
7. Puppets
歴史の悲劇や政治的無力感を“操り人形”に喩える風刺詩。
それでも“黒い人形も白い人形も、同じように吊られていた”という視線には、深い共感がある。
8. The Hills
神と孤独のあいだで彷徨うような語り。繰り返される「I can’t make the hills」には、生きることへの疲れと、それでも抗う気配がある。
9. Listen to the Hummingbird
「ハチドリの声を聴け」と始まる、人生の最後に残したい言葉だけを編んだ詩のような曲。
“私の声ではなく”と語るその謙虚さは、詩人としての最終的な姿勢であろう。
総評
『Thanks for the Dance』は、Leonard Cohenがこの世を去ったあとに、なお私たちに語りかけ続けるという“奇跡のような静寂”である。
これは“アルバム”である以前に、“遺された声”であり、“詩人が残した余白”なのだ。
息子アダム・コーエンの繊細なプロデュースは、父の詩と声を最大限に尊重し、余計な装飾を排し、言葉そのものの力を響かせている。
この作品には派手な山場も爆発的な感情もない。あるのは、死と向き合い、なお世界にありがとうと告げる、ひとりの人間の姿である。
“踊ってくれてありがとう”という言葉のあとには、沈黙がある。そして、その沈黙がまた美しい。
おすすめアルバム
-
You Want It Darker / Leonard Cohen
死と神への対話を主題とした、生前最後のアルバム。 -
Ghosteen / Nick Cave & The Bad Seeds
喪失と祈りをめぐる幻想的な詩集。Cohenの死後の余韻に響く作品。 -
Carrie & Lowell / Sufjan Stevens
個人的な死と赦しを、静けさと透明さで描いた現代の傑作。 -
Late for the Sky / Jackson Browne
別れと時間の経過を、繊細な言葉と旋律で紡いだクラシック。 -
Sketches for My Sweetheart the Drunk / Jeff Buckley
未完成の断片に、声と詩のかけらが宿る遺作的美学。
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