
1. 歌詞の概要
Tarhatazedは、ニジェール出身のトゥアレグ系ギタリスト/シンガー、Mdou Moctarが2019年に発表したアルバムIlana (The Creator)に収録された楽曲である。
アルバムIlana (The Creator)は2019年3月29日にリリースされ、Bandcamp上の公式ページでも全9曲構成の6曲目としてTarhatazedが掲載されている。収録時間は7分27秒。アルバムはMdou MoctarからMatador Recordsへの独占ライセンス作品としてクレジットされている。Mdou Moctar
この曲を一言で説明するなら、砂漠の地平線をアンプで焼き切るようなロックである。
ただし、ここでいうロックは、英米のロック史だけで測れるものではない。Mdou Moctar自身は、Sahel Soundsの記事の中で、ロックというものをよく知らない、自分は自分のスタイルで演奏しているだけだ、という趣旨の言葉を残している。Sahel Sounds
その発言は、とても重要だ。
Tarhatazedを聴くと、多くのリスナーはジミ・ヘンドリックスやサイケデリック・ロック、ブルース・ロックの名前を思い浮かべるかもしれない。実際、海外メディアではこの曲について、ヘンドリックスに匹敵するようなソロを含む7分の灼熱のトラックとして紹介されたこともある。COOL HUNTING®
だが、その比喩だけでは足りない。
Mdou Moctarのギターは、ロックの文法を借りているように聴こえながら、根の部分ではトゥアレグのギター音楽、タマシェク語圏の歌、砂漠のリズム、共同体の記憶と結びついている。
Tarhatazedの歌詞はタマシェク語で歌われる。
そのため、日本語圏のリスナーにとって、言葉の意味を一語ずつ追うのは簡単ではない。だが、この曲の場合、歌詞は意味だけで届くものではない。声の揺れ、合いの手のようなコーラス、ギターの反復、ドラムの疾走。その全体がひとつの言葉になっている。
歌は、物語を説明するというより、場を立ち上げる。
そこには、祈りのような響きがある。呼びかけのような力がある。仲間を集め、身体を動かし、音の中で時間を伸ばしていく感覚がある。
曲の前半は、太陽の下で少しずつ熱を帯びていくように進む。
リフは細かく反復し、リズムは前へ前へと進む。Mdouの声は乾いた風のように入り、ギターはその声の周囲で火花を散らす。
そして後半、特に4分を過ぎたあたりから、曲は別の次元に入る。
ギターが歌になる。
歌よりも饒舌になり、言葉では語れない感情を一気に噴き上げる。怒りでもあり、歓喜でもあり、誇りでもあり、どうしようもない生命力でもある。
Tarhatazedは、単なるギター・ソロの見せ場ではない。
それは、声とギターが入れ替わる瞬間である。
タマシェク語の歌が持つ共同体の響きと、エレクトリック・ギターが持つ個人の爆発が、同じ火の中で燃えている。
2. 歌詞のバックグラウンド
Mdou Moctar、本名Mahamadou Souleymaneは、ニジェールのアバラク出身のミュージシャンである。彼はタマシェク語で歌い、トゥアレグ系のギター音楽を現代的なロックの音圧で鳴らすアーティストとして知られている。彼の音楽は、初期には西アフリカの携帯電話やメモリーカードを通じた音楽共有ネットワークによって広まっていった。ウィキペディア
この背景は、Tarhatazedを聴くうえで欠かせない。
英米のロック・バンドのように、スタジオ、レーベル、ラジオ、チャートという流れだけで広まった音楽ではない。人から人へ、携帯から携帯へ、砂漠の町から別の町へ。音源が旅をするように伝わった音楽である。
その出自が、Tarhatazedの音にも刻まれている。
音は洗練されているが、どこか生々しい。演奏は爆発的だが、ただ派手に作り込まれているわけではない。むしろ、目の前でバンドが火を起こしているような感覚がある。
Ilana (The Creator)は、Mdou Moctarにとって大きな節目となったアルバムである。Pitchforkは同作について、20世紀のブルースやロックと、assoufと呼ばれるトゥアレグのギター・スタイルを橋渡しする作品として評している。また、アルバムにはニジェールやトゥアレグ社会の現実、特にフランスによる資源搾取への批判も含まれていると紹介している。Pitchfork
Tarhatazedそのものは、政治的なスローガンを前面に押し出した曲というより、もっと身体的な曲に聴こえる。
だが、Mdou Moctarの音楽において、身体性と社会性は切り離せない。
踊ること。
演奏すること。
母語で歌うこと。
共同体のリズムを、巨大なアンプと歪んだギターで世界に鳴らすこと。
それ自体が、すでに表明なのだ。
Sahel SoundsはIlana (The Creator)の紹介で、Tarhatazedをスパゲッティ・ウェスタン風のギター・リックを持つ曲として触れている。Sahel Sounds
確かに、曲のギターには荒野の映画音楽のような影がある。
しかし、その荒野はアメリカ西部ではない。
ここで見えるのはサハラであり、サヘルであり、乾いた空気と砂の反射である。ギターの音は銃声のように鋭いが、同時に歌のようにしなやかだ。リズムは馬ではなく、砂の上を進む車や人々の足取りのように続いていく。
Mdou Moctarは、トゥアレグ・ギターの伝統をただ保存しているのではない。
それを拡張している。
村の祝祭、結婚式、仲間同士の演奏、携帯電話で流通するローカルな音楽。それらの記憶を、世界のロック・フェスティバルでも通用する音圧に変えている。
Tarhatazedは、その拡張のひとつの頂点である。
7分を超える長さは、ラジオ向けのコンパクトなポップ・ソングとはまったく違う。曲は急がない。だが、だらけもしない。反復しながら、少しずつ熱を上げ、最後には制御不能に近い高揚へ到達する。
この構造は、まるで砂漠の一日だ。
最初は遠くに揺らめく熱。
やがて地面が白く光り、空気が歪み、視界の端が震え出す。
そして気がつけば、音の中心に飲み込まれている。
3. 歌詞の抜粋と和訳
Tarhatazedについては、確認できる範囲で信頼できる公式の英訳歌詞や詳細な対訳が広く公開されているとは言いにくい。
そのため、ここでは歌詞本文の長い引用は行わない。権利面と翻訳の正確性を優先し、曲名のみを扱う。
楽曲掲載元:Bandcamp – Mdou Moctar / Ilana (The Creator)
Tarhatazed
和訳:
Tarhatazed
曲名Tarhatazedの正確な日本語訳については、一般的に定着した訳語を確認しにくい。
ただし、この語が歌の中で持つ感触は、タイトルの意味を辞書的に置き換えるよりも、音の中で受け取るべきものに近い。
タマシェク語の響きは、子音の鋭さと母音の開きが独特である。Tarhatazedという言葉にも、乾いた地面を叩くような硬さと、遠くへ伸びる声の余韻がある。
この曲では、歌詞の意味がわからなくても、声の方向はわかる。
内側に閉じる歌ではない。
誰かに向かっている。
どこかへ呼びかけている。
集まれ、聴け、動け、感じろ。
そんな力がある。
歌詞を完全に理解できないことは、聴取の障害であると同時に、別の扉でもある。言葉の意味を追えないぶん、声の質感、発声の抑揚、リズムとの絡み方がよく見えてくる。
Mdou Moctarの歌は、ギターの前座ではない。
むしろ、ギターと同じ線を描いている。
声がフレーズを置き、ギターがそれを追い越す。ギターが炎を上げ、声が再び地面へ引き戻す。その往復によって、Tarhatazedは単なるインストゥルメンタル的な快感を超えた、歌としての強度を持っている。
引用元:Bandcamp – Mdou Moctar / Ilana (The Creator)
コピーライト:歌詞および楽曲の権利は各権利者に帰属
4. 歌詞の考察
Tarhatazedを考えるとき、まず意識したいのは、歌詞とギターの主従関係が固定されていないことだ。
一般的なロック・ソングでは、歌詞が物語を担い、ギター・ソロはその後に感情を増幅する役割を持つことが多い。
だが、この曲では違う。
声もギターも、どちらも語り手である。
歌詞が意味を運ぶ。ギターが熱を運ぶ。ドラムが身体を動かし、ベースが地面を作る。その全体がひとつの発話になっている。
だからTarhatazedの歌詞を読むということは、文字だけを見ることでは足りない。
ギターの反復を読む必要がある。
ドラムの前のめりな推進力を読む必要がある。
声が少し奥に引いた瞬間、ギターが前に出る。その交代に、言葉にならない感情がある。
曲の前半には、儀式的な反復がある。
同じようなフレーズが繰り返されるたびに、音は少しずつ変わっていく。これは退屈な反復ではない。むしろ、身体を別の状態へ連れていくための反復である。
ダンス・ミュージックに近いとも言える。
ただし、クラブの暗闇ではなく、太陽の下のダンスだ。
足元には砂があり、遠くには平らな地平線がある。アンプの音は乾いた空気の中を遠くまで飛ぶ。ドラムは心拍より少し速く、ギターは視界の上の熱気のように揺れている。
この曲の中で、Mdou Moctarのギターはとても自由だ。
しかし、その自由は無秩序ではない。
フレーズは激しく飛び回るが、リズムの輪から完全には外れない。むしろ、共同体のリズムの中で、個人の声がどこまで飛べるかを試しているように聴こえる。
ここに、Tarhatazedの美しさがある。
自分だけが目立つためのソロではない。
全員で作った渦の中から、ひとつのギターが火柱のように立ち上がる。
その火柱を見て、また全員の演奏が熱を増す。
そういう循環がある。
歌詞の内容を一語ずつ知らなくても、この構造ははっきりと伝わる。
呼びかけがあり、応答があり、反復があり、解放がある。
それは、音楽がコミュニケーションであることを思い出させる。
現代のリスナーは、歌詞をすぐに翻訳し、意味を調べ、要約しようとする。もちろん、それは大切な聴き方である。特にMdou Moctarのように社会的なメッセージを持つアーティストの場合、言葉の意味を尊重することは欠かせない。
だが同時に、Tarhatazedは、意味だけで音楽を所有しようとする聴き方を少し拒む。
わからないまま、圧倒されること。
翻訳の前に、身体が動くこと。
声の意味を完全に知らなくても、その強さに打たれること。
それもまた、この曲の正しい入口である。
Tarhatazedは、言語の壁を消す曲ではない。
むしろ、壁があることを意識させながら、その上をギターが飛び越えていく曲である。
5. この曲が好きな人におすすめの曲 5曲
- Ilana by Mdou Moctar
同じアルバムIlana (The Creator)のタイトル曲であり、Tarhatazedの熱量をより祝祭的な方向へ広げたような楽曲である。リズムの強さ、ギターのうねり、声の集団的な響きが一体になり、バンド全体が大きな炎のように鳴る。Tarhatazedの爆発力に惹かれた人なら、自然に引き込まれるはずである。
- Chismiten by Mdou Moctar
2021年のアルバムAfrique Victimeに収録された楽曲。Pitchforkの記事では、Chismitenについて、人間関係の中で自分を見失い、嫉妬や羨望に陥ることへの祈りとしてMdou Moctarが語っていることが紹介されている。Pitchfork Tarhatazedよりもコンパクトだが、ギターの切れ味と歌の強度は非常に高い。
- Afrique Victime by Mdou Moctar
Mdou Moctarの政治性とギターの激しさが真正面から結びついた代表曲である。ニジェールやアフリカ大陸が受けてきた搾取への怒りが、サウンド全体に刻まれている。Tarhatazedが火のような高揚を持つ曲なら、Afrique Victimeはその火を抗議の声へ変えた曲である。
- Sastanàqqàm by Tinariwen
トゥアレグ・ギターの流れを知るうえで重要なバンド、Tinariwenの楽曲。Mdou Moctarほどギターが爆発的に前へ出るわけではないが、反復するリフと砂漠の風景を思わせる音像には、共通する精神がある。Tarhatazedを聴いてトゥアレグ音楽の根に触れたくなったときに合う曲である。
- Etran de L’Aïr by Etran de L’Aïr
ニジェールのアガデスを拠点とするバンド、Etran de L’Aïrの楽曲も、Mdou Moctarと響き合う。よりローカルな祝祭感があり、ギターはきらびやかに絡み合う。Tarhatazedのような灼熱のソロとは違った形で、サヘルのギター音楽が持つ踊れる力を感じられる。
6. 砂漠のギターがロックの地図を書き換える瞬間
Tarhatazedは、ギター・ロックを聴いてきた人ほど驚かされる曲である。
なぜなら、この曲はロックの快感を持っている。
歪んだギター。
長いソロ。
高揚するリズム。
アンプから吹き出す熱。
そのすべてがある。
しかし同時に、この曲はロックの中心地をずらしてしまう。
ロンドンでもニューヨークでもロサンゼルスでもない。
音の中心にあるのは、ニジェールであり、アガデスであり、タマシェク語の声であり、トゥアレグのリズムである。
Tarhatazedを聴いていると、ロックとは何かという問いが、少し違って見えてくる。
ロックは特定の国の所有物なのか。
それとも、電気を通した弦が、個人と共同体の感情を燃やす瞬間に生まれるものなのか。
Mdou Moctarの音楽は、後者だと言っているように響く。
しかも彼は、それを理屈ではなく演奏で示す。
Tarhatazedの後半、ギターが一気に走り出す瞬間がある。
そこでは、言葉で説明する時間が消える。
速い。
鋭い。
熱い。
だが、それだけではない。
そのギターには、土地の記憶がある。誰かの生活がある。結婚式や集会や旅の時間がある。家族に音楽を禁じられながらも、木材と自転車のブレーキワイヤーで最初のギターを作ったという、Mdou Moctar自身の始まりも重なっている。ウィキペディア
その話を知ると、Tarhatazedのギターはさらに強く響く。
これは、完成された楽器を与えられた人の音ではない。
音を鳴らす必要に迫られた人の音である。
自分の場所から、自分の言葉で、自分のやり方で鳴らすための音。
だからこそ、曲はこれほど切実なのだ。
Tarhatazedには、派手なコーラスでリスナーをつかむようなわかりやすさはない。歌詞の意味も、英語圏や日本語圏のリスナーにすぐ開かれているわけではない。7分27秒という長さも、現代のストリーミングの感覚からすれば長い。
それでも、この曲は退屈しない。
むしろ、長さが必要だと感じる。
短く切り詰めてしまえば、この熱は生まれない。反復し、蓄積し、少しずつ視界を歪ませ、最後に大きく燃え上がる。そのためには時間がいる。
Tarhatazedは、すぐに消費される曲ではない。
音の中に入り、しばらくそこにいる曲である。
聴きながら、最初はギターの速さに耳が向く。
次に、リズムの粘りに気づく。
そのあと、声の存在感が見えてくる。
そして最後には、曲全体がひとつの巨大な生き物のように感じられる。
バンドが鳴っているのではなく、風景が鳴っている。
そう言いたくなる瞬間がある。
Mdou Moctarのギターは、よくヘンドリックスと比較される。たしかに、音の激しさや即興性、ギターを声のように扱う感覚には通じるものがある。
だが、Tarhatazedを聴くと、その比較だけでは狭すぎることもわかる。
この曲は、誰かの再来ではない。
砂漠のギターが、世界のロックの語彙を自分の方へ引き寄せている曲である。
聴き終えたあと、耳に残るのはソロの速さだけではない。
あの反復。
あの熱。
あの声。
そして、遠くの地平線がまだ揺れているような感覚。
Tarhatazedは、ロックの歴史に外から加わった曲ではない。
ロックの地図そのものを、別の角度から描き直す曲である。

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