
発売日: 2002年(日本限定)
ジャンル: ボサノヴァ、ジャズ・ポップ、ラウンジ・ミュージック、イージーリスニング
概要
『Tamarillo』は、シンガポール出身の歌姫オリビア・オンが、日本での活動初期にあたる2002年にリリースしたデビュー・アルバムであり、“アジア人による英語ボサノヴァ・ジャズ”というニッチで洗練されたスタイルをいち早く提示した記念碑的作品である。
当時16歳とは思えぬ完成度と落ち着き――。
それは単に“若さとのギャップ”という驚きではなく、すでに“自分の声の居場所”を知っている歌手としての直感と知性が、このデビュー作には確かに刻まれている。
タイトルの「Tamarillo」は、南米原産の赤い果実の名前。
その名が示すように、アルバム全体には**“甘さと酸味”“鮮やかさと繊細さ”が共存する音世界**が広がっており、ボサノヴァやジャズを軸にしながらも、アジア的な親しみやすさが添えられている。
アルバムの構成はカバー中心でありながら、選曲とアレンジのセンスが抜群で、ジャズ・スタンダードを現代的にアップデートする感覚は、すでに後年の代表作につながる方向性を予感させる。
全曲レビュー
1. L-O-V-E
ナット・キング・コールの定番を、ウッドベースと軽快なパーカッションでボッサ風に仕立てたオープニング。
オリビアの発音とスキャットの滑らかさが耳に心地よく、最初の一音で世界に引き込まれる。
2. Sometimes When We Touch
哀しみを湛えたバラードを、語りかけるようなウィスパー・ヴォイスで再解釈。
若さと傷心が同居する、アルバム随一の感情表現。
3. Quiet Nights of Quiet Stars (Corcovado)
ボサノヴァの王道をストレートにカバー。
ギターとの親密な対話のようなアレンジで、彼女の静かな集中力が光る。
4. 500 Miles
フォークの名曲を、淡くジャジーなアプローチで再構築。
旅と別れを歌うこの曲に、オリビアの中性的な声が不思議な普遍性を与えている。
5. A Love Theme from ‘Romeo & Juliet’
映画音楽として有名な楽曲を、ピアノとストリングスで抒情的に展開。
ヴォーカルにほのかなクラシカルな質感もあり、声の多面性が垣間見える。
6. When I Fall in Love
優雅なバラード・ジャズ。
フレージングの間の取り方に成熟を感じさせ、すでに“聴かせる”意識がある演奏。
7. Rainbow Connection
どこかノスタルジックなこの曲では、童話のような幻想性とウィスパー・ジャズが融合。
ピアノとの一対一の空間が、歌に深みを与える。
8. Fly Me to the Moon
軽やかにスウィングするジャズ・クラシック。
テンポは原曲より抑えめで、柔らかな夜の音楽として再定義されている。
9. I’ll Move On
数少ないオリジナル曲のひとつ。
失恋から立ち直ろうとする心情を描いた歌詞と、等身大の歌声が印象的で、のちのオリビアの核心に迫る楽曲。
10. Have Yourself a Merry Little Christmas
しっとりとしたクリスマス・バラード。
本編最後に配置されることで、アルバム全体が「夜の静けさ」に包まれる印象を与える。
総評
『Tamarillo』は、オリビア・オンというアーティストが**“声そのものの静けさと説得力”を持つ存在として、すでに完成されていたことを証明するデビュー作**である。
このアルバムで最も驚かされるのは、“歌唱力”そのものではなく、歌の“間”を知っていること、そして音楽の居心地の良さを壊さない歌い方である。
この時点ですでに、“声で空気を変えることができる人”だったのだ。
選曲も、ジャズやボサノヴァの文脈においては定番といえるものばかりでありながら、“アジア人の英語ボッサ”という新たな文脈において聴くと、どの曲も瑞々しく新鮮に響いてくる。
『Tamarillo』は、ジャズでもボッサでもポップでもない。
それは、**“オリビア・オンというジャンルの原点”**として、静かに確かな存在感を放ち続けている。
おすすめアルバム(5枚)
- Olivia Ong『A Girl Meets Bossa Nova』
本作の延長線上にあるボサノヴァ・カバー集。より洗練された“夜のアルバム”。 - Emi Meyer『Monochrome』
ピアノとジャズ・ヴォーカルの融合。内省的な静けさがオリビアと共鳴する。 - Lisa Ono『Pretty World』
日本人によるボサノヴァ再解釈の金字塔。グローバル・ボッサとしての指標。 - Jane Monheit『Taking a Chance on Love』
米国の本格派ジャズ・シンガーによるスタンダード集。甘さと緊張感のバランスが秀逸。 - Yuna『Decorate』
マレーシア発の英語シンガー。アジア的ソフトさと英語の響きの美しさがオリビアと近似。
歌詞の深読みと文化的背景
『Tamarillo』の楽曲群には、“別れ”“孤独”“夢”“再生”といった普遍的なテーマが、すべて**“ささやき”として表現されている**という共通性がある。
「Sometimes When We Touch」や「500 Miles」では、感情の爆発ではなく、その手前の“躊躇”や“ためらい”の感情に焦点が当てられ、聴き手の想像力を刺激する。
「I’ll Move On」は、オリビア自身の声で紡がれるオリジナル曲として、このアルバムが単なるカバー集ではないこと、そして“声で語るシンガー”としての自我の芽生えを示している。
『Tamarillo』は、異国語で歌われた“私たち自身の感情”を見つけ出すような、ささやかな発見のアルバムなのだ。
そして、その発見は、日常の喧騒から一歩離れた静けさの中でこそ、最も美しく響く。
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