1. 歌詞の概要
「Sonder(ソンダー)」は、スコットランド出身のエレクトロニック・アーティスト Barry Can’t Swim(バリー・キャント・スイム) による2023年のデビューアルバム『When Will We Land?』に収録された楽曲であり、“他者の人生が自分と同じように複雑でリアルである”という気づきを音楽に昇華した、深く瞑想的でエモーショナルな1曲である。
「Sonder」という語は、元々はアメリカの作家ジョン・ケーニグによる造語であり、“通りすがりの誰もが、それぞれに豊かで複雑な物語を抱えて生きている”という感覚を表す。
この楽曲は、その概念そのものを音楽として具現化しようとした試みであり、他者の存在への畏敬と共感、そして見えないつながりの美しさを、言葉ではなく音で静かに伝えてくる。
明確な歌詞を持たないインストゥルメンタル構成ながら、メロディと空間演出だけで“人と人の間に流れる見えないドラマ”を描き出すという、Barry Can’t Swimらしいアプローチが光る。
2. 楽曲のバックグラウンド
Barry Can’t Swimは、ハウス、ジャズ、ソウル、フォークなど多様なジャンルを横断しながら、「感情を内包するクラブ・ミュージック」を体現する新世代のプロデューサーとして注目を集めている。
彼の音楽はしばしば**“自分の内面と静かにつながるためのダンス”と評されるが、「Sonder」はその中でも特に内向きで、静謐で、しかし開かれたまなざしを持ったトラック**である。
この曲についてBarryは、「ロンドンの地下鉄で、無数の人が黙って行き交うあの瞬間にインスパイアされた。誰もが何かを抱えていて、でも誰にも気づかれない。その“孤独の連帯”を、音にしたかった」と語っている。
3. 曲の印象と構成的特徴
「Sonder」は、リズムの支配よりもメロディと空気の流れが主導する構成となっており、アルバムの中でもひときわ“静かな深み”を感じさせる。
- 冒頭から流れるウォームなエレクトリックピアノとソフトなパッド音が、まるで夕暮れ時の都会のざわめきの中に立っているような感覚をもたらす。
- リズムは極めて抑制的で、時折ビートが顔を出すが、あくまで**“思考の呼吸”のような間合い**で機能している。
- メインのメロディは控えめにリフレインしながら、反復のなかに少しずつコードが変化し、感情の起伏を音だけで描いていく。
- 中盤から後半にかけて、ぼんやりと浮かぶような声のサンプルや、日常音のようなフィールドレコーディング的要素が加わり、まるで都市そのものが楽器になっているような印象を受ける。
聴いていると、まるで無数の見知らぬ人々が、すれ違いながら一瞬だけ感情を共有するような、匿名の共感の風景が立ち上がってくる。
4. 楽曲の考察
「Sonder」は、他者の存在を“理解する”ことではなく、“想像する”ことの尊さを描いた曲である。
私たちは、誰かの物語をすべて知ることはできない。
だが、それでもその人が自分と同じように悩み、喜び、葛藤し、愛したことがあるという“気づき”は、見えないままでも確かな絆となる。
Barry Can’t Swimはこの曲で、言葉を一切使わずに、“他者の人生へのまなざし”という極めて文学的な主題を音で表現するという、きわめて野心的かつ詩的なチャレンジを成功させている。
とくに注目すべきは、音と音の“間”に漂う余白の豊かさである。
この余白があるからこそ、聴き手はそこに自分の記憶や、すれ違った誰かの姿を重ねることができる。
まさにこの曲は、“自分の中のソンダー”を思い出すためのミュージック・スペースなのだ。
5. この曲が好きな人におすすめの曲
- “In the Waiting Line” by Zero 7
都会の中の孤独と安堵を同時に描く名曲。静かなグルーヴと空気感が近い。 -
“Reckoner” by Radiohead
言葉を超えた情感が波のように広がる。音の余白に意味が宿る点で共鳴する。 -
“Open Eye Signal” by Jon Hopkins
長尺の中で感情を少しずつ解放していく、瞑想的エレクトロニカの代表格。 -
“Shift” by Nils Frahm
ピアノと電子音の狭間で揺れる感情を描く。内面への旅路としての音楽。 -
“Everything You Do Is a Balloon” by Boards of Canada
過去と未来が溶け合うような音響世界。“見えない記憶”の喚起力が似ている。
6. 名前を知らない誰かの物語に、耳をすます音楽
「Sonder」は、Barry Can’t Swimが提示する音楽の哲学——“音で世界とつながること”の可能性を、最も静かで、美しいかたちで表現した楽曲である。
人混みの中でふと感じる寂しさ。
地下鉄の窓に映る自分と、隣に座る人との距離。
すれ違った誰かが、この瞬間どんな物語を生きているのか——
この曲は、その“見えない物語”たちの総体として鳴っている。
それは悲しみではない。
むしろ、孤独を共有していることへの静かな感謝であり、名前も知らない誰かを想うことのできる人間の優しさへの讃歌である。
「Sonder」は、耳を澄ませることでしか見えないものに満ちている。
そしてその沈黙の中に、Barry Can’t Swimは小さな神聖さと、深い共感の種を置いていったのだ。
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