発売日: 1979年9月27日
ジャンル: フォーク、ジャズ、ワールドミュージック、室内楽フォーク
詩と旋律が旅に出る夜——Leonard Cohen、“音楽と言葉”の地図を塗り替えた異国的名作
『Recent Songs』は、Leonard Cohenが1979年に発表した6作目のスタジオ・アルバムであり、フォークという枠組みを超え、ジャズ、中東音楽、室内楽的なアプローチを取り入れた、Cohenにとって最も“旅情”と“祈り”に満ちた作品である。
アルバム・タイトルが示すとおり、“最近の歌”という控えめな表現の中に、彼の音楽的変化と成熟した語りの進化が静かに込められている。
本作では、ヴァイオリニストのRaffi Hakopianやウード奏者John Bilezikjianといった中東〜東欧系のミュージシャンを迎え、地中海的な香りが濃厚に漂うサウンドスケープが形成されている。
同時に、女性コーラス(特にJennifer Warnes)との対話や合唱がCohenの声と対位法を成し、宗教的・儀式的な空気すらまとっている。
これはもはや“フォーク”という言葉では収まらない、多言語・多文化的な“音と言葉の巡礼”なのだ。
全曲レビュー
1. The Guests
開幕を告げる荘厳なスロー・ナンバー。「すべての客は歓迎される」という繰り返しが、神秘的で人間的な世界観を打ち立てる。
2. Humbled in Love
愛によって“謙虚にされた”者の視点を描く。ジャジーなコードとラテンの香りが滲む、優美な一曲。
3. The Window
ヴァイオリンとフルートが舞う、叙情的な美しさの極み。窓越しに見える“あなた”への祈りと願望が、詩的に綴られる。
4. Came So Far for Beauty
もともと映画用に書かれたという哀歌。“美しさのためにこれほど遠くまで来た”という歌詞が、人生と芸術の代償を示唆する。
5. The Lost Canadian (Un Canadien errant)
19世紀のカナダの亡命者を歌った伝承歌のカバー。フランス語の歌唱とCohenの低音が交差し、亡国の哀しみを際立たせる。
6. The Traitor
裏切り者を語るCohenの声は、“誰が裏切ったのか”を明言しないまま、聴き手の心に問いを投げかける。 精緻なヴァイオリンが印象的。
7. Our Lady of Solitude
孤独の聖母に捧げられたような静謐な曲。少ない言葉で“孤独”の真の意味を描き出す。
8. The Gypsy’s Wife
ジプシー文化の情景と女性像を、リズミカルなギターとメランコリックなメロディで描写する、アルバム随一のダイナミズム。
9. The Smokey Life
「灰色の生活」=日常のくすんだ現実を、どこか諦観と共に慈しむように歌う。 Jennifer Warnesとのハーモニーが切ない。
10. Ballad of the Absent Mare
カウボーイと失われた牝馬の寓話形式で描かれるラスト。実は禅の公案(十牛図)に基づいており、Cohenの精神的成熟を感じさせる終幕。
総評
『Recent Songs』は、Leonard Cohenという詩人が“場所”と“音”においても旅を始めたアルバムであり、これまでの内省的な作品群に比べ、外界との対話と文化の融合に大きく舵を切った作品である。
そのサウンドは中東〜東欧の旋律や室内楽的要素を内包しながらも、Cohenの低く抑えた語りは、どこまでも個人の内奥を静かに照らし続ける。
“最近の歌”とは、今この瞬間に生きる人間が何を感じ、どこに向かうのかという問いそのものである。
そこには過去の延長でも未来の予言でもない、“今を旅する詩人の声”が確かに響いているのだ。
おすすめアルバム
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The Future / Leonard Cohen
社会と信仰、欲望と文明の終末を描いた90年代の黙示録的傑作。 -
Astrakan Café / Anouar Brahem
中東の伝統楽器ウードを用いた静かな音世界。Cohenの本作と共振する異国の調べ。 -
Grace and Danger / John Martyn
個人の痛みと優しさがにじむアコースティック・ジャズ・フォーク。 -
La Question / Françoise Hardy
ストリングスとギターによる静謐なポップ。フランス的な抒情がCohenと響き合う。 -
Before and After Science / Brian Eno
旅、変容、静けさをテーマにしたアートロックの傑作。精神の移動感が近い。
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