発売日: 1988年9月19日
ジャンル: ケルトロック、アリーナロック、ポップロック
概要
『Peace in Our Time』は、スコットランドのバンド Big Country が1988年にリリースした4枚目のスタジオ・アルバムであり、彼らが初めてアメリカ市場を意識して制作した作品でもある。
前作『The Seer』で民族的かつ神話的な世界観を深めた後、本作ではよりポップで洗練されたサウンドへと舵を切った。
タイトルの「Peace in Our Time(我らの時代に平和を)」は、イギリスの宥和政策を象徴する歴史的フレーズであると同時に、冷戦末期の国際情勢と個人の内面における平和の希求を重ね合わせたメッセージを含む。
プロデューサーにはピーター・ウルフ(元Frank Zappaバンドのキーボーディスト)が起用され、これまでの粗削りなギター中心のサウンドから一転して、シンセやキーボードを積極的に導入したスタジオ主導のアレンジが特徴的。
この変化は、賛否両論を呼びつつも、Big Countryにとって“開かれた音楽”への第一歩として重要な意味を持っている。
全曲レビュー
1. King of Emotion
オープニングを飾るキャッチーなロック・アンセム。
U2の『Desire』にも通じるリズムとブルージーなギターリフが特徴的で、アメリカのオルタナ・ロックの影響が色濃い。
感情を支配する“王”という比喩が、メディア時代のカリスマ像を批評的に浮かび上がらせる。
2. Thousand Yard Stare
「千ヤードのまなざし」という戦場における心的外傷の表現をタイトルに据えた重厚なナンバー。
社会的・政治的テーマを内包しつつも、メロディは親しみやすく、サウンドは広がりのあるアリーナロック調。
アダムソンの歌声が、内なる傷と向き合うように切実に響く。
3. Hold the Heart
前作『The Seer』からの再録となるバラード。
エレクトロニクスを加えたアレンジによって、より叙情的かつ洗練された印象に仕上がっている。
恋愛と赦しをテーマにしたリリックが静かに胸に染み渡る。
4. Peace in Our Time
本作のタイトル曲にして、政治的・宗教的イメージを交錯させた壮大なナンバー。
演奏はダイナミックだが、リリックは平和への祈りと皮肉の両面を持つ二重構造となっている。
ギターとホーンのユニゾンが印象的なアレンジで、アルバムの精神的中核をなす。
5. Time for Leaving
爽やかでややカントリー調のロック。
“出発の時”というテーマが、転機や別れ、そして前進を象徴しており、バンド自身の変化への意識も透けて見える。
軽快ながらもどこか切なさを湛えたメロディが特徴的。
6. River of Hope
宗教的なイメージと人間の希望を結びつけたミディアムバラード。
「希望の川」という象徴的なタイトルが、精神的再生の物語を静かに描いている。
ギターは控えめだが、シンセとコーラスが幻想的な空間を生み出している。
7. In This Place
もっとも内省的なトラックのひとつ。
「この場所で」という繰り返しが、孤独や記憶と結びつき、時間の中で立ち尽くす個人の姿を描く。
抑制されたアレンジと緩やかなテンポが、リリックの詩情を際立たせる。
8. I Could Be Happy Here
明るくポジティブなメッセージが込められたナンバー。
“ここでなら幸せになれる”という歌詞には、場所と心のつながりが描かれており、ささやかだが確かな希望が感じられる。
エレクトロニックな装飾の中に、人間味あるメロディが息づいている。
9. The Travellers
タイトル通り、旅する者=放浪者をテーマにしたロードソング的楽曲。
ギターのアルペジオが風景を描写するように展開し、まるで移動する映画のようなリズム感を持つ。
人生という道のりを静かに肯定するような視点が印象的。
10. When the Drum Beats
ラストを締めくくるのは、再び社会的視座を持ったエネルギッシュなトラック。
“太鼓が鳴るとき”は、革命の開始か、祈りの合図か。
象徴的なビートが、内的な覚醒と時代のうねりの両方を想起させる。
総評
『Peace in Our Time』は、Big Countryがサウンドの転換点に立ち、よりポップで国際的なアプローチを試みた意欲作である。
一部のファンからは「過剰なアメリカナイズ」「個性の薄れ」といった批判も受けたが、その裏には、音楽をより多くの人に届けようとする誠実な試みと、新しい語り口を模索する姿勢がある。
本作で彼らは、ケルト的なモチーフや社会的メッセージを捨てたわけではなく、それらをグローバルなポップフォーマットの中で再定義しようとした。
その結果として、シンセやキーボードを多用した洗練された音作りと、アダムソンのヴォーカルの力強さが共存する、普遍性のある作品が生まれている。
『Peace in Our Time』は、派手ではないが、時代を超えて静かに語りかけてくるアルバムである。
それは個人的な“心の平和”と、世界の“平和の可能性”を、音楽という手段で問い続けたBig Countryからの、静かなメッセージなのだ。
おすすめアルバム(5枚)
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U2 / The Joshua Tree (1987)
アメリカンルーツとポリティカルな詩情が融合した、80年代の代表作。 -
Simple Minds / Street Fighting Years (1989)
平和と政治をテーマにしたスケールの大きなポップロック。 -
Midnight Oil / Blue Sky Mining (1990)
環境と社会問題に向き合うメッセージ性の強いロック作品。 -
Tears for Fears / The Seeds of Love (1989)
スタジオ主導の重層的サウンドと社会的テーマの融合。 -
Bruce Hornsby and the Range / Scenes from the Southside (1988)
アメリカ的情景とピアノ・ロックの叙情性が共鳴する。
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