発売日: 2019年10月25日
ジャンル: アコースティック・ポップ、ポップ・ロック、バラード
概要
『Once Upon a Mind』は、James Bluntが2019年に発表した6作目のスタジオ・アルバムであり、そのタイトルの通り「心の中で語られる物語」に焦点を当てた、きわめて私的かつ温かな作品である。
前作『The Afterlove』でエレクトロポップへの挑戦を果たしたBluntは、本作において再びアコースティックな原点へと回帰し、家族愛、生と死、時間の流れといった普遍的テーマを、率直で真摯な語り口で紡ぎ出している。
彼の父親が腎不全を患い、生死の境を彷徨っていた時期に制作された本作には、「愛する人を見送ること」と「残された者の祈り」が静かに流れており、その感情の深さが全曲に染み込んでいる。
James Bluntは今や“泣けるバラードの代名詞”ではなく、“人生の重みを優しく歌い上げるストーリーテラー”としての地位を確立しており、本作はその到達点とも言える。
飾らない言葉とシンプルな編曲は、むしろ彼の真価を際立たせ、リスナーの心に静かに寄り添ってくる。
全曲レビュー
The Truth
アルバムの幕開けを告げる、エレガントなポップバラード。
「君こそが真実」と繰り返すリリックは、恋愛を通じて人生の意味を再発見するような内容。
ピアノとストリングスが繊細に重なり、Bluntの声が感情の波を穏やかに運ぶ。
Cold
リードシングルであり、恋人を失った冷たさを“氷の海”にたとえた比喩的な歌詞が印象的。
アコースティックギターにビートを重ねたアレンジで、Bluntにしては珍しく軽快なリズムが際立つ。
それでも彼らしいセンチメンタリズムは健在。
Champions
明るく希望に満ちたナンバー。
「どんな困難も乗り越えて、僕らはチャンピオンになれる」というテーマは、スポーツ的でありながら人生の応援歌にもなっている。
ライブ映えするエネルギッシュなアレンジ。
Monsters
アルバム随一のハイライトにして、最も深く胸を打つバラード。
父親との別れをテーマにした楽曲で、「もう怪物はいないよ、パパ。僕はもう泣かないよ」と歌うリリックは、聴く者すべてに普遍的な喪失を想起させる。
ピアノと声だけで紡がれるその時間は、まるで祈りのようである。
Youngster(feat. Ward Thomas)
ブリティッシュ・カントリー・デュオWard Thomasとの共演による軽快なフォークポップ。
世代を超えた対話のような構成で、若さや時間の価値をポジティブに描く。
カントリー調の和やかな空気が、アルバムにやさしい広がりを与えている。
5 Miles
再会のために「あと5マイルだけ走り続ける」という設定が、希望と切なさを絶妙に交差させている。
テンポ感のある構成と、ハーモニーを多用したアレンジが、旅と距離のメタファーを印象づける。
How It Feels to Be Alive
人生の痛みも喜びもすべて抱きしめるという、受容の美学を歌ったミッドテンポナンバー。
「生きているとはこういうことだ」と繰り返されるサビが、生の肯定として心に響く。
I Told You
愛する人に対する後悔と感謝を同時に伝えるバラード。
シンプルなメロディと語りかけるような声が、未熟だった自分を見つめ直すような視点を生んでいる。
「ちゃんと伝えたかった」という気持ちがにじみ出る。
Halfway
人生の途中に立たされたときの葛藤をテーマにした曲。
「引き返すには遅すぎる。でも、前に進むには怖すぎる」という、誰もが抱える“半分の心”を描く。
ビートの効いたアレンジと哀愁のメロディがマッチしている。
Stop the Clock
「時間よ止まれ」と願うロマンティックな楽曲で、愛する人と過ごす一瞬一瞬を永遠にしたいという想いが溢れる。
ギターとピアノが穏やかに重なり、夢見心地な世界を描く。
The Greatest
アルバムのクロージングを飾る、未来へのメッセージソング。
「君たちは未来の光だ。世界を変えるのは君たちだ」と、Bluntが我が子世代へ送る希望とエールに満ちた内容。
子どもたちへの愛、未来への願いが、温かく、強く響く。
総評
『Once Upon a Mind』は、James Bluntが「家族」「死」「人生」という個人的で重いテーマを、あくまで優しく、時にユーモアを交えながら語ることで、“心に寄り添う音楽”の真価を示したアルバムである。
ここにはスターとしてのJames Bluntはほとんど存在せず、父として、息子として、夫として、ひとりの人間としての彼の視点が中心に据えられている。
その語りはあまりにも率直で、だからこそ聴き手の心をストレートに打つ。
特に「Monsters」はキャリア史に残る名バラードであり、実際に彼が涙ながらにこの曲を演奏する映像は、多くの人の心に深い痕跡を残した。
本作においてJames Bluntは、“泣ける歌を作る人”というイメージから、“人生と対話するアーティスト”へと変貌を遂げたのである。
『Once Upon a Mind』は、タイトル通り「ある心の中で語られた物語」であり、そこには誰もが共感できる“私たち自身の記憶”が静かに重なっていく。
おすすめアルバム(5枚)
- Passenger / Runaway
家族と旅をテーマにしたアコースティック・ポップで、感情の振れ幅と優しさが共鳴。 - Ed Sheeran / -(Subtract)
喪失と再生を描いたエレガントなバラード集で、本作と同様に私的な視点が光る。 - Tom Odell / Long Way Down
ピアノを中心にした内省的ポップで、繊細な感情表現がBluntと共通する。 - Ben Howard / I Forget Where We Were
生と死、記憶と喪失を深く掘り下げる静かな傑作。濃密な空気感が重なる。 - Damien Rice / My Favourite Faded Fantasy
傷ついた心をそのまま音にしたような、親密で痛切なバラードの連続。
歌詞の深読みと文化的背景
『Once Upon a Mind』に通底するのは、「死と向き合うことで、より強く“生”を歌う」という逆説的なテーマである。
「Monsters」や「The Greatest」は、家族という最小単位の中に“人間の本質”があることを教えてくれ、リリックは決して技巧的ではないが、だからこそ深く染み入る。
この作品の背景には、James Blunt自身の父親の病気、そして家族を持つことによって変化した人生観がある。
それは「個人の痛み」から「共有可能な感情」へと拡張された、成熟した表現者の姿だ。
『Once Upon a Mind』は、ある種の“遺書”のようにも、“人生の回想録”のようにも聴こえる。
だがそこには重さだけでなく、「今を生きることの美しさ」が、確かに込められている。
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