発売日: 1971年11月11日
ジャンル: ポップロック、バロック・ポップ、ブルー・アイド・ソウル
“シュミルソン”という名の変身——天才が“売れた”瞬間、しかし魂は揺らがない
『Nilsson Schmilsson』は、アメリカのシンガーソングライターHarry Nilssonが1971年に発表した7作目のスタジオ・アルバムであり、
商業的な大成功と芸術的な多様性を両立させた、彼のキャリア最大のマイルストーン作品である。
プロデューサーにRichard Perryを迎え、ロンドン録音によるハイファイな音作りとソウルフルなアレンジを融合。
これまでのバロック・ポップ中心の内省的世界観から一転、
ロック、ブルース、バラード、実験的なコラージュまで多彩なスタイルを横断する内容となった。
最大のヒット曲「Without You」(Badfingerのカバー)は全米1位を獲得し、Nilssonの名を世界的に押し上げた。
だが本作の真価は、ただ“売れた”だけではなく、売れながらも音楽的実験と個性を決して失わなかったことにある。
全曲レビュー
1. Gotta Get Up
ブラス入りの明るいピアノ・ポップ。
子どもっぽいメロディとは裏腹に、“人生をやり直したい”という朝の絶望感が描かれる。
リズムの緻密さと詞の皮肉が見事に溶け合うオープニング。
2. Driving Along
サイケデリックなギターとオルガンが不穏なムードを醸し出す一曲。
ドライブという行為の中に、現実逃避と空虚さが詰まっている。
歌詞のミニマルさとアレンジの厚みが好対照。
3. Early in the Morning
ほぼアカペラに近い、ヴォーカルのみで構成されたブルースナンバー。
ヴォーカル・レイヤーの重なりで空間を創り出す、Nilssonの声の魔術。
4. The Moonbeam Song
柔らかく幻想的なメロディに乗せて、“月の光”がもたらす記憶と妄想を描くバラード。
リリックはユーモラスだが、背景に漂う寂寞が深い。
5. Down
ファンク調のグルーヴが印象的なナンバー。
“何もかもうまくいかない”という歌詞が、破壊衝動と自己否定のテンポと共に駆け抜ける。
6. Without You
原曲はBadfingerによるラブバラードだが、Nilssonのヴォーカルによって完全に生まれ変わった。
激情を抑制と爆発の間で見事に表現する、1970年代屈指のボーカル・パフォーマンス。
全米1位、グラミー賞受賞という功績を残しながら、聴くたびに胸を締めつける純粋な愛の歌。
7. Coconut
本作中最もユーモラスで実験的なトラック。
1コードのみで構成され、すべての声をNilssonが担当。
“ヤシの実を割ってライムを入れたら医者がいらない”というナンセンスな歌詞に乗せて、リズムと語り口だけでリスナーを引き込む。
8. Let the Good Times Roll
1950年代のR&Bクラシックのカバー。
軽快なビートとノスタルジックなアレンジが、本作の中で一息つける“パブソング的”ポジションとなっている。
9. Jump into the Fire
サイケデリックかつファンク色の強いロックナンバー。
ベースソロのチューニングの狂いをそのまま収録するなど、スタジオライブ感と実験性が結びついた異色の傑作。
映画『グッドフェローズ』での使用も有名。
10. I’ll Never Leave You
静かでミニマルなピアノ・バラード。
愛の誓いを歌うこの曲に、アルバム全体を包む切なさと優しさが集約されている。
余韻が深く、心の奥にそっと残るラスト。
総評
『Nilsson Schmilsson』は、Harry Nilssonが商業的成功とアーティスティックな誠実さを共存させた奇跡のアルバムであり、
単なる“ポップなシンガーソングライター”像を超えた、真の表現者としての姿を世界に示した作品である。
ジャケットの寝起き姿が象徴するように、このアルバムは飾らず、だが異様なほどに多彩で、率直で、深い。
それはまるで、起き抜けの人間が見せる最も“自分らしい顔”のようでもある。
ここには愛と孤独、笑いと痛み、夢と現実、すべてが詰まっている。
そして何より、“声”という楽器がいかにして感情を超えて物語を語れるか、その可能性を最大限に押し広げた一枚なのだ。
おすすめアルバム
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Paul McCartney – Ram
ポップの自由と実験を両立させた、個人主義の傑作。 -
John Lennon – Plastic Ono Band
剥き出しの感情と簡潔な構成が、Nilssonの内面性と呼応。 -
Elton John – Tumbleweed Connection
ストーリーテリングと音楽性の幅広さにおいて共通点が多い。 -
Todd Rundgren – Something/Anything?
宅録的実験とメロディ・センスの共演。Nilssonと同じく変幻自在の職人。 -
Beck – Sea Change
声とメロディで孤独を歌い尽くす、21世紀の“シュミルソン”。
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