発売日: 2017年9月22日
ジャンル: ドリームポップ、バロック・ポップ、ネオアコースティック、サイケデリック・ポップ
『Music for the Age of Miracles』は、The Clienteleが約7年の沈黙を破って2017年に発表した、6作目のスタジオ・アルバムである。
この作品は、バンドがその繊細で幽玄な美学を保ちながら、神話、時間、都市、自然といったテーマをより幻想的かつ詩的に深化させた、まさに「奇跡の時代」のための音楽だ。
2010年のEP『Minotaur』以降、The Clienteleは事実上の活動休止に入っていたが、本作の制作に際しては新たな血が注がれている。
トルコ系英国人作曲家Anthony Harmer（後にAnthony Harmer-Tahmaz）を新たに加え、サントゥール（ペルシャ起源の打弦楽器）やインド系打楽器、古楽器などを導入。
これによりThe Clientele特有の“曇り空の室内音楽”は、より神秘的で地理を超えた感覚を持つ“ドリーム・ジオグラフィー”へと進化した。
それでも、中心にあるのはやはりAlasdair MacLeanの低く柔らかな声と、記憶と風景が重なり合うような詩的なリリックである。
本作ではとりわけ“時間のねじれ”や“記憶の地図化”が顕著であり、ロンドンという都市すらも、過去と夢の層として描かれている。
音楽的には、60年代バロック・ポップからポストクラシカル、ミニマル・フォーク、そして中東〜地中海文化までを内包した、広大な美的世界が構築されている。
全曲レビュー
1. The Neighbour
都会の隣人との不可思議な関係を描いた、冒頭の語り口的楽曲。
詩と音のあいだに漂う空気が、The Clientele流の“超現実的日常”を予告するようである。
メロトロンとサントゥールが共鳴し、異国的で親密な雰囲気を醸す。
2. Lyra in April
アルバムの中でも屈指の美しさを誇るメロディアスなナンバー。
“4月のリラ”というタイトルが示すように、季節と星座、少女と詩が折り重なる。
The Zombiesを想起させるコード感と、夢のように淡いコーラスが絶妙。
3. Lunar Days
リードシングルにして、月のサイクルをテーマにした典型的Clientele的楽曲。
時間と感情の循環、日常に差し込む非日常の美学が横たわる。
ギターの揺らぎが満月の反射光のように優しく響く。
4. Falling Asleep
語りとメロディの境界が溶け合う、催眠的な小品。
意識が沈み込むその瞬間の感覚を、音と語りで丁寧に描写している。
5. Everything You See Tonight Is Different From Itself
非常に象徴的なタイトルを持つ、実験的で神秘的なトラック。
すべてが見えているのにどこか異質で、自己との乖離や夢幻感が色濃い。
環境音と古楽器が重なるサウンドスケープが幻想文学的。
6. Lyra in October
“April”の再帰。
同じリラが10月という時間を経て再登場することで、アルバム全体にループ構造があることを示す。
過去と現在が響き合うような繊細な構成。
7. Everyone You Meet
短いながらも、人生の偶然性と関係性を暗示する詩的な一曲。
軽やかなコード進行とともに、リスナーの記憶を静かにくすぐる。
8. The Museum of Fog
語りと演奏が一体となったポエトリー・トラック。
“霧の博物館”というメタファーが秀逸で、Clientele的都市神話の頂点と呼べる。
記憶と想像がミステリーのように重なり合う。
9. North Circular Days
ロンドン郊外の道路“ノース・サーキュラー”を舞台にした楽曲。
都市の片隅と、そこに生きる詩的な時間が見事に描かれている。
英国らしい哀愁と地理感覚が強く滲む。
10. The Age of Miracles
アルバムタイトルを冠した中心曲。
夢のようなストリングスと柔らかなリズムのなかで、“奇跡の時代”という曖昧な希望がささやかに提示される。
この時代への憧憬と諦観の交錯が、深い余韻を残す。
11. Lunar Morning
月のテーマが再び登場し、アルバムの環状構造を補完する静謐な楽曲。
夜明けの瞬間、記憶と現実の境界がぼやけていく様を音に変換している。
総評
『Music for the Age of Miracles』は、The Clienteleが“記憶の地理学”とも言える独自の音楽地図を広げた到達点である。
7年間の沈黙ののちに届いたこの作品は、かつての郊外の詩情と室内楽的ポップをさらに神話的に深化させたものだ。
とりわけ本作では、音楽的装飾が過去作品よりも多彩になり、古典楽器や民族音楽的要素、さらには朗読や語りといった要素が有機的に混ざり合う。
だが、それらは決して実験性のためではなく、むしろ“記憶と時間、都市と夢”を語るための手段として選ばれている。
それは、The Clienteleというバンドが“音楽を通じて都市と詩の重力を描く”稀有な存在であることを証明する。
本作が語る「奇跡」とは、劇的な変化でも宗教的啓示でもない。
それは、毎日同じ道を歩きながらも、ふと風の匂いや窓辺の光に別の意味を感じる——
そんな“見えない変化”の感受性そのものであり、The Clienteleの音楽が常に私たちに教えてくれる“静かな奇跡”なのである。
おすすめアルバム
- Fennesz / Endless Summer
記憶と時間のレイヤーを音にした電子音楽。幻想的感覚の共振がある。 - Broadcast / Haha Sound
語りと音、夢と現実の曖昧さを音楽にした英国バンド。 - Midori Takada / Through the Looking Glass
非西洋的打楽器と環境音による瞑想的世界観。Clienteleの神秘性と響き合う。 - The Incredible String Band / The Hangman’s Beautiful Daughter
英国的フォーク・サイケの古典。神話と詩が結びつく世界。 -
Julien Barbagallo / Grand Chien
夢の中の風景と現実の情景を優しく編んだフランス発のソフト・サイケ・ポップ。
ビジュアルとアートワーク
アルバムジャケットには、鮮やかなブルーと赤のコントラストで構成された幻想的なイラストが描かれており、
どこか古代の天文図や中世の地図を思わせる構成となっている。
まさに“地理学としての夢”を象徴するデザインであり、本作の音とリリックが目指した世界と美しく共鳴している。
装丁、音楽、詩が三位一体となったこの作品は、音楽アルバムというよりも、
一冊の幻想文学を手に取るような体験を与えてくれる。
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