発売日: 1967年12月
ジャンル: サイケデリックロック、フォークロック、ジャズロック
概要
『Mr. Fantasy』は、イギリスのバンドTrafficが1967年にリリースしたデビュー・アルバムであり、サイケデリック・ロック全盛期に現れた“ジャンルの越境者たち”による革新的な音楽世界の幕開けである。
中心人物スティーヴ・ウィンウッド(当時19歳)を筆頭に、ジム・キャパルディ、クリス・ウッド、デイヴ・メイソンといった才気溢れる若者たちによって構成されたこのバンドは、ブルース、ジャズ、フォーク、バロック、インド音楽といった多様な要素をサイケデリックな彩りのもとで融合し、豊かで実験的な音楽を生み出した。
当時のロンドンでは、ビートルズやピンク・フロイド、ソフト・マシーンらによってサイケデリック・ムーブメントが花開いていたが、Trafficはその文脈の中にありながら、より“牧歌的かつ霊的”なトーンを持ち合わせていたのが特徴的である。
商業的にも批評的にも成功を収めたこのアルバムは、60年代後半の英国ロックの重要作として位置づけられ、以後のプログレッシブ・ロックやジャム・バンドの礎ともなった。
なお、英国オリジナル版と米国版では収録曲と曲順が一部異なるが、本レビューではUKオリジナルを基準に解説する。
全曲レビュー
1. Heaven Is in Your Mind
アルバムの幕開けを飾るトラックで、フォークロック的なアコースティック・ギターにサイケなエフェクトと不穏なストリングスが重なり、幻想的な世界観を提示。
リリックは“心の中の楽園”を求める意識の旅を描いており、当時の精神文化と見事にリンクする。
2. Berkshire Poppies
英国風のポップとサーカス音楽が融合した、ユーモラスで奇妙な楽曲。
マザー・グース的な童話性と現代風アイロニーが入り混じり、ビートルズの『Magical Mystery Tour』にも通じる感触を持つ。
3. House for Everyone
デイヴ・メイソン作によるバロック・ポップ調の一曲。
ハープシコード風のキーボードと3拍子のメロディが、“誰でも住める家”という多義的なテーマに夢と不安を添えている。
4. No Face, No Name, No Number
アコースティック・ギターとフルートによる哀愁漂うバラード。
“顔も名前もない人”を探し続ける孤独な語りが、ラブソングとも哲学的寓話とも受け取れる。
スティーヴ・ウィンウッドのヴォーカルが静かに魂を揺らす。
5. Dear Mr. Fantasy
本作のハイライトにして、Trafficを代表する名曲。
ブルージーなギターリフと即興的な構成が特徴で、“ファンタジー氏”という象徴的存在に“私たちを救ってくれ”と訴えるリリックは、60年代末の若者たちの精神状態を代弁している。
ウィンウッドのソウルフルな歌唱が圧巻。
6. Dealer
スペイン風のギターを取り入れた変則的なリズムの曲。
“麻薬の売人”を題材にしながら、その存在が象徴する欲望と崩壊を、クールな筆致で描く。
楽曲構造は後のラテン・ロックやジャズロックの源流とも言える。
7. Utterly Simple
シタールとタブラを用いたインド音楽風のトラック。
“極限までシンプルであれ”というテーマと、複雑な異国の響きの対比が、聴覚的なパラドックスを生み出す。
当時の“東洋志向”を反映した典型的サイケ曲。
8. Coloured Rain
ヘヴィでスモーキーなサイケ・ブルース。
ホーンのアレンジとエフェクトが濃厚に交錯し、バンドのジャム・バンド的側面を垣間見せる。
“色つきの雨”という抽象表現も印象的。
9. Hope I Never Find Me There
不穏なテンションのコード進行と、夢遊病的なメロディが絡み合う短編。
自己否定とも自己救済ともとれるリリックは、まさにタイトル通り“そこにいる自分には出会いたくない”という心理的逃避の音像化。
10. Giving to You
ジャズロック色の強いインストゥルメンタル。
フルート、ハモンドオルガン、パーカッションが自由に絡み合い、ロンドンの夜の即興演奏を思わせる熱気を漂わせる。
ライブセッション的な開放感が痛快。
総評
『Mr. Fantasy』は、トラフィックというバンドが持つ多面的な才能――サイケ、ジャズ、フォーク、ブルース、インド音楽――を統合的に提示した最初のステートメントであり、60年代末のロンドン・アンダーグラウンド・シーンの空気を生々しく記録した傑作である。
スティーヴ・ウィンウッドのヴォーカルと鍵盤は、ブルースとソウルの深みを若干19歳にして獲得しており、デイヴ・メイソンのポップセンスとジム・キャパルディの詩的な感性が、アルバム全体に豊かな陰影を与えている。
この作品には、まだ“完成”や“方向性の確立”には至っていない混沌と躍動があり、それこそがデビュー作としての魅力なのだ。
ジャンルを越えながら、聴く者を夢と幻の世界へ連れ出すこの作品は、まさに“ミスター・ファンタジー”というタイトルにふさわしい、音の異世界体験である。
おすすめアルバム(5枚)
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The Beatles – Magical Mystery Tour (1967)
英国サイケデリック・ポップの金字塔。幻想的主題とポップセンスが共通。 -
Procol Harum – Procol Harum (1967)
バロック的構成とブルース的感情が交差。『Mr. Fantasy』の陰影と呼応。 -
Pink Floyd – The Piper at the Gates of Dawn (1967)
幻想と実験の交差点。同時代のロンドン・サイケの代表作。 -
The Moody Blues – Days of Future Passed (1967)
管弦楽とロックの融合。幻想性と哲学性が『Mr. Fantasy』と重なる。 -
Donovan – Sunshine Superman (1966)
フォークとサイケの融合。トラフィックの牧歌的要素とシンクロする。
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