発売日: 1979年9月5日
ジャンル: ニュー・ウェイヴ、アート・ロック、ポストパンク
概要
『Motels』は、The Motelsが1979年に発表したデビュー・アルバムであり、ニュー・ウェイヴの黎明期を象徴する内省的かつドラマティックな作品である。
ロサンゼルスのバンドであるThe Motelsは、リードシンガーのマーサ・デイヴィスの妖艶で切実なヴォーカルを核に、退廃的で夢幻的なサウンドを作り上げた。
このアルバムは、当初Capitol Recordsと契約したのち、紆余曲折を経てリリースされた。
当時のロックシーンでは、ロサンゼルスを拠点とするポストパンク・バンドが次々と頭角を現していたが、The Motelsはその中でもより演劇的かつ女性的な視点からの表現で異彩を放っていた。
ジャズやキャバレーの要素を含む耽美的なバラードから、冷ややかなギター・リフと神経質なリズムをもったアップテンポまで、幅広い表現が特徴的である。
アート・ロックやニュー・ウェイヴといったジャンルにおいて、後続の女性ボーカル中心のバンドに与えた影響も少なくない。
全曲レビュー
1. Anticipating
アルバムの幕開けを飾る楽曲であり、沈んだコードと浮遊感あるサウンドが不安と期待のあいだを揺れ動く。
マーサ・デイヴィスの声が、恋の予感と恐れを抱えたまま宙吊りになったように響き、都市的な孤独感を際立たせる。
2. Kix
ニュー・ウェイヴらしいカッティングと跳ねるベースが特徴的な一曲。
“Kick for love”というフレーズに象徴されるように、刹那的な快楽を求める若者たちの姿を暗喩している。
アップテンポながら、乾いた質感が冷淡な印象を残す。
3. Total Control
本作のハイライトにして、The Motelsを代表する名曲のひとつ。
「完全な支配」を欲する主人公の心情を、しなやかでありながら緊迫感のあるサウンドで描いている。
歌詞は性的な駆け引きと自我の境界をテーマにしており、フェミニズム的視点も感じられる。
4. Love Don’t Help
ブラスが淡く重なるアレンジにより、シニカルなラブソングへと昇華されている。
「愛ではどうにもならない」という皮肉が、淡々としたヴォーカルと共に静かに突き刺さる。
愛の無力さを歌いながらも、どこか冷静で突き放すような姿勢が逆に印象的である。
5. Closets and Bullets
アート・ロック色が強い中盤の楽曲で、メランコリックなギターとシンセが織りなす音像が美しい。
“Closets and bullets”という対比的なモチーフにより、個人の秘密と社会的暴力の交錯を詩的に描いている。
デイヴィスの低音が心に深く残る。
6. Counting
ミニマルなベースラインにのせて、数を数えるようなリズムが淡々と進行する。
繰り返しの中に徐々に情緒が混ざり込む構成が巧みで、心理的な焦燥感がじわじわと募っていく。
冷静な狂気を描いたような小品。
7. Atomic Café
ポストパンク的な空虚さと皮肉が詰まった楽曲。
タイトルが示す通り、核戦争時代の不安と大衆文化への風刺が込められている。
軽快なテンポとは裏腹に、不穏な世界観がじんわりと滲む。
8. Celia
このアルバムでも特に叙情的な一曲で、ミドルテンポのバラード調。
“Celia”という女性への語りかけが続くが、具体的な輪郭を与えないことで普遍性を持たせている。
夢と現の狭間で揺れるようなヴォーカルが美しい。
9. Porn Reggae
異色のレゲエ調楽曲で、陽気さと諧謔のバランスが絶妙。
タイトルから受ける印象よりもずっとソフトで、皮肉と快楽が共存するような軽妙なナンバーである。
このジャンル的逸脱が、アルバム全体の懐の深さを証明している。
10. Dressing Up
アルバムの締めくくりにふさわしい、夜の余韻を残すような楽曲。
“Dressing up to go nowhere”というラインに象徴されるように、虚無感と自己装飾への執着が描かれている。
社会的なペルソナを着ることへのアイロニーを内包しており、実に80年代的なテーマでもある。
総評
『Motels』は、1979年という激動の年に登場した、個性豊かで詩的なニュー・ウェイヴ・アルバムである。
商業的には控えめな成果にとどまったものの、その音楽的挑戦と表現の深さは後年になって再評価されている。
特にマーサ・デイヴィスの表現力は、他のどのバンドとも一線を画す存在感を放ち、シーンの中で独自の立ち位置を築いた。
女性ボーカルを前面に据えたニュー・ウェイヴというスタイルを確立し、その後のGo-Go’sや’Til Tuesday、さらにはGarbageのような90年代以降のバンドにも影響を与えたと考えられる。
また、サウンド面でも、キャバレー風の陰影あるアレンジ、パンク以降の空虚さを反映した歌詞、メロドラマ的な構成など、当時のロサンゼルスに漂っていた耽美と諦念の空気を巧みに凝縮している。
夜の都会をさまようような音像、感情の揺らぎを追体験させる構成は、今聴いても鮮烈である。
The Motelsの原点にして、彼らの美学が最も純粋に刻まれた作品と言えるだろう。
おすすめアルバム(5枚)
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‘Til Tuesday / Voices Carry
女性ボーカルの内省的表現と80年代の洗練されたプロダクションを融合させた作品。 -
Blondie / Parallel Lines
ニュー・ウェイヴとポップの接点を見事に捉え、女性主導バンドの先駆け的存在。 -
Berlin / Pleasure Victim
セクシュアルで冷淡な80年代美学を体現する、ロサンゼルス発のニュー・ウェイヴ名盤。 -
Siouxsie and the Banshees / Juju
よりダークでアート色の強い女性ボーカル・ニューウェイヴを味わえる。 -
Pat Benatar / Crimes of Passion
よりロック寄りだが、女性の力強いボーカルとドラマチックな構成が共通点として挙げられる。
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