発売日: 2023年11月10日
ジャンル: インディー・ポップ、オルタナティブ・ポップ、エレクトロ・ポップ
概要
『Medicine』は、Baby Queen(本名:Bella Latham)が2023年に発表した待望のデビュー・フルアルバムであり、Z世代の感情の断片を鋭くも繊細に切り取ったオルタナティブ・ポップの重要作である。
サウスアフリカ出身でロンドン拠点のシンガーソングライターであるBaby Queenは、2020年代初頭にEP『Medicine』や『The Yearbook』で頭角を現し、Charli XCXやOlivia Rodrigoといった同時代のポップ・アイコンとは一線を画した、より“内省的かつ毒を含んだポップ”を標榜してきた。
このアルバム『Medicine』では、メンタルヘルス、恋愛依存、薬物、性の揺らぎ、承認欲求といった現代的テーマを、鋭利なリリックとカラフルなエレクトロ・ポップの音像で描き切っている。
プロデューサーには、Baby Queenの長年のコラボレーターであるキング・エド(King Ed)が中心となり、80年代のシンセ・ポップの質感と現代的なビートが融合した、刺激的かつ情緒的なサウンドスケープを構築している。
この作品は、SNS時代の“自意識の暴走”や“つながりへの飢え”といった普遍的テーマに真正面から向き合い、ポップ・ミュージックが抱え得る感情の重量を再認識させるアルバムである。
まさに、精神の処方箋としての“Medicine(薬)”なのだ。
全曲レビュー
1. We Can Be Anything
オープニングから広がるドリーミーなシンセと浮遊感あるコーラスが印象的な一曲。
「私たちは何にでもなれる」というフレーズに、可能性と不安が同居するZ世代特有のアイロニーがある。
2. Kid Genius
過剰な知識と過少な自己肯定感のせめぎ合いを描いた楽曲。
「私は“賢すぎる子ども”だった」と吐き出すように歌うその姿勢は、Baby Queenの自伝的核心に触れている。
3. Dream Girl
自分が“理想の女の子”ではないことへの怒りと嘆き。
グリッチーなビートと重ねられた声が、“夢”という名の圧力を切り裂いていく。
4. Love Killer
恋に落ちることは同時に破壊でもある、という二律背反的なテーマ。
ダンサブルな中にも緊張感が漂う、鋭くもキャッチーなポップ・ナンバー。
5. Grow Up
成長と喪失、ノスタルジーと現在の摩擦を描く曲。
ミドルテンポのリズムと繊細なメロディが、言葉にできない“年を取ることの怖さ”を物語る。
6. Quarter Life Crisis
人生の1/4地点での迷走——つまり25歳前後の焦燥感がテーマ。
怒りと絶望を織り交ぜたサビは、まさに「大人になりきれない大人たち」のアンセムとなりうる。
7. I Can’t Get My Shit Together
直訳すれば「自分を整えられない」。
混沌とした日常と、それでも愛を求める矛盾を赤裸々に語るリリックが印象的。
8. 23
年齢という数字と、そこに込められたプレッシャーをめぐるナンバー。
「23歳で私は何をしている?」という疑問は、現代の若者すべてに共通する普遍的テーマだ。
9. Die Alone
“ひとりで死ぬのが怖い”という叫びを、ポップ・メロディに落とし込んだ傑作。
パーソナルで痛々しいほどに率直なラブソングである。
10. Every Time I Get High
薬物使用を比喩としながら、感情の浮き沈みを描いた楽曲。
中毒的な構造と繰り返しの中に、“逃避”のリアルが浮かび上がる。
11. Obvious
恋愛のもどかしさと、愛情の非対称性を綴るナンバー。
タイトル通り、あまりにも“明白”なのに伝わらない感情のギャップを、エレガントに描写する。
12. Medication
アルバムのタイトルを象徴する中心曲。
薬(medication)=感情の調整装置として描かれ、それに依存してしまう自分自身の弱さと向き合う告白的なバラード。
13. A Letter to Myself at 17
17歳の自分に宛てたラストトラックは、アルバムの感情的クライマックス。
「あなたは壊れていない、あなたは愛されるべき存在だ」と語りかける言葉は、すべてのリスナーの“過去”に届くであろう。
総評
『Medicine』は、Baby Queenというアーティストが“自己をさらけ出す”ことに一点の迷いも持たず、現代の感情構造に切り込んだ極めてパーソナルかつ普遍的な作品である。
シンセを中心としたプロダクションはエネルギッシュでありながら、歌詞には内省と懊悩が宿っており、その対比がアルバム全体に独特の緊張感と美しさを与えている。
とりわけ注目すべきは、メンタルヘルスという本来タブー視されがちな主題を、決してセンセーショナルにせず、むしろ日常の中の“一部”として自然に描いている点である。
『Medicine』は、治癒を求める音楽であると同時に、“傷を隠さない勇気”を称えるポップ・アルバムである。
Baby Queenは、痛みを言葉に変え、旋律に包み込む力を持つ新時代の語り手だと確信させる一枚だ。
おすすめアルバム(5枚)
- Billie Eilish – Happier Than Ever (2021)
内面の脆さと怒りをシネマティックに描いた、世代共通の心象風景を持つ作品。 - Beabadoobee – Beatopia (2022)
現実逃避と自己受容をテーマにしたドリーム・ポップの秀作。 - Lorde – Melodrama (2017)
青春の感情の過剰さと孤独を、高度なポップ感覚で昇華したアルバム。 - Gracie Abrams – Good Riddance (2023)
パーソナルな記憶を繊細に紡ぐ、Z世代のシンガーソングライターの代表作。 -
Charli XCX – how i’m feeling now (2020)
テクノロジーと感情の交錯を描いたDIYポップの最前線として、Baby Queenの音世界と共鳴。
歌詞の深読みと文化的背景
『Medicine』に込められたリリックは、ポップという形式における“真実の告白”の可能性を最大限に引き出している。
「Quarter Life Crisis」や「I Can’t Get My Shit Together」は、いわゆる“ミレニアル後”の現実——生きづらさ、自己否定、社会との乖離——を切実に描写する。
また、「Medication」は抗うつ薬や抗不安薬といった“実際の薬”を、愛や音楽のメタファーとして使い、心の依存と回復の揺れ動きを描き出す。
この語り口は、単なるセンチメントではなく、“自己認識”と“語りの政治性”を内包している点で、非常に現代的である。
『A Letter to Myself at 17』という楽曲は、アルバム全体を通して積み重ねられてきた“過去との和解”を結晶化させたものであり、Baby Queenというアーティストが“他人ではなく自分を愛すること”の重要性を静かに語りかける最終章なのだ。
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