発売日: 2015年2月16日
ジャンル: ローファイ、インディーロック、エモ、ベッドルーム・ポップ
概要
『Me Oh My Mirror』は、アメリカ・ネバダ州出身のソングライター、ニック・ラスプーリ(Nick Rattigan)によるソロプロジェクト、Current Joysが2015年に発表した3枚目のスタジオ・アルバムであり、
彼の音楽人生における“エモーショナル・セルフポートレート”のような作品である。
前作『2013』では、未整理で断片的な感情のアーカイブが印象的であったが、
本作ではより楽曲としての構成が整い、**感情と旋律のバランスが研ぎ澄まされた“ローファイ・バラッド集”**へと昇華している。
タイトルにある「Me Oh My Mirror(ああ、わたしよ、わたしの鏡)」という言葉は、
自己と向き合い、自己を映し返す行為そのものを象徴しており、
このアルバムの楽曲群はまさに、愛、孤独、喪失、後悔、そしてその再生といった、
ニックの“自問自答”がそのまま反映された構造になっている。
音楽的には、引き続きDIYローファイ録音による宅録感が支配的だが、
ギターのリフ、メロディの展開、そしてボーカルの力の込め方に、
より練られた美意識と、過剰なまでの感情の注入が見られる。
これは“下手だから感動する”のではなく、むしろ痛みの精度で感動を引き寄せてくるアルバムなのだ。
全曲レビュー(抜粋)
1. Become the Warm Jets
冒頭から、ローファイの美学とニック独自のセンチメントが全開となる名曲。
タイトルはブライアン・イーノの『Here Come the Warm Jets』へのオマージュとも取れるが、
この曲ではむしろ“温もりそのものになりたい”という他者との融合願望が描かれている。
2. My Motorcycle
ノイジーなギターと叩きつけるようなドラムに、青春的な疾走と破壊衝動が滲む一曲。
バイクというモチーフを通して、逃避と自由、そして危うい自己表現が交錯する。
Wavvesや初期のCar Seat Headrestにも通じる“DIY青春パンク”の感覚がある。
3. Don’t the Tell the Boys
アルバム中でも最も傷つきやすく繊細なラブソング。
“あの子たちに言わないで”というリフレインには、感情の隠蔽と自己防衛の詩学が含まれている。
小さな声で叫ぶようなボーカルが胸を打つ。
5. Televisions (Reprise)
前作からの再演。
今作ではテンポがやや遅く、より情緒的なアプローチになっている。
“テレビ”という無機質な存在が、愛や喪失を投影するスクリーンとして再び登場し、
自己と世界の断絶を暗示する。
7. In a Year of 13 Moons
ルイ・マルの映画やリルケの詩を想起させるような美しいタイトル。
音は静謐で、ほとんど語りのようなボーカルが続く。
13の月を抱えた1年、という逸脱と孤立のイメージが印象的。
10. Me Oh My Mirror
アルバムの表題曲にして、本作の感情的中心点。
自己と向き合うことの苦しみと美しさが、
“鏡”というメタファーを通して、非線形かつ私的に語られる。
圧倒的な静けさと情緒に満ちた、祈りのような名曲。
総評
『Me Oh My Mirror』は、Current Joysというプロジェクトが“自傷性と詩情”の間にある独自の表現領域を確立した決定的な一枚である。
前2作のような即興的断片性は後退し、
それぞれの曲がひとつの詩的完成度を持ち、リスナーに刺さるメロディと感情の型を備えている。
だがそれでも、この作品は決して“完成されたポップアルバム”ではない。
むしろその魅力は、感情が整理されきらないまま、でも歌わずにはいられなかったという衝動にある。
Current Joysの音楽は、“誰かに聴かれること”よりも、“ひとりで鳴らすこと”に意義がある。
『Me Oh My Mirror』は、誰のためでもなく、己の内部に向かって放たれた叫びと祈りの記録なのだ。
おすすめアルバム(5枚)
- Mount Eerie – Lost Wisdom (2008)
声とギターだけで世界を描く、深い静寂と喪失のアルバム。Current Joysの精神性に通じる。 - Bright Eyes – Fevers and Mirrors (2000)
若さと痛みの演劇的な告白。“鏡”という主題や語りの手法が共鳴する。 - Xiu Xiu – Always (2012)
内面の暴力と優しさを鋭く切り取るアートポップ。感情表現の極端性が似ている。 - Car Seat Headrest – How to Leave Town (2014)
宅録DIY精神と、感情の彷徨。その複雑な自己語りがニックと重なる。 -
Phoebe Bridgers – Stranger in the Alps (2017)
繊細な表現と抒情性に満ちた内省ポップ。Current Joysの抒情路線の親戚。
歌詞の深読みと文化的背景
『Me Oh My Mirror』に通底するテーマは、“自己との対話”と“感情の映し返し”である。
アルバムの多くの曲で鏡、テレビ、写真といった“見る・映る”メタファーが使われており、
それは現代における自己認識の困難さや、感情のスクリーン越しのやり取りを象徴している。
また、本作が描く感情は、怒りでも喜びでもなく、
自己愛と自己嫌悪、他者への渇望と恐れが同居する“曖昧で純度の高い哀しみ”である。
それがZ世代以降の孤独の新しい形=言葉にしきれない感情のモザイクとして、強く共感を呼んでいる。
このアルバムは、**自分自身の姿に耐えきれず、
でもそこから目を逸らすこともできない若者の“鏡の中のブルース”**なのだ。
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