発売日: 2019年2月15日
ジャンル: シンセ・ポップ、エレクトロ・ロック、ダーク・ウェイヴ、インダストリアル・ポップ、シューゲイズ
概要
『Ladytron』は、バンド自身の名前を冠した通算6作目のスタジオ・アルバムであり、長い沈黙を破ってリリースされた“自己再定義”の一枚である。
2011年の『Gravity the Seducer』以来、実に8年ぶりとなる本作では、過去のすべての音楽的要素――
攻撃的なエレクトロニクス、夢幻的なテクスチャー、ポスト・パンク的アティチュード、政治的な緊張感――が集約され、
Ladytronというユニットの集大成であると同時に、再起動でもあるアルバムとして位置づけられる。
レコーディングはリヴァプールとブラジル・サンパウロで行われ、プロデュースにはJim Abbiss（Arctic Monkeys、Adele）が参加。
アルバム全体を貫くのは、気候危機、ポスト資本主義の疲弊、感情の崩壊と回復といった現代的テーマであり、
まさに**“壊れゆく世界における美しいノイズ”としてのLadytron**が全面に押し出されている。
全曲レビュー
1. Until the Fire
ノイジーなギターと硬質なビートで幕を開ける、ディストピア的祝祭のプロローグ。
「火が来るまで踊っていたい」――破壊と歓喜が共存するトーンが印象的。
2. The Island
リードシングルであり、孤立と反抗のバラッド。
「私たちはこの島に生きている／でも、ここはもう楽園ではない」というラインが、英国的閉塞感を象徴する。
3. Tower of Glass
屈折したメロディラインと重層的なシンセで構成されたドラマティックな一曲。
タイトルが示す通り、“見えているのに触れられないもの”への執着がテーマ。
4. Far from Home
80sニューウェイヴの遺伝子を感じさせるポップ寄りのナンバー。
「どこにも属せない者たちの漂流歌」として、**移民やアイデンティティの問題にも通じる。
5. Paper Highways
ヘレン・マーニーのボーカルが深いリバーブに包まれ、都市と記憶の間を彷徨うような雰囲気を創出。
“紙の高速道路”という比喩が、壊れやすい文明と情報の流動性を物語る。
6. The Animals
本作の最重要トラックのひとつ。
「動物のように戻るしかない」というメッセージの背後に、人間性の喪失と環境危機への焦燥感がにじむ。
MVも強いビジュアルコンセプトで注目された。
7. Run
直線的なリズムに浮遊感のあるメロディが乗るエレクトロ・ポップ。
逃げることは生存の選択であるという、ポリティカルかつエモーショナルな視点が込められている。
8. Deadzone
歪んだシンセと無感情なボーカルで綴られる、感情の枯渇と精神的退廃を描いた暗黒ポップ。
レディトロンらしい“冷たさの中にある焦燥”が極まる。
9. Figurine
社会におけるジェンダーと身体性への違和感を、“人形”という象徴で描いた哲学的ナンバー。
反復的なリリックが聴く者をマインドループへ誘う。
10. You’ve Changed
内省的なバラード調エレクトロ・トラック。
変わってしまった相手、あるいは“変わらざるを得なかった自分”との対話のような構成。
感情の距離感を音で描く手腕が秀逸。
11. Horrorscope
ダブルミーニング的タイトル（horror + horoscope）が示す通り、未来予測の不気味さと現代の混迷をリンクさせたトラック。
不規則なビートと音のレイヤーが、不安と期待を同時に喚起する。
12. The Mountain
終盤のクライマックス的楽曲。
登ることでしか見えない風景、達成と空虚のあわいを描き、アルバムのテーマである“過程と崩壊”を凝縮。
13. Tomorrow Is Another Day
儚くも希望を残すラスト。
「明日はまた別の日」――と淡々と歌いながら、希望の脆さとその必要性を同時に提示する。
総評
『Ladytron』は、8年の沈黙を経た彼女たちが、“かつての自分たち”を更新するために作り上げた、強靭で誠実なセルフ・タイトル作である。
ここにあるのは、もはや単なるシンセ・ポップではない。
気候変動、政治的不安、情報過多、そして感情の解体と再構築――現代的ストレスに音で向き合った記録であり、
そのサウンドは、鋭く、美しく、時に破壊的に、私たちの耳と心に残響する。
前作『Gravity the Seducer』で確立したドリーミーな音像と、初期作にあったノイジーで尖った攻撃性が交錯し、
本作ではその**“揺れ”自体が重要な要素となっている。**
Ladytronは、確信的にぶれてみせることで、“不確実な時代のポップ”を体現しているのだ。
おすすめアルバム（5枚）
- Chvrches『Screen Violence』
感情の断片と未来的不安をエレクトロ・ポップに昇華。音像と主題の共鳴が深い。 - Gazelle Twin『Pastoral』
英国文化の解体と暴力を描いたディストピアン・エレクトロの傑作。 - Grimes『Miss Anthropocene』
テクノロジーと気候変動をテーマにした未来型ポップ。表層的には異なるが問題意識は共通。 - Zola Jesus『Okovi』
痛みと救済、死と再生のテーマを美しく展開するインダストリアル×クラシカルなポップ。 -
Portishead『Third』
ブランクを経た復帰作という意味でも本作と共鳴。緊張感と脱構築の手法が近い。
歌詞の深読みと文化的背景
『Ladytron』というセルフタイトルは、「私たちは誰か」という問いを、再び立て直すための枠組みであり、
その裏には**「どこにいても誰でもない」「でも何者かであり続ける」という自己定義の危うさと必要性**がある。
「The Island」はBrexit以後のイギリスを、「The Animals」や「Far from Home」は気候危機と人間疎外を、
「Figurine」や「You’ve Changed」はジェンダーと感情の構造を静かに、しかし鋭く突いている。
また、多くの楽曲では歌詞が直接的な意味よりも“音響的に空間を作る言語”として機能しており、
それはまさに現代社会における“意味の空洞化と音の飽和”を逆手に取った芸術的手法とも言える。
『Ladytron』は、耳で聴くと同時に、都市の片隅やスクリーンの光の中で“感じる”べきアルバムなのだ。
未来に抗うためではなく、未来と共に崩れながら美しく鳴る――そのための音楽である。
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