1. 歌詞の概要
「Just Like Honey」は、スコットランド出身のオルタナティブ・ロックバンド、The Jesus and Mary Chainが1985年にリリースしたデビュー・アルバム『Psychocandy』のオープニング・トラックであり、彼らのキャリアを象徴する最も有名な楽曲である。轟音ギターと甘美なメロディ、そして静かな絶望とロマンティシズムが共存するその音世界は、「ノイズとポップの融合」というバンドの革新的美学を如実に物語っている。
歌詞は極めてシンプルだが、その中には愛の苦さ、依存、献身、そして再生への欲望といった複雑な感情が詰まっている。「Just like honey(まるで蜂蜜のように)」という象徴的な比喩は、甘さと粘着性、心地よさと逃れられなさといった、恋愛に内在する両義的な感情を表している。語り手は愛する相手にすべてを捧げようとしながらも、その関係にどこか不安と諦めの気配を漂わせている。
メロディの浮遊感とローファイな音像は、まるで記憶の中の風景を思わせる。まさに、甘くてほろ苦い記憶が音になったような一曲である。
2. 歌詞のバックグラウンド
「Just Like Honey」は、兄弟であるジム・リード(Jim Reid)とウィリアム・リード(William Reid)によって書かれ、彼らの初期の音楽的スタンス——1960年代のポップミュージックとノイズの融合——を明確に示した作品である。バンドはヴェルヴェット・アンダーグラウンドやザ・ビーチ・ボーイズ、フィル・スペクターの「ウォール・オブ・サウンド」への憧憬を背景に持ちつつ、当時のポストパンク、ノイズロック、シューゲイザーの先駆として新しい地平を切り開いた。
「Just Like Honey」は、スコットランドの小さな町で育った彼らが、ロンドンに出てインディーミュージックの渦に飲み込まれていく過程で生まれた、最初の“アンセム”だった。アルバム『Psychocandy』は、ザラついたギターとスウィートなメロディを並列させることで、“優しさと痛みの同居”という新たな音楽の美学を提示し、のちのMy Bloody ValentineやRideといったシューゲイザー系バンドにも大きな影響を与えた。
また、この曲は2003年の映画『ロスト・イン・トランスレーション』(監督:ソフィア・コッポラ)のラストシーンに使用されたことで再評価が進み、新しい世代のリスナーにも知られるようになった。ビル・マーレイとスカーレット・ヨハンソンが交わす最後の言葉のあとに流れるこの曲は、言葉を超えた感情を象徴する音楽として完璧に機能し、楽曲の神秘性と普遍性をさらに強調する形となった。
3. 歌詞の抜粋と和訳
以下に「Just Like Honey」の印象的な一節を抜粋し、日本語訳を添えて紹介する。
Listen to the girl / As she takes on half the world
この世界の半分を背負おうとする彼女の声に耳をすませMoving up and so alive / In her honey-dripping beehive
昇っていくように生き生きとした彼女/蜂蜜のようにしたたるビーハイブの中でThis girl’s got a hold on me / Just like honey
この娘に僕は捕らえられてしまった/まるで蜂蜜のようにWalking back to you / Is the hardest thing that I can do
君のもとへ戻ること——それが僕にできる、いちばん難しいことなんだ
引用元:Genius Lyrics – Just Like Honey
4. 歌詞の考察
「Just Like Honey」の歌詞は、非常に短く抽象的でありながら、内省的な愛の構造を巧みに描いている。とりわけ“Just like honey”という繰り返しの比喩には、甘さと罠、幸福と苦悩といった感情の二面性が込められている。愛は“甘美”でありながら、それに捕らわれることで身動きが取れなくなる——まさに蜂蜜のように。
冒頭で登場する“この世界の半分を背負おうとする彼女”という表現は、恋愛において圧倒的な存在感を持つ相手を描いているとも受け取れるし、愛という感情そのものを“彼女”として擬人化しているとも解釈できる。リード兄弟の書く詩はしばしば、具体性よりも象徴と音の響きに重きを置いており、その曖昧さこそがリスナーの感情を映し出す鏡として機能している。
特に、「君のもとへ戻ることがいちばん難しい」というラインは、関係性のなかにある「距離」や「沈黙」、あるいは「傷」を暗示している。逃げたくなるほどの重さを持ちながらも、そこに戻りたいという想い。それは、愛が持つ破壊力と美しさの両方を静かに語っている。
※歌詞引用元:Genius Lyrics – Just Like Honey
5. この曲が好きな人におすすめの曲
- Sometimes Always by The Jesus and Mary Chain feat. Hope Sandoval
より具体的な恋愛模様を男女のデュエットで描いた名バラード。 - When the Sun Hits by Slowdive
夢と現実の狭間を浮遊するような音世界。感情の曖昧さが共鳴する。 - To Here Knows When by My Bloody Valentine
ノイズと優しさの極致。音そのものが感情を語るという感覚に共通点。 - Fade Into You by Mazzy Star
切なさと甘さ、孤独と親密さが交錯する90年代ドリーム・ポップの名曲。
6. 甘さの中に潜む不安——音像としての“恋”
「Just Like Honey」は、リリースから40年近くを経た現在においても、恋愛と喪失、感情の曖昧さを音で表現する稀有な作品として、リスナーの心を掴み続けている。それは“ノイズ・ポップ”というジャンルの枠を超えて、“感情の記憶装置”としての音楽の可能性を提示した楽曲でもある。
その歌詞は短く、はっきりした物語性もない。しかし、まるで夢から覚める直前のような不確かな輪郭を持ったこの曲は、聴くたびに異なる感情の扉を開く。だからこそ「Just Like Honey」は、多くを語らずにすべてを語る、詩的かつ感覚的なラブソングとして、今もなお特別な輝きを放ち続けている。
そして何よりも、この曲が語る“蜂蜜のような愛”は、痛みも喜びもすべて内包しているからこそ、美しく、そして忘れられない。まさに、甘くて、粘りついて、逃れられない——そんな恋の味そのものなのだ。
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