
1. 歌詞の概要
『Jersey Girl』は、Tom Waitsが1980年にリリースしたアルバム『Heartattack and Vine』に収録された、彼のキャリアの中でもとりわけストレートでロマンティックなラブソングである。彼の作品には珍しい“純粋な愛”を歌ったこの楽曲は、ざらついた声とストリート感に満ちた詩的な世界観を持ちながらも、どこか家庭的で、温かな幸福感が全編に流れている。
物語の主人公は、仕事終わりの疲れた体を抱えて“ジャージー・ガール”のもとへ帰ろうとする男。夜の都会にありながらも、彼はネオンや酒場ではなく、愛する女性の腕の中へ向かっている。Waitsの多くの楽曲で描かれるのは孤独や敗北、破れた恋だが、この『Jersey Girl』では例外的に「報われた愛」「支え合う関係性」「日常に根ざした幸せ」がテーマとなっている。
「君と一緒ならどこへでも行く」「誰に何を言われても、君がいればそれでいい」――こうした歌詞の中に、語り手の不器用ながらも誠実な愛がにじみ出ており、荒々しい声と対照的な優しさが聴く者の胸を打つ。
2. 歌詞のバックグラウンド
『Jersey Girl』は、Tom Waitsが妻でありミューズでもあるKathleen Brennanへの愛情をもとに書かれた曲だとされている。彼女はニュージャージー出身であり、Waitsにとって音楽的にも精神的にも大きな影響を与える存在だった。この曲がリリースされた頃、Waitsの音楽性はより内面的で家庭的な要素を取り入れるようになり、過去の酩酊的なナイトライフから、次第に“愛に根ざした生活”へと舵を切っていく端緒ともなった。
またこの曲は、Bruce Springsteenによるカバー(1981年からライブで頻繁に演奏)によっても広く知られるようになった。Springsteenの“ニュージャージー・スピリット”と重なり合う内容だったため、彼のファンの間では“ほぼ公式の曲”のような扱いを受けており、その人気によって本家の『Jersey Girl』もより多くのリスナーに届くことになった。
3. 歌詞の抜粋と和訳
Got no time for the corner boys
街角の不良たちとつるんでる暇なんてないDown in the street makin’ all that noise
通りで騒ぎ立ててるあいつらとは違うんだOr the girls out on the avenue
通りに立ってる女の子たちにも興味はない‘Cause tonight I wanna be with you
今夜、俺がいたいのはお前の隣だけなんだ
この冒頭では、都会の誘惑や騒がしさを否定し、主人公が「ただ一人の女性との静かな時間」を何よりも大切にしていることが表現されている。
‘Cause you know she’s gonna treat me right tonight
今夜も彼女はきっと俺を優しく迎えてくれるOh yeah, and I’m gonna treat her right too
俺だって彼女を大切にするつもりさ
恋愛の一方通行ではなく、相互に支え合う関係性がここで描かれており、Waitsの歌詞としては異例なほど健全で前向きな内容になっている。
Nothing else matters in this whole wide world
この広い世界で、他のことなんてどうだっていいWhen you’re in love with a Jersey girl
“ジャージー・ガール”を愛している限りはさ
このサビのリフレインは、シンプルながらも力強く、真っ直ぐな愛の告白として聴く者の心に響く。Waitsの中にある“家庭”への憧れと現実が交差するフレーズだ。
引用元:Genius – Tom Waits “Jersey Girl” Lyrics
4. 歌詞の考察
『Jersey Girl』の歌詞は、まるで都会の雑踏の中で手を取り合って生きる“ふたり”の物語である。語り手は、何かを成し遂げたわけでも、特別なロマンスを語るわけでもない。ただ、今日という一日を終え、愛する人のもとへ帰るという“平凡な幸福”を噛みしめている。
この曲においては、Waits特有の酔いどれの哀愁や不安定さは姿を潜めており、その代わりに、安定と癒しへの渇望、そしてそれを得られたことへの驚きと感謝が表現されている。都会の夜を描きながら、実はその奥にある“家庭”や“愛”への希望が語られている点で、この楽曲は非常にユニークであり、Waitsのキャリアの中でも異彩を放っている。
また、“Jersey girl”という固有名詞は、単に地名を指すだけでなく、ここでは“庶民的で誠実な女性像”の象徴でもある。彼女は煌びやかではなく、ありのままで、だが確かな愛をくれる存在。そんな彼女への誠実な愛が、語り手の人生に静かな輝きをもたらしている。
5. この曲が好きな人におすすめの曲
- Rosalita (Come Out Tonight) by Bruce Springsteen
ニュージャージーの女性へのラブソングであり、青春と恋の衝動を描いた熱狂的な一曲。 - Love Minus Zero/No Limit by Bob Dylan
複雑で深い愛を繊細に描いたフォーク・バラード。抑制された情熱が共通する。 - Heart of Gold by Neil Young
素朴なメロディにのせて“純粋な愛”を追い求める心を歌った不朽の名曲。 - Picture in a Frame by Tom Waits
より後期のWaitsによる、静かで感傷的なラブソング。『Jersey Girl』の親戚のような存在。
6. “愛する人のもとへ帰る”という最もロマンティックな物語
Tom Waitsの楽曲の多くは、敗者、浮浪者、夜の街の片隅に生きる者たちの物語だ。しかし『Jersey Girl』だけは違う。そこに描かれるのは、“誰かを愛していて、その人もまた自分を愛してくれる”という、実は最も得難い奇跡である。
語り手はヒーローではない。むしろ、日々の疲れを抱えて帰ってくる普通の男だ。でも、その彼を待つ“ジャージー・ガール”の存在が、世界のすべてを変えてしまう。Tom Waitsはこの曲で、ささやかな日常の中にある“愛の真価”を、静かに、しかし力強く語ってみせた。
歌詞引用元:Genius – Tom Waits “Jersey Girl” Lyrics
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