アルバムレビュー:Here Comes the Cowboy by Mac DeMarco

※本記事は生成AIを活用して作成されています。

発売日:2019年5月10日 ジャンル:インディー・ロック/スラッカー・ロック/ベッドルーム・ポップ/ソフト・ロック

概要

Mac DeMarcoの4作目のフル・アルバム『Here Comes the Cowboy』は、それまで彼の代名詞だった歪んだギター、軽妙なユーモア、ローファイ感覚を大幅に削ぎ落とし、極端な反復、沈黙、ゆっくりしたテンポによって「何もしない時間」を音楽化した作品である。

2012年の『2』、2014年の『Salad Days』によって、Mac DeMarcoは2010年代インディー・ロックを代表する存在となった。

彼の音楽はしばしば“slacker rock”と呼ばれた。

力の抜けたヴォーカル。

少しピッチの揺れるギター。

安価な機材を思わせるローファイな質感。

冗談と真剣さが混ざった歌詞。

そうした要素は、PavementやJonathan Richman、初期Beckなどへつながる「頑張りすぎないインディー・ロック」の系譜と共鳴する一方、DeMarco自身はそこへソフト・ロック、AOR、ジャングリーなギター、ベッドルーム録音的な親密さを加えた。

しかし『Here Comes the Cowboy』では、そのスタイルをさらに解体する。

ギターは鳴っている。

ベースもある。

ドラムもある。

しかし音数が極端に少ない。

コード進行も単純。

曲によっては、ほとんど同じフレーズを延々と繰り返す。

テンポも遅い。

そのため、本作は「完成度の高いポップ・ソングを並べたアルバム」というより、Mac DeMarcoという人物の日常的な精神状態を、そのまま部屋の空気ごと録音した作品に近い。

タイトルの『Here Comes the Cowboy』も重要である。

“cowboy”という言葉は、アメリカ文化では自由、孤独、放浪、男性性、古い西部劇的なイメージと結びつく。

しかしDeMarcoが描く“cowboy”は英雄ではない。

馬に乗って荒野へ向かうのでもない。

むしろ何もせず、ゆっくり歩き、時間を持て余す人物として現れる。

つまりカウボーイという古典的な男性像を、スラッカー的な「無為」の象徴へ変えている。

また、本作はMac DeMarcoが自身のレーベルMac’s Record Labelから発表した最初期の重要作でもあり、キャリア上の独立性が高まった時期の作品でもある。

前作『This Old Dog』で家族、父親、老い、死といった個人的テーマへ接近したDeMarcoは、『Here Comes the Cowboy』でさらに内向きになる。

しかし感情を強く告白するのではない。

むしろ言葉を減らす。

一つのフレーズを繰り返す。

沈黙する。

この「言わなさ」が、本作の表現になっている。

2019年という時代を考えると、この方法は興味深い。

ストリーミング時代のポップは短時間で注意を引くことが求められ、曲の冒頭からフックやビートを提示する傾向が強まっていた。

『Here Comes the Cowboy』はほぼ逆である。

何も起きない。

派手な展開がない。

聴き手を急かさない。

そのため本作は、現代ポップの高速化に対する消極的な反抗のようにも聞こえる。

全曲レビュー

1. Here Comes the Cowboy

アルバムはタイトル曲「Here Comes the Cowboy」で始まる。

この曲は、本作のミニマリズムを最も露骨に示す。

歌詞は極端に少ない。

同じ言葉が反復される。

リズムもほとんど変化しない。

通常のアルバム1曲目なら、作品の方向を勢いよく提示する。

しかしDeMarcoは逆に、聴き手の時間感覚を遅くする。

「カウボーイがやって来る」。

ただそれだけの出来事が、何度も繰り返される。

ここで重要なのは、カウボーイが何をするかが語られないことだ。

来る。

それだけ。

英雄的な物語もない。

決闘もない。

旅もない。

この脱ドラマ化が、本作全体のテーマになっている。

音楽的には、空白が非常に多い。

音を足すのではなく、残す。

何も鳴っていない瞬間が、曲の一部として機能している。

これは『Here Comes the Cowboy』という作品の聴き方を最初に要求する曲である。

速い刺激を期待するのではなく、反復のなかへ入る必要がある。

2. Nobody

「Nobody」は、本作の中でも特に内向きな楽曲である。

タイトルは「誰でもない」。

成功したミュージシャンであり、多くのファンを持つMac DeMarcoが、“nobody”という言葉を使うことには皮肉がある。

有名になる。

見られる。

認識される。

しかし、その結果として「自分が何者なのか分からなくなる」。

この感覚が曲の中心にある。

著名人になることは、自分自身が商品やキャラクターへ変わることでもある。

Mac DeMarcoには長く「気楽で面白い男」「奇妙なインディー・ロックの兄貴」のようなイメージがついていた。

しかし本人がそのイメージと一致しているとは限らない。

「Nobody」は、その外部イメージと自己認識のズレを静かに描く。

サウンドは柔らかく、ギターとヴォーカルがほとんどささやくように進む。

感情的だが、爆発しない。

孤独を強調するために、アレンジも極端に抑制されている。

3. Finally Alone

「Finally Alone」は、「ついに一人になれた」という言葉をタイトルに持つ。

通常、“alone”は孤独として否定的に扱われる。

しかしここでは“finally”がつく。

つまり一人になることが待ち望まれていた。

Mac DeMarcoのキャリアが大きくなるにつれて、ツアー、取材、ファン、仕事、人間関係など、常に誰かと接触する生活が増えた。

その状況では、一人でいることが自由になる。

ここには「孤独」と「解放」の二面性がある。

誰もいない。

だから寂しい。

しかし誰もいない。

だから安心できる。

この曲はその中間にある。

音楽は穏やかで、シンプルなコード進行と柔らかな声を中心に構成される。

派手なサビへ行かないことで、本当に一人で座っているような時間感覚を作る。

4. Little Dogs March

「Little Dogs March」は、本作のなかでも特に奇妙でユーモラスなタイトルを持つ。

「小さな犬たちの行進」。

Mac DeMarcoらしい、日常の小さな物事をそのまま曲へする感覚が強い。

ここでは大きな哲学的テーマより、身近な存在を眺める視線が中心になる。

タイトルの“march”は本来、軍隊的で規律ある動きを連想させる。

しかし行進しているのは「小さな犬」。

この落差がユーモアを生む。

音楽も軽く、少しコミカルで、アルバムの内省的な流れに小さな休憩を作る。

DeMarcoの音楽は真剣さだけでは成立しない。

くだらなさ。

何気なさ。

ちょっとした笑い。

それらも重要な要素である。

5. Preoccupied

「Preoccupied」は、「何かに心を奪われている」「頭がいっぱい」という意味を持つ。

この曲では、現代人の注意力が常に外部へ奪われている状態を思わせる。

何かを考えている。

スマートフォンを見る。

仕事をする。

他人のことを考える。

未来を心配する。

その結果、今ここにいることが難しくなる。

『Here Comes the Cowboy』全体が極端に遅く作られていることを考えると、「Preoccupied」は作品の思想をよく表す。

何かに占有された頭を、いったん空にする。

何もしない。

ただ同じコードを聞く。

この音楽そのものが、注意力の回復を促すように機能する。

歌詞も過剰に説明しない。

だからこそ聴き手自身の思考が曲の余白へ入り込む。

6. Choo Choo

「Choo Choo」は、本作のなかでも最も露骨にファンク的な楽曲である。

タイトルは列車の擬音。

子供っぽく、単純で、意味より音そのものが重要である。

音楽も同じだ。

ベースとリズムが反復され、ヴォーカルはほとんど掛け声のようになる。

ここではMac DeMarcoのローファイ・ポップ的な側面より、Princeやファンク、ミニマルなダンス・ミュージックへの関心が感じられる。

ただし完全なダンス・トラックではない。

グルーヴはある。

しかし極端に力が抜けている。

そのため、ファンクの身体性を「スラッカー化」したような独特の感触になる。

アルバムのなかでは音楽的なアクセントとして重要である。

7. K

「K」は、本作の中でも最も素直で美しいラヴ・ソングのひとつである。

タイトルは非常に短い。

具体的な名前を完全に書かず、頭文字だけ残すような親密さがある。

歌詞も、過剰な比喩やドラマを避ける。

誰かを愛している。

その人と一緒にいる。

それだけでいい。

Mac DeMarcoのラヴ・ソングは、しばしばこの「普通さ」を重視する。

大げさな永遠の愛ではない。

日常のなかで相手を思う。

その小さな感情を、柔らかなコードとギターで支える。

『Here Comes the Cowboy』のミニマリズムが、最も肯定的に機能した曲でもある。

音数が少ないからこそ、メロディーと声がまっすぐ聞こえる。

8. Heart to Heart

「Heart to Heart」は、本作のなかでも特に重要な楽曲である。

タイトルは「心と心で話すこと」「率直に向き合うこと」を意味する。

歌詞には友人関係や記憶の感覚があり、過去に共有した時間を静かに振り返る。

この曲は、Mac DeMarcoと親交のあったMac Millerをめぐる文脈とも強く結びついて聴かれてきた。

そのため、楽曲には単純な友情以上に、喪失と追憶の重みが加わる。

ただし音楽は追悼歌として大げさに構築されない。

むしろ短く、淡々としている。

人が亡くなったとき、必ずしも壮大な言葉が出てくるわけではない。

何気ない会話。

一緒に過ごした時間。

笑い。

そうした普通の記憶の方が強く残る。

「Heart to Heart」はその感覚を非常に静かに表現する。

9. Hey Cowgirl

「Hey Cowgirl」は、タイトル曲の“cowboy”と対になるような楽曲である。

ここでは“cowgirl”という存在へ直接呼びかける。

ただし西部劇的な物語はない。

あくまでDeMarcoらしい、少しふざけた呼びかけとして使われる。

歌詞には恋愛的な距離感があり、相手を追いかけるより、少し離れた場所から見ているような感覚がある。

音楽もゆるく、サビの強烈なフックより、会話のような自然さを優先する。

この曲でも重要なのは「何も起こらない」ことである。

恋愛ドラマへ発展しない。

告白の大爆発もない。

その抑制が、本作の美学を支えている。

10. On the Square

「On the Square」は、ピアノや鍵盤の存在感が強く、アルバム後半の空気を変える曲である。

“on the square”には、正直、正しい、まっとうといった意味を持つ用法がある一方、四角い場所、広場という空間的なイメージもある。

この曲では自己認識、期待、社会的役割といった問題が感じられる。

人は自分自身として生きたい。

しかし他人から「正しい人間」であることを期待される。

その期待に合わせるほど、自分が何者か分からなくなる。

音楽はゆっくりしているが、不穏なコード感があり、単なる穏やかなバラードにはならない。

『Here Comes the Cowboy』の静けさのなかに潜む不安を、特に明確に示す楽曲である。

11. All of Our Yesterdays

「All of Our Yesterdays」は、アルバムのなかでも時間を最も直接的に扱う曲である。

タイトルは「私たちのすべての昨日」。

つまり過去。

積み重なった記憶。

失敗。

楽しかった時間。

若さ。

それらを振り返る。

Mac DeMarcoはこの時点でまだ若い世代のアーティストではあるが、すでに長いツアー生活と急速な成功を経験していた。

そのため本作には、「時間が思ったより速く進んでいる」という感覚がある。

「All of Our Yesterdays」は、その感覚を最も素直に歌う。

過去は戻らない。

しかし完全に消えるわけでもない。

現在の自分は、過去のすべての積み重ねでできている。

サウンドは温かく、ノスタルジック。

ただし過去を理想化しすぎない。

静かに受け入れる。

12. Skyless Moon

「Skyless Moon」は、非常に詩的で不可能なイメージをタイトルに持つ。

月は空にある。

しかし「空のない月」。

この矛盾は、孤立した存在のように聞こえる。

本来あるべき場所から切り離されたもの。

このイメージは、本作に繰り返し登場する孤独と深く共鳴する。

Mac DeMarcoは成功した。

多くの人に知られている。

しかし、その場所が本当に自分の居場所なのか。

有名になればなるほど、自分が周囲から切り離されることもある。

「Skyless Moon」はその漂流感を、非常に静かな音で表現する。

アルバム終盤のなかでも特に夢のようで、空間が広く感じられる曲である。

13. Baby Bye Bye

最後の「Baby Bye Bye」は、本作のなかで最も長く、構成も変化に富んだ楽曲である。

タイトルは単純な別れ。

「さようなら」。

しかしその別れ方は、本作全体の静けさをそのまま維持するわけではない。

前半は比較的穏やかなソングライティングで進むが、後半になると演奏がより自由になり、ジャム的な感覚が強くなる。

ここでようやくアルバムの抑制が少し崩れる。

長い間、音を減らし続けてきた作品が、最後になって少し解放される。

この構成は非常に効果的である。

ただし結末は「大団円」ではない。

あくまで別れ。

何かが終わる。

そして音が残る。

『Here Comes the Cowboy』という、時間をゆっくり引き伸ばしたアルバムの最後にふさわしい終幕である。

総評

『Here Comes the Cowboy』は、Mac DeMarcoのキャリアにおいて最も意図的に「何もしない」アルバムである。

この表現は消極的に聞こえるかもしれない。

しかし本作では、「何もしないこと」そのものが美学として設計されている。

音を増やさない。

展開を増やさない。

歌詞を増やさない。

大きなサビを作らない。

速くしない。

その結果、通常のポップ・ミュージックが避ける「空白」が前面に出る。

これは非常に大胆な選択である。

Mac DeMarcoはそれ以前、ゆるいアーティストとして知られていた。

しかし実際の『Salad Days』や『2』には、かなり強いポップ・ソングが多い。

コード進行。

ギター・フック。

サビ。

短い構成。

つまり表面的にはリラックスしていても、曲はしっかり作り込まれていた。

『Here Comes the Cowboy』では、その作り込み自体を削る。

だから本作は「さらに力を抜いたMac DeMarco」と言える。

この方向性が、評価を分けた最大の理由でもある。

聴き手によっては、曲が未完成に感じられる。

反復が長い。

展開が少ない。

前作までのギター・フックが不足している。

これらは実際、本作の特徴である。

しかし同時に、それを欠点だけで説明すると作品の意図を見落とす。

『Here Comes the Cowboy』は、ポップ・ソングの効率を高めることに興味がない。

むしろ「曲が退屈になる寸前まで同じ状態を続ける」ことに興味を持っている。

これはミニマル・ミュージックとも共通する発想である。

反復する。

ほとんど変わらない。

しかし完全に同じではない。

小さなギターの変化。

声の揺れ。

ドラムの入り方。

そこへ意識が向く。

つまり刺激を減らすことで、逆に小さな変化を大きく感じさせる。

この構造が本作の面白さである。

また、『Here Comes the Cowboy』では「有名になること」の疲労が重要な背景にある。

「Nobody」。

「Finally Alone」。

「On the Square」。

これらの曲には、外部から見られることへの疲れがある。

Mac DeMarcoは2010年代インディー・カルチャーのなかで、音楽だけでなくキャラクターそのものが愛されたアーティストだった。

奇妙。

面白い。

気さく。

ふざけている。

そのイメージはファンにとって魅力的だった。

しかしアーティスト本人にとっては、その人物像を維持することが負担になる可能性がある。

『Here Comes the Cowboy』では、そうした「Mac DeMarcoらしさ」を演じること自体から少し距離を取ろうとしている。

タイトル曲がその象徴である。

「カウボーイが来る」。

普通ならキャラクターの登場を盛り上げる。

しかし曲は極端に地味。

つまり「Mac DeMarcoというキャラクターが登場する」こと自体を空虚化している。

この自己解体が本作にはある。

同時に、本作は老いと時間への意識をさらに強めている。

『This Old Dog』では父親や死が重要なテーマだった。

『Here Comes the Cowboy』では、もっと日常的な時間の経過が中心になる。

「All of Our Yesterdays」。

「Heart to Heart」。

「Finally Alone」。

過去を振り返る。

人との距離が変わる。

一人になる。

この感覚は、若い頃のDeMarco作品には比較的少なかった。

かつては恋愛や怠惰を軽く歌っていた。

ここでは、その怠惰が時間の有限性と結びつく。

何もしない。

しかし時間は進む。

この事実が、アルバムの遅さに独特の重さを与える。

音響面では、ソフト・ロックや1970年代的なシンガーソングライターの影響が強い。

ギターはクリーン。

ベースは丸い。

ドラムは乾いている。

ヴォーカルは近い。

巨大なリヴァーブや派手なシンセサイザーはほとんど必要とされない。

この親密さは、いわゆるベッドルーム・ポップと非常に相性が良い。

Mac DeMarcoは2010年代に、後のベッドルーム・ポップ世代へ大きな影響を与えた人物でもある。

Clairo。

Boy Pablo。

Rex Orange County。

Homeshake。

Vacationsなど、直接的・間接的にDeMarco以後の親密なDIYポップ環境と結びつくアーティストは多い。

重要なのは、彼の影響が単なるギターのコーラス/ヴィブラート音だけではないことだ。

「完璧なスタジオで録音しなくてもよい」。

「大声で歌わなくてもよい」。

「生活に近い声で歌ってよい」。

この価値観そのものが大きかった。

『Here Comes the Cowboy』は、そのDIY的親密さをさらに極端にした作品である。

一方で、本作にはファンク的な側面もある。

「Choo Choo」が特に分かりやすい。

Mac DeMarcoはしばしばジャングリーなギター・ポップの人物として語られるが、リズムやベースへの関心も強い。

本作では音数を減らしたことで、逆にベースの存在感が大きくなる。

ギターがコードを大量に鳴らさない。

だから低音が目立つ。

ドラムも複雑ではない。

だからグルーヴそのものがよく聞こえる。

この点では、ローファイ・インディーというよりミニマルなソウル/ファンクに近づく瞬間がある。

歌詞の簡潔さも重要である。

Mac DeMarcoはもともと文学的に複雑な作詞家ではない。

短い言葉。

直接的な感情。

会話的な表現。

それが特徴だった。

『Here Comes the Cowboy』では、さらに言葉を減らす。

この方法によって、意味が曖昧になる。

たとえば「Nobody」。

誰でもないとはどういう意味か。

自分が消えたいのか。

有名人としての自己を否定したいのか。

孤独なのか。

完全には説明されない。

そのため聴き手が空白を埋める。

本作では、この「説明しないこと」が一貫している。

また、「Heart to Heart」の存在はアルバム全体に感情的な重心を与える。

友人との記憶や喪失を、巨大な追悼ソングではなく短いポップ・ソングへ変える。

これはDeMarcoの作風に非常によく合う。

彼の音楽では、大きな悲しみも日常へ戻される。

人がいなくなる。

でも翌日は来る。

コーヒーを飲む。

ギターを弾く。

思い出す。

その程度の静かな時間のなかに悲しみが存在する。

このスケール感が、『Here Comes the Cowboy』の感情表現の核心である。

アルバム・タイトルに戻ると、“cowboy”という言葉は、本作の孤独と自由を同時に象徴している。

カウボーイは一人でいる。

自由。

しかし孤独。

移動できる。

しかし居場所がない。

DeMarcoはその古典的イメージから英雄性を取り除き、もっと日常的な人物へ変える。

荒野を走るのではなく、部屋でギターを弾く。

決闘するのではなく、何もしない。

この脱力化が非常に彼らしい。

後世への影響という観点では、本作そのものが『Salad Days』ほど大きなスタイルを生んだとは言いにくい。

むしろ、すでに巨大な影響力を持っていたMac DeMarcoが、自分自身の影響から逃れようとした作品と考える方が適切である。

2010年代後半には「Mac DeMarco風」のギター・サウンドがインディー界で非常に広く使われるようになっていた。

揺れるクリーン・ギター。

ローファイ録音。

気だるい歌声。

DeMarco自身がその公式を繰り返せば、自分の模倣者と同じ場所へ留まることになる。

『Here Comes the Cowboy』では、その公式を意図的に薄くする。

ギターを主役から下げる。

曲をさらに遅くする。

反復を増やす。

この変化は、自己模倣を避けるためのものでもあった。

作品全体としては、聴き手にかなりの忍耐を要求する。

『Salad Days』のように次々とキャッチーな曲が出てくるアルバムではない。

しかし、その遅さを受け入れると、本作の統一感が見えてくる。

一人になる。

過去を振り返る。

友人を思い出す。

恋人を思う。

何もしない。

時間が過ぎる。

この生活の小さな反復が、そのままアルバムになっている。

最後の「Baby Bye Bye」で少しだけ演奏が解放された後、作品は終わる。

大きな結論はない。

成長したとも言わない。

人生の答えもない。

ただ一日が終わるように、アルバムが終わる。

『Here Comes the Cowboy』は、2010年代インディー・ロックの象徴的存在だったMac DeMarcoが、「もっと大きくなること」ではなく「もっと少なくすること」を選んだ作品である。

その極端な簡素さゆえに評価は分かれるが、彼のキャリアにおける内省、自己解体、そして成熟を理解するうえで重要な一枚である。

おすすめアルバム

1. Mac DeMarco – This Old Dog(2017)

『Here Comes the Cowboy』直前の作品。父親、老い、死、人間関係を柔らかなシンセサイザーとアコースティックな音響で描いている。本作の内省性や、派手なギターから距離を取る方向性がどこから始まったかを理解するうえで最重要の一枚である。

2. Mac DeMarco – Salad Days(2014)

Mac DeMarcoの代表作。揺れるギター、ローファイなサウンド、気だるいヴォーカル、優れたポップ・メロディーが最もバランスよく融合している。『Here Comes the Cowboy』と比較すると、後者がどれほど意図的にフックや展開を減らしたかが明確になる。

3. Jonathan Richman – Jonathan Richman and the Modern Lovers(1976)

ロックンロールの技巧や虚勢を削り、日常的な言葉、素朴な演奏、ユーモアを前面に出した重要作。Mac DeMarcoの「うまく見せすぎない」「普通の感情をそのまま歌う」という姿勢の先行例として関連性が高い。

4. Homeshake – Fresh Air(2017)

Mac DeMarcoの元ツアー・メンバーでもあるPeter Sagarによる作品。ミニマルなR&B、ファンク、ベッドルーム・ポップを極端に力の抜けた音響で融合している。『Here Comes the Cowboy』の「Choo Choo」などに見られる低音重視のミニマルなグルーヴと特に親和性が高い。

5. Ariel Pink – pom pom(2014)

ローファイ、ソフト・ロック、サイケデリア、奇妙なユーモアを混在させた作品。Mac DeMarcoとは表現の密度が大きく異なるものの、過去のポップ・ミュージックを意図的に歪ませ、DIY的な親密さと風変わりなキャラクターを共存させた点で重要な比較対象となる。

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