
発売日:2013年10月14日
ジャンル:トリップホップ/ダウンテンポ/エレクトロニカ/ソウル/オルタナティヴ・ポップ
概要
Morcheebaの『Head Up High』は、1990年代後半のトリップホップ/ダウンテンポを代表するグループが、2010年代のエレクトロニック・ポップやR&Bへ接近しながら、自らの核にある「ゆったりしたビートとソウルフルな歌」を再構築した作品である。
MorcheebaはPaul Godfrey、Ross Godfrey兄弟とSkye Edwardsを中心に1990年代半ばに結成された。Massive Attack、Portishead、Trickyらと同時代に登場したことから、しばしばトリップホップという括りで語られるが、Morcheebaの音楽はブリストル勢の暗く都市的なサウンドとは少し異なる。
彼らの場合、ヒップホップ由来のブレイクビーツ、ダブ的な低音、サンプリング感覚を持ちながら、フォーク、ブルース、ソウル、ポップへの親和性が非常に高い。特にSkye Edwardsの柔らかく低めのヴォーカルは、Morcheebaのサウンドを特徴づける最大の要素となってきた。
1996年の『Who Can You Trust?』、1998年の『Big Calm』、2000年の『Fragments of Freedom』などを通じ、彼らはトリップホップの陰影を保ちながら、より開放的なポップへと音楽性を広げていった。
しかし2000年代半ばにはSkye Edwardsが一時グループを離れ、Morcheebaは複数のヴォーカリストを迎えて活動を継続する。2010年の『Blood Like Lemonade』でSkyeが復帰し、『Head Up High』はその再合流後の流れをさらに推し進めた作品となった。
本作で特に目立つのは、ゲスト・ヴォーカリストの多さである。
MorcheebaはもともとSkye Edwardsの声を中心とするバンドというイメージが強いが、『Head Up High』では曲ごとに異なる歌手やラッパーを迎え、アルバム全体を一種のコラボレーション作品として構成している。
この方法によって、従来のダウンテンポだけではなく、エレクトロ・ソウル、ヒップホップ、ダブ、ポップ、クラブ・ミュージックまでサウンドの幅が広がった。
タイトルの「Head Up High」は、「顔を上げて」「誇りを持って進む」といった意味を持つ。
その言葉は本作の感情的な方向性ともよく一致している。
Morcheebaの初期作品には夜、倦怠、孤独、感情的な距離といったテーマが多かった。本作にも陰影は残るが、それ以上に「困難の中でも自分を保つ」「誰かとの関係から立ち直る」「自分自身の力を取り戻す」といった前向きな感覚が強い。
音響面でも同様である。
『Big Calm』の時代に比べれば電子音はより硬質になり、低音は太く、ドラム・プログラミングには2010年代的な明瞭さがある。
それでもMorcheebaらしい余白は失われていない。
音を詰め込むのではなく、ベース、ビート、ギター、ヴォーカルの間に空間を作る。
この「空間を聴かせる」感覚が、本作を単なる現代的エレクトロニック・ポップではなく、Morcheebaの作品として成立させている。
全曲レビュー
1. Gimme Your Love
アルバム冒頭の「Gimme Your Love」は、『Head Up High』の方向性を非常に明確に示す楽曲である。
重くゆったりしたビート、深いベース、エレクトロニックな質感を背景に、Skye Edwardsのヴォーカルが静かに前へ出る。
タイトルは「あなたの愛をちょうだい」という直接的な言葉だ。
しかし歌唱には激しい要求というより、抑制された官能性がある。
Morcheebaの最大の特徴は、強い感情を大声で表現しないことにある。
むしろSkyeの声を低い位置に置くことで、欲望を内側へ閉じ込める。
その結果、楽曲には落ち着きと緊張が同時に生まれる。
音楽的には初期トリップホップの空気を残しながら、低音処理やシンセサイザーは明らかに2010年代的である。
過去のMorcheebaと現在のMorcheebaをつなぐオープニングである。
2. Face of Danger
「Face of Danger」は、危険と対峙する人物を描いた、比較的力強いナンバーである。
タイトルの「危険の顔」は、特定の人物にも、困難な状況そのものにも読める。
本作には「Head Up High」というタイトルが示すように、困難を前にしても屈しないというテーマがある。
この曲はそのテーマをより直接的に表現する。
サウンドはダウンテンポを基本としながらも、ビートの輪郭が強く、アルバム序盤に緊張感を与える。
Skyeのヴォーカルは冷静で、危険を恐れて逃げるというより、距離を測りながら向き合っているように聞こえる。
Morcheebaらしい「静かな強さ」を示した一曲である。
3. Call It Love
「Call It Love」は、恋愛に名前を付けることそのものをテーマにしたような楽曲である。
「これを愛と呼ぼう」という言葉には、関係の曖昧さがある。
二人の間に何かは存在する。
しかし、それが恋愛なのか、依存なのか、欲望なのか、単なる一時的なつながりなのかは完全には分からない。
そこで語り手は、それをとりあえず「love」と呼ぶ。
この曖昧さはMorcheebaの恋愛表現に非常によく合っている。
彼らは愛を理想化しない。
愛情と距離、欲望と不安が同時に存在する。
音楽も滑らかで、ソウルとエレクトロニカの中間に位置する。
派手なサビよりも、一定のグルーヴを維持することで感情を持続させる。
4. Under the Ice
「Under the Ice」は、「氷の下」という冷たいイメージを持つ。
外からは静かに見えても、その下では何かが動いている。
これは感情の比喩として非常にMorcheebaらしい。
表面的には落ち着いている。
しかし内側には不安、欲望、記憶が残っている。
サウンドもそれに合わせて抑制されている。
ビートは深く、エレクトロニックな音色には冷たさがある。
ヴォーカルはその上を滑るように配置され、曲全体に水中のような感覚を作る。
トリップホップが本来持っていた「都市の夜」のイメージを、より抽象的な自然の風景へ置き換えたような一曲である。
5. I’ll Fall Apart
「I’ll Fall Apart」は、精神的な崩壊や依存を扱う、アルバムの中でも感情的な楽曲である。
タイトルは「自分はバラバラになってしまう」という意味を持つ。
本作の「Head Up High」という前向きなタイトルとは対照的だ。
しかし、この対照が重要である。
強く生きようとする人間も、常に強いわけではない。
誰かを失ったり、支えを失ったりすれば崩れることもある。
Morcheebaは回復や自立を描きながら、その途中に存在する脆弱さを隠さない。
音楽は比較的メロディックで、ヴォーカルの感情を前面に出す。
この曲によってアルバムは単純なポジティヴ作品にならず、より複雑な心理を持つ。
6. Make Believer
「Make Believer」は、「信じさせる人」あるいは「作られた信念」といった二重のニュアンスを持つタイトルである。
恋愛関係において、相手が本当に誠実なのか、それとも言葉によって信じ込ませているだけなのか。
その疑いが曲の中心にある。
Morcheebaの歌詞では、人間関係の表面と内側が一致しないことが多い。
誰かを信じたい。
しかし、完全には信じられない。
この不安定さが、ゆったりしたビートとよく合う。
音楽的にはR&B色が強く、Skyeのヴォーカルの滑らかさが際立つ。
派手な展開を避けながら、コードと低音の変化によって緊張を作る。
7. Release Me Now
「Release Me Now」は、「今すぐ自分を解放してほしい」という強い言葉を持つ楽曲である。
それまでの曲で描かれてきた依存や曖昧な関係から、一歩外へ出ようとする。
つまり、本作における「解放」のテーマが最も直接的に現れる曲である。
歌詞では、関係を続けることよりも、自分自身を取り戻すことが重要になる。
これは『Head Up High』全体の精神的な軸と一致する。
音楽はダウンテンポを基盤にしつつ、サビではわずかに開放感が増す。
完全な勝利宣言ではない。
しかし、少なくとも「ここから出たい」という意思が生まれている。
その意思自体が重要なのだ。
8. To Be
「To Be」は、存在すること、自分が何者であるかという非常に大きなテーマを、簡潔なタイトルに凝縮した楽曲である。
Morcheebaの作品では、社会的な主張よりも個人の心理が中心となる。
この曲でも「どう見られるか」ではなく、「自分がどうありたいか」という内面的な問いが重要になる。
サウンドにはアンビエント的な余白があり、音数を抑えることでヴォーカルと雰囲気を前面に出す。
アルバムの中盤から後半へ移る地点で、一度外部の関係から離れ、自己認識へ向かう曲として機能する。
9. Hypnotized
「Hypnotized」は、誰かや何かに完全に魅了され、意識を支配される状態を描く。
「催眠にかかった」という言葉は、恋愛や欲望を表す典型的な比喩でもある。
自分の意思で行動しているつもりでも、実際には相手の存在によって判断が変わってしまう。
このテーマは、Morcheebaのトリップホップ的なサウンドと非常に相性が良い。
反復するビート。
低音。
ループ。
ささやくようなヴォーカル。
それら自体が催眠的な状態を作る。
つまり「Hypnotized」は、歌詞で催眠を語るだけでなく、音楽そのものが聴き手を同じ状態へ引き込む。
Morcheebaの長年の強みがよく表れた一曲である。
10. To the Grave
「To the Grave」は、秘密や感情を「墓場まで持っていく」というイメージを持つ。
誰にも言わない。
最後まで抱え続ける。
その強い決意には、信頼と孤独の両方がある。
本作の歌詞では、人とのつながりが重要である一方、完全には共有できない感情も繰り返し描かれる。
この曲はその「共有できない部分」を扱う。
音楽は暗く、低音が深い。
しかし過度に劇的にはしない。
Morcheebaは死や秘密といった重い言葉を使っても、音楽をゴシック的な重さへは向かわせない。
あくまで静かに、内面的な重圧として表現する。
11. Do You Good
「Do You Good」は、誰かとの関係が自分や相手にとって「良いもの」なのかを問いかける。
愛していることと、その関係が健全であることは同じではない。
Morcheebaの作品では、この区別が重要である。
相手を必要としていても、その関係が自分を傷つけるなら離れる必要がある。
このテーマは「Release Me Now」ともつながる。
音楽は比較的明るく、ソウル/ポップ寄りの感触を持つ。
そのため歌詞の内省性が重くなりすぎない。
Morcheebaはこうした苦いテーマを、柔らかなメロディで包むことを得意としている。
12. Finally Found You
アルバム終盤の「Finally Found You」は、「ついにあなたを見つけた」というタイトル通り、長い探索の後に誰かへたどり着く感覚を持つ。
本作ではこれまで、危険、不信、崩壊、解放、秘密など、不安定な人間関係が多く描かれてきた。
その最後に「見つけた」という言葉が置かれることで、作品全体にある程度の着地点が生まれる。
ただし、それは完全なハッピーエンドではない。
Morcheebaの世界では、関係が成立したからといって不安が消えるわけではない。
重要なのは、長い時間を経て一時的にでも誰かとのつながりを確認できることだ。
音楽も比較的温かく、アルバム終盤に必要な解放感を作る。
『Head Up High』のテーマである「困難を経た後の回復」を象徴する楽曲のひとつである。
総評
『Head Up High』は、Morcheebaが1990年代トリップホップのノスタルジーへ閉じこもらず、2010年代の音楽環境へ自分たちのスタイルを適応させた作品である。
Morcheebaを語る際、どうしても『Big Calm』や「The Sea」「Part of the Process」といった1990年代の代表曲が中心になりやすい。
しかし『Head Up High』の価値は、彼らがその時代のサウンドを単純に再現していないことにある。
トリップホップというジャンルは、1990年代半ばに非常に強い時代性を持っていた。
遅いブレイクビーツ。
サンプリング。
ダブ由来のベース。
映画音楽的なストリングス。
ヒップホップとソウルの融合。
PortisheadやMassive Attackがその暗い側面を代表した一方、Morcheebaはもっと柔らかく、フォークやポップへ開かれていた。
2013年の『Head Up High』では、その基本構造を残しながら、より現代的な電子音やR&B的な質感を取り込む。
この変化によって、Morcheebaの音楽は「1990年代のトリップホップ」ではなく、「ダウンテンポを核にした柔軟なポップ」として再定義される。
Skye Edwardsの存在は、その統一感を作るうえで決定的である。
彼女の声は大きく張り上げない。
ファルセットや派手なフェイクによって技巧を示すことも少ない。
しかし、その抑制がMorcheebaには必要だ。
低い声。
少しかすれた質感。
息を多く含んだ歌唱。
それによって、楽曲に常に「近距離」の感覚が生まれる。
巨大なステージへ向けて歌うのではなく、すぐ隣で話しているような声。
それがMorcheebaの親密さを作っている。
『Head Up High』ではゲストが増えているが、それでも作品が分裂しないのは、Paul GodfreyとRoss Godfreyが作るビートと音響の統一性があるからだ。
特に重要なのが低音と余白である。
Morcheebaのサウンドは、音を増やすことで豪華さを作らない。
むしろ、何を鳴らさないかが重要になる。
ベースが鳴る。
その後に空白がある。
ヴォーカルが入る。
ギターやキーボードが短く応答する。
この空間設計が、彼らのダウンテンポを単調にしない。
本作のタイトル「Head Up High」は、そのサウンドとは一見対照的だ。
音楽はゆったりしている。
しかしテーマは前向きだ。
顔を上げる。
自分を保つ。
関係から抜け出す。
自分を取り戻す。
この「静かな前進」がアルバム全体を貫いている。
「I’ll Fall Apart」では崩れる可能性を認める。
「Release Me Now」では解放を求める。
「Do You Good」では関係の健全さを問い、「Finally Found You」では新しいつながりへたどり着く。
つまり本作は、単なる恋愛アルバムではない。
依存から自立へ向かう感情の流れを持っている。
また、本作にはMorcheebaが長年持ってきた「ジャンルの境界にこだわらない姿勢」もよく表れている。
トリップホップ。
ソウル。
ヒップホップ。
ダブ。
フォーク。
エレクトロニカ。
これらを明確に分離せず、ひとつの曲の中で少しずつ混ぜる。
この柔軟性は、1990年代のトリップホップが後のチルアウト、ダウンテンポ、オルタナティヴR&B、エレクトロ・ソウルへ与えた影響とも関係する。
2000年代後半から2010年代には、James Blake、The xx、FKA twigs、Rhyeなど、空間の多い電子音とソウルフルなヴォーカルを組み合わせる音楽が大きく発展した。
Morcheebaはそれ以前から、その基本的な感覚を持っていた。
『Head Up High』では、その先駆性を新しい制作環境の中で再確認することができる。
一方、本作は『Who Can You Trust?』のような暗さや、『Big Calm』のような一枚を通した強烈な統一感とは少し異なる。
ゲストが多く、ジャンルも広いため、作品の表情は頻繁に変化する。
しかし、それは弱点であると同時に、本作の意図でもある。
Morcheebaというグループが固定された「Skye Edwards+トリップホップ」という形式から少し距離を取り、より開かれた共同制作体へ変化しているからだ。
その意味で『Head Up High』は、キャリア中盤以降のMorcheebaを理解するうえで重要な作品である。
1990年代の成功を再現するのではなく、その時代に獲得した音楽的言語を2010年代へ翻訳する。
古いビートをそのまま使うのではない。
古い空気感だけを残すのでもない。
彼らの核にある「低音、余白、柔らかな声、ジャンルを越える感覚」を保持しながら、新しい電子音へ適応する。
『Head Up High』は、その更新が比較的自然な形で成功したアルバムである。
おすすめアルバム
1. Morcheeba – Big Calm(1998)
Morcheebaの代表作にして、トリップホップ/ダウンテンポ期の完成形。「The Sea」「Part of the Process」「Blindfold」などを収録し、Skye Edwardsのヴォーカル、ヒップホップ的なビート、フォークやソウルの要素が最も自然に融合している。『Head Up High』の原点を知るうえで最重要の一枚である。
2. Morcheeba – Blood Like Lemonade(2010)
Skye Edwards復帰後の重要作。初期Morcheebaを思わせる暗いダウンテンポへ回帰しながら、2010年代的なプロダクションへ更新している。『Head Up High』の直接的な前段階として、両作の違いを比較しやすい。
3. Massive Attack – Mezzanine(1998)
トリップホップをより暗く、重く、実験的な方向へ発展させた代表作。Morcheebaよりはるかに陰鬱だが、ダブ由来の低音、遅いビート、女性ヴォーカルと電子音の組み合わせなど、共通する音楽的背景がある。
4. Zero 7 – Simple Things(2001)
ダウンテンポ、ソウル、ジャズ、エレクトロニカを柔らかく融合した作品。Morcheebaの穏やかな側面と非常に近く、ヴォーカルを前面に出しながら、余白の多いプロダクションで曲を構成する方法にも共通性がある。
5. Portishead – Dummy(1994)
トリップホップを代表する歴史的作品。映画的なサンプリング、遅いブレイクビーツ、孤独を帯びた女性ヴォーカルによって1990年代の重要な音響を確立した。Morcheebaはより明るくポップ寄りだが、『Head Up High』まで続く「低速ビートと親密な声」の歴史的背景を理解するうえで欠かせない一枚である。

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