
イントロダクション
Fenne Lily(フェン・リリー)は、イギリス・ブリストルを拠点に活動してきたシンガーソングライターである。フォーク、インディロック、スロウコア、オルタナティブ、ベッドルームポップの質感をまといながら、恋愛、孤独、自己認識、身体、記憶、別れのあとに残る沈黙を、非常に静かな声で描いてきた。
彼女の音楽には、派手な劇的展開は少ない。大きな声で感情をぶつけるというより、部屋の隅に座って、自分の中でまだ名前のついていない気持ちを少しずつ言葉にしていくような音楽である。アコースティックギターの細い響き、乾いたドラム、控えめなベース、淡く重なるコーラス。その中心にあるのは、ひび割れそうなほど繊細で、それでも芯のある声だ。
2018年のデビューアルバムOn Holdでは、若さの痛みと失恋の余韻を、むき出しのフォークソングとして描いた。2020年のBREACHでは、ひとりでいること、20代の不安、身体や自己像への違和感を、より広いバンドサウンドで見つめた。そして2023年のBig Pictureでは、関係の終わりと生活の変化を、温かく住み慣れた部屋のような音像の中で描いた。PitchforkはBig Pictureについて、複雑な物語を居心地のよい生活感のある空気の中に置いた作品と評している。Pitchfork
Fenne Lilyの魅力は、弱さを弱さのまま提示することにある。しかし、それは無力さではない。彼女の静けさは、声を失った静けさではなく、自分の声をよく聴くための静けさである。彼女の歌は、私たちが普段うまく説明できない感情の輪郭を、そっと照らしてくれる。
アーティストの背景と歴史
Fenne Lilyは、ブリストルを拠点に活動を始めたイギリスのシンガーソングライターである。初期にはDodie、Charlie Cunningham、Marlon Williamsなどのサポートを務めながら、少しずつライブシーンで名前を広げていった。デビュー作On Holdのレビューでも、彼女が数年にわたりライブ活動を重ね、限られた音源だけで注目を集めてきた存在だったことが紹介されている。Bittersweet Symphonies
2018年、Fenne Lilyは自主制作でデビューアルバムOn Holdを発表する。この作品は、彼女が10代の頃に書いた楽曲を中心に構成され、失恋、片想い、自分の足りなさへの感覚、家族や親密な関係への思いが、非常に素直な形で歌われている。Dorkは同作を、報われない愛のあとで心を壊されるようなアルバムと評している。Readdork
その後、彼女はDead Oceansと契約し、2020年にセカンドアルバムBREACHを発表する。BREACHは、デビュー作よりも音楽的な幅が広く、ギターの質感もより強くなった作品である。Pitchforkは同作について、On Holdの震えるようなインディフォークから離れ、20代における自己形成、孤独、社会的な違和感を扱う、より多面的な作品だと評している。Pitchfork
2023年にはサードアルバムBig Pictureを発表。Brad Cookが共同プロデュースを担当し、Christian Lee Hutson、Katy Kirby、Jay SomのMelina Duterteらも関わった。日本の音楽メディアでも、Big Pictureが2023年4月14日にDead Oceansからリリースされ、Brad Cook、Christian Lee Hutson、Katy Kirby、Melina Duterteが参加した作品として紹介されている。-
Big Pictureは、恋愛の終わりや人生の移行期を描くアルバムである。Bandcampの紹介では、同作は過去2年間の美しくも切実な肖像であり、自分を落ち着かせるために少しずつ組み立てられた作品だと説明されている。Fenne Lily
音楽スタイルと影響
Fenne Lilyの音楽は、インディフォーク、オルタナティブフォーク、スロウコア、インディロック、ベッドルームポップ、シンガーソングライター系フォークを横断している。初期はアコースティックギターと声を中心にした非常にミニマルな表現が目立ったが、BREACH以降はバンドサウンド、歪んだギター、乾いたリズム、複雑なコーラスワークが加わり、音像が大きく広がった。
彼女の声は、強く押し出すタイプではない。むしろ、言葉の端をそっと置いていくような声である。そこには、Phoebe BridgersやJulien Baker、Laura Marling、Adrianne Lenker、Sharon Van Etten、Elliott Smithなどに通じる内省性がある。ただしFenne Lilyの音楽には、より英国的な湿度と、少し乾いたユーモアもある。
BREACH期には、そのユーモアや皮肉がより前に出た。The Line of Best Fitは、同作について、Fenne Lily自身が「もっとまとまり、はっきりし、正気でいるためのレコード」であると説明していたことに触れ、その明確なヴィジョンがソングライターとしての強さと脆さを美しく示していると評している。The Line of Best Fit
Fenne Lilyの歌詞の特徴は、日常的な言葉の中に急に鋭い感情の刃を差し込むことだ。会話のように始まった一節が、ふいに心の奥の傷を開く。PitchforkはBig Pictureについて、彼女の声が会話的なフレーズからでも悲哀を引き出せる温かさと揺れを持つと評している。Pitchfork
代表曲の解説
「Top to Toe」
「Top to Toe」は、Fenne Lily初期の代表曲であり、On Holdの繊細な世界を象徴する楽曲である。曲名は「頭からつま先まで」という意味を持つ。身体全体で誰かを感じること、あるいは誰かに支配されてしまうような感覚がにじむ。
この曲の魅力は、声とギターの距離の近さである。派手なアレンジはない。だが、その分、言葉の小さな震えが直接届く。恋愛の中で自分の輪郭が曖昧になる瞬間を、Fenne Lilyは大声で叫ぶのではなく、ほとんど囁くように歌う。
「Top to Toe」は、彼女が最初から感情の細部を扱う作家だったことを示す曲である。弱々しいのではない。むしろ、弱さを隠さずに置く強さがある。
「On Hold」
「On Hold」は、デビューアルバム表題曲であり、Fenne Lilyの初期を代表する楽曲である。タイトルは「保留中」という意味を持つ。関係が終わったのか、まだ続いているのか。自分が相手の中でどんな位置にいるのか。そうした宙吊りの状態が、曲全体に漂っている。
Drowned in Soundはこの曲について、関係からようやく前へ進み始める瞬間を示す、爽やかで美しい楽曲として触れている。DrownedInSound
この曲では、失恋がただの悲しみではなく、少しだけ自由にも聞こえる。待たされること、保留にされること、返事のない状態に置かれること。それは苦しい。しかし、その状態から抜け出すとき、心には小さな風が吹く。「On Hold」は、その風を捉えた曲である。
「Brother」
「Brother」は、Fenne Lilyの家族的な視線が表れた楽曲である。恋愛だけではなく、兄弟姉妹、近い存在との関係、幼い頃の記憶や罪悪感がテーマになっている。
Drowned in Soundは、「Brother」について、近しい関係を感傷的に描きながらも、ありがちな表現に陥らない曲だと評している。DrownedInSound
Fenne Lilyの歌詞は、誰かを思いやるときにも、自分の未熟さを見逃さない。「Brother」には、優しさと後悔が同時にある。過去の自分が相手に何をしたのか、何を言えなかったのか。その問いが、静かなメロディの中に残る。
「The Hand You Deal」
「The Hand You Deal」は、デビュー期のFenne Lilyの孤独と自己認識がよく表れた楽曲である。タイトルは、配られたカード、つまり自分に与えられた状況や運命を思わせる。
この曲では、自分が選んだものと、選ばざるを得なかったものの境界が曖昧になる。恋愛も人生も、完全に自由な選択ではない。手元に配られたカードで、なんとか進むしかない。Fenne Lilyは、その諦めと抵抗を静かに歌う。
「Three Oh Nine」
「Three Oh Nine」は、恋愛における自己否定や不安が強く出た楽曲である。SputnikmusicはOn Holdについて、Julien BakerやLordeの作品にも通じる脆さと失恋の感覚に満ちていると評し、「Three Oh Nine」では恋愛対象を前にした自己不足感が歌われていると指摘している。スプートニクミュージック
Fenne Lilyのラブソングは、愛される喜びよりも、「なぜ自分が愛されるのか分からない」という不安に近い。「Three Oh Nine」は、誰かを好きになることで、自分の輪郭がかえって不安定になる瞬間を描いている。
「Hypochondriac」
「Hypochondriac」は、BREACH期を代表する楽曲の一つである。タイトルは「心気症」を意味し、自分の身体や心の異変に過敏になる状態を示す。
この曲では、Fenne Lilyの音楽がデビュー作の繊細なフォークから、より広いバンドサウンドへ移っていることが分かる。ギターは厚みを持ち、リズムは少し重くなり、声もより前に出る。しかし、中心にあるのはやはり不安だ。
自分の身体に対する違和感、心の動きへの過剰な注意、孤独の中で膨らむ不安。「Hypochondriac」は、20代の自己認識のざらつきを音にした曲である。
「Alapathy」
「Alapathy」は、BREACHの中でも印象的な楽曲である。タイトルは造語的で、「apathy=無気力」と「allopathy=対症療法」を思わせる響きを持つ。Fenne Lilyらしい、少しひねりのある言葉選びだ。
この曲には、無気力や停滞感がある。しかし音楽は完全には沈まない。ギターの響きとリズムが、ぼんやりした心を少しずつ動かしていく。Fenne Lilyの音楽は、悲しみを劇的に解決しない。むしろ、悲しみの中でどうやって生活を続けるかを描く。
「Berlin」
「Berlin」は、BREACHの中でも重要な楽曲である。Pitchforkは、BREACHがFenne Lilyのひとり旅、とりわけベルリンへの滞在から影響を受けており、「Berlin」にはLucy Dacusも参加していると紹介している。Pitchfork
ベルリンという街は、多くのアーティストにとって孤独と自由の両方を象徴する場所である。この曲でも、ひとりでいることの怖さと、自分だけで立つことの必要性が重なる。Fenne Lilyは、孤独をロマンチックに飾らない。そこには退屈も、心細さも、少しの解放もある。
「I Used to Hate My Body But Now I Just Hate You」
「I Used to Hate My Body But Now I Just Hate You」は、Fenne Lilyのタイトルセンスと皮肉が最も鋭く出た曲の一つである。身体への自己嫌悪が、やがて相手への怒りへ移る。その変化が、タイトルだけで鮮やかに示されている。
Pitchforkはこの曲について、失敗した関係を鮮やかな物語性と感情の鋭さで描いた楽曲として触れている。Pitchfork
この曲の重要性は、Fenne Lilyが単なる内省的なフォークシンガーではなく、怒りや皮肉も扱える作家だと示した点にある。彼女の静かな声は、時に非常に辛辣である。大声で叫ばない分、その言葉はむしろ鋭く届く。
「Solipsism」
「Solipsism」は、BREACHのテーマを象徴する楽曲である。タイトルは「独我論」を意味し、自分の意識だけが確かなものだという哲学的な概念である。
この曲では、ひとりでいること、自分の内面に閉じこもること、それによって世界が遠くなる感覚が歌われる。Fenne Lilyは抽象的な言葉を使いながらも、曲そのものは非常に身体的で感情的だ。
20代の孤独は、ただ寂しいだけではない。自分が自分の中に閉じ込められてしまうような苦しさがある。「Solipsism」は、その感覚を静かに描く。
「Birthday」
「Birthday」は、BREACHの中でも不思議なユーモアと不穏さを持つ楽曲である。PitchforkはBig Picture評の中で、BREACHには「Birthday」のような奇妙な導入を持つ楽曲があったと触れ、同作の皮肉や鋭さを示している。Pitchfork
誕生日は本来、祝福の日である。しかしFenne Lilyの手にかかると、誕生日は自分の時間の進み方、他人との距離、祝われることのぎこちなさを映す鏡になる。彼女は日常的な出来事の中に、感情の奇妙な歪みを見つける。
「Laundry and Jet Lag」
「Laundry and Jet Lag」は、BREACHの終盤を飾る印象的な曲である。Beats Per Minuteはこの曲について、ツアーと恋愛の疲労、複雑な感情を扱い、最後に残る傷を効果的に描く曲として評している。Beats Per Minute
洗濯物と時差ぼけ。タイトルがすでにFenne Lilyらしい。大きな悲劇ではなく、生活の細部に疲労が宿る。移動し、洗濯し、眠れず、誰かとの関係の残骸を抱える。彼女はそうした日常の疲れを、歌の中で静かにほどいていく。
「Lights Light Up」
「Lights Light Up」は、Big Pictureの入口を飾る楽曲である。光が灯るというタイトルは、アルバム全体のテーマである「見えなかったものが少しずつ見えてくる」感覚と重なる。
Pitchforkはこの曲について、愛の歌のようでありながら、関係の終わりに向かう不安が潜んでいると指摘している。Pitchfork
この曲のFenne Lilyは、以前よりも音の中に温かさを持っている。BREACHの孤独や自己形成の鋭さに比べ、Big Pictureでは、関係を振り返る目線に少し距離がある。痛みは残っているが、その痛みを抱える部屋には、柔らかい光も差している。
「Dawncolored Horse」
「Dawncolored Horse」は、Big Pictureの中でも詩的なタイトルが印象的な楽曲である。夜明け色の馬。現実の情景というより、夢や記憶の中に現れる象徴のような言葉だ。
Fenne Lilyの歌詞は、具体的な生活の細部と、こうした少し不思議なイメージを自然に行き来する。「Dawncolored Horse」では、感情がまだ完全に言葉になっていない状態が、音の淡い色合いとして残る。
「2+2」
「2+2」は、Big Pictureの中でも印象的なコーラスワークと空気感を持つ曲である。Pitchforkは、この曲の終盤にある息づかいのようなコーダを、アルバムの空間的な魅力の一つとして挙げている。Pitchfork
タイトルは単純な足し算を示す。しかし、人間関係は2+2のようには割り切れない。好き、嫌い、必要、苦しい、離れたい、残りたい。感情の計算はいつも合わない。Fenne Lilyは、その合わなさを、穏やかな音で受け止める。
「Pick」
「Pick」は、Big Pictureの中でも軽やかな背景ボーカルや細かな音作りが魅力の曲である。Pitchforkは、同曲にちりばめられた遊び心あるバックボーカルを、アルバムの住み慣れた空気を作る要素として挙げている。Pitchfork
Fenne Lilyの音楽は、静かなだけではない。「Pick」には、小さな遊び心がある。痛みを歌っていても、音の中には生活の軽さ、友人との会話、ふとした笑いのようなものが残っている。
「Half Finished」
「Half Finished」は、Big Pictureの核心に近い曲である。Pitchforkは、この曲で何気ない問いかけが突然、別の人生を想像してしまうような感情へ変わると評している。Pitchfork
タイトルは「半分終わった」「未完成」という意味だ。恋愛も、人生も、自己理解も、完全に終わることは少ない。終わったと思っても、途中のまま残っている。Fenne Lilyは、この未完成さを否定しない。
この曲は、彼女の作家性をよく示している。大きな事件ではなく、会話の中の一言から人生全体が揺れる。その小さな揺れを捉える力が、Fenne Lilyの最大の魅力である。
「Superglued」
「Superglued」は、Big Pictureの中でも特に沈んだ美しさを持つ楽曲である。Pitchforkは、この曲のメロディが暗く、声が少し上がる瞬間やコードの光が入るたびに、むしろさらに沈み込むようだと評している。Pitchfork
タイトルは「瞬間接着剤でくっついた」という意味である。離れたいのに離れられない関係、もう自然ではないのに強く接着されている感情。その比喩が、曲全体に静かな痛みを与えている。
「Red Deer Day」
「Red Deer Day」は、Big Pictureの後半に置かれた重要曲である。Pitchforkによれば、この曲はFenne Lilyが最後に書いた曲であり、別れの歌でありながら、最も希望を感じさせる曲の一つでもある。Pitchfork
Fenne Lilyの別れの歌は、劇的な終幕ではない。むしろ、関係が終わったあとに、日常がまだ続いていることを静かに確認するような歌である。「Red Deer Day」には、ひとりになった事実を受け入れる痛みと、そこから始まる小さな自由がある。
「Map of Japan」
「Map of Japan」は、Big Pictureの中でも特に高く評価された楽曲である。Pitchforkは同曲をアルバムの際立った楽曲とし、静かに崩れていく関係と遅れてやってくる気づきを描く曲だと評している。Pitchfork
この曲では、抑制されたアレンジの中に、ときおり強いギターコードが割り込む。その響きは、自分に向けた確認のように聞こえる。すべてが弱ってしまったわけではない。自分の中にはまだ力が残っている。「Map of Japan」は、Fenne Lilyの静かな音楽の中にある、隠れた強さを示す曲である。
アルバムごとの進化
On Hold
2018年のOn Holdは、Fenne Lilyのデビューアルバムである。自主制作として発表されたこの作品は、アコースティックギターと声を中心に、若い頃の恋愛、失望、家族、自己認識を描いている。
このアルバムの魅力は、未完成さにある。音は過剰に磨かれていない。歌詞も、経験を完全に整理した大人の視点というより、傷の近くから書かれている。だからこそ、曲には強い生々しさがある。
SputnikmusicはOn Holdについて、Julien BakerやLordeの作品にも通じる脆さと失恋の感覚を持ち、感情の複雑さを繊細に表現していると評している。スプートニクミュージック
On Holdは、Fenne Lilyが「静かな声で深く傷つくこと」を音楽に変えるアーティストであることを示した作品である。
BREACH
2020年のBREACHは、Fenne Lilyのセカンドアルバムであり、彼女の表現を大きく広げた作品である。タイトルの「breach」は、裂け目、突破、侵害を意味する。このアルバムには、自分の内側に入ってくるもの、あるいは自分の殻を破って外へ出る感覚がある。
Pitchforkは、同作がOn Holdの震えるようなインディフォークから、より多彩なサウンドへ進み、20代の自己形成を描く作品だと評している。Pitchfork
The Line of Best Fitは、BREACHがソングライターとしての強みと脆さを美しく示す12曲で構成されていると評価している。The Line of Best Fit
「Hypochondriac」、「Alapathy」、「Berlin」、「I Used to Hate My Body But Now I Just Hate You」、「Solipsism」などを通じて、Fenne Lilyは孤独、身体、怒り、皮肉、自己認識をより広い音楽的パレットで描いた。BREACHは、彼女が静かなフォークシンガーから、より鋭いインディロックの作家へ進化したアルバムである。
Big Picture
2023年のBig Pictureは、Fenne Lilyのサードアルバムである。Brad Cookが共同プロデュースを担当し、Christian Lee Hutson、Katy Kirby、Melina Duterteらが参加した作品で、音像は前作よりも温かく、生活感のあるものになっている。-
Bandcampの紹介では、同作は過去2年間の美しくも切実な肖像であり、自分を落ち着かせるために組み立てられた作品だと説明されている。Fenne Lily
PitchforkはBig Pictureを、温かく住み慣れた空気の中で複雑な物語を描くアルバムと評し、「Map of Japan」を際立った楽曲として挙げている。
このアルバムでは、Fenne Lilyは関係の終わりをただ悲劇として描かない。むしろ、終わりが近づく過程、気づかないふりをしていた時間、別れのあとに少しだけ見える光を描く。Big Pictureは、失恋のアルバムであると同時に、自己回復のアルバムでもある。
Fenne Lilyの歌詞世界:私たちの輪郭を描く言葉
Fenne Lilyの歌詞は、感情を大きく断定しない。彼女は「私は悲しい」「私は怒っている」と直接言い切るより、生活の中の小さな場面や会話を通じて、その感情を浮かび上がらせる。
洗濯物、時差ぼけ、寝室、移動、誰かの何気ない質問、身体への違和感、言いそびれた言葉。こうした日常の断片が、彼女の歌では心の輪郭を作る。だからFenne Lilyの曲を聴くと、自分の感情が説明されたというより、自分でも気づいていなかった形をそっとなぞられたように感じる。
彼女の音楽における「私」は、孤立した個人ではない。恋人、友人、家族、過去の自分、未来の自分との関係の中で輪郭を持つ。だからタイトルにある「私たちの輪郭」という言葉が似合う。Fenne Lilyは、自分自身を歌いながら、聴き手それぞれの輪郭まで浮かび上がらせる。
ライブパフォーマンスの魅力
Fenne Lilyのライブは、静けさの緊張感が魅力である。大きな演出や派手な照明で圧倒するタイプではない。むしろ、観客が息をひそめて言葉の細部を聴くような空間を作る。
彼女の楽曲は音源でも親密だが、ライブではさらに声の揺れが近く感じられる。小さなミスや息づかいすら、曲の一部になる。Fenne Lilyの音楽は、完全に整ったものよりも、少し壊れそうな瞬間に美しさが宿る。ライブでは、その壊れそうな美しさがより強く伝わる。
影響を受けたアーティストと音楽
Fenne Lilyの音楽には、Elliott Smith、Laura Marling、Sharon Van Etten、Adrianne Lenker、Phoebe Bridgers、Julien Baker、Angel Olsen、Big Thief、Nick Drake、Joni Mitchellなどの影響を感じることができる。
特に、Elliott Smith的な小さな声の親密さ、Laura Marling的な英国フォークの知性、Phoebe BridgersやJulien Bakerに通じる現代インディの脆さと皮肉は、Fenne Lilyの音楽と親和性が高い。
ただし、Fenne Lilyは影響源をそのままなぞらない。彼女の音楽は、より淡く、より生活感があり、時に乾いたユーモアを持つ。感情をドラマ化しすぎないところが、彼女の個性である。
影響を与えたアーティストと音楽シーン
Fenne Lilyは、2010年代後半以降の英国インディフォーク/オルタナティブ・シンガーソングライターシーンにおいて重要な存在である。彼女の音楽は、繊細な声と内省的な歌詞を持つ若いアーティストたちにとって、一つの参照点になっている。
特に、DIY的な出発点からDead Oceansのような国際的レーベルへ進み、音楽性を大きく広げていったキャリアは、現代のインディアーティストにとって示唆的である。小さな声でも届く。静かな音楽でも世界を広げられる。そのことをFenne Lilyは証明している。
同時代アーティストとの比較
Fenne Lilyは、Phoebe Bridgers、Julien Baker、Lucy Dacus、Adrianne Lenker、Soccer Mommy、Snail Mail、Julia Jacklin、Laura Marlingなどと比較できる。
Phoebe Bridgersとは、繊細な声、死や孤独をユーモアと共に扱う感覚で近い。ただし、Fenne Lilyの方がより英国的で、言葉の置き方が少し乾いている。
Julien Bakerが祈りに近い強烈な内面告白をするのに対し、Fenne Lilyはもっと会話的で、生活の中に痛みを置く。Lucy Dacusが物語と記憶を大きく描くなら、Fenne Lilyはより小さな部屋の空気を描く。
Adrianne LenkerやBig Thiefと比べると、Fenne Lilyは自然や神話よりも、恋愛、身体、生活、都市的な孤独に近い。だが、静かな声で深い感情を映すという点では強く響き合う。
ファンや批評家からの評価
Fenne Lilyは、派手なチャートアクションよりも、批評家やインディリスナーからの信頼によって評価を積み重ねてきたアーティストである。On Holdでは、若いソングライターとしての繊細さが注目された。BREACHでは、より明確で広い音楽的ヴィジョンが評価され、The Line of Best Fitは彼女の強さと脆さの両方を示す作品として評した。The Line of Best Fit
Big Pictureでは、彼女の音楽がさらに成熟したものとして受け止められた。Pitchforkは同作を、温かい生活感のある音像の中で複雑な物語を描く作品として評価している。Pitchfork
彼女のファンにとって、Fenne Lilyの音楽は大きな救済ではなく、小さな確認である。自分だけがこんなふうに感じているわけではない。言葉にできなかった感情にも、ちゃんと形がある。彼女の曲は、そのことを静かに教えてくれる。
Fenne Lilyのユニークさ
Fenne Lilyのユニークさは、静けさの中に複雑な感情の輪郭を描けることにある。
彼女は、声を張り上げない。言葉を飾りすぎない。音を詰め込みすぎない。その代わり、沈黙や余白を使って、感情の細部を聴かせる。Fenne Lilyの音楽では、言わないことも歌の一部である。
また、彼女の歌には、自己憐憫に沈みきらない強さがある。傷ついているが、自分を観察する目は冷静だ。寂しいが、その寂しさを少し笑える。怒っているが、声は静かだ。この矛盾が、彼女の音楽を深くしている。
まとめ
Fenne Lilyは、静けさをまとった声で「私たちの輪郭」を映すシンガーソングライターである。2018年のOn Holdでは、若い失恋と自己不安をむき出しのフォークソングとして描き、2020年のBREACHでは、孤独、身体、怒り、20代の自己形成をより広いバンドサウンドで表現した。2023年のBig Pictureでは、関係の終わりと生活の変化を、温かく住み慣れた音像の中で描いた。
「Top to Toe」は恋愛の中で曖昧になる身体の感覚を、「On Hold」は宙吊りの関係から抜け出す瞬間を、「Brother」は家族への優しさと後悔を、「Hypochondriac」は身体と心への不安を、「I Used to Hate My Body But Now I Just Hate You」は自己嫌悪から怒りへの変化を歌った。「Half Finished」、「Red Deer Day」、「Map of Japan」では、終わりゆく関係の中で、まだ残っている自分の形を静かに見つめている。
Fenne Lilyの音楽は、劇的な救いを与えるものではない。だが、暗い部屋で小さな明かりをつけるような力がある。悲しみを消すのではなく、悲しみの形を見えるようにする。孤独をなくすのではなく、孤独の中にも輪郭があることを示す。
彼女の声は静かだ。しかし、その静けさの中には、言葉にならなかった多くの感情が息をしている。Fenne Lilyは、その息づかいを聴かせてくれるアーティストである。

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