アルバムレビュー：Endless Summer Vacation by マイリー・サイラス（Miley Cyrus）

発売日: 2023年3月10日
ジャンル: ポップ・ロック、シンセポップ、アダルト・コンテンポラリー

概要
全曲レビュー
総評
おすすめアルバム
制作の裏側

概要

『Endless Summer Vacation』は、マイリー・サイラスが2023年に発表した通算8作目のアルバムであり、
**キャリアの成熟と自己回復を描いた“再生の物語”**である。

前作『Plastic Hearts』（2020）でロック回帰を果たした彼女は、
本作でサウンドをより洗練させ、
“派手さよりも深さ”“挑発よりも内省”を重視する方向へと舵を切った。

タイトルの“Endless Summer Vacation（終わらない夏の休暇）”は、
表面的な快楽ではなく、心の自由と平穏の持続を意味している。
アルバム全体を通して、マイリーは“自分を取り戻す旅”を静かに描く。

プロデュースにはグレッグ・カースティン（Adele、Beck）、
Kid Harpoon（Harry Styles）、そしてMike WiLL Made-Itなど、
マイリーの多面的なサウンドを支えてきた顔ぶれが集結。
その結果、ダンス・ポップの軽やかさと、ロック／フォーク的な人間味が見事に融合した。

全曲レビュー

1. Flowers

リードシングルにして世界的ヒットとなったアンセム。
「自分のために花を買う」という一節が、失恋を超えた自己愛と自立の象徴となった。
70年代ソウルを思わせるリズムとミニマルなメロディが心地よく、
マイリーの低音ヴォーカルが圧倒的な説得力を放つ。
まさに“強く優しい女性像”を体現した現代のクラシックである。

2. Jaded

過去の恋愛に対する複雑な感情を、淡々としたメロディで描く。
“あなたのためにまだ泣けるけど、それが何になるの？”というリリックに、
成熟した哀しみと諦観が滲む。
ギターのトーンが暖かく、アルバム序盤の感情の余韻を深めている。

3. Rose Colored Lenses

浮遊感あるシンセとファルセットが美しいドリームポップ調の楽曲。
“バラ色のレンズを通して世界を見ていた”という比喩が、
恋の陶酔と現実の乖離をやわらかく表現している。
過去を回想するような淡いサウンドスケープが心地よい。

4. Thousand Miles (feat. Brandi Carlile)

カントリーの血脈を感じさせる、温かくも切ないデュエット。
ブランディ・カーライルとの声の相性が絶妙で、
友情と喪失の混ざり合う感情がリアルに響く。
ルーツ回帰的でありながら、モダンなプロダクションが洗練を保っている。

5. You

ブルースとロックンロールの香りをまとったナンバー。
“あなたとなら悪いことでもしてみたい”という挑発的な歌詞が、
かつての“反逆のマイリー”を想起させる。
しかし今の彼女は、過去の衝動をコントロールできる成熟を手に入れている。

6. Handstand

アルバムの中で最も実験的な曲。
トリップホップ的なリズムと語りのようなボーカルが交錯し、
幻想と現実の境界を曖昧にする。
The Flaming Lipsとのコラボ期『Dead Petz』の要素が再び顔を出す瞬間だ。

7. River

強烈なビートと80年代的なシンセサウンドが炸裂するダンスポップ。
愛と官能を水の流れに喩えたリリックが象徴的で、
“欲望と救済”というマイリーの二面性を描く。
ライブでも映える、アルバム中最も躍動的な楽曲のひとつ。

8. Violet Chemistry

R&Bとエレクトロの中間をいくミッドテンポ・トラック。
タイトルが示す“紫の化学反応”とは、恋愛の中の曖昧な瞬間――
理性と衝動の狭間にある魅力を描いている。
ナイトクラブの静けさと熱を同時に感じさせる。

9. Muddy Feet (feat. Sia)

シーアとの共演による感情的爆発。
“泥だらけの足で私の家に入るな”という比喩が鋭く、
裏切りへの怒りと自尊の再確立を歌う。
ロック的な荒々しさが、マイリーの歌声に見事にマッチしている。

10. Wildcard

恋愛の不安定さを“ジョーカー（切り札）”になぞらえる。
“私はいつだって予測不能”という一節が、
マイリーの自己理解の深まりを感じさせる。
静かな強さを湛えたバラード。

11. Island

“私の心は孤島のよう”という孤独の比喩が美しい。
アコースティックギターのアルペジオとシンセの波が重なり、
穏やかな海に漂うようなサウンドスケープを作り出す。
孤独を恐れず、それを平和の形として受け入れる姿勢が印象的。

12. Wonder Woman

アルバムを締めくくる壮麗なバラード。
“彼女は強いけれど、泣くこともできる”というフレーズが、
現代女性のリアルな強さを象徴している。
ピアノの旋律とマイリーの低音の声が、
成熟と人間味の極みに達した瞬間を描き出す。

総評

『Endless Summer Vacation』は、マイリー・サイラスが長年の混沌を経て、
ついに“静かな自己確立”へと到達したアルバムである。

『Bangerz』での挑発、『Dead Petz』での実験、『Plastic Hearts』での再構築を経て、
彼女はここで初めて**“何者でもない自分”**を肯定している。

サウンドは、70〜80年代のAORやソフトロックを思わせる温かみを持ちながら、
現代的なビートと空間的プロダクションでアップデートされている。
リスナーに訴えかけるのは、派手なショックではなく、人生のリアリティと成熟の美しさだ。

また、昼と夜、光と影といった二元性がアルバム全体に通底しており、
これはマイリー自身がかつて語ったコンセプト――

“前半は昼（Public Self）、後半は夜（Private Self）”
という構造にも表れている。

『Endless Summer Vacation』は、マイリーが再び“自分の声”を見つけた作品であり、
混沌の後に訪れる静かな自由を描いた傑作である。
かつて「飼いならされない」と叫んだ少女が、
今は微笑みながら「私はもう自分を理解している」と歌っている――その変化こそが本作の核心なのだ。

制作の裏側

『Endless Summer Vacation』は、ロサンゼルスのRCAスタジオで録音された。
マイリーはこの地を“新しい太陽のエネルギー”と表現し、
アルバム全体を昼と夜、明と暗の二部構成として設計。
そのバランスがタイトルの「果てなき夏」のイメージに繋がっている。

制作陣のKid HarpoonとTyler Johnsonは、Harry Styles『Harry’s House』の流れを受け継ぐ形で、
洗練されたアナログ感と都会的な静けさを融合。
マイリー自身もプロデューサーとして深く関わり、
歌詞の多くを自ら執筆している。

彼女はこの作品についてこう語っている。

“このアルバムは、私が太陽の下で自分を愛せるようになった記録なの。”

『Endless Summer Vacation』は、
マイリー・サイラスというアーティストが混沌を経て光へと歩み出した証であり、
その穏やかな輝きは、彼女のキャリアの中でも最も成熟した美しさを放っている。