発売日: 1995年3月13日
ジャンル: ブリットポップ、ポストパンク、ガレージ・ロック
概要
『Elastica』は、イギリスのバンドElasticaが1995年に発表したデビュー・アルバムであり、90年代ブリットポップ・ムーブメントの中でも異彩を放つ、鋭利でアティチュードに満ちた一作である。
フロントウーマンのジャスティン・フリッシュマンを中心とするこのバンドは、The FallやWireといったポストパンクの影響を露骨に取り入れつつも、それをキャッチーなギター・リフと短くパンチの効いた曲構成に落とし込んだことで、独自のポップ・センスを確立した。
リリース当時、BlurやOasisがブリットポップを“過去の栄光”と“ノスタルジー”で語っていたのに対し、Elasticaは“スピードと皮肉”でそれを更新しようとしていた。
わずか38分、16曲という密度の中に、セックス、メディア、都市生活、疎外感といったテーマがギターのカッティングとともに叩きつけられ、90年代の若者の“リアル”を瞬時に焼き付けた。
このアルバムはUKチャート初登場1位を獲得し、当時としては最速で売れたデビュー・アルバムのひとつとしても記録されている。
全曲レビュー
1. Line Up
タイトでスピーディなオープニング・ナンバー。
バンドの美学——ミニマルで即効性のあるポップ——が即座に提示される。
「同じような男たちが列をなす」というアイロニカルなリリックが鋭い。
2. Annie
短くシンプルだが、疾走感と無駄のないアレンジがクセになる。
愛情と混乱、欲望の入り混じる関係を描くような詞が、スラッシュのようなギターと絶妙にマッチする。
3. Connection
Elastica最大のヒット曲。
中毒的なシンセリフと、機械のようなギター・ループが特徴。
人間関係の断絶とメディア社会をめぐる皮肉が、”Connection is made”という冷たい言葉でまとめられている。
4. Car Song
セックスとスピード、そして逃避。
その三要素が疾走するギターとともに炸裂する一曲。
ユーモアと性的暗喩が交錯する、ジャスティンの作詞センスが冴える。
5. Smile
ギターの歪みと挑発的なヴォーカルが印象的。
「笑えって言われたら笑えないよね？」という、パフォーマティヴな社会への反抗が潜む。
6. Hold Me Now
ややスローなテンポで、アルバムの中では稀に見る“情感”のあるトラック。
求めるものと与えられるもののズレを、冷めた言葉で歌うジャスティンの声が胸に残る。
7. S.O.F.T.
セクシャルでアブストラクトなリリックが特徴。
ささやくようなヴォーカルとダークなギターが、夜の都市の閉塞感を表現している。
8. Indian Song
本作の中では異色の浮遊感を持つ楽曲。
ミニマルで内省的なアレンジが、アルバム全体の構成に絶妙な“静”の緩急を与える。
9. Blue
再び攻撃的なガレージ・ロックに回帰。
対人関係の不安と、そこからの決裂を思わせる構成がスリリング。
10. All-Nighter
夜を生きる女性の孤独と強さを描いたような1曲。
パンク的な骨格にポップな装飾を加えた、小気味よいナンバー。
11. Waking Up
「学校をサボってるほうが人生学べるかも」という反抗的リリックが印象的。
Blurのデーモン・アルバーンとの関係を描いたとされる説もある。
12. 2:1
ミッドテンポで、都市の無機質な空気感が広がる。
孤独と匿名性、沈黙のなかに響く“自我”がテーマに感じられる。
13. Vaseline
タイトルからして挑発的。
セックスのメタファーとも読めるリリックと、執拗なビートが耳に残る。
14. Never Here
感情を剥き出しにしたような、パンク・スピリット全開のトラック。
自己否定と逃避、そして怒りが同居する。
15. See That Animal
暴力性を剥き出しにした一曲。
“動物”というメタファーが、社会の抑圧と原始的衝動を重ね合わせている。
16. Stutter
デビュー・シングルにして、最終トラック。
男性の“不能”を茶化すリリックが話題を呼んだ問題作。
疾走するギターとジャスティンの嘲笑が、鮮烈な印象を残す。
総評
『Elastica』は、1990年代という時代の気温と湿度をそのまま真空パックしたようなアルバムである。
どの曲も短く切り取られた都市のスナップショットのようであり、リスナーに“過剰な説明”を許さず、ひとつひとつが刺すように速く終わる。
そこにあるのは、説明や安心を拒む美学、そしてスピードと断片性を美徳とする姿勢だ。
本作は「ポップであること」と「鋭利であること」が両立しうるという可能性を証明し、The ClashやWire、The Slitsといった先達の文脈を90年代のガールズ・バンドとして更新した。
このアルバムを聴くと、世界に疲れながらも自分の輪郭だけは失いたくない、そんな感覚に火を灯される。
まさに「必要な分だけ怒って、必要なだけ踊る」ための音楽なのだ。
おすすめアルバム
- Wire / Pink Flag
ポストパンクの元祖的作品。Elasticaが影響を受けたことでも知られる。 - The Slits / Cut
女性の視点からポストパンクを再構築した先駆的名盤。 - Garbage / Garbage
90年代における女性主導のオルタナティヴ・ロックとしての共振。 - Blondie / Parallel Lines
パンクとポップの交差点。Elasticaの先祖として位置づけられる作品。 -
PJ Harvey / Dry
女性アーティストによる攻撃的かつ内省的なデビュー作として共鳴する部分が多い。
歌詞の深読みと文化的背景
『Elastica』の歌詞には、90年代のロンドンを覆う退屈、過剰なメディア、セクシャリティ、そして“自分であることの不安”といったテーマが詰まっている。
「Connection」や「Stutter」に見られるように、人間関係や身体性への違和感は、当時のヤングアダルトたちが感じていた都市の匿名性や機能不全を鋭く切り取っている。
また、ジャスティン・フリッシュマン自身が女性でありながら、性的主体性を持って歌詞を書くという姿勢は、90年代におけるポストフェミニズム的文脈とも通じるものがあった。
『Elastica』はただのポップ・アルバムではない。
それは社会のノイズの中から自分のリズムを見つけ出すための、小さくて鋭い武器なのである。
コメント