2000年代インディーロック再考──The Strokes、Arcade Fire、Arctic Monkeysは何を残したか

※本記事は生成AIを活用して作成されています。
TUNESIGHT DIALOGUE

※本記事は、TuneSightに登場する架空のライターによる創作対談です。


2000年代のインディーロックを振り返ると、The Strokes、Arcade Fire、Arctic Monkeysは、それぞれまったく違う方向から「ロックバンドはまだ新しく見えるのか」という問いに答えた。The Strokesは2001年の『Is This It』で、短い曲、乾いたギター、無駄のないリズムによって、肥大化した90年代末のロックを一度小さくした。Arcade Fireは2004年の『Funeral』で逆に人数も音も感情も広げ、インディーでも共同体的で巨大なアルバムを作れることを示した。そしてArctic Monkeysは2006年の『Whatever People Say I Am, That’s What I’m Not』で、英国の夜、クラブ、タクシー、若者の会話を高速のギターロックへ変えながら、インターネット時代にバンドが広がる新しいモデルまで象徴した。

この三組を単純に「2000年代ロック復興」の一括りにすると、その後に残したものの違いが見えにくい。The Strokesは音の引き算を、Arcade Fireはアルバムと共同体のスケールを、Arctic Monkeysは言葉と世代感覚、そして変化し続けるバンド像を残した。今回はAlex、Sophie、Naomiの3人が、ギター、歌詞、録音、ファッション、都市、インターネット、そして2010年代以降のインディーまで含め、2000年代インディーロックをあらためて考える。

※本記事は、TuneSightに登場する架空のライターによる創作対談です。

「ロックが復活した」という言い方から、まず疑った方がいい

Alex

2000年代初頭のThe Strokesを語るとき、「ロックンロール・リバイバル」って言葉がほぼ必ず出るでしょう。

でも僕、昔からこの言い方が少し苦手なんです。

Sophie

なぜ?

Alex

だってロックは死んでなかったから。

90年代末にもロックバンドはいくらでもいた。

Radioheadもいるし、Queens of the Stone Ageもいるし、ポストハードコアもエモもある。

「The Strokesがロックを蘇らせた」というのは、かなりメディア的な物語。

Naomi

では何が新しかった?

Alex

ロックを小さくしたこと。

90年代後半のメインストリーム・ロックって、音が大きかった。

スタジオも豪華。

ギターも何層も重ねる。

そこへ『Is This It』が来て、ギター二本、ベース、ドラム、声。

しかも全部細い。

Sophie

見た目も大きいですよね。

細いジーンズ。

革ジャン。

地下のクラブ。

ニューヨーク。

Alex

そう。

だから復活というより、ロックのイメージを再編集した。

「もう一度巨大になろう」じゃなくて、「小さいままかっこよくていい」。

The Strokesが復活させたのはロックそのものではない。ロックバンドが“余計なものを持たなくても成立する”という感覚だった。

『Is This It』は、なぜあれほど「何もしていない」ように聞こえるのか

Naomi

音響的に『Is This It』は面白いです。

最初に聞くと、非常にシンプル。

でも実際はかなり設計されている。

Alex

そう。

Nick ValensiとAlbert Hammond Jr.のギターも、派手なソロを競わない。

片方がコード、片方が単音。

互いに空間を避けるように弾く。

Fabrizio Morettiのドラムも、余計なフィルを入れない。

Nikolai Fraitureのベースが意外と動く。

Naomi

Julian Casablancasの声も重要。

ハイファイなヴォーカルではない。

少し電話越しみたいな、狭い帯域に押し込めた感覚がある。

Sophie

それが「昔のニューヨークの地下クラブ」っぽく聞こえる。

Naomi

ただ、実際に昔の録音を再現したわけではないんですよね。

もっと意図的なローファイ感。

Alex

そう。

あのアルバムは「自然にラフ」なんじゃない。

かなり計算してラフにしている。

そこが大事。

Sophie

だからファッションと同じ。

無造作に見えるけれど、無造作さ自体がスタイル。

The Strokesは本当にVelvet UndergroundやTelevisionの再演だったのか

Alex

The Strokesにはずっと「ニューヨークの過去の焼き直し」という批判もある。

Velvet Underground、Television、Richard Hell、Blondie。

そういう名前が並ぶ。

Sophie

実際、影響は聞こえる。

Alex

もちろん。

でも僕は「似ているから価値が低い」という話にはならないと思う。

ロックなんて引用の歴史でもある。

重要なのは、その引用を2001年にどう聞かせたか。

Naomi

つまり音そのものより配置。

Alex

そう。

彼らは70年代ニューヨークの語彙をそのまま再現したわけじゃない。

もっとポップ。

曲が短い。

フックが強い。

ギターの絡み方もすごく整理されている。

Sophie

しかも見た目が、2000年代の若者にとって新しく見えた。

過去のスタイルが、再び現在のファッションになった。

Alex

そこが本当の影響だと思う。

「Last Nite」はギターリフより、空白が強い

Alex

The Strokesから一曲選ぶなら「Last Nite」が象徴的でしょう。

でもリフそのものより、僕は空白が強いと思う。

Naomi

空白?

Alex

全部の楽器が常に鳴っていない。

ギターが出たら、別のギターは少し引く。

声が入ったら、楽器は邪魔しない。

ドラムも必要なだけ。

ロックって、興奮するとすぐ全部足したくなる。

彼らは足さない。

Naomi

ミックスでもそれが効いています。

音圧で押すより、パートごとの輪郭を保つ。

Sophie

その結果、ライブハウス的な身体感覚が残る。

Alex

そう。

The Strokesの影響って、「このギター音を真似した」というより、バンドの音数をどう減らすか。

2000年代前半のガレージロック系バンドが一気に増えたのは、そこが簡単にコピーできるように見えたからでもある。

Sophie

簡単に見えるだけで、実際には難しい。

Alex

ものすごく難しい(笑)。

Arcade Fireは逆に、インディーを「大きく」した

Sophie

The Strokesが引き算なら、Arcade Fireはほとんど逆ですよね。

2004年の『Funeral』。

人が多い。

楽器も多い。

感情も大きい。

Naomi

ストリングス。

アコーディオン。

ピアノ。

オルガン。

パーカッション。

ギター。

合唱。

Alex

そして全員が途中で別の楽器を持ちそうな感じ(笑)。

Sophie

でも私は、Arcade Fireが残した最大のものは「インディーでも壮大でいい」という許可だったと思う。

それ以前にも壮大なインディー作品はいくらでもあるけれど、2000年代の若い世代にとって『Funeral』は大きかった。

Alex

インディーって、The Strokes型のクールさだけじゃなくなる。

不器用に大声で歌ってもいい。

Naomi

音響的にも、完璧に整理されていない。

たくさん鳴っているけど、クラシックな意味で豪華というより、みんなで一斉に演奏している感じ。

Sophie

それが共同体になる。

『Funeral』は「死」のアルバムなのに、なぜこれほど生命力があるのか

Marcus

いないけど、Marcusならここを「共同体の喪失」と言いそうですね。

Sophie

かなりそう。

タイトルは『Funeral』。

制作時期にメンバー周辺で複数の家族の死があったことも作品の背景として知られている。

でも音楽は沈みきらない。

「Neighborhood #1 (Tunnels)」からもう走っている。

Alex

「Wake Up」なんて、悲しいというより巨大な合唱でしょう。

Naomi

そこが面白い。

悲しみを静かな音にしない。

複数の声を重ねる。

ドラムを大きくする。

ギターもピアノも弦も一緒に上がる。

Sophie

一人の悲しみを、集団で耐える音にする。

Alex

The Strokesとは本当に逆だね。

Strokesは一人で壁にもたれてる。

Arcade Fireは全員で外へ走る。

Sophie

その違いが2000年代インディーの幅を作った。

「Wake Up」はなぜインディーロックのアンセムになれたのか

Naomi

「Wake Up」は構造自体がかなり単純です。

大きな合唱。

ドラム。

コード。

でも、単純だから観客が入れる。

Sophie

ライブで完全に共同体になる。

Alex

あれはギター曲というより、人間の声の曲。

Sophie

そう。

Arcade Fireってロックバンドだけど、最重要楽器が「全員の声」になる瞬間が多い。

Naomi

そして、合唱が上手すぎない。

そこが大事。

完璧なコーラスではなく、少し粗い。

だから観客の声ともつながる。

Alex

インディーって普通、「俺はみんなと違う」が強い文化でしょう。

Arcade Fireはそこから「みんなで歌う」へ行った。

Sophie

その変化はかなり大きかったと思う。

『Funeral』の「Neighborhood」は、都市ではなく記憶を作った

Sophie

『Funeral』の“Neighborhood”連作も重要です。

街について歌っているけれど、具体的な都市ガイドではない。

子ども時代の郊外、家族、雪、家、逃げたい感覚。

Alex

だからニューヨーク的な都市インディーとは違う。

The Strokesが「今この街」なら、Arcade Fireは「昔ここに住んでいた気がする場所」。

Naomi

Boards of Canadaのノスタルジアとはまた違いますが、記憶の空間を作るという意味では近いものがあります。

Sophie

そして、2000年代以降のインディーに「郊外」というテーマが増える。

大都市のクラブだけが若者文化ではなくなる。

Marcusがいたら、階級や郊外化まで話したでしょうね。

Alex

Indie rockの地理が広がったんだ。

Arcade Fireは「アルバム」という形式を守ったのか

Sophie

私はArcade Fireをアルバム時代のバンドとしても評価したい。

『Funeral』『Neon Bible』『The Suburbs』。

どれも単曲だけではなく、一枚の世界を作る。

Naomi

『The Suburbs』なんて特にそう。

2010年なので2000年代から少し先ですが、00年代に彼らが作った方法の完成形。

郊外。

成長。

記憶。

都市化。

時間。

Sophie

ストリーミング時代へ入る前後に、インディーバンドが「アルバム全体で世界を作る」ことを大きな文化イベントにできた。

Alex

その意味ではThe Strokesも『Is This It』が一枚として強いけど、Arcade Fireはもっとコンセプト志向。

Naomi

曲間の色や楽器編成まで含めて、アルバムに時間を作る。

Arctic Monkeysは「インターネットが生んだバンド」だったのか

Sophie

Arctic Monkeysについては、どうしてもMySpaceの神話が出ます。

Alex

「インターネットが発見した最初のバンド」みたいなやつ。

Sophie

でも、それも少し単純化されすぎています。

初期のデモ音源がファンによってオンラインで共有され、口コミ的に広がったことは重要。

ただし、バンド自身が完璧なデジタル戦略を設計して成功した、という話ではない。

Alex

むしろファンが勝手に広げた。

Naomi

そこが2000年代らしい。

録音物がレーベルの正式なリリースより先に流通する。

Sophie

つまり、バンドと観客の関係が変わった。

以前なら、雑誌、ラジオ、レーベルが「次のバンド」を紹介する。

Arctic Monkeysでは、観客が先に音を持っている。

Alex

ライブでまだ正式発売されていない曲を客が歌える。

これは当時かなり象徴的だった。

でもArctic Monkeysの本当の革命はインターネットではなく「言葉」だった

Alex

僕は、Arctic Monkeysの最大の強みはMySpaceじゃないと思う。

Alex Turnerの歌詞。

Sophie

完全に同意。

『Whatever People Say I Am, That’s What I’m Not』の面白さは、2005年から2006年の英国の夜を、そのまま会話の速度で書いたこと。

クラブの列。

警備員。

タクシー。

酔った人。

恋愛。

見栄。

退屈。

Marcusがいたら「階級と地域の言葉」と言うでしょうね。

Alex

しかもSheffieldのアクセントを隠さない。

Sophie

そこが重要。

Blurにも英国の日常観察はあった。

でもAlex Turnerはもっと若者の現場に近い。

観察者でありながら、自分もその夜の中にいる。

Alex

「I Bet You Look Good on the Dancefloor」なんて、文学的というより、その瞬間の照れと欲望。

Sophie

「A Certain Romance」まで行くと、友人や地元への距離感がかなり複雑になる。

好きだけど、馬鹿だとも思っている。

それでも離れられない。

『Whatever People Say I Am…』はなぜここまで速く聞こえたのか

Naomi

音響的には、初期Arctic Monkeysはかなり速い。

BPMだけでなく、言葉の密度とドラムの動き。

Alex

Matt Heldersのドラムが強い。

本当に重要。

高速で細かい。

でもパンクの一直線なドラムとは違う。

ファンク的な細かさもある。

Naomi

ギターも鋭い。

でもThe Strokesほどミニマルではない。

もっとリズム楽器として動く。

Alex

そう。

The Strokesが「隙間を作る」なら、初期Arctic Monkeysは「隙間へ言葉とドラムを詰める」。

Sophie

だから同じギターロック復興に見えて、身体感覚が違う。

Naomi

非常に英国的な焦燥感があります。

夜が終わる前に全部言ってしまう感じ。

「A Certain Romance」は初期Arctic Monkeysの最高到達点だったのか

Sophie

私は初期Arctic Monkeysなら「A Certain Romance」が一番重要だと思います。

Alex

僕もかなり好き。

Sophie

地元の若者をからかう。

服装や音楽趣味を観察する。

でも最後には、完全に見下せない。

自分もそのコミュニティの人間だから。

Marcusがいたら、階級的な観察の自己矛盾を掘ったと思う。

Alex

曲も最後に広がる。

最初は細かいギターとドラム。

でも後半はかなり感情的。

Naomi

単なる皮肉で終わらない。

Sophie

そこがAlex Turnerの初期歌詞の良さ。

「俺は君たちより賢い」と一歩外から見るだけじゃない。

外へ出たい自分と、地元を捨てきれない自分が同時にいる。

The Strokesは「都会」、Arctic Monkeysは「地方都市」だった

Sophie

地理で比べると面白い。

The Strokesはニューヨーク。

ファッション、クラブ、アート、都会的な退屈。

Arctic MonkeysはSheffield。

地方都市の夜、郊外、タクシー、若者同士の視線。

Alex

そしてArcade Fireはモントリオールを拠点にしながら、もっと抽象的な郊外や共同体へ行く。

Naomi

三組とも都市を使うけれど、役割が違う。

Sophie

The Strokesにとって都市はスタイル。

Arctic Monkeysにとって都市は観察対象。

Arcade Fireにとって都市や郊外は記憶。

Alex

それ、かなり分かりやすい。

2000年代インディーは、なぜ「見た目」まで重要だったのか

Sophie

音楽だけではなくファッションも無視できません。

The Strokesの細いジーンズと革ジャン。

Arcade Fireの少し古着的で共同体的な装い。

Arctic Monkeysの初期のかなり普通の英国の若者っぽさ。

Alex

Strokesは最初から「バンドに見える」。

Sophie

そう。

シルエットがある。

Arctic Monkeysは逆に、「自分たちの街にいそう」だった。

スターとして距離がない。

Naomi

Arcade Fireは個人のスター性を少し消す。

人数が多いから、誰を見ればいいのか分からない。

Sophie

それがそれぞれの音楽と一致している。

The Strokesは個人主義的なクールさ。

Arcade Fireは共同体。

Arctic Monkeysは同世代のリアリティ。

2000年代インディーは本当に「インディー」だったのか

Marcus

いないけど、Marcusならここにかなり突っ込むと思う。

「インディーって何?」と。

Sophie

それは避けられない。

インディーは本来、独立系レーベルや流通の意味もある。

でも2000年代には、音楽スタイルや文化的態度を指す言葉にもなっていた。

Alex

The Strokesも大きなレーベル体制へ入る。

Arctic MonkeysはDominoから出たけど、規模は巨大。

Arcade Fireも世界的な成功をする。

Naomi

だから「インディー=商業的に小さい」ではない。

Sophie

むしろ、音の美学、メディアとの距離、ファッション、ファン文化を含む文化カテゴリーになった。

Alex

そこが2000年代以降さらに曖昧になった。

Spotify時代になると、indieがギター音楽を意味しなくなる。

indie popもbedroom popもある。

The Strokes以後、ギターは「技術を見せない」方がかっこよくなった?

Alex

これはかなりあると思う。

もちろん90年代オルタナにも前史はあるけど、The Strokes以後、ギタリストが超絶技巧を見せないこと自体が一つの美学になった。

Sophie

ギターソロが消える。

Alex

完全には消えない。

でも「俺を見ろ」じゃなくなる。

ValensiもHammond Jr.も上手い。

ただ、曲を壊してまで前に出ない。

Naomi

ギターがテクスチャーになる。

Alex

そう。

この考え方は後のインディーにかなり残った。

Franz Ferdinand、Interpol、Bloc Party、Yeah Yeah Yeahs、Editorsなど、それぞれ違うけれど、ギターの役割をリフと空間とリズムへ再配置した。

Sophie

2000年代前半のギターロックは、70年代ハードロックへ戻ったわけではない。

むしろポストパンク的な引き算を再発見した。

Arcade Fire以後、インディーは「大合唱」を恐れなくなった

Sophie

Arcade Fireの影響は、もっと違うところに出ます。

大勢。

合唱。

ストリングス。

打楽器。

大きなクライマックス。

Alex

インディーなのにU2みたいなスケールへ行ける。

Sophie

でもU2ほど完成されたスター感ではない。

そこがポイント。

不器用なまま巨大になれる。

Naomi

後のインディーやフォーク系バンドにも、複数人のコーラスや壮大なアレンジが増える。

Sophie

ただし、これも全部Arcade Fireの影響とするのは危険。

2000年代後半にはfolk revivalやchamber popの流れもある。

でも彼らが「インディーの共同体性」を大きく可視化したのは確か。

Arctic Monkeys以後、歌詞は「ローカルなまま世界へ行ける」と分かった

Marcus

これ、Marcusがいたら絶対言うと思う。

地域性を消さなくていい。

Sophie

そう。

Alex TurnerはSheffieldの言葉や地元の具体的な光景を使った。

でもそれが英国以外でも届いた。

Alex

不思議だけど、Taylor Swiftの話とも少し似てる。

具体的だから普遍的になる。

Sophie

まさに。

クラブの列やタクシー料金の感覚が完全に同じでなくても、「自分の街の夜」に置き換えられる。

Naomi

音楽の地域性と翻訳可能性が両立する。

Sophie

それは後の英国インディーにもかなり残ったと思う。

ロンドンの標準的な発音に寄せる必要がない。

地域のアクセントそのものがアイデンティティになる。

Arctic Monkeysが本当に特別だったのは、その後まったく同じバンドでいなかったこと

Alex

三組の中で、長期的な変化ならArctic Monkeysが一番面白いかもしれない。

Sophie

『Favourite Worst Nightmare』の後、『Humbug』で一気に暗くなる。

Alex

Josh Hommeとの仕事もあって、砂漠的で重い。

リフも遅くなる。

その後『Suck It and See』。

『AM』ではヒップホップ的なリズム感、重いギター、R&B的な夜の空気まで入る。

Naomi

そして『Tranquility Base Hotel & Casino』ではさらに別の方向。

ピアノ中心。

ラウンジ。

SF的なコンセプト。

Sophie

つまり、初期の「若者の夜を高速で観察するバンド」で固定されなかった。

Alex

それが大きい。

もしずっと「I Bet You Look Good on the Dancefloor」だけを再生産していたら、2000年代の記念碑的バンドで終わっていたかもしれない。

『AM』が後世に残したのは、実は2000年代の遺産だった?

Naomi

2013年の『AM』は2000年代から外れますが、初期の遺産がどこへ行ったかを見るには重要。

Alex

ギターリフは簡単。

でもドラムとベースがかなりヒップホップ的に重い。

Naomi

リズムの「間」が増える。

初期は言葉を詰める。

『AM』はスペースを使う。

Sophie

そして歌詞も、若者の観察からより官能的で自己演出的なものへ変わる。

Alex

だからArctic Monkeysは、2000年代インディーロックのバンドでありながら、その時代の様式から脱出できた。

The Strokesは変わらなかったから価値が低いのか

Alex

ここでThe Strokesを擁護したい。

変化が少ないバンドは批評的に不利になりやすい。

Sophie

Davidがいたら同じことを言いそう(笑)。

Alex

でも、一つの言語を極めることも大事。

『Room on Fire』なんて、基本的には『Is This It』の延長。

でも曲がいい。

「Reptilia」「12:51」「Under Control」。

Sophie

「進化していない」という批判もあった。

Alex

でも、2001年に作った文法が強すぎたから、少し変えただけでは「同じ」に聞こえる。

Naomi

後の作品ではシンセや別の質感も増えますが、基本的なバンドの骨格は残る。

Alex

そう。

The Strokesの遺産は、変化ではなくフォーマットを作ったこと。

Arcade Fireの巨大さは、後にインディーの弱点にもなった?

Sophie

Arcade Fire型の「大きな感情」は、その後かなり模倣された。

Alex

大人数。

タンバリン。

全員で“Whoa-oh”。

Sophie

そう(笑)。

それが一時期のインディーのテンプレートになった。

Naomi

美学が成功するとフォーマット化される。

Sophie

The Strokesでも同じ。

革ジャン、細身パンツ、二本ギター。

最初は鮮烈でも、模倣が増えると記号になる。

Alex

Arctic Monkeysもそう。

地域アクセント+高速ギター+夜の歌詞。

模倣すると一気に薄くなる。

Sophie

だから三組とも、成功したことで自分たちの影響に追いかけられた。

2000年代インディーは「男のギターバンド」の物語になりすぎていないか

Sophie

ここは絶対に言っておきたい。

2000年代インディーをThe Strokes、Arcade Fire、Arctic Monkeysだけで語ると、かなり男性中心になる。

Alex

そうだね。

Sophie

Yeah Yeah Yeahs、The White Stripes、PJ Harveyの継続的な存在、Sleater-Kinney、Feist、The Knife、LCD Soundsystemなど、同じ時代の重要な音楽はもっと広い。

Naomi

エレクトロニックなインディーも巨大になります。

Sophie

だから「2000年代インディー=男性がギターを持って復活した時代」とすると歴史が狭い。

Marcusがいたら、人種的な偏りも指摘するでしょう。

Alex

今回の三組は象徴だけど、時代全体ではない。

Sophie

そこは明確にしたい。

三組のうち、音楽的に最も革新的だったのは誰か

Alex

僕はThe Strokesじゃない。

Sophie

意外。

Alex

The Strokesは革命的な見え方をしたけど、音楽語彙そのものはかなり既存。

そこを2001年に最高の形で再編集した。

Naomi

では誰?

Alex

長期的にはArctic Monkeys。

初期だけならそこまでではない。

でもキャリア全体で、ギターロック、サイケ、ストーナー的な重さ、R&B、ラウンジまで移動した。

Sophie

私はArcade Fire。

「インディー=小さい」という感覚を壊した意味で。

Naomi

私は革新性というより、The Strokesの音響的な引き算を高く評価します。

「新しい楽器」を導入したわけではない。

でも2000年代のロックに、空白と細さを再び中心化した。

Alex

つまり三人とも違う(笑)。

最高傑作を一枚選ぶなら

Alex

The Strokesなら『Is This It』。

これは迷わない。

『Room on Fire』も好きだけど、最初の一枚の完成度が異常。

短い。

無駄がない。

「Someday」「Last Nite」「Hard to Explain」「The Modern Age」。

全部同じ世界なのに、曲ごとのフックが違う。

Sophie

私も『Is This It』。

Naomi

同じです。

Sophie

Arcade Fireは私は『Funeral』。

あの不完全な巨大さは、その後の作品より一回性がある。

Naomi

私も『Funeral』。

Alex

僕は『The Suburbs』と迷うけど、今回のテーマなら『Funeral』。

Sophie

Arctic Monkeysは?

Alex

僕は『Whatever People Say I Am, That’s What I’m Not』。

初期の勢いと歌詞の具体性。

Sophie

私は『AM』。

Alex

2000年代じゃない(笑)。

Sophie

でも最高傑作を選ぶなら。

音楽的に最も多くの聴衆へ開きながら、初期の皮肉も残っている。

Naomi

私は『Tranquility Base Hotel & Casino』。

Alex

もっと遠く行った(笑)。

Naomi

ピアノ中心にして、自分たちのギターバンド像をほぼ解体した勇気を評価します。

初心者向けなら、三組とも最初の代表作でいいのか

Sophie

The Strokesは『Is This It』。

Alex

異論なし。

Naomi

同じです。

Sophie

Arcade Fireは『Funeral』。

Naomi

はい。

Alex

Arctic Monkeysは『Whatever People Say I Am…』かな。

Sophie

私も。

Naomi

初心者には『AM』の方が入りやすいかもしれませんが、何が最初に衝撃だったかを理解するならデビュー作。

1曲だけなら──「Hard to Explain」「Wake Up」「A Certain Romance」

Alex

The Strokesなら「Hard to Explain」。

「Last Nite」よりこっち。

ギターの反復、ドラム、Julianの声。

The Strokesのクールさと切なさが両方ある。

Sophie

私は「Someday」。

若さとノスタルジアが同時にある。

まだ若いのに、もう昔を懐かしんでいる感じが2000年代インディーらしい。

Naomi

私は「Hard to Explain」。

音の配置が本当にきれい。

Sophie

Arcade Fireなら私は「Neighborhood #1 (Tunnels)」。

『Funeral』の世界が最初に開く曲。

Alex

「Wake Up」。

ベタでもこれ。

ライブで何千人が歌うことまで含めてArcade Fire。

Naomi

私は「Neighborhood #1」。

徐々に音が増えていく構造が好きです。

Alex

Arctic Monkeysなら「A Certain Romance」。

Sophie

私も。

Naomi

私は「Do Me a Favour」。

『Favourite Worst Nightmare』から。

リズムと感情の増幅がすごくきれい。

過小評価された作品を選ぶなら

Alex

The Strokesは『Room on Fire』。

『Is This It』の二番煎じと言われやすいけど、曲の精度はかなり高い。

「Reptilia」「Automatic Stop」「Under Control」。

ギターバンドとしては本当に強い。

Naomi

私は『Angles』。

作品として完全にまとまっているとは思わない。

でもシンセやリズムの違う方向を試していて、「Strokesは同じ音しかできない」という見方を少し崩す。

Sophie

私は『Comedown Machine』。

評価が低めですが、後の『The New Abnormal』へつながる柔らかさやシンセポップ的な感覚がある。

Alex

Arcade Fireなら僕は『Neon Bible』。

『Funeral』と『The Suburbs』の間で少し影が薄い。

でもオルガンや大きなアレンジがかなり独特。

Sophie

私も『Neon Bible』。

宗教、メディア、不安というテーマが、2000年代後半の空気と強く結びついている。

Naomi

私は『Reflektor』。

James Murphyとの制作で、ダンス、ハイチのリズム、電子音へ広がろうとした野心を評価します。

Sophie

Arctic Monkeysは『Humbug』。

初期ファンには暗すぎたかもしれない。

でもここで同じバンドでいることを拒否したから、その後がある。

Alex

僕も『Humbug』。

Naomi

私は『Suck It and See』。

『Humbug』と『AM』の間で地味に見えるけれど、メロディの強さがよく分かる。

2000年代インディーロックが本当に残したのは「ギター」だったのか

Naomi

最後に一つ疑いたいです。

2000年代インディーの遺産って、本当にギターなんでしょうか。

Alex

ギタリストとしては「そう」と言いたいけど、違うかもしれない(笑)。

Sophie

私は「規模の選択」だと思う。

The Strokesは小さくてもいい。

Arcade Fireは大きくてもいい。

Arctic Monkeysは地元の言葉のまま世界へ行っていい。

Naomi

私は制作と流通の自由。

ローファイにしてもいい。

大人数でもいい。

ネットで先に広がってもいい。

アルバムで世界を作ってもいい。

Alex

そう考えると、ギターは一つの手段だった。

Sophie

だから2010年代以降、インディーがシンセ、R&B、ヒップホップ、bedroom popへ広がっても、「インディーらしさ」は消えなかった。

Naomi

音色ではなく態度になった。

The Strokes、Arcade Fire、Arctic Monkeysは何を残したか

Alex

The Strokesは「削ること」。

音も見た目も曲の長さも。

ロックバンドは大げさじゃなくても成立する。

Sophie

Arcade Fireは「共同体」。

インディーでも、大人数で、感情を大きくして、アルバム全体を一つの世界にできる。

Naomi

Arctic Monkeysは「変化」。

最初は地域の若者の言葉を高速ギターロックにした。

でも成功したあと、そのスタイルを捨てることまで自分たちの一部にした。

Alex

三組とも違うけど、共通していることもある。

「ロックバンドはこうあるべき」という一つの答えを拒否した。

Sophie

2000年代初頭には、ロックが過去の形式に見え始めていた。

でもこの三組は、過去を否定せずに別の現在形へした。

Naomi

だから残ったのは、復活ではなく再定義。

The Strokesはロックを小さくし、Arcade Fireはインディーを大きくし、Arctic Monkeysは地方の言葉を世界へ出した。そして三組とも、成功した自分たちの型に永遠に従う必要はないと示した。

対談を終えて

2000年代インディーロックを「ギターロックが復活した時代」とだけ捉えると、The Strokes、Arcade Fire、Arctic Monkeysの本当の違いは見えにくい。The Strokesが『Is This It』で示したのは、ロックを巨大化するのではなく、余計な音を削り、短い曲と細いギターと無造作に見えるスタイルだけで再び現在形にできることだった。彼らの影響はリフ以上に、引き算の美学として残った。

Arcade Fireは逆に、『Funeral』でインディーのスケールを広げた。複数の声、弦、打楽器、ピアノを粗いまま束ね、一人の内面ではなく共同体の感情として鳴らした。インディーは小さく、冷たく、個人的でなければならないという感覚を壊し、アルバムそのものを巨大な共有体験へ変えた。

Arctic Monkeysは、Sheffieldの夜と若者の会話を隠さずに世界へ持ち出した。初期の成功にはネット上でのファン主導の拡散が象徴的に関わったが、彼らの本当の強さは、地域のアクセントと具体的な言葉をポップの普遍性へ変えたこと、そして成功後にその初期スタイルへ留まらなかったことにある。

三組が残したのは、結局「ギターをもう一度流行らせた」という一つの復活劇ではなかった。The Strokesはロックのサイズを変え、Arcade Fireはインディーの感情の大きさを変え、Arctic Monkeysは地域性と変化の自由を広げた。2000年代インディーロックが現在まで残した最大のものは、特定のサウンドではなく、バンドが自分たちの規模、言葉、歴史、そして変化の仕方を自分で決めていいという感覚だった。

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