



※本記事は、TuneSightに登場する架空のライターによる創作対談です。
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2000年代のインディーロックを振り返ると、The Strokes、Arcade Fire、Arctic Monkeysは、それぞれまったく違う方向から「ロックバンドはまだ新しく見えるのか」という問いに答えた。The Strokesは2001年の『Is This It』で、短い曲、乾いたギター、無駄のないリズムによって、肥大化した90年代末のロックを一度小さくした。Arcade Fireは2004年の『Funeral』で逆に人数も音も感情も広げ、インディーでも共同体的で巨大なアルバムを作れることを示した。そしてArctic Monkeysは2006年の『Whatever People Say I Am, That’s What I’m Not』で、英国の夜、クラブ、タクシー、若者の会話を高速のギターロックへ変えながら、インターネット時代にバンドが広がる新しいモデルまで象徴した。
この三組を単純に「2000年代ロック復興」の一括りにすると、その後に残したものの違いが見えにくい。The Strokesは音の引き算を、Arcade Fireはアルバムと共同体のスケールを、Arctic Monkeysは言葉と世代感覚、そして変化し続けるバンド像を残した。今回はAlex、Sophie、Naomiの3人が、ギター、歌詞、録音、ファッション、都市、インターネット、そして2010年代以降のインディーまで含め、2000年代インディーロックをあらためて考える。
※本記事は、TuneSightに登場する架空のライターによる創作対談です。
- 「ロックが復活した」という言い方から、まず疑った方がいい
- 『Is This It』は、なぜあれほど「何もしていない」ように聞こえるのか
- The Strokesは本当にVelvet UndergroundやTelevisionの再演だったのか
- 「Last Nite」はギターリフより、空白が強い
- Arcade Fireは逆に、インディーを「大きく」した
- 『Funeral』は「死」のアルバムなのに、なぜこれほど生命力があるのか
- 「Wake Up」はなぜインディーロックのアンセムになれたのか
- 『Funeral』の「Neighborhood」は、都市ではなく記憶を作った
- Arcade Fireは「アルバム」という形式を守ったのか
- Arctic Monkeysは「インターネットが生んだバンド」だったのか
- でもArctic Monkeysの本当の革命はインターネットではなく「言葉」だった
- 『Whatever People Say I Am…』はなぜここまで速く聞こえたのか
- 「A Certain Romance」は初期Arctic Monkeysの最高到達点だったのか
- The Strokesは「都会」、Arctic Monkeysは「地方都市」だった
- 2000年代インディーは、なぜ「見た目」まで重要だったのか
- 2000年代インディーは本当に「インディー」だったのか
- The Strokes以後、ギターは「技術を見せない」方がかっこよくなった?
- Arcade Fire以後、インディーは「大合唱」を恐れなくなった
- Arctic Monkeys以後、歌詞は「ローカルなまま世界へ行ける」と分かった
- Arctic Monkeysが本当に特別だったのは、その後まったく同じバンドでいなかったこと
- 『AM』が後世に残したのは、実は2000年代の遺産だった?
- The Strokesは変わらなかったから価値が低いのか
- Arcade Fireの巨大さは、後にインディーの弱点にもなった?
- 2000年代インディーは「男のギターバンド」の物語になりすぎていないか
- 三組のうち、音楽的に最も革新的だったのは誰か
- 最高傑作を一枚選ぶなら
- 初心者向けなら、三組とも最初の代表作でいいのか
- 1曲だけなら──「Hard to Explain」「Wake Up」「A Certain Romance」
- 過小評価された作品を選ぶなら
- 2000年代インディーロックが本当に残したのは「ギター」だったのか
- The Strokes、Arcade Fire、Arctic Monkeysは何を残したか
- 対談を終えて
- 関連レビュー
「ロックが復活した」という言い方から、まず疑った方がいい
2000年代初頭のThe Strokesを語るとき、「ロックンロール・リバイバル」って言葉がほぼ必ず出るでしょう。
でも僕、昔からこの言い方が少し苦手なんです。
なぜ?
だってロックは死んでなかったから。
90年代末にもロックバンドはいくらでもいた。
Radioheadもいるし、Queens of the Stone Ageもいるし、ポストハードコアもエモもある。
「The Strokesがロックを蘇らせた」というのは、かなりメディア的な物語。
では何が新しかった?
ロックを小さくしたこと。
90年代後半のメインストリーム・ロックって、音が大きかった。
スタジオも豪華。
ギターも何層も重ねる。
そこへ『Is This It』が来て、ギター二本、ベース、ドラム、声。
しかも全部細い。
見た目も大きいですよね。
細いジーンズ。
革ジャン。
地下のクラブ。
ニューヨーク。
そう。
だから復活というより、ロックのイメージを再編集した。
「もう一度巨大になろう」じゃなくて、「小さいままかっこよくていい」。
The Strokesが復活させたのはロックそのものではない。ロックバンドが“余計なものを持たなくても成立する”という感覚だった。
『Is This It』は、なぜあれほど「何もしていない」ように聞こえるのか
音響的に『Is This It』は面白いです。
最初に聞くと、非常にシンプル。
でも実際はかなり設計されている。
そう。
Nick ValensiとAlbert Hammond Jr.のギターも、派手なソロを競わない。
片方がコード、片方が単音。
互いに空間を避けるように弾く。
Fabrizio Morettiのドラムも、余計なフィルを入れない。
Nikolai Fraitureのベースが意外と動く。
Julian Casablancasの声も重要。
ハイファイなヴォーカルではない。
少し電話越しみたいな、狭い帯域に押し込めた感覚がある。
それが「昔のニューヨークの地下クラブ」っぽく聞こえる。
ただ、実際に昔の録音を再現したわけではないんですよね。
もっと意図的なローファイ感。
そう。
あのアルバムは「自然にラフ」なんじゃない。
かなり計算してラフにしている。
そこが大事。
だからファッションと同じ。
無造作に見えるけれど、無造作さ自体がスタイル。
The Strokesは本当にVelvet UndergroundやTelevisionの再演だったのか
The Strokesにはずっと「ニューヨークの過去の焼き直し」という批判もある。
Velvet Underground、Television、Richard Hell、Blondie。
そういう名前が並ぶ。
実際、影響は聞こえる。
もちろん。
でも僕は「似ているから価値が低い」という話にはならないと思う。
ロックなんて引用の歴史でもある。
重要なのは、その引用を2001年にどう聞かせたか。
つまり音そのものより配置。
そう。
彼らは70年代ニューヨークの語彙をそのまま再現したわけじゃない。
もっとポップ。
曲が短い。
フックが強い。
ギターの絡み方もすごく整理されている。
しかも見た目が、2000年代の若者にとって新しく見えた。
過去のスタイルが、再び現在のファッションになった。
そこが本当の影響だと思う。
「Last Nite」はギターリフより、空白が強い
The Strokesから一曲選ぶなら「Last Nite」が象徴的でしょう。
でもリフそのものより、僕は空白が強いと思う。
空白?
全部の楽器が常に鳴っていない。
ギターが出たら、別のギターは少し引く。
声が入ったら、楽器は邪魔しない。
ドラムも必要なだけ。
ロックって、興奮するとすぐ全部足したくなる。
彼らは足さない。
ミックスでもそれが効いています。
音圧で押すより、パートごとの輪郭を保つ。
その結果、ライブハウス的な身体感覚が残る。
そう。
The Strokesの影響って、「このギター音を真似した」というより、バンドの音数をどう減らすか。
2000年代前半のガレージロック系バンドが一気に増えたのは、そこが簡単にコピーできるように見えたからでもある。
簡単に見えるだけで、実際には難しい。
ものすごく難しい(笑)。
Arcade Fireは逆に、インディーを「大きく」した
The Strokesが引き算なら、Arcade Fireはほとんど逆ですよね。
2004年の『Funeral』。
人が多い。
楽器も多い。
感情も大きい。
ストリングス。
アコーディオン。
ピアノ。
オルガン。
パーカッション。
ギター。
合唱。
そして全員が途中で別の楽器を持ちそうな感じ(笑)。
でも私は、Arcade Fireが残した最大のものは「インディーでも壮大でいい」という許可だったと思う。
それ以前にも壮大なインディー作品はいくらでもあるけれど、2000年代の若い世代にとって『Funeral』は大きかった。
インディーって、The Strokes型のクールさだけじゃなくなる。
不器用に大声で歌ってもいい。
音響的にも、完璧に整理されていない。
たくさん鳴っているけど、クラシックな意味で豪華というより、みんなで一斉に演奏している感じ。
それが共同体になる。
『Funeral』は「死」のアルバムなのに、なぜこれほど生命力があるのか
いないけど、Marcusならここを「共同体の喪失」と言いそうですね。
かなりそう。
タイトルは『Funeral』。
制作時期にメンバー周辺で複数の家族の死があったことも作品の背景として知られている。
でも音楽は沈みきらない。
「Neighborhood #1 (Tunnels)」からもう走っている。
「Wake Up」なんて、悲しいというより巨大な合唱でしょう。
そこが面白い。
悲しみを静かな音にしない。
複数の声を重ねる。
ドラムを大きくする。
ギターもピアノも弦も一緒に上がる。
一人の悲しみを、集団で耐える音にする。
The Strokesとは本当に逆だね。
Strokesは一人で壁にもたれてる。
Arcade Fireは全員で外へ走る。
その違いが2000年代インディーの幅を作った。
「Wake Up」はなぜインディーロックのアンセムになれたのか
「Wake Up」は構造自体がかなり単純です。
大きな合唱。
ドラム。
コード。
でも、単純だから観客が入れる。
ライブで完全に共同体になる。
あれはギター曲というより、人間の声の曲。
そう。
Arcade Fireってロックバンドだけど、最重要楽器が「全員の声」になる瞬間が多い。
そして、合唱が上手すぎない。
そこが大事。
完璧なコーラスではなく、少し粗い。
だから観客の声ともつながる。
インディーって普通、「俺はみんなと違う」が強い文化でしょう。
Arcade Fireはそこから「みんなで歌う」へ行った。
その変化はかなり大きかったと思う。
『Funeral』の「Neighborhood」は、都市ではなく記憶を作った
『Funeral』の“Neighborhood”連作も重要です。
街について歌っているけれど、具体的な都市ガイドではない。
子ども時代の郊外、家族、雪、家、逃げたい感覚。
だからニューヨーク的な都市インディーとは違う。
The Strokesが「今この街」なら、Arcade Fireは「昔ここに住んでいた気がする場所」。
Boards of Canadaのノスタルジアとはまた違いますが、記憶の空間を作るという意味では近いものがあります。
そして、2000年代以降のインディーに「郊外」というテーマが増える。
大都市のクラブだけが若者文化ではなくなる。
Marcusがいたら、階級や郊外化まで話したでしょうね。
Indie rockの地理が広がったんだ。
Arcade Fireは「アルバム」という形式を守ったのか
私はArcade Fireをアルバム時代のバンドとしても評価したい。
『Funeral』『Neon Bible』『The Suburbs』。
どれも単曲だけではなく、一枚の世界を作る。
『The Suburbs』なんて特にそう。
2010年なので2000年代から少し先ですが、00年代に彼らが作った方法の完成形。
郊外。
成長。
記憶。
都市化。
時間。
ストリーミング時代へ入る前後に、インディーバンドが「アルバム全体で世界を作る」ことを大きな文化イベントにできた。
その意味ではThe Strokesも『Is This It』が一枚として強いけど、Arcade Fireはもっとコンセプト志向。
曲間の色や楽器編成まで含めて、アルバムに時間を作る。
Arctic Monkeysは「インターネットが生んだバンド」だったのか
Arctic Monkeysについては、どうしてもMySpaceの神話が出ます。
「インターネットが発見した最初のバンド」みたいなやつ。
でも、それも少し単純化されすぎています。
初期のデモ音源がファンによってオンラインで共有され、口コミ的に広がったことは重要。
ただし、バンド自身が完璧なデジタル戦略を設計して成功した、という話ではない。
むしろファンが勝手に広げた。
そこが2000年代らしい。
録音物がレーベルの正式なリリースより先に流通する。
つまり、バンドと観客の関係が変わった。
以前なら、雑誌、ラジオ、レーベルが「次のバンド」を紹介する。
Arctic Monkeysでは、観客が先に音を持っている。
ライブでまだ正式発売されていない曲を客が歌える。
これは当時かなり象徴的だった。
でもArctic Monkeysの本当の革命はインターネットではなく「言葉」だった
僕は、Arctic Monkeysの最大の強みはMySpaceじゃないと思う。
Alex Turnerの歌詞。
完全に同意。
『Whatever People Say I Am, That’s What I’m Not』の面白さは、2005年から2006年の英国の夜を、そのまま会話の速度で書いたこと。
クラブの列。
警備員。
タクシー。
酔った人。
恋愛。
見栄。
退屈。
Marcusがいたら「階級と地域の言葉」と言うでしょうね。
しかもSheffieldのアクセントを隠さない。
そこが重要。
Blurにも英国の日常観察はあった。
でもAlex Turnerはもっと若者の現場に近い。
観察者でありながら、自分もその夜の中にいる。
「I Bet You Look Good on the Dancefloor」なんて、文学的というより、その瞬間の照れと欲望。
「A Certain Romance」まで行くと、友人や地元への距離感がかなり複雑になる。
好きだけど、馬鹿だとも思っている。
それでも離れられない。
『Whatever People Say I Am…』はなぜここまで速く聞こえたのか
音響的には、初期Arctic Monkeysはかなり速い。
BPMだけでなく、言葉の密度とドラムの動き。
Matt Heldersのドラムが強い。
本当に重要。
高速で細かい。
でもパンクの一直線なドラムとは違う。
ファンク的な細かさもある。
ギターも鋭い。
でもThe Strokesほどミニマルではない。
もっとリズム楽器として動く。
そう。
The Strokesが「隙間を作る」なら、初期Arctic Monkeysは「隙間へ言葉とドラムを詰める」。
だから同じギターロック復興に見えて、身体感覚が違う。
非常に英国的な焦燥感があります。
夜が終わる前に全部言ってしまう感じ。
「A Certain Romance」は初期Arctic Monkeysの最高到達点だったのか
私は初期Arctic Monkeysなら「A Certain Romance」が一番重要だと思います。
僕もかなり好き。
地元の若者をからかう。
服装や音楽趣味を観察する。
でも最後には、完全に見下せない。
自分もそのコミュニティの人間だから。
Marcusがいたら、階級的な観察の自己矛盾を掘ったと思う。
曲も最後に広がる。
最初は細かいギターとドラム。
でも後半はかなり感情的。
単なる皮肉で終わらない。
そこがAlex Turnerの初期歌詞の良さ。
「俺は君たちより賢い」と一歩外から見るだけじゃない。
外へ出たい自分と、地元を捨てきれない自分が同時にいる。
The Strokesは「都会」、Arctic Monkeysは「地方都市」だった
地理で比べると面白い。
The Strokesはニューヨーク。
ファッション、クラブ、アート、都会的な退屈。
Arctic MonkeysはSheffield。
地方都市の夜、郊外、タクシー、若者同士の視線。
そしてArcade Fireはモントリオールを拠点にしながら、もっと抽象的な郊外や共同体へ行く。
三組とも都市を使うけれど、役割が違う。
The Strokesにとって都市はスタイル。
Arctic Monkeysにとって都市は観察対象。
Arcade Fireにとって都市や郊外は記憶。
それ、かなり分かりやすい。
2000年代インディーは、なぜ「見た目」まで重要だったのか
音楽だけではなくファッションも無視できません。
The Strokesの細いジーンズと革ジャン。
Arcade Fireの少し古着的で共同体的な装い。
Arctic Monkeysの初期のかなり普通の英国の若者っぽさ。
Strokesは最初から「バンドに見える」。
そう。
シルエットがある。
Arctic Monkeysは逆に、「自分たちの街にいそう」だった。
スターとして距離がない。
Arcade Fireは個人のスター性を少し消す。
人数が多いから、誰を見ればいいのか分からない。
それがそれぞれの音楽と一致している。
The Strokesは個人主義的なクールさ。
Arcade Fireは共同体。
Arctic Monkeysは同世代のリアリティ。
2000年代インディーは本当に「インディー」だったのか
いないけど、Marcusならここにかなり突っ込むと思う。
「インディーって何?」と。
それは避けられない。
インディーは本来、独立系レーベルや流通の意味もある。
でも2000年代には、音楽スタイルや文化的態度を指す言葉にもなっていた。
The Strokesも大きなレーベル体制へ入る。
Arctic MonkeysはDominoから出たけど、規模は巨大。
Arcade Fireも世界的な成功をする。
だから「インディー=商業的に小さい」ではない。
むしろ、音の美学、メディアとの距離、ファッション、ファン文化を含む文化カテゴリーになった。
そこが2000年代以降さらに曖昧になった。
Spotify時代になると、indieがギター音楽を意味しなくなる。
indie popもbedroom popもある。
The Strokes以後、ギターは「技術を見せない」方がかっこよくなった?
これはかなりあると思う。
もちろん90年代オルタナにも前史はあるけど、The Strokes以後、ギタリストが超絶技巧を見せないこと自体が一つの美学になった。
ギターソロが消える。
完全には消えない。
でも「俺を見ろ」じゃなくなる。
ValensiもHammond Jr.も上手い。
ただ、曲を壊してまで前に出ない。
ギターがテクスチャーになる。
そう。
この考え方は後のインディーにかなり残った。
Franz Ferdinand、Interpol、Bloc Party、Yeah Yeah Yeahs、Editorsなど、それぞれ違うけれど、ギターの役割をリフと空間とリズムへ再配置した。
2000年代前半のギターロックは、70年代ハードロックへ戻ったわけではない。
むしろポストパンク的な引き算を再発見した。
Arcade Fire以後、インディーは「大合唱」を恐れなくなった
Arcade Fireの影響は、もっと違うところに出ます。
大勢。
合唱。
ストリングス。
打楽器。
大きなクライマックス。
インディーなのにU2みたいなスケールへ行ける。
でもU2ほど完成されたスター感ではない。
そこがポイント。
不器用なまま巨大になれる。
後のインディーやフォーク系バンドにも、複数人のコーラスや壮大なアレンジが増える。
ただし、これも全部Arcade Fireの影響とするのは危険。
2000年代後半にはfolk revivalやchamber popの流れもある。
でも彼らが「インディーの共同体性」を大きく可視化したのは確か。
Arctic Monkeys以後、歌詞は「ローカルなまま世界へ行ける」と分かった
これ、Marcusがいたら絶対言うと思う。
地域性を消さなくていい。
そう。
Alex TurnerはSheffieldの言葉や地元の具体的な光景を使った。
でもそれが英国以外でも届いた。
不思議だけど、Taylor Swiftの話とも少し似てる。
具体的だから普遍的になる。
まさに。
クラブの列やタクシー料金の感覚が完全に同じでなくても、「自分の街の夜」に置き換えられる。
音楽の地域性と翻訳可能性が両立する。
それは後の英国インディーにもかなり残ったと思う。
ロンドンの標準的な発音に寄せる必要がない。
地域のアクセントそのものがアイデンティティになる。
Arctic Monkeysが本当に特別だったのは、その後まったく同じバンドでいなかったこと
三組の中で、長期的な変化ならArctic Monkeysが一番面白いかもしれない。
『Favourite Worst Nightmare』の後、『Humbug』で一気に暗くなる。
Josh Hommeとの仕事もあって、砂漠的で重い。
リフも遅くなる。
その後『Suck It and See』。
『AM』ではヒップホップ的なリズム感、重いギター、R&B的な夜の空気まで入る。
そして『Tranquility Base Hotel & Casino』ではさらに別の方向。
ピアノ中心。
ラウンジ。
SF的なコンセプト。
つまり、初期の「若者の夜を高速で観察するバンド」で固定されなかった。
それが大きい。
もしずっと「I Bet You Look Good on the Dancefloor」だけを再生産していたら、2000年代の記念碑的バンドで終わっていたかもしれない。
『AM』が後世に残したのは、実は2000年代の遺産だった?
2013年の『AM』は2000年代から外れますが、初期の遺産がどこへ行ったかを見るには重要。
ギターリフは簡単。
でもドラムとベースがかなりヒップホップ的に重い。
リズムの「間」が増える。
初期は言葉を詰める。
『AM』はスペースを使う。
そして歌詞も、若者の観察からより官能的で自己演出的なものへ変わる。
だからArctic Monkeysは、2000年代インディーロックのバンドでありながら、その時代の様式から脱出できた。
The Strokesは変わらなかったから価値が低いのか
ここでThe Strokesを擁護したい。
変化が少ないバンドは批評的に不利になりやすい。
Davidがいたら同じことを言いそう(笑)。
でも、一つの言語を極めることも大事。
『Room on Fire』なんて、基本的には『Is This It』の延長。
でも曲がいい。
「Reptilia」「12:51」「Under Control」。
「進化していない」という批判もあった。
でも、2001年に作った文法が強すぎたから、少し変えただけでは「同じ」に聞こえる。
後の作品ではシンセや別の質感も増えますが、基本的なバンドの骨格は残る。
そう。
The Strokesの遺産は、変化ではなくフォーマットを作ったこと。
Arcade Fireの巨大さは、後にインディーの弱点にもなった?
Arcade Fire型の「大きな感情」は、その後かなり模倣された。
大人数。
タンバリン。
全員で“Whoa-oh”。
そう(笑)。
それが一時期のインディーのテンプレートになった。
美学が成功するとフォーマット化される。
The Strokesでも同じ。
革ジャン、細身パンツ、二本ギター。
最初は鮮烈でも、模倣が増えると記号になる。
Arctic Monkeysもそう。
地域アクセント+高速ギター+夜の歌詞。
模倣すると一気に薄くなる。
だから三組とも、成功したことで自分たちの影響に追いかけられた。
2000年代インディーは「男のギターバンド」の物語になりすぎていないか
ここは絶対に言っておきたい。
2000年代インディーをThe Strokes、Arcade Fire、Arctic Monkeysだけで語ると、かなり男性中心になる。
そうだね。
Yeah Yeah Yeahs、The White Stripes、PJ Harveyの継続的な存在、Sleater-Kinney、Feist、The Knife、LCD Soundsystemなど、同じ時代の重要な音楽はもっと広い。
エレクトロニックなインディーも巨大になります。
だから「2000年代インディー=男性がギターを持って復活した時代」とすると歴史が狭い。
Marcusがいたら、人種的な偏りも指摘するでしょう。
今回の三組は象徴だけど、時代全体ではない。
そこは明確にしたい。
三組のうち、音楽的に最も革新的だったのは誰か
僕はThe Strokesじゃない。
意外。
The Strokesは革命的な見え方をしたけど、音楽語彙そのものはかなり既存。
そこを2001年に最高の形で再編集した。
では誰?
長期的にはArctic Monkeys。
初期だけならそこまでではない。
でもキャリア全体で、ギターロック、サイケ、ストーナー的な重さ、R&B、ラウンジまで移動した。
私はArcade Fire。
「インディー=小さい」という感覚を壊した意味で。
私は革新性というより、The Strokesの音響的な引き算を高く評価します。
「新しい楽器」を導入したわけではない。
でも2000年代のロックに、空白と細さを再び中心化した。
つまり三人とも違う(笑)。
最高傑作を一枚選ぶなら
The Strokesなら『Is This It』。
これは迷わない。
『Room on Fire』も好きだけど、最初の一枚の完成度が異常。
短い。
無駄がない。
「Someday」「Last Nite」「Hard to Explain」「The Modern Age」。
全部同じ世界なのに、曲ごとのフックが違う。
私も『Is This It』。
同じです。
Arcade Fireは私は『Funeral』。
あの不完全な巨大さは、その後の作品より一回性がある。
私も『Funeral』。
僕は『The Suburbs』と迷うけど、今回のテーマなら『Funeral』。
Arctic Monkeysは?
僕は『Whatever People Say I Am, That’s What I’m Not』。
初期の勢いと歌詞の具体性。
私は『AM』。
2000年代じゃない(笑)。
でも最高傑作を選ぶなら。
音楽的に最も多くの聴衆へ開きながら、初期の皮肉も残っている。
私は『Tranquility Base Hotel & Casino』。
もっと遠く行った(笑)。
ピアノ中心にして、自分たちのギターバンド像をほぼ解体した勇気を評価します。
初心者向けなら、三組とも最初の代表作でいいのか
The Strokesは『Is This It』。
異論なし。
同じです。
Arcade Fireは『Funeral』。
はい。
Arctic Monkeysは『Whatever People Say I Am…』かな。
私も。
初心者には『AM』の方が入りやすいかもしれませんが、何が最初に衝撃だったかを理解するならデビュー作。
1曲だけなら──「Hard to Explain」「Wake Up」「A Certain Romance」
The Strokesなら「Hard to Explain」。
「Last Nite」よりこっち。
ギターの反復、ドラム、Julianの声。
The Strokesのクールさと切なさが両方ある。
私は「Someday」。
若さとノスタルジアが同時にある。
まだ若いのに、もう昔を懐かしんでいる感じが2000年代インディーらしい。
私は「Hard to Explain」。
音の配置が本当にきれい。
Arcade Fireなら私は「Neighborhood #1 (Tunnels)」。
『Funeral』の世界が最初に開く曲。
「Wake Up」。
ベタでもこれ。
ライブで何千人が歌うことまで含めてArcade Fire。
私は「Neighborhood #1」。
徐々に音が増えていく構造が好きです。
Arctic Monkeysなら「A Certain Romance」。
私も。
私は「Do Me a Favour」。
『Favourite Worst Nightmare』から。
リズムと感情の増幅がすごくきれい。
過小評価された作品を選ぶなら
The Strokesは『Room on Fire』。
『Is This It』の二番煎じと言われやすいけど、曲の精度はかなり高い。
「Reptilia」「Automatic Stop」「Under Control」。
ギターバンドとしては本当に強い。
私は『Angles』。
作品として完全にまとまっているとは思わない。
でもシンセやリズムの違う方向を試していて、「Strokesは同じ音しかできない」という見方を少し崩す。
私は『Comedown Machine』。
評価が低めですが、後の『The New Abnormal』へつながる柔らかさやシンセポップ的な感覚がある。
Arcade Fireなら僕は『Neon Bible』。
『Funeral』と『The Suburbs』の間で少し影が薄い。
でもオルガンや大きなアレンジがかなり独特。
私も『Neon Bible』。
宗教、メディア、不安というテーマが、2000年代後半の空気と強く結びついている。
私は『Reflektor』。
James Murphyとの制作で、ダンス、ハイチのリズム、電子音へ広がろうとした野心を評価します。
Arctic Monkeysは『Humbug』。
初期ファンには暗すぎたかもしれない。
でもここで同じバンドでいることを拒否したから、その後がある。
僕も『Humbug』。
私は『Suck It and See』。
『Humbug』と『AM』の間で地味に見えるけれど、メロディの強さがよく分かる。
2000年代インディーロックが本当に残したのは「ギター」だったのか
最後に一つ疑いたいです。
2000年代インディーの遺産って、本当にギターなんでしょうか。
ギタリストとしては「そう」と言いたいけど、違うかもしれない(笑)。
私は「規模の選択」だと思う。
The Strokesは小さくてもいい。
Arcade Fireは大きくてもいい。
Arctic Monkeysは地元の言葉のまま世界へ行っていい。
私は制作と流通の自由。
ローファイにしてもいい。
大人数でもいい。
ネットで先に広がってもいい。
アルバムで世界を作ってもいい。
そう考えると、ギターは一つの手段だった。
だから2010年代以降、インディーがシンセ、R&B、ヒップホップ、bedroom popへ広がっても、「インディーらしさ」は消えなかった。
音色ではなく態度になった。
The Strokes、Arcade Fire、Arctic Monkeysは何を残したか
The Strokesは「削ること」。
音も見た目も曲の長さも。
ロックバンドは大げさじゃなくても成立する。
Arcade Fireは「共同体」。
インディーでも、大人数で、感情を大きくして、アルバム全体を一つの世界にできる。
Arctic Monkeysは「変化」。
最初は地域の若者の言葉を高速ギターロックにした。
でも成功したあと、そのスタイルを捨てることまで自分たちの一部にした。
三組とも違うけど、共通していることもある。
「ロックバンドはこうあるべき」という一つの答えを拒否した。
2000年代初頭には、ロックが過去の形式に見え始めていた。
でもこの三組は、過去を否定せずに別の現在形へした。
だから残ったのは、復活ではなく再定義。
The Strokesはロックを小さくし、Arcade Fireはインディーを大きくし、Arctic Monkeysは地方の言葉を世界へ出した。そして三組とも、成功した自分たちの型に永遠に従う必要はないと示した。
対談を終えて
2000年代インディーロックを「ギターロックが復活した時代」とだけ捉えると、The Strokes、Arcade Fire、Arctic Monkeysの本当の違いは見えにくい。The Strokesが『Is This It』で示したのは、ロックを巨大化するのではなく、余計な音を削り、短い曲と細いギターと無造作に見えるスタイルだけで再び現在形にできることだった。彼らの影響はリフ以上に、引き算の美学として残った。
Arcade Fireは逆に、『Funeral』でインディーのスケールを広げた。複数の声、弦、打楽器、ピアノを粗いまま束ね、一人の内面ではなく共同体の感情として鳴らした。インディーは小さく、冷たく、個人的でなければならないという感覚を壊し、アルバムそのものを巨大な共有体験へ変えた。
Arctic Monkeysは、Sheffieldの夜と若者の会話を隠さずに世界へ持ち出した。初期の成功にはネット上でのファン主導の拡散が象徴的に関わったが、彼らの本当の強さは、地域のアクセントと具体的な言葉をポップの普遍性へ変えたこと、そして成功後にその初期スタイルへ留まらなかったことにある。
三組が残したのは、結局「ギターをもう一度流行らせた」という一つの復活劇ではなかった。The Strokesはロックのサイズを変え、Arcade Fireはインディーの感情の大きさを変え、Arctic Monkeysは地域性と変化の自由を広げた。2000年代インディーロックが現在まで残した最大のものは、特定のサウンドではなく、バンドが自分たちの規模、言葉、歴史、そして変化の仕方を自分で決めていいという感覚だった。

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