発売日: 2017年8月4日
ジャンル: シンガーソングライター、オーケストラルポップ、アメリカーナ
概要
『Dark Matter』は、ランディ・ニューマンが2017年に発表した10作目のスタジオアルバムであり、
オリジナル曲による新作としては『Bad Love』(1999年)以来、実に18年ぶりのリリースとなった。
年齢を重ねたニューマンは、ここでもなお鋭い社会批評と人間観察を失わず、
むしろその表現は一層自由かつ実験的になっている。
ストーリーテリング、キャラクターソング、風刺、悲哀、皮肉、優しさ――
彼が50年以上にわたり築き上げてきた表現技法が、本作では極めて高いレベルで結実している。
オーケストラルなアレンジと、シンプルなピアノ弾き語りを自在に行き来しながら、
アメリカ社会、世界情勢、個人の愛情、死へのまなざしといったテーマを、
時に戯画化し、時にしんみりと描き出す。
『Dark Matter』は、単なる”晩年作”ではない。
それは、ランディ・ニューマンという表現者がなおも生き、
なおも時代と格闘し続ける姿を刻んだ、豊穣な作品なのである。
全曲レビュー
1. The Great Debate
宗教、科学、政治が入り乱れる8分超の長大な楽曲。
複数の登場人物が議論を繰り広げるミュージカル仕立ての構成で、
現代アメリカ社会の分断と混乱を強烈に風刺している。
2. Brothers
ジョン・F・ケネディとロバート・F・ケネディ兄弟を主人公に、
冷戦時代のフロリダ計画を軽妙なタッチで描く。
史実とフィクションを絶妙に交錯させた、ユーモラスな物語。
3. Putin
ロシア大統領ウラジーミル・プーチンを皮肉たっぷりに描いた風刺ソング。
マーチ風のリズムと滑稽なイメージで、現代の権力者像をコミカルに描写する。
4. Lost Without You
一転して、純粋な愛情と喪失感をテーマにした美しいバラード。
ニューマンの温かな声が、深い感情を穏やかに伝えてくる。
5. Sonny Boy
1930年代に実在したブルースマン、ソニー・ボーイ・ウィリアムソンを題材にした曲。
音楽業界の搾取と裏切りを、物悲しい語り口で描く。
6. It’s a Jungle Out There (V2)
テレビシリーズ『モンク』のテーマ曲として知られる同曲の新バージョン。
パラノイア的な不安感を、ユーモラスに、しかしリアルに歌い上げる。
7. She Chose Me
しっとりとしたラブバラード。
「彼女が僕を選んでくれた」という奇跡への驚きと感謝が、
静かに、しかし強く響く名曲である。
8. On the Beach
老いと孤独、人生の黄昏をテーマにした曲。
静かな浜辺で過去を振り返る姿が、淡いタッチで描かれる。
9. Wandering Boy
アルバムの締めくくりにふさわしい、静かなバラード。
人生に迷い、流れ着いた者への優しいレクイエムのような響きがある。
総評
『Dark Matter』は、ランディ・ニューマンの”現在”をありのままに刻んだ作品である。
それは、年齢や時代を言い訳にせず、
むしろそれらを素材として、より自由に、より深く表現を深化させたアルバムなのだ。
社会風刺においては「The Great Debate」や「Putin」で現代世界の滑稽さを鮮烈に切り取り、
個人的な感情表現においては「Lost Without You」や「She Chose Me」で
驚くほど率直な愛と孤独を描く。
音楽的にも、オーケストラルな壮大さと、ミニマルなピアノ弾き語りを自在に操り、
一曲一曲に物語と感情の厚みを与えている。
『Dark Matter』は、単なる回顧ではない。
それは、”いま”という時代に、ランディ・ニューマンがなおも挑み続ける意志の記録であり、
同時に、彼のキャリアの中でも最も豊かで、最も人間的な作品のひとつである。
おすすめアルバム
- Randy Newman / Bad Love
自己批判と社会風刺を鋭く描いた、円熟期の傑作。 - Leonard Cohen / You Want It Darker
晩年に到達したシンガーソングライターの深い精神性を味わえる。 - Tom Waits / Orphans: Brawlers, Bawlers & Bastards
人生の裏側を多彩なスタイルで描ききったトム・ウェイツの大作。 - Paul Simon / Stranger to Stranger
成熟した視点で現代社会を軽やかに描いた作品。 -
Rufus Wainwright / Want One
オーケストラルなポップと個人的な叙情が交差する美しいアルバム。
歌詞の深読みと文化的背景
『Dark Matter』に通底するのは、”信じていたものが崩れていく世界”に対する複雑な感情である。
科学と宗教、政治と個人、愛と孤独――
かつては明確だったそれらの境界線が、
現代社会では混沌とし、もはや「正しさ」すら揺らいでいる。
「The Great Debate」では、宗教と科学の対立をシュールに描き、
「Putin」では現代の権力者像を笑い飛ばす。
だがその根底には、
“それでも人は信じ、愛し、迷いながら生きる”という、
深い共感と哀しみが流れている。
『Dark Matter』は、混沌の時代に響く、
静かで力強い、ランディ・ニューマンからの現代への”回答”なのだ。
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