1. 歌詞の概要
「Chasing Pirates」は、ノラ・ジョーンズが2009年に発表したアルバム『The Fall』のリードシングルであり、彼女の音楽的な変化を強く印象づける楽曲でもある。この曲は、夢と現実のあいだをふわふわと漂うような、不思議な浮遊感に満ちた作品であり、タイトルが示す「海賊を追いかける」という比喩的なイメージは、心の中で暴れまわる妄想や逃避願望を象徴している。
歌詞の主人公は、ベッドの中で目を覚ましながらも、思考はどこか遠くの空想の世界へと旅立ってしまう。恋や日常に絡め取られながらも、心のどこかで現実逃避を求める──その揺らぎや曖昧さが、この曲の最大の魅力となっている。
2. 歌詞のバックグラウンド
『The Fall』は、それまでのノラ・ジョーンズが築いてきたジャズ/カントリー的な穏やかなスタイルから一歩踏み出し、よりオルタナティブでアートポップ的な要素を取り入れた意欲作である。「Chasing Pirates」はその方向性を象徴する一曲であり、従来の彼女を知るリスナーにとっては少なからず驚きをもって受け止められた。
この楽曲の制作にあたり、ノラはビートルズやトム・ウェイツに通じるような“曲の中で世界が変わる”感覚を目指したと語っている。アレンジやサウンドプロダクションは従来よりもシャープで、ファジーなギターやルーズなビートが特徴的。曲全体に漂うサイケデリックな質感は、まるで夢の中にいるような錯覚を与える。
歌詞の着想は、ノラが目を覚ました朝、頭の中で“何かが勝手に動いているような感覚”を覚えたことから始まったという。彼女自身が「脳の中で小さな映画が上映されているみたいだった」と語るように、この曲は非常に映像的でイメージ豊かな一作なのだ。
3. 歌詞の抜粋と和訳
引用元:Genius Lyrics – Norah Jones “Chasing Pirates”
In your message you said
あなたのメッセージにはこう書いてあったYou were goin’ to bed
「もう寝るところだよ」ってBut I’m not done with the night
でも私はまだ夜の途中にいるのSo I stayed up and read
だから私は起きて本を読んだの
この冒頭のやりとりからして、ふたりの心の距離やすれ違いがほのかに滲んでいる。相手は眠りにつこうとしているのに、主人公は眠れずにひとり妄想の海を彷徨っている。
And now I’m chasing pirates in my head
そして私は頭の中で海賊を追いかけている
この一節は、本曲を象徴するラインである。「海賊を追いかける」という行為は、非現実的で突飛なものであるが、実際には現実の生活や愛から離れて自由に思考を巡らせるという行為そのものの比喩とも取れる。
4. 歌詞の考察
「Chasing Pirates」が描いているのは、現実からほんの少しだけ心が滑り出す瞬間の感覚である。特に恋愛においては、相手と一緒に過ごす時間よりも、その人の不在の中で自分の思考がどれだけ暴れるかが、愛情の質を物語ることもある。
この楽曲の中で、主人公は眠れぬ夜にひとりで妄想を膨らませている。それは現実から逃げるためでもあり、また“何か”に到達しようとする模索でもある。その“何か”が海賊であるというメタファーは実に詩的で、子ども時代の冒険心や、思い通りにならない日常への反抗を想起させる。
また、語られない部分にこそ深い意味があるのがこの曲の特徴でもある。なぜ彼女は眠れないのか。なぜ相手に素直に会いたいと伝えないのか。なぜ海賊なのか──そうした問いに明確な答えはないが、そこに“想像する自由”がある。
ノラ・ジョーンズの歌声は、ここでもやはり穏やかでありながら深く染み込むような質感を持っており、彼女自身がまるで語り部のように、この浮遊する世界を案内してくれているかのようである。
5. この曲が好きな人におすすめの曲
- Young Blood by Norah Jones
同じ『The Fall』に収録されており、より明確にロック色を帯びた楽曲。従来のジャジーなノラとは一線を画すクールな一曲。 - Carnival Town by Norah Jones
『Feels Like Home』収録の内省的なバラード。街の喧騒の中にひとり佇むような孤独感が、「Chasing Pirates」の世界とつながる。 - Into My Arms by Nick Cave & The Bad Seeds
深い孤独と内面世界を描いたピアノバラード。宗教的・詩的でありながらも感情に訴える力が強い。 - Reckoner by Radiohead
夢と現実の境界を曖昧にするようなサウンドと浮遊感が、「Chasing Pirates」と共鳴する。 -
Cosmic Dancer by T. Rex
無重力のような世界観と優しいボーカルが魅力。妄想的な旅の音楽としておすすめ。
6. ノラ・ジョーンズという迷宮:変化を恐れない表現者
「Chasing Pirates」が特筆すべきなのは、ノラ・ジョーンズがそれまでの“癒しのシンガー”というイメージから意図的に脱却しようとしていた点にある。『Come Away with Me』の頃の彼女は、静けさの象徴であり、日常の疲れを包み込むような存在だった。しかし2009年の彼女は、むしろ“揺さぶり”を与えるような音楽に挑戦している。
それは彼女にとってリスクでもあったはずだが、同時に強烈な創作意志の表れでもある。この楽曲の映像的な構成、ストレンジなメタファー、サウンドの歪み──すべてが、“これまでのノラ”を更新しようという試みの結晶なのである。
「Chasing Pirates」は、音楽がただ心地よいだけのものではないことを示している。むしろ心のどこかに波紋を残し、聴き手に“考える余地”を残すことで、リスナーの心の奥に爪痕を残すのだ。
現実と幻想のあいだを揺れながら、私たちはきっと誰もが、頭の中で“海賊”を追いかけている。ノラ・ジョーンズはその追跡劇に、静かに寄り添いながら音を添えてくれているのだ。
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